2008年12月1日

根性見せろ、俺。




2008年11月1日

何も思い出せない。




2008年10月5日

誕生日。




2008年9月13日

今日は2人展の6日目。
明日でこの展示はおわりです。アトリエ日曜日で描いているとき、最後の最後まで手が掛かった絵が、展示してある6点のなかでももっとも思い入れがあります。それは観る方にとっては、あまり関係のないことのように思われるかも知れませんが、自分は、単純に嬉しいです。何がというと、その絵が展示をしたことで、ああいい絵を描いたなあ、と気づいたことが。この絵はたぶん、もう2度と見ることはないでしょう。すこし淋しく感じます。よく、自分の作品を子供のように例える人が居ますね。でも自分は、どちらかというと、友達のように感じます。自分を分かってくれている、黙ってただそばに居る大切な友人に思えます。そして、絵が人の手に渡っていくときは、その友人が転校していくような気分です。絶対に会えなくなるとは言い切れないけれど、明確な別れを感じるというか。…ちょっと分かりづらいですかね。でもこういう風に例えるのが、自分ではいちばんしっくりくるのです。


明日は会場に居ます。最終日なのでクローズは16時となります。




2008年9月12日

今日は2人展の5日目。
明日はギャラリーには行けません。でもシスイの絵は居ます。
今日はギャラリーに行く前に、知人の写真展を観に行った。写真は好きだ。自分もたまに写真を撮る。本当は人(知らない人で、写真に撮られていることを知らない人)とか撮ってみたいけれど、気後れしていつも断念する。景色が多い。デジタルカメラは手軽に写真が撮られて持ち運びもしやすいけれど、フィルムにはかなわないですね。あのシャッターを押す瞬間の感触とか、フィルムが終わったあとの巻きの作業とか。省かない方がいいこともたくさんありますね。きっと世の中には。




2008年9月11日

今日は2人展の4日目。
明日は1時過ぎくらいから会場に居ます。




2008年9月10日

今日は2人展の3日目。
祖父が千葉から絵を観に来てくれて、「これで明日死んでもいいや~。」と笑いながら言いました。じいちゃん、死なれちゃ嫌だ。でも喜んでいる顔を見て、どう言えばいいのか分からない感情が湧きました。




2008年9月9日

今日は2人展の2日目。

自分が絵を描く意味を自分が分かっていないと言われました。取り繕っている、とも。いつもなら、どんより落ち込んでナメクジみたいになりそうでしたが(ナメクジだって一生懸命生きている)、今日はなんとか大丈夫そうです。明日は会場に居ます。気が向いたら、どうぞいらしてください。




2008年9月8日

今日は2人展の1日目。
夕方まであまり人が来ず、連日の寝不足で眠気に襲われ、半分意識が飛んでいました。それでも夕方からは次々と、友人や知人や先生方がいらして、意識もしゃっきり、後半はあっという間でした。元気のいいおじさん(知らない御方)とも、結構長話をしました。自分は、ギャラリーなどで展覧会を見るとき、会場に誰も居ないといいなあ、と思いながらドアを開けます。なんというか、別に作家さんがいらっしゃるのはいいのですが、その方の考えとかメッセージとかを語られてしまうと、作品のおもしろさが分からなくなるというか。自分で判断できなくなってしまいます。そういうものが、作家が作品をつくる上でエネルギーになっているのは確かだと思いますけれど、見る方としては(少なくとも自分は)、作品を観るときには別に知りたくありません。そのため、自分が展覧会をやるときに会場に居るべきかどうかは悩みます。だから普段はオフィスに居て、しばらくすると顔を出してみるという感じで過ごしています。見に来た人は、何か知りたいことがあれば話し掛けられるでしょうし(できない方も居るでしょうが)、興味がなければすぐ立ち去っていくでしょう。それでいいと思います。
展覧会では、自分も観客ですし、何か明確に分かっていたら、絵は描いていないかも知れません。分からないから描いている、とも言えますが、ところがどっこい、それすら分かりません。でも、そういう中でも自分の絵が現れてくるのならば、今はそれでいいのではないか、という気がします。どこの世界もそうでしょうが、自由になるはずの絵は、いろんな余計な思惑やシステムに埋もれがちです。でもわたくしは、自分の大切なひとやものと同じように、自分の絵も、そういうどうでもいいことから守っていきたいです。これは相当大変でしょうけれど。




2008年9月7日

今日は搬入でした。自分が思っていたより、展示はよくできた気がします。
自分がやることはここまでですかね。あとは観に来た人によって、自分の絵が作品となるでしょう。


と、いうことで、みなさん是非いらしてください。自分は9月8・10・12・14日はギャラリーに居る予定です。口べたシスイがお待ちしています。




2008年9月5日

「こればっかりは手放したくないからね。誰にも見せないよ。」




2008年9月2日

手のひらに乗せて、ゆっくり歩く
その手も乗せて、空を飛ぶ


ムラサキの雲は、橋の上へ
名前を知らない花は、小さな部屋へ




2008年9月1日

今日から9月。というわけで、お知らせです。2人展に絵を出します。詳しくは上のお知らせのページを見てください。


2008年9月8日(月)~9月14日(日)
11:00~19:00(最終日:~16:00)
会期中無休
場所:フタバ画廊(銀座)
入場無料


絵を5点ほど展示します。自分は、8・10・12・14日はギャラリーに居る予定です。お時間ありましたら、どうぞいらしてください。よろしくお願いします。




2008年8月31日





2008年8月30日

ちょっと日記が暗いですね。天候のせいにしたいね。じゃ、今日いちばん笑ったことについて。部屋に帰って来てテレビをつけたら、エスパー伊藤さんが出ていました。往年の、ゴム手袋を頭から被って鼻息で破裂させますという芸のようなものを披露していました。成功するわけはないのでしょうが、おもしろいです。かっこ悪いことのかっこ良さ。ここしばらくなかった大笑いをしました。


状況を打破するのは、自分だけです。自分をとりまく環境のことですから。毎回うまくいくなんてことはない、と言うのは簡単ですが、自分では言いたくはない。たとえそれが意地っ張りなことでも、続ければそれは力となる気がします。




2008年8月29日

なんでこんなにもうまくいかない
だいじょうぶ
今年に入ってから、調子がよかったときってそういえばないなあ
つまらないことを考えてしまう
だいじょうぶ
絵を描きたくないと、思い始めてしまった
自分はこれしかやってきていないのに
だいじょうぶ
もっと追い込んだほうがいいのかな
だいじょうぶ




2008年8月28日

歌を嫌いになりたくないから、歌をやめると言っていたひとのことを思い出す。自分も絵を嫌いになりたくない。でも、どうも、このまま続けること(描くことではなくて、展覧会など)は、とても厳しい気がする。自分の場合は、経済的なことより精神面が。いや、厳密に言うと絵を見せることよりも、それに付随するいろんなひとの思惑が、どうしても馴染めない。何言っているか分からないだろうけれど、そういうことです。結局は、自分がまだまだ青二才ということです。



こればっかりは、これからも付いて回るんだろうなあ。久しぶりの日記がこんな感じ。まあ、日記ですから。




2008年7月16日

今日歩いているときにふと思った。夏が近づいて来たなどと感じるのは、1年のうちでもっともスイカやかき氷の匂いがするからだ。同じように、冬が来たと感じるのは、北風の匂いやおでんの匂いが1年のうちでもっとも漂っているからだ。そう考えると、春は冬の間に冷めた地面やビルの壁が太陽で温められて匂いがするというのもあるけれど、新しく生えてくるシロツメグサやたんぽぽが見えるからだろうか。秋は焼き秋刀魚や鈴虫の匂いがするというのもあるけれど、目に見えて山や歩く人の服の色が変わるからだろうか。今日歩いているときにふと思った。




2008年7月15日

お米は、たった一粒育てるのにも1年かかります。
ご飯は残さず食べましょう。




2008年7月14日

日記が疎かになっている。毎日、何かしら書きたいことはあるのだけれど、どれもなんだか、本質を得ていないようで、かと言って、1日の出来事をつらつら記すのもなんだか面倒で、結局書かなかったり、その日一番強く思ったことを書いたりする。でも今日も書いているそばからあまり楽しくない。




2008年7月13日

知ったようなことを言うくらいなら、何も話したくない。




2008年7月10日

ただ歩き続けることが、どんなに普通でないことか。




2008年7月7日

喫茶店に行く克己。
克己は元気な店員さんたちを見ている。
お話はしない。
見ている。
女の人が3人と、男の人が3人。
克己は手紙を書いている。
お話はしない。
手紙を書く。
克己はお金に余裕がない。
それでもお金を使って、人の気配を手に入れる。
克己の日課になりつつある。
お話はしない。
克己はベッドで眠る。




2008年7月6日

スカイデッキから。






2008年7月1日





2008年6月28日

答え


踏子  → 多部未華子




2008年6月25日

問題


数夫  → 山崎まさよし
組子  → 小泉今日子
素子  → 松下奈緒
八木沢 → 筧利夫
章造  → 田中邦衛
多江  → 鈴木砂羽
潤一  → 松山ケンイチ
太一郎 → 萩原聖人
英子  → 戸田菜穂
菊本  → 森下能幸
踏子  → ?




2008年6月19日

きのうのことを、今日書く。人からチケットをもらったので、国立代々木競技場に「CHANEL MOBILE ART」を観に行った。観覧は無料だけれど、チケットを取らないと観られないシステムで、なおかつ、好きな時間に行くのではなく、入場の時間が決められている。自分は17時だった。ネットで調べて、会場の外観などは知っていたけれど、なんとなくものものしい雰囲気だった。白が基調とされていて、自分は好きな感じだ。あちらこちらに、全身を黒の制服で統一したスタッフが居た。何か護衛している人みたいに見える。ひとりぽつんと、入場前の待ち合い場に居る間、即席に作られ何れは分解されるその建物のなかに身を置いていると、なんとなく、去年ドイツに観に行ったドクメンタを思い出した。規模も内容も違うけれど、すこし懐かしい感じと、あとは、現実離れしたその雰囲気が夢のようで心地いいものがあった。その間も、あちらこちらで真っ黒な格好をしたスタッフがうろうろして、無線で何かぶつぶつ言っている。さて、内容はと言うと、束芋の映像(インスタレーション)と水たまりの反射のインスタレーションが、印象に残っているかな。どちらも、穴や、直接的には見えない映像を観ているあいだは、その中に自分が居たし、時間を忘れそうにもなった。ただもっと強い印象を持ったのは、この展覧会のシステムかな。チケットを事前に予約して取らなければ観られないというのも、最近ではまだまだ珍しいやり方だと思うし、その上、会場に入ったら自由に観られるというわけでもないー会場に入って渡されるMP3プレイヤーを、スタッフが起動すること、なおかつ、音声に従って観なければならないーということが、今まで自分が体験したことのないものだった。こういうの、嫌いじゃない。それと、そのMP3プレイヤーを操作するのはスタッフひとりなので、観客が同時に作品を観始めるということがない。そうやってできたタイムラグが、ひとりの時間をより強調していた気がする。観ている間、そこまで他の人が気にならなかった。最後に、クロークでカタログをもらった。無料なのに、これが大きくて、なぜか2種類ある。これが世界のブランドのオオきさなのかなーなどと思った。会場から出ると、薄ら青みがかった空と、吹く風が気持ちよく、競技場のまわりは高い建物がないので、またドクメンタを思い出した。何枚か写真を撮って、あとにした。駅に向かう途中、外国の歌手のコンサートがあるらしく、たくさんの人。自分は何も見ず、ただ歩いた。


それから、先週開通した副都心線に乗って、新宿三丁目へ。岸田さんも言っていたけれど、まだ新しい路線なので、ホームの空気が新鮮だった(といっても、体には良くないだろうけれど)。写真を撮ろうとしたけれど、やめた。


新宿へ行ったのは、映画「幻影師アイゼンハイム」を観るため。最近いろいろ我慢していたので、映画を観たくなったのだ。内容は期待はずれで、よたよたした展開の上に結末の説得力がない。そういうことに重点を置いていないような映画ならともかく、この映画はちゃんと物語を描こうとしているので、腑に落ちない感じだった。


帰りは、小田急線でたてつづきに人身事故などが起こって、1時間以上も足止めされた。人混みが嫌いなので、自分にとってこれほどの苦痛はなかなかない。




2008年6月16日

高円寺の古本酒場コクテイルに、ワタベテッサンさんの展示を観に行った。自分はあまりお酒が飲めないし、ひとりで酒場に行く勇気はないので、友人を誘っていった。それでも黒糖梅酒をロックで飲んでみた。梅酒なら飲めるかな、と安易な考えで。友人は、ソーダで割ったような透明のお酒を飲んでいた。テッサンさんの絵はだんだん変わっていく。人物を描いた絵がわりと好きなのだけれど、最近は、擬人化されたような動物の絵が多いみたい。そして、なんだか陽気な気がする。以前はすこし、クールな印象を持っていた。テッサンさんの絵は好きだ。絵のことを思い出す。




2008年6月14日

ときの忘れものでのグループ展が終了しました。来てくださった方々、どうもありがとうございました。展示期間中、毎日ギャラリーに行って自分の絵を眺めるようにしました。それは、絵を描くことからすこし離れて、自分の絵を客観的に観る時間でした。それが必要なことなのか分かりませんが、そうしました。そうして思ったことは、自分の絵は物語性がないのがおもしろいなあということだったり、もっと集中できるはずだということなどです。




2008年6月13日

最近、自分独自のやり方を押しつけるような人が多いなあと感じます。それしか知らないことは悪いことではありません。
ただ、それ以外のいくつもの選択肢があって、それぞれを選んでいる人が居るということを、なぜ想像できないのでしょうか。


最近、愚痴っぽいなあ。こういうの、いけませんねえ。読んでいても楽しくない(…もともとあまり楽しくないかな)! 
…いや、べつに人のために書いているわけではないのだけれど。でも気をつけないと…。



今日は、明日から仕事始めの友人や、この日記を読んで大学の知人が来てくれました。
グループ展は明日が最終日です。自分は1日ギャラリーに居ます。お時間ありましたら、お越しくださるとうれしいです。




2008年6月12日

修行僧のような絵。




2008年6月11日

毎日ギャラリーに行って、自分の絵を眺めていること。




2008年6月10日

今日は1日ギャラリーに居ました。大学の先生や先輩や友人、千葉の友人たちが来てくれたり、あと、これは本当に驚いたことですが、去年の個展で偶然自分の絵を観てくれた人が、今回もまた来てくれたりしました。どう言えばいいのか…、うれしかったです、体温が上がるほど。絵はひとりで描いていますが、人の気配を感じました。たとえグループ展でも、自分の絵を観るためにわざわざ足を運んでくれるということ、なんと贅沢なことでしょう。




2008年6月7日

グループ展2日目。用事を済ませ夕方ギャラリーに行って芳名帳を見たら、自分が居ない間に、会いたかった人たちが立て続けに来ていた。もどかしい思い。ちなみに10日(火)は、そのギャラリーでバイトをすることになっているので、1日中居ます(お昼休みとしての1時間は居ないかもしれません)。絵を観て、感想を言ってもらうのは、やはりうれしいものがあります。それがたとえ、良いというものでなくてもです。感想を言葉にするのは時として難しいものですが。展示をすることで自分が得るものは、そういう人からの言葉と、絵を客観的に観たうえで導きだされる自分の思考のような気がします。




2008年6月6日

ということで、今日からグループ展が始まりました。自分は絵を7枚展示しています。1枚だけ、ほかの絵から離れているので見逃しやすいかもしれませんが、よろしくお願いします。今日はオープニングパーティーがありました。自分はちびちびとワインを飲んで、人の話を聞いたり、すこし何かを話したりしました。久しぶりに会う人が来てくれたのも、うれしかったです。




2008年6月4日

どうも話して表現することが苦手なようです。言ったそばから、言いたいことから遠ざかってしまいます。唯一、言葉を使ってなんとかうまくいくのは、紙に書くことのようです。自分はいつもクロッキーブック(大学生のときから同じ種類)を持ち歩いていますが、絵よりも言葉を書く方が多いときがあります。その白い紙のなかに、言葉を選んで、改行するところも選んで、字の大きさや字の線の長さを慎重に選びます。そうして出来上がったものを見ると、やはりこれは絵かも知れないと思ったりもします。紙の白と、黒い字の線の形。書いている内容は、ふと思ったことや、誰かが言ったことや、何かが起こってそれについてだったりします。ちなみに、今クロッキーブックを開いて見てみたら、いちばん最近のものが「集中的に一定期間働いて、そのあと何もしない。自分はそういう感じやな。」でした。これは人が言った言葉ですが(紙に書いているのだから、ここに書いてもどうしようもないのですけれど…)。


さてさて、あさって6日からグループ展が始まります。ギャラリーの人の話では、人はいつもあまり来ないとのことでした(!)。だから、みなさん、是非来てみてください。人があまり来ないのならば、きっと、ゆっくりできます。




2008年6月1日

6月になりました。6日(金)からグループ展が始まります。やはりこういう機会があると、多くの人に観てもらいたいという気持ちが出てきます。




ここからは独り言ですが。自分の話を聞いてくれる、大切な人が居ます。自分の何倍も生きていて、長い間絵を描き続けています。自分はその人の足下にも及びませんが、ふたりは似ているところがあると思います。心細いのは間違いなんかじゃない。絵を描いていると、あらゆるものから自由になる瞬間があって、絵を展示すると、そうではなくなることがよく分かります。2年くらい前、その意味が分かりませんでした。


それともうひとつ言っておきたいことは、自分はどんな技法や技術よりも、表現の方が大事だと信じています。




2008年5月31日

気がつけば、グループ展まで1週間切りました。来週の6日(金)から始まります。やはり、こういう機会があるからには、多くの人に観ていただきたいです。
よろしくお願いします。



関係ないけれど、今朝(昨日の夜の眠り)の夢は、カマイタチに背中を切られるというものでした。それはそれは大胆に、自分の背中がまるでフォンタナのカンヴァスのようでした!結局、カマイタチの正体は人だったのだけれど。他にもいくつか見て、すべて嫌な感じの夢でした。なんなのだろう…。そういえば、前回の個展のときも、展示が近づいてくると、嫌な夢を見る日が多かったような…。ちなみにそのときは、好きな先生に見たこともない剣幕で怒られるというもの。…今夜は見ませんように。




2008年5月26日

おととい行ったqpさんの展覧会、よかったです。絵にはやってはいけないことはないと改めて思いました。描いている内容は、今までのコラージュの絵と似たところもありながら、今回初めて油絵と布の絵に挑戦したということで、新鮮な感じがしました。油絵の描き方がめちゃくちゃやと言っていましたが、自分には欲しい絵が、何枚かありました。お金があればなあ…。




2008年5月25日

おととい行ったqpさんの展覧会、よかったです。絵にはやってはいけないことはないと改めて思いました。欲しい絵が、何枚かありました。




2008年5月23日

ちょうど2週間後、グループ展が始まります。どういう展示になるのかまだ未定ですけれど、今のところ、壁にかけるのは4点を予定しています。それとは別に、小さめの絵を何点か持って行こうと思います(ただしこれはスペースの関係で展示できるか分からないです…でも、持って行くからにはどうにか観てもらいたい…)。



「4Winds 2008展  永井桃子・根岸文子・秋葉シスイ・三須研一」
2008年6月6日(金)~ 6月14日(土)
12:00 ~ 19:00 日・月・祝日休廊
場所:ときの忘れもの(南青山)
※6月6日(金)17:00からオープニングを開催します。どなたでも参加できます。是非お越しください。



2008年5月21日

背筋を伸ばして立ち読みをする。
文字は読めるが、意味が分からない。
前を行くひとの歩き方が気になる。
自分の足下を見てみる。
白い靴を履いている。
靴は白と決めている。
いつまで経っても便りは来ない。
鉛筆を削って待っている。
今日もいい天気で、それに感謝する。
公園の近く、いつだって眺めていたい。
本を一冊読み終えた。
幸福はどこへ行ったか。
あたまの上には何が見えるか。
ひとり立つ景色を、僕はじっと眺めている。
ずいぶん前から、そうしている。




2008年5月17日

絵を描くときに、だいたい音楽を聴いています。自分は音楽に詳しくないので、好きな音楽を繰り返し聴きます。洋楽はほとんど分かりません。かと言って、邦楽もよく知りません。ずっと好きなのは、くるりとキンモクセイです。たまに及川光博を聴いたり、矢野顕子を聴いたりします。でも最近繰り返し聴いているのは、Base Ball Bearというバンドの音楽です。以前から気になっていたのですけれど、ちゃんとCDを聴いたことがありませんでした。先日、TSUTAYAで半額レンタルをやっていたので、思い切って借りてみました。これが聴いてみたら自分の好きな音楽で。次の日、違うアルバムを借りにまたTSUTAYAに行きました。自分は、歌を聴くときに、その声がたいへん気になります(音だけの曲も好きなものがありますが)。いい声を聞くと、しあわせな気分になります。これは本当です。それで、このBase Ball Bearのボーカルの小出さんの声がとても好きになりました。特に、低音がしっかりしているのがよいです。あと、一瞬声を張り上げるときの、その突き抜ける感じがよいです。あと、このバンドの方は、皆さん自分と同年代なのです(ベースの関根さんは自分のひとつ年下、あとのメンバーの方は同い年)。こういう、自分と年の変わらない人たちが頑張っている姿を見るのは、やはり励みになったりします。それは最近思うことのひとつです。それで、こういういい音楽を聴くと、楽器っていいなあと思います。自分が演奏できる楽器は、この世に2つで、リコーダーとピアノです。しかしいかんせん、今住んでいる部屋にはどちらもありませんが。あとはギターの音色っていいですね。エレキギターというものは、ジャーン!と弾いたらどんなに気持ちのよいものでしょうか!いいなあ。バンドに憧れます。複数人で同じことを続けていくということは、自分には想像できないほど、大変なことのように思えます。でもそれ故の強さもあるのではないかとも思います。4人集まったなら、1匹のモンスターのようになって、街を練り歩くというようなイメージです。自分は少しそういうものに憧れを持っているかもしれません。


なんて、グループ展前に、自分の制作にまつわる(と言っても後半はほとんど話がズレましたけれど)こういうことを書いてみたくなったので、書きました。




2008年5月13日

また書きますが、来月グループ展に参加します。「展示のお知らせ」のページを見てください。


下の写真は、先日友人と行った、St. Mary's International School(セント・メリーズ・インターナショナル・スクール)のカーニバル(バザーのようなもの)で学内を回ったときに見つけた、生徒たちの絵。なかなかこんな場所に入る機会もないので、楽しかった。校庭では、たくさんのテントが並んで、世界各国の料理が売られていた。友人はオーストラリアのテントでカンガルーのハンバーガーを、自分はネパールのテントでひよこ豆とタケノコのカレーを買って食べた。ネパールの料理でなぜタケノコなのかよく分からないけれど、これがとても美味しくて驚いた。









2008年5月12日

夢か現実か分からないときがある。今日も、起こっていないことで、どうしようと頭を悩ませた。解決するまでもなく、はじめから何も起こっていない。




2008年5月7日

来月、グループ展に参加します。


日時:6月6日(金)~14日(土) 12:00~19:00 日・月・祝日休廊
場所:ときの忘れもの(南青山)


くわしくは、「展示のお知らせ」のページをご覧ください。




2008年5月2日

このところ絵を描いている。自分は、1枚の絵だけを描き続けるというよりは、数枚の絵を同時進行で描いています。それは単に、使っている材料が油絵の具なので、乾くのが水彩絵の具よりも時間が掛かってしまうから、長時間1枚の絵と向き合うのには少々難があるし、それに加え、絵の中に作っている自分の風景が、目の前のものひとつだけというのが、くるしくなったりするから、というのもあるかも知れないと思った。それは学生のころからそうだったような…。


「ずっと同じことをしている。」と批判的に言うひとは、同じことを続けることが楽でないことを知らない人だと思います。それは、絵にしろ何にしろ、そのものの良さには本来関係のないことでしょう。




2008年5月1日

頭がうまく働いていない!体が鈍っているせいだ!バレーボールしたい!




2008年4月30日

友人と1ヶ月ぶりに会った。先週彼女の誕生日だったので、プレゼントを渡した。実用的なものと、自分のオススメの曲を集めたCD。最近は、人に贈り物をするときに、こういった、曲のチョイス集をつくる(これは違法なのかな?)。昔でいうと、自分のベストカセットとでもいうような。相手が気に入るかどうかは、はっきりと分からないけれど、その人をイメージして曲を選んだり、その人が自らは聴かなそうな曲を敢えて入れてみたりする。そういうことや、曲順を考えることが、結構楽しい。今の時点で第4章まである。彼女も喜んでくれたようで、うれしかった。




2008年4月29日

アトリエと住居がひとつ屋根の下で、油絵の匂いで充満している。
想像したら、気持ち悪いですかね?自分はだいぶ慣れているのだけれど、人を招くことがあったとき、どうなのかしらと思う。




2008年4月28日

玄関には下駄箱がない。今使っている折りたたみ式の、本来は台所で使うようなラックは以前から気に入らない。
この際、いっそ作ってしまおうかと考えている。奥行きをあまりとらない方がいいな。上には小物を置けるといいかな。時間かかっても作ってみよ~。




2008年4月27日



岸田さん、お誕生日おめでとう。



2008年4月26日

きれいな子に見とれているだけ
それだけで柔らかくなって
あなたを思うほどの心があれば
それだけで前を向く
男の子は一生懸命絵を描いた
今日の空が何色でできているか知っているから
きれいなあの子にあげようか
好きな先生にあげようか



2008年4月25日

「リアリズムの宿」を観た。友人とは呼べない人間と旅行するという内容で、映画全体から発せられる気まずさは、誰にでも経験があるような。映画が終わるというのは、この人たちの旅が終わるということでもあって、だから、ちょっと人間関係が前進して幕が下りるというのは、映画を観終わったあと(この人たちにとっては、東京に戻ったあと)、ちょっと頑張ろうという気持ちになるところがある。




2008年4月24日

自分はどうなりたいのか。




2008年4月23日



横浜の海鳥。



2008年4月22日





2008年4月21日

絵はひとりで描くもの、と言った人が居ますが、それはきっと正しいでしょう。でもひとりの生活では、絵は描けないでしょう。




2008年4月20日

上野/東京国立博物館・平成館「国宝薬師寺展」、東京都美術館「版画展」、丸の内/行幸地下ギャラリー「アートアワードトーキョー」、渋谷/シネマライズX「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」。


「薬師寺展」は、朝行ったのに人の数に驚いた。絵や仏像はじっと動かずそこにあるというのに、みんな順番に、そんなに焦らず、どうして観られないのか。なぜ押したり、我れ先にと人の間に突っ込んでいくのか。自分には理解できない。この展覧会の目玉である、日光月光菩薩立像は、やはりというか圧倒的な存在感。普段お寺にあるものを美術館に移動するというのは、些か無理があるようにも思うけれど、像の全体をぐるりと見回して、そのすみずみに行き届いている神経を目の当たりにして緊張した。観ているあいだだけ、音がなくなるような。日光月光は、それぞれ表情も違うし(自分は、日光は厳しい、月光はやわらかい表情に見えた)、衣の具合も身につけているものも、少しずつ違って、完全な左右対称ではなく、それがより美しさを増している理由に感じた。あとは、東塔水煙が(模造だけれど)造形的におもしろかった。「版画展」は高校の美術の先生たちが作品を出しているので観に行った。膨大な数の中、2人の作品だけを探した。「アートアワード」は去年も観に行った。これらが今年の卒制の中で選りすぐりの作品たちかあ、とぼんやり考えながら観ていた。気になったのは風能奈々さん。絵と、日々ドローイングを描き連ねているようなノートが展示してあって、ノートの方がよかった。作品をつくろうと意気込んで描いているというよりは、(ご本人もコメントしていた)日記、あるいはメモのような感覚に近いと思った。もちろん、大きな絵とそれらのドローイングは相互に関係しているのだけれど。


それから地上に上がって、新東京ビル1階にある丸の内カフェに行った。今まで知らなかったけれど、美術系の書籍が置いてあって、自由に読める無料休憩所。時間がなくて長居できなかったが、インターネットもできるみたい。飲み物やお菓子の自動販売機もあって、テラス席もあるし、カフェ自体は2階構造になっている。結構多くの人が利用していた。次回ここら辺に来たときは、ここを利用するとしよう。出発の時間まで、アルフレッド・ウォリスやジャン・コクトーの画集を眺めた。


最後は渋谷。絶対観ると決めていた「ヘンリー・ダーガー」のドキュメンタリーを観に。シネマライズXは初めて行った。今まで体験したことのない映画館の雰囲気。小さいし、2階建てだし、そのわりに座席が少ないし(自分は2階席で観た)、場内の壁面に絵や落書き(?)が描いてあるし…。映画は、タイトル通り、謎が謎のまま提示されていて、それが良かったように思う。解決しようとする想像力をかき立てる小さな刺激の集合という印象だった。もちろん解決することはおそらく不可能で、なぜなら、本当のこと(いくらアパートの住人や親しい人が彼について話したとしても)ダーガーのことはダーガーしか知らないことで、でももしかすると本人すら分からないわけだし、それよりも重要なのは、誰にもできないような想像力があったことが事実であることと、何より、あんなに綺麗な絵(世界)がこの世に生まれたという事実だろう。あとよかったのが、アニメーションだった。これは自分でも意外だったというか…。自分は最初、絵が動く、すなわち、さっき述べたように本当のことはダーガーしか分からないだろうに、他人が勝手に解釈した展開を見せられるということに、あまり好意を持てなかったけれど、意外にも違和感がなかった。たぶん、自分が想像していた通り、というか、ダーガーの絵を観たときに自ずと感じる、その世界の動きが、再生されたというか。ああいう動きになることは、他人ではなく絵自体がはなから物語っていたように思った。…などが見終わったあとの率直な感想かな。




2008年4月19日

夜布団に入って、眠れなくて、結局朝方まで起きていて、というのを最近繰り返している。体に悪い。
眠いのに、眠れない。




2008年4月18日

雨と風の中、画材を買いに行った。とくに深く考えることをせず、必要なものを買ったら、1万円を超えてしまった。経済苦だというのに!



2008年4月17日

1週間前の日記に、「自分は、家族がテーマになっている映画を好んでみているようだ。」と書いた。それは友人に言われて気づいたことだ(今まで自分はそれに、本当に、全く気づかなかった)。それで、なぜそうなのかと考えてみた。好きな映画を挙げると、もちろん家族をテーマにしたものだけではないのだけれど、圧倒的に多いかも知れない。それに加え、さらに共通点が多いものを挙げるとしたら、洋画ならば「イカとクジラ」「サムサッカー」「家の鍵」「ダージリン急行」「Digging To China」などで、邦画ならば「萌の朱雀」「ゆれる」「酒井家のしあわせ」などだろうか。その共通点とは、家族がどこかうまくいっていなくて、でも崩壊するほどじゃないし、ぎこちなさは消えないまま家族として、別に哀しがることもなく、反対に希望に満ち溢れていくこともなく、そのまま暮らしていくというところかなあ(「萌の朱雀」だけは家族が離散するけれど)。もちろんそれぞれの描き方があって、そこがおもしろいし、一概にひとくくりにはできないかも知れないけれど、友人に言われ、気づいたことで改めて考えてみたら、こういうことかなあと思って。


そして自分が、なぜそういうのばかり知らず知らずのうちに選んでいるのかは、きっと(明確な答えにはなっていないけれど)、家族ってそういうものだよなあ、つまり、そんなうまくいくものじゃないんだよなあ、と納得したいからなのかなあと思った。



2008年4月16日

吉岡秀隆さんはやっぱりかっこいいなあ。静かでありながらも熱意を感じる。役柄としてもそうだけれど、本人自身からも発せられている。なかなかあんな俳優さんは居ないよなあ。あの人の周りの空気はひっそりとしていそうだ。それなのに、周りの人の空気も包み込んでしまいそうな。憧れる。そしてあの声が、何といってもぐっとくる。女の人も、男の人も、声って大事だよなあ。女の人の声で好きなのは、笑い声が綺麗なひと。男の人の声で好きなのは、話す声が低くてもすこし高くても透き通っているひと。こればっかりは自分の耳で判断しないと伝えられないけれど。




2008年4月15日

もう何ヶ月も髪の毛を伸ばし放題にしている。伸びすぎると、切るタイミングが分からなくなる。自分で切ろうかな…、でも失敗したら嫌だな。
読んでいる人にしたら、どうでもいいことですね。




2008年4月14日

近所にはスーパーが2つあって、いつも駅前のほうに行っている。今日は、それとは反対の、住宅街の中のほうに行った。そちらの方が安いものもあるし、小さくて、そのわりに充実した品揃えが好きで。その店に行くまでに、公園を2つほどと、住宅街の中を抜けて行くのだけれど、散歩にはいいコースだと思う。スーパーの斜め前には大きなグラウンドがあって、いつも少年たちがサッカーや野球をしている。住宅街はひっそりとしている。それでも部屋の灯りが見えるので、誰かの暮らしの気配を感じる。自分とは関係のない、人々の生活を感じる。その中をひとり歩いている。




2008年4月13日

自分のことをちゃんとやって、近くの人たちにすこし優しく。




2008年4月12日

下馬/島田画廊「鷲見和紀郎 Yukel」展。

大学4年で鷲見さんのゼミをとっていた。それから鷲見さんと話すようになった。自分が知る大人のなかで、好きな大人の1人だ。また新しいところへ進んだ。



去年の冬の終わり、聞いたこと。そのころ自分はあまり人に会っていなくて、鷲見先生に誘われ、東京国立近代美術館の「靉光展」のレセプションに連れて行ってもらった。その帰り、入った蕎麦屋のテーブルの上に置かれた、器やコップや割り箸の袋やおしぼりなどで、「こういうものでも世界は作れるんだよ。」と言いながらいろいろ動かしたり、組み立てたり、やっぱり並べ替えたりしていた。それを自分が黙って見ていると、「君もやってみて。」と言われ、2人でテーブルの上に世界を作った。


「作品をつくると次の作品が見えて、その繰り返し。そうしてたくさんの時間が経ったあと、振り返って自分はどれだけ進んできたのか。そういうこと。」




2008年4月11日

六本木/国立新美術館「アーティスト・ファイル2008ー現代の作家たち」展、外苑前/Flaneur Cafe「木下陽輔 はなをつむ」展。


「アーティストファイル」は、ずいぶんと前から秘かに楽しみにしていたのだ。なぜなら、好きな映像作家のさわひらきさんが参加しているから。展覧会全体的にこじんまりとした印象を持ったけれど、それは悪いものではなかったように思う。さわさんは、前回BankARTで観たときから、また新しいところへ進んだ気がする。正直前の方が、もっと夢の中に居るような、知らないどこかへ迷い込んでしまったような、心地よい不思議がある世界観が強かったけれど、今回はもうすこし、さわさん自身が自分の世界観を客観的に捉えているような感じがした(一緒に行った友人がこのような表現をしていた)。それでも独特の心地よさは在った。また、映像の途中に流れるオルゴールのような音がいい。映像を見始めてしばらく困ったのは、6つのスクリーンを観るということかな。さわさんの作品は、仕掛けみたいなものが登場することが多く、今回は6つそれぞれが関係し合っているから、それを見逃せまいとして目の動きがしばし落ち着かなかった。あと気になったのは、エリナ・ブロテルスさんの写真。特に後ろ姿を撮っている写真は、目を離しがたいものがあった。自分は普段、横を向いた人を描くことが多いのだけれど、それは、単純に形の面白さもあるし、片側しか分からないちょっとした不安感みたいなものが落ち着くから、というのがあるのだと思う(もちろんこれらがすべての理由ではないし、これらがちゃんとした理由かはまだはっきり分からない)。後ろ姿というものにもまた、そういうのを感じて、彼女の写真に自分と似たものを感じたようだ。作者がそれを意図しているかは知らないけれど、自分はそういう感想を持った。


見終わったあと、ミュージアムショップに寄って、カタログと四角いバッヂを買った。それと忘れてはならないのが、ミニチュア石膏像のガチャガチャ。今回はジョルジョだった。肩幅の広い男前。次は、アリアス、マルス、ヘルメスあたりを狙いたい。




2008年4月10日

知人に言われて気づいたのだが、自分は、家族がテーマになっている映画が好きというか、好んで見ているようだ。
それはなぜか。




2008年4月9日





2008年4月8日



風はどこから吹きはじめるのだろうか。



2008年4月7日

稲村ケ崎。午後4時半頃。






2008年4月6日

有楽町/東京国際フォーラム・展示ホール「アートフェア東京2008」、末広町/旧練成中学校「101 Tokyo Contemporary Art Fair 2008」。


国際フォーラムの方は、新しい感じという作品はなかったかな。ただ、自分の好きな大塚聡さんの作品が偶然観られたのはよかった。ごちゃごちゃした会場の中で、ひっそりと、繊細な空気が漂っていた。あとは、現代美術よりも、壷や器やアフリカのお面など、古美術の方がおもしろかった。今思い出せるのはそういう、古いものばかり。あとはほとんど忘れた。旧中学校の方は、建物の窓から見た古いプールが1番おもしろかった。



居てもたってもいられないくらい、呆れたのさ。
だから思いっきり大きな声で言ってみようか。

「カスは逆立ちしてもカス。」




2008年4月5日

選ばれなかった。




2008年4月4日

憎しみを持つな、って。そこからは何も生み出せない、と。けれども愛は、作家の支えとなる、って。言っただろう。マティスは知っていたんだ。


目が覚めたら口の中が切れていた。眠っている間に強く噛んだようだ。舌でなぞると鋭い痛み。




2008年4月3日

千葉県佐倉/川村記念美術館「DIC創業100周年記念展 マティスとボナール 地中海の光の中へ」。


やく1年の改装期間を経て15日から新しい展示が始まった。ちょうど千葉に帰っているので、行ってきた。気持ちのいい天気で、人が結構多かったかな。展示の印象は、マティスっていいなあ、と思った。今まではそこまで良さが分からないというか、あまり興味がなかったのだけれど、絵のなかの色がみんな綺麗で、特に、人の表情が素晴らしくて。その人の本質を捉えてしまっているような…。ボナールは、若い頃に描いた自画像が気になった。自画像って、描いたらおもしろいのかなと思ってしまうくらい。コレクションも多く展示されていて、ジョゼフ・コーネルの作品がいつもよりたくさんあった。やっぱり好きだなあ。あの小さな箱の中は小宇宙だ。新しくなったロスコ・ルームは、イマイチだったなあ。なぜあんな形の部屋にしたのだろう。前よりも狭くなったように思うし、監視員(2人も居る!)との距離がやたら近く感じて、落ち着かなかったなあ。


美術館を出て、目の前の池に居る白鳥。近くで見たいのに、いつも芝生には入っちゃだめなのだ。ともあれ、白鳥は気持ち良さそうに泳いでいた。









2008年4月2日

子供の頃によく遊んだ公園に行ってみた。撤去されてしまった遊具がいくつかあった。それがすべてと言えるくらい大きな世界だったのが、とても小さく、まるで公園が縮んだようにさえ思えた。ブランコに久しぶりに乗って、思いっきりこいでみる。この感じ。




2008年4月1日

しばらく千葉に居る。



2008年3月31日

1歳のこどもが、自分がつくった遊びを見て声を上げて笑った。ただそれが、こんなにもうれしくて。




2008年3月30日





2008年3月29日

調布の公園。午後5時半ころ。









2008年3月28日

上野/上野の森美術館「VOCA展2008」、上野の森美術館ギャラリー「加藤泉 The Riverhead」展、国立西洋美術館「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」展、渋谷/トーキョーワンダーサイト渋谷「トーキョーワンダーシード2008」展、恵比寿/東京都写真美術館「知られざる鬼才マリオ・ジャコメッリ展」、「シュルレアリスムと写真 痙攣する美」展、恵比寿ガーデンシネマ「ダージリン急行」。


「VOCA展」は、あまり印象に残らなかった。自分の感受性が鈍ってしまったのか、ただ心に衝撃がくる作品がないのか、分からなくなった。ああ、でも、関根直子さんの絵は、良かったと思う。どこが?他の作品の散漫さが目立っていたなかで、関根さんの絵はそれとは別の、浮遊感を感じられたから。カタログの文章もちらりと読んだけれど、わりと「絵を描く以前」や「その補助」的な役割になりがちの鉛筆という道具を、ひとつの表現材料として、学生時代から模索していたそうで。そのこだわりみたいな、ある種意地というか、そういう粘り強さみたいなものを感じる。あと、安田悠さんの絵。少々忘れがたい印象がある。この「しょうしょう」というのが、とても大事な気がする。「ヴィーナス展」は、絵よりも、キャビネットや器やカメオなどの生活用品の方がよりよかった。自分はやっぱり、絵にしろ写真にしろ、ヌードには関心がないと改めて気づいた。「トーキョーワンダーシード」は、へえ、という感じ(ここでも「VOCA展」同様、自分の感受性が鈍ってしまったのか、ただ心に衝撃がくる作品がないだけなのか、分からなくなった)。「マリオ・ジャコメッリ」は、「私には自分の顔を愛撫する手が無い」と「スカンノ」のシリーズがよかった。どちらも、写真内の白と黒の塊や形のバランスが、どきりとするくらい緊張感のあるものが多かった。


そして、映画「ダージリン急行」。こんなにおもしろいとは…。正直、映画を観るまではロードムービーというものにあまり関心が無かった。でもインドの美しい景色や、人々の生活、また旅行者の目線からの描き方がとてもよかった。あとは、一見下らない3兄弟のバランスが絶妙で、本編の前についている短編も、いい味を出していたと思う。この他にもいいところたくさん!書くのが面倒なくらい!当たり前なことですけれど、観ないとよさが伝えられない…。




2008年3月27日

片桐はいりのCMが好きだ。スナック菓子のやつ。あの人の持ち味をうまく生かしていると思う。




2008年3月26日

会おう。歩こう。見よう。話そう。触ろう。飲もう。食べよう。話そう。晴れた日に。




2008年3月25日

雲の中で雷が光った。こういうときはいつも胸騒ぎ。




2008年3月24日

よく晴れた。じゃまた言った。道歩いた。いっこ分かった。


昨日のこと。




2008年3月23日

日本画の先生のアトリエに行って、みんなで花壇に花を植えた。自分はノースポールという花を植えた。




2008年3月22日

昨日一緒に出掛けた友人から、「日本天文学会創立100周年記念切手」をもらった。衛生や惑星や銀河などが描かれている。かっこいい。手紙を出すときに使わせていただくとしよう。最近は、かっこいい切手が売っていなかったのでちょうどよかった。そういえば子供の頃は切手を集めていたなあ。まだ手つかずのドラえもんの切手も持っている。


そして今日は、駅前のスタバに居たら、知人と偶然会った。彼女は消しゴム工場の見学に行ってきた帰りらしく、いろいろな消しゴムの中から「ひとつ選んでいいよ。」と言って、テーブルの上にばらばらと出した。パンダやら、ジュースの缶やらがあって、結局自分はマーブルチョコの入れ物の消しゴムを選んだ(ちゃんとフタが開く!)。自分は工場が好きなのだけれど、個人的に実際に中を見学したことは今までない(小学校の校外学習とかではある)。工場を外から眺めては、いつもうっとりしてしまう。結構そういう人は多いのではないかな。今日会った彼女が次回工場見学に行くときには、連いていくことになった。


今日は、もらうつながり、ということで。




2008年3月21日

駒場/日本民藝館「版と拓の美ー摺る・写す」展、東北沢/現代ハイツ「岩永洋美×梅野睦 おとなりさん」展、「宮崎勇次郎」展。


日本民藝館には初めて行った。素晴らしい建物。あのような建物に入れるというだけでも気分がよくなる。次は西館にも入ってみたい(西館は第2・第3水曜土曜のみ公開)。展示はなかなか見応えがあって、絵・版画・拓本の他にも、江戸時代や室町時代などの生活に使われた道具が展示されていて、そちらの方が自分としては興味深かった。生活で使うものを展示してそれをまじまじ眺めるというのも、よくよく考えれば奇妙なことかも知れないけれど、自分の経験では測り知れないほどの時間が経ったものは、やはりただそれだけで魅力的に見える。茶碗や糸巻きや鉄瓶など。とくに印象に残ったのは、螺鈿細工が施された手箱。貝殻によって梅や鳥が描かれていて、その美しさ、形の素朴さにうっとりしてしまう。


帰りに下北沢をフラフラ歩いて夕飯を食べた。鮭の西京焼定食。「いただきます。」をしてすぐに味噌汁のお椀をひっくり返した。お椀つながり、ということで。




2008年3月20日

なるほど。ちゃんと嘆いてみるのもいいかもね。
「あ~あ、しょうもないっ!」




2008年3月19日

友人たちと渋谷で夕飯を食べた。
自分は出先からでなくわざわざ家から向かった。そのお店(パスタやピザなどがある)が、味はいいけれどたいそう嫌な感じのところで2度と行かないと思った。




2008年3月18日

問題は山積み。




2008年3月17日

来月に東京を去る友人と会った。彼女を東京から送るのはこれで2度目となる。今日は、こちらで会う最後の日として一緒に出掛けたのだけれど、出発するまでにはまだ半月もあるし、もしかしたらまた会えるのではないか。いいや!会えるとも!と、今日1日で何度も思った。




2008年3月16日

雪が谷大塚/小島びじゅつ室「石川元展 今生きている過去」。
すっかり春の陽光。上着が暑いくらい。冬はもう終わったのに、雪が降る夢を見た。




2008年3月15日

表参道/ときの忘れもの「ジャン・ベルト・ヴァンニ『Loveーラブー』出版記念展」、六本木/森美術館「アートは心のためにある:UBSアートコレクションより」展。




2008年3月14日

「じぶんのするべきことが分かって、泣いた。」


「D、きみの音楽になれたなら、どんなにしあわせなことだろう!」


「オレンジや深いムラサキのように。」


「すぐに不安はやってきて、今もとなりに座っていて。」


「ベイビー、君の声がした!気がした!」


「今日うそついた。」


「こわい、こわい、こわい、こわい。」


「雨、やんで。哀しみが止まらない。あるいは蘇る。」


「タイミングの悪い、女の子。」


「しばらく何もしないで、働きもしないで、絵を描くことだけしていたい。ほんとうは。」




2008年3月13日








2008年3月12日

370円を渡して、370円のサンドイッチを受け取った。




2008年3月11日

いいか悪いかを決めるのはあなたではなくわたしです。




2008年3月10日

いちばん厄介な場所の片付けをして半日かかっても収拾がつかず嫌になってそのまま部屋を抜け出した。




2008年3月9日

物が少ない部屋のなかイヤホンから流れてくる音楽に合わせてひとりで踊るそのたびに髪が揺れるのを見ている。




2008年3月8日

最近観た映画(DVD)。「イカとクジラ」「インサイドマン」「学校2」「マトリックス」「マトリックス・リローデッド」「忘れられない人」。


「イカとクジラ」は、家族ってこんなもんだ、と思いました。自分が持つ家族というものに対するイメージに近い。
「学校2」は好きな邦画のひとつです。もうずいぶんと前から繰り返し観ている。部屋でビデオが観られなくなる最後の日にもう1度観た。
「忘れられない人」は、観た方がいい映画だと思います。人を想うとはこういうことなのでしょうか。そして、マリサ・トメイはなんとキュートなのだろう。




2008年3月7日

彼女は触りたがる。
指を、水を、花びらを、落ちている石を、パンを、肩を、髪を、足を、コップを、泥を、蛇口を、木の幹を、捨てられた椅子を、買わない商品を、彼女を。



彼女は触りたがる。
人の顔を、人の家を、人の洋服を、人の忘れものを、人のコップを、人の指を、人の絵を、人の思い出を、人のまつ毛を、人の本を、人の弟を、人のものを。




2008年3月6日

日付が変わって朝になるまで地下にある部屋の中で大きな音に囲まれてたくさんの人たちが歌ったり踊ったり話したり笑ったりお酒を飲んだりするのを見ていた。




2008年3月5日

深夜テレビをつけたら、NHKで「プロフェッショナル」という番組がやっていて、そのときのゲストが将棋棋士の羽生善治さんだった。自分が子供の頃、コーヒーや公文式のコマーシャルに出ていて、将棋のことは何も分からないのに、この人のことは知っていた。番組の中で、羽生さんが「10代の頃とは違って、記憶力や閃く力が衰えてきたのが分かる。30代半ばになった今、直感を信じて将棋をするようになった。それは10代の頃にはなかったこと。」と話していた。そのあと「直感は、今までの経験から生まれてくるもの。」また「続けていく努力が才能だ。」とも言っていて、強く印象に残った。


番組の途中、多くの局の場合、正念場になると羽生さんの将棋を指す手が震えだすというのを紹介する場面があって、目が離せなくなった。決着がついて局が終了しても(羽生さんが勝ったとしても)、羽生さんの手の震えは止まらなかった。




2008年3月4日

おととい、東京国立近代美術館に「わたしいまめまいしたわ」を観に行った。行くまで知らなかったのだけれど、その日はちょうど無料で観られた。山中信夫の作品がよかったなあ。あとは須田一政と牛腸茂雄の作品。どきどきした。思えば、この日印象に残ったのはすべて写真作品だ。


そのあと、友人の知り合いの展示を観るために高円寺に行った。会場が古本酒場(?)というようなところで、お店が開くまで時間があったので、それまでジャズ喫茶に入ってみたり、別の古本屋に入ってみたりした。そこで向田邦子の「幸福」という本を買った。今となってはなんで買ったのか分からない。100円だったからなのか…、今まで向田邦子の文章は、小学校の教科書で読んだくらいでその後はまともに読んだことがなく、それでもその小学校の教科書で読んだときの印象が少なからず残っていて、今の自分がそれを求めているのかも知れなかった。




2008年3月3日

ひなあられは、この時期よく食べる。小さい頃からすきだった。




2008年3月2日





2008年3月1日

人が走る場面がある映画が好きらしい。
マラソンやランニングなどの運動という意味ではなくて、衝動的に、気持ちの変化に伴って思わず走り出してしまうというような。



2008年2月29日

友人たちと会って、下北沢で夕飯を食べた。たくさん話し、たくさん笑い、たくさん話し、たくさん食べた(ちなみに「おじや」が売りのお店で自分はホッケ定食)。食後に友人と自分は「はちみつレモン」という飲み物を頼んだ(自分が店員さんに2人分告げた)。そしたらしばらくして「はちみつラテ」が運ばれてきた。「頼んだものと違う。」と言わずに2人ともそれを飲んだ。おいしかったからまだいいものの、自分は「レモン」が「ラテ」に聞こえるほど滑舌が悪いのだろうか。そんな状況も笑ってすっ飛ばした。




2008年2月28日

ホームページに追加する予定の「ちょっとドイツに行ってくる。あと、イタリアも。」をそろそろ載せようかと思っているのだけれど、写真に説明文をつけるかどうか迷っている。邪魔になる気がする…、でも付けなければつけないでよく分からないものもある気がする。分からなくても、それはそれでいい?


たぶん、つけたり付けなかったりすると思う。




2008年2月27日








2008年2月26日

アパートの隣人の音楽がうるさくてしょうがない。前にも日記に書いたけれど。四六時中鳴っているわけではなくて、その人が目覚める朝5時くらいから長いときは1時間くらい鳴っている。前は、自分は眠っていたので別にそこまで気にしなかったのだけれど、最近はその音で目覚めてしまう。これがイライラする。この上ない苛立ち。その音楽は80年代風のダンスミュージック。女性ボーカルで、ベース音がとにかく響いてくる。隣人は狂っているとしか思えない。今日もそれで目覚めてしまった。今朝は無性にむしゃくしゃしたので、そのうるさい隣人側の窓を開けたら(なぜそうしたのかは自分でも分からない、とにかく壁越しに聴こえてくる音楽をどうにかしたかった)、網戸が外れてしまって、余計にイライラした。網戸はそのままにして部屋に戻った。朝からそんなこと。




2008年2月25日

知っている名前を紙に書き出した。




2008年2月24日

映画「スウィーニー・トッド」を観た。監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップ。血とか傷口とかちょっと気持ち悪かった。オープニングや町並みはおもしろかった。同じ監督で、似たような感じの「スリーピー・ホロウ」の方がよかったかな。そういえばあれにも子供が出て来る。アカデミー賞は厳しいんじゃないかな、という自分と一緒に観た友人との予想。




2008年2月23日

横浜のBankART Studio NYKに「和光大学卒業制作展2008」を観に行った。自分が卒業して初めての卒展。今年は場所がなかなかいいだけに、難しいことも多かったはずだ。正直、場所負けしない作品がどれだけあるのか不安の声も聞いた。率直な感想は、なかなか見応えのある内容だったんじゃないかな。もちろん例外の作品もあるけれど。その作品にどれだけ真面目に向き合ったか、本気だったかは、手数に関係なくこっちに伝わってくるものがある。そういうものが何点かあった。日本画がよかったな。展示自体もなかなかバランスよく、できていたのではないかな。ただ、自分が卒業生ということもあって、他の学校の卒制を観るときのように、しょうしょう客観的に観られていないのも事実だけれど。




2008年2月22日

映画(DVD)「コンスタンティン」を観た。借りるのがもう3回目くらい。フランシス・ローレンス監督、キアヌ・リーブス主演。この映画も、主演のキアヌ・リーブスも、自分のまわりの人たちからの評判があまりよくないのだけれど、なんだか好きなんだなあこの映画。天国とか地獄とかの解釈が、自分が知っている今までの中で一番しっくりくる。ハーフ・ブリードという(天国や地獄の使者で、人間の姿をしている)連中の描きかた、特に天使側の方がよくて、全体の映像もおもしろい。あとは主人公が履いている靴下がかっこいい。




2008年2月21日

天袋の掃除をしていたら、ビデオテープが出てきた。その中に、大学生の頃に撮った映画(みたいなもの)とか、知り合いのために先輩と一緒に作ったバースデービデオ(これも劇みたいなもの)があった。なんだか懐かしくなってそれらを観た。観ているときに、このあとどうなるのだっけ?と思うほど、忘れてしまっていた記憶が、徐々に思い出されてくる。ホームビデオカメラで撮った、役者たちも知り合いばかりで、それはそれは拙いものだけれど、自分だけでも観ていてたのしい。




2008年2月20日

「タクシードライバー」という映画(DVD)を観た。30年くらい前の映画で、監督はマーティン・スコセッシ、主演はロバート・デ・ニーロ。人生というほど大袈裟ではないかも知れないけれど、たとえば、自分に何かしたいことがあって、それを実際にやろうとして、けれどもそれがうまくいかなかったときのあと、自分はそれから何をするのか、ということは今後の自分を左右する。ということはつまり、人生だろうか。人生はそういうものの積み重ね。今というものの積み重ね。


(写真)




2008年2月19日

あなたが孤独だとは、到底思えませんね。冗談はやめてくださいな。もう同じ部屋に入ることもないでしょうから、このさい言ってしまいましょう。あなたはふたり居るのです。顔は違うとて、ふたり居るのです。それだけです。服も着ていない、食べ物も持っていない、けれども、同じ建物の中に、あなたはふたり居るのです。それだけで充分と言えましょう。そのほかに何を望むと言うのですか?それは欲張りというもの。そんな人を知っておりますが、体がだんだん小さくなってしまったと聞きます。今もそのまま暮らしています。さぞや哀しいことでしょう。しかしそんなことはどうでもいいのです。あなたの話です。あなたのことを話しましょう。




2008年2月18日

なぜだか眠れません。布団に入る前にコーヒーを飲んだわけでもないのですけれど。たまにあります。こういう風に、眠いのに眠れなくなるときが。今夜がその日のようです。布団のなかでじっとしているのが少々つらくなってきたので、パソコンの電源を入れて、1度書いた日記を消して、書き直している次第です。ということは、これはもう、実質19日の日記となるわけですね。ただいま午前3:29であります。さて、考えてみますと、眠れない理由は何があるでしょうか。先にも述べたようにコーヒーは飲んでいません。昼寝もしていません。日中はわりと体を動かしていた方です。ならば、なぜ眠れないのでしょうか。思い当たるものといえば、不安というやつでしょうか。何が不安かって、すべてですよ。このまま暗い穴の中に落ちていくような気分であります。しかし不思議なのは、それとほぼ同時に開放された気分でもあるということです。「穴の中に居る」ことも「開放されている」ことも、じつのところ、そんなに違いはないのではないでしょうか。と、ここで思ったのは、いったい、わたしは、誰に向かって話をしているのでしょうか。アーアー。応答してください。そうこうしているうちに午前3:38になってしまいました。みるみるうちに過去になっていってしまいますね。過去の連続がいつかの未来ということでしょうか。しかしながら、夜明け前は冷え込みますね。暖房をつけていないので、とても寒いです。こたつに入っておりますが、でもとても寒いです。それなのに一向に眠くなりません。このままでは24時間睡眠なしということになってしまいます。それはさすがに体に悪いというもの。健全ではありません。朝日を浴びないと、人間の体内においてビタミンが生成されないそうです。それはいけません。ただでさえ栄養が偏っていますから。だんだん乱文になってきたように思います。この辺でやめておきましょうか。きっと読み返すことも無い文章です。午前3:51。




2008年2月17日

ここ数日、インターネットに繋がる確率が上がっています。どうやら直ってきたみたい。やっぱり雪が降ったせいだったのでしょうか。原因は究明していません。 まあ、よくなってきているから、いっか。




2008年2月16日

1月に行われた「カブールの幽霊展」のお疲れさま会に行ってきた。今回友人の紹介でお手伝いすることとなったこの展覧会で、たくさんの人たちと出会いました。これからどうなっていくにせよ、自分の日常生活では会う機会のなさそうな人たちとの出会いでした。今日は、そういう大勢の人たちと食事。自分は上手い下手ではなくとも、そういう場で人と話すことが苦手です。以前ある人が、「友達というのは、何でも話し合えるという相手をいうのではなくて、同じ時間を共有しているときに会話をする相手、ただそれだけのものです。」というようなことを言っていました。自分はまだそれができません。それを思い出しました。




2008年2月15日

みんな一生懸命生きていると思います。それが眩しく見えるときがあります。




2008年2月14日

手袋の人差し指のところに穴があきました。そういえば去年は中指のところ。では来年は親指あたりでしょうか。




2008年2月13日

最近観た映画(DVD)。「パッセンジャー」、「パリ・ジュテーム」、「ザ・ウォッチャー」。
「パッセンジャー」はフランソワ・ロトゲール監督。日本人が主演の日仏カナダ合作映画。金子久美という女優さんがよかった。目が離せない雰囲気。「パリ・ジュテーム」は、パリにまつわる短編集。そのなかでも「14区」が印象に残っているかな。コーエン兄弟はやっぱりブシェミを使う。




2008年2月12日

チョコチップスコーンをつくった。オーブンの中で回りながら膨らんでいくのはおもしろい。




2008年2月11日

今日も携帯からの投稿。
ネットがいよいよできない感じ(運がいいと繋がるけれど)。急にどうしたのかな。思い当たる節は雪が降ったくらい。でもそれでおかしくなったとは思えない。


今日よかった買い物。
ダルデンヌ兄弟監督の「息子のまなざし」のDVD。忘れられなくてずっと欲しかったからよかった。ふらっと覗いたワゴンセールで見つけた。980円。




2008年2月10日

パソコンのせいなのか、ネットにうまく繋がらない。
だから今日は携帯から日記を書いている。しかしちゃんと反映されているのかな。
アー。アー。テスト中。テスト中。




2008年2月9日

3年前の誕生日にもらったカフカの本を読んでいる。本によると、口絵となっている絵は本人が描いたもので、絵の意味を問われると、ごく私的な「象形文字」だと答えたという。その返答は的を射ていて、且つ、限りなく正しいと思う。




2008年2月8日





2008年2月7日

たった今持っているもの。
1.自由な時間
2.お金(すこしだけ)
3.さっき買った本(1600円もした)
4.吹き飛びそうな可能性


たった今持っていないもの。
1.あらゆる気配
2.幸福感




2008年2月6日

隣りに住んでいる人の騒音がひどい。朝、音楽で目覚めるらしく、早朝5時頃から大音量で音楽が鳴り始める。いつも自分は寝ているからまだいいのだけれど、今朝はそれで5時半に目が覚めてしまった。イライラする。その人の騒音は朝くらいだし、アパートの壁は薄いし、ちょっとした問題は持ちつ持たれつだと思うけれど、今日は我慢できなかった。かかっていた音楽は80年代のダンスミュージックみたいなやつ。映画「フットルース」で使われていそうな。




2008年2月5日

アトリエ日曜日(自分のアトリエの名前。自分しかその存在を知らない!)の大掃除に着手した。これが大変。壁の半分くらいの大きさの絵が何枚かあって、気分が落ち込む。落ち込むのはきっと、大きさもそうだけれど、あまり気に入っていないから。生活と制作の場所がひとつ屋根の下だと、いいこともあれば悪いこともある。いいことは、描きたいと思ったときにすぐ移動できる、家賃が一緒、など。悪いところは、怠けることが簡単、怠けることが簡単、怠けることが簡単、など。


「萌の朱雀」について、つけたし。
この映画は高校生のころ、偶然つけたテレビで見ました。それ以来忘れられない映画です。監督がどういう人か知りませんが、稀に見る美しい映画です。自然の美しさも、人間(日本人)の美しさも、家族の儚さも見事に捉えていると思うのです。おとといの日記で書いた「生を感じる」というのはそういうことです。台詞が聞き取りづらいとか、物語の把握が一見難しいとか、そんなものは、この映画の前ではどうでもいいことと同じです。ただひとつの家族の中で起こっていることが、淡々と描かれているだけです。だからこんなにも強いのだと思います。




2008年2月4日

友人と一緒に、目黒の自家焙煎珈琲の喫茶店カフェ・アインにワタベテッサンさんの展示「アニマルールル」を観に行った。テッサンさんの絵が好きで、展示のたびに観に行っている。毎回、線や色が楽しそうです。アインで注文したのはコーヒーとアップルパイ。前回はコーヒーとチーズケーキ。どちらも美味しいです。


帰りは友人の案内で目黒から渋谷まで歩いて帰った。歩くのは楽しい。どんどん歩いていけます。おしゃべりしながら、線路の脇を通ったり、アンティークの雑貨などを売っているお店(でも値段がリーズナブル!)に入ったり、大きな煙突の下を歩いたりした。そうして、へんてこな形の建物を見つけたり、写真美術館をいつもとは違う方角から眺めてみたり、パパラッチみたいな集団に遭遇したりした。日がだいぶ延びたなあと思う。5時を過ぎてもまだだいぶ明るかった。友人は、冬のこの時期のちょうどこのくらいの時間が好きだと言った。「なんだか急に静かになる。」




2008年2月3日

雪が降るときも音はするのですね。夜、なんだか眠れないまま本を読んでいたら外の様子がいつもと違う気がして、窓の外を見てみたら雪が降っていました。なんだかうれしくなって、ベランダに出て、積もったばかりの雪を食べました。へんな味。朝、さっそく雪だるまを作ってみた。この、なんとも気持ちわるい表情。適当な「目」が見つからなくて(というか寒くて探さなかった)、冷蔵庫につけていた磁石。





それと、夜中に読んでいた本は、昨日の日記にも書いた「人のセックスを笑うな」の原作(結構前から部屋においてあったのに、読んでいなかった)。序盤は原作の方が好きだった。以前、映画評論家(?)のおすぎが言っていたのだけれど、原作は映画を観てから読んだ方がいい、みたいなことを。本は、文章を読むことによって、自分のなかに映像のようなものが出てきて、それが真実となってしまうというか。だから、そのあとに他人によって作り出された映像を目の当たりにしたときに、少なからずショックを受けるという。でも先に映画の方を観てしまっては、自分の想像力の幅がある程度制限されてしまうとも言えるし。いい悪い両方あるだろう。今回は、原作を先に読んでいたら、映画の、原作との多くの相違点にショックだったかも知れない。しかし、どちらにせよいいものはいいわけで、ただ、順番が変わるだけで印象がまったく異なってしまうという、人生のような話ですね!


最近、携帯電話の調子がとても悪くて、メールを送信しようとすると電源が落ちる!まだ買ってから1年半も経っていないのだけれど、どうしたものかなあ。バッテリーを換えたほうがいいのかな。でもまあいいか。


最近観た映画(DVD)。「ファーゴ」、「青い春」、「萌の朱雀」。
「萌の朱雀」は(これDVDになっていたんですね。以前調べたときはビデオしかなかったのだけれど)何度観ても素晴らしい。何がいいって、映像も設定も物語もすべて。なんというか生を感じます。こういう作品は珍しいと思います。自分が他に知らないだけかもしれませんが。映画は言ってしまえば虚構ですが、歓びをあたえてくれる大切なものです。




2008年2月2日

少し前に「人のセックスを笑うな」を観た。美大でのシーンが出てきたり、展覧会場のシーンが出てきたりして、少し懐かしい気持ちになった。1年前は、自分もああいうところに居た(正確にいうと自分は美大卒ではないのだけれど)。あがた森魚の場面では会場で自分だけ笑いが止まらなくなってしまった。「えんちゃん」の、意気地がないところと大胆なところを両方持っているような姿勢が気持ちよかった。




2008年2月1日

サイダーのお風呂。
街の下の空。
おいしい椅子。
スポーツ選手の弟。
犬小屋の石。
ピカソの指。
空き缶の冷たさ。
飴でできた駅。
タモリの夢。




2008年1月31日

地球は70%が水であとは嘘と本当でできているという話。
乱暴な言葉をつかう人の話。
きれいな景色はあっちにあるという話。
このまま終わるという話。
昨日の感想文をちゃんと送ってくださいという話。
舌を火傷したという話。
ずいぶん前に転んだという話。
ボールを遠くまで投げるという話。
雨は涙と違って丸いかたちをしているという話。
鏡を覗き込むという話。
髪の毛がたくさん抜けるという話。
ネットがなくても素敵な人生を送れるはずだという話。
家族はいないという話。
朝ご飯の話。
水の話。
下品な笑い方の話。
誕生日の話。
自転車をわざと壊したという話。
糸が切れたという話。
温泉がわいたという話。
知らないふりをしたという話。
このアパートは古いという話。
とても揺れるという話。
隣りに女の人が住んでいるという話。
陽当たりがとてもいいという話。
携帯電話が壊れたという話。
ここには何もないという話。
キッチンはあるという話。
そういえば鍋もあるという話。
ならば牛乳が温められるという話。
誰も分からない人の話。
燃やせるゴミの話。
ゴミみたいな人の話。
視力が2.0という話。
子供の時代があるという話。
友達のインコを逃がしたという話。
ブランコから落ちたという話。
2003年に12月があるという話。
誤解をされているという話。
面倒くさいという話。
金曜日になるという話。
女の子の話。
男の子の話。
千葉県の話。
新潟県の話。
アルコール依存症の人の話。
腕が4本あるという話。
目が4つあるという話。
鼻が2つあるという話。
手をつながないという話。
あさっての夕食はないという話。
牛乳が飲めないという話。
今から何をしようという話。
未来が見えないという話。
ひとりで部屋にいるという話。
ココアが冷めたという話。
とっても楽しいという話。
みんな喜ぶしかないという話。
すっかり春になったという話。
誰も読んでいないという話。
それは悲しいという話。
もう絵を描いていないという話。
もう歩けないという話。
朝にするという話。
夜にするという話。
電車はなくなるという話。
北極はなくなるという話。
南極は残るという話。
人から聞いた話。




2008年1月30日

スニーカーは白でないといけません。
飲み物は紅茶でないといけません。
それにレモンもミルクも入れてはいけません。
砂糖も入れてはいけません。
コップは10個持っていないといけません。
明るくなるまで眠ってはいけません。
カップラーメンは食べてはいけません。
簡単に笑ってはいけません。
外でタバコを吸ってはいけません。
太ってはいけません。
痩せすぎてはいけません。
歩いて遠くまで行かないといけません。
インターネットはやりすぎてはいけません。
友達を減らしてはいけません。
友達に不快な思いをさせてはいけません。
友達に不快な思いをさせてはいけません。
遅刻はしてはいけません。
自転車は乗ってはいけません。
故郷に帰ってはいけません。
アトリエの掃除をしなくてはいけません。
女の子と出掛けなくてはいけません。
男の子と出掛けてはいけません。
弱虫は弱虫らしくそこから始めなければいけません。
早朝に大音量で音楽を聴いてはいけません。
仕事を探さなくてはいけません。
質のいい家具を集めないといけません。
ゴキブリは手で捕まえないといけません。
泥棒に対抗してはいけません。
店員さんに「ごちそうさまでした。」を言わなければいけません。
店員さんは「ありがとうございました。」を言わなければいけません。
日焼けをしてはいけません。
謝らなければいけません。
告白してはいけません。
猫を無視してはいけません。
でも触ってはいけません。
嘘をついてはいけません。
ゴミは朝に出さないといけません。
いい歌を聴かなければいけません。
ひとり遊びが上手でないといけません。
洋服屋さんに堂々と入っていけるようにならなくてはいけません。
出先でビニール傘を買ってはいけません。
賞味期限が切れた牛乳を飲んではいけません。
携帯電話は1日2回しか使ってはいけません。
これを読んでいる人は感想文を4000字書かないといけません。
無駄なお金を使ってはいけません。
馬鹿は馬鹿のままでいいと思ってはいけません。
話し相手を増やさなければいけません。
犯罪を犯してはいけません。
むやみに人を殺してはいけません。
ゲームをやってはいけません。
見透かしたようなことを言ってはいけません。
料理を憶えなければいけません。
節約をしなければいけません。
30歳まで髪の毛を染めてはいけません。
遠い国に行かなければいけません。
そこで暮らさなければいけません。
知らない人の車に乗ってはいけません。
ポケットティッシュを受け取ってはいけません。
子供を守ってやらないといけません。
歯を矯正しないといけません。
それまでは笑うときに歯を見せてはいけません。
明日は遊びに行ってはいけません。




2008年1月29日

腕も足も頭も目も耳も本来の役割を果たしていないようです。どこからともなく哀しい気持ち。



2008年1月28日

昨日の続きを書くのは止めます。1日たって気分が変わりました。


今日ふと、龍が本当に居たらおもしろいなあと、歩きながら思った。鳥が空を飛んでいるように、龍が飛んでいたらいいなあと。人間たちを食料としないといいな(人間を食料としてしまうと、きっと、政府が龍退治を企ててしまうだろうから)。もう随分と前、テレビで芸人の藤井隆が上海の凧揚げ名人に会いに行って、世界の凧大会で優勝した凧を実際に揚げるという番組をやっているのを見た。その上海の凧揚げ名人の凧が、数十メートルもある龍の格好(色とりどりで丸い形の同じ紙が何十枚も連なっていて、先頭部分は龍の顔になっている…うまく説明できないけれど、とにかく龍に見えるかたち)をしていて、揚げるには男の人たちが何十人もかかって揚げるというものだった。しばらくして揚がった!と思ったら、凧のロープの太さほどもある糸が切れてしまい、凧は風に乗って飛んでいってしまった。あのとき少し感動したなあ。目で確認できなくなるまで遠くまで飛んでいく凧のすごさと、その姿が本当に龍が飛んでいるように見えたから。




2008年1月27日

今日は、部屋もしくは家について書いてみようかと思う。なぜなら、なんだか今日は「部屋」について思うことがいろいろあったから。


えーと、今日は部屋の大掃除をした。なぜこの時期かというと、年末に特に大掃除をしなかったから。半日かけたのだけれど、結局、アトリエ日曜日(自分のアトリエの名前)までは手が回らず、その他を掃除した。いつの間にか物が増えたなあと思う。以前にも日記に書いたように、自分は部屋にあまり物を置きたくない。極端なことを言ってしまうと、ベッドと机と本棚くらいでいい。もっと言ってしまえば、押し入れの中にも物はあまり入れたくありません。服くらいでいい。しかし現実はなかなかそうもいかず、炊飯器もトースターも掃除機も必要なわけで。まあ、それでもなるべく理想に近づけたいと思いながら掃除をした。あと棚に入れてあった今まで読んだ本のカバー(お店でつけてくれるやつ)を全部外した(あらためて思うのは、読んだものが偏っている。そして少ない量)。理由はとくにない。


大掃除の最中に、いろいろ切らしているものが目についたので、夕方100円ショップに行った。店に向かっているとき、今日気づいたのだけれど、自分の部屋の割と近所にある長屋が取り壊されていた(正確にいうとまだその作業の途中だけれど、いずれ跡形もなくなってしまう)。自分は、その外壁の感じとか、ただ「長屋」という形式なだけでこの建物が好きだったので、すこし残念に思う。今住んでいるところは、工事が絶えなくて、マンションを建てたり、家を壊してまた新しい家を建てたり。しかもその次から次へと建設されるマンションが、景観に対して無神経というか。なんて変な色の壁とか。まあとにかく、ここに住み始めた頃とはだいぶ景色が違うということ。今では引っ越してきた当初の景色がどんなものだったか思い出せないくらい。そうして、壊されていくあの長屋のことも思い出せなくなってしまう。


そういえば、自分がこのアパートに住み始めて丸5年経つんだなあ。はやいなあ。正直そろそろ引っ越したいのだけれど、そうも言ってられなくなってきたようで、最近は少し考え中。などと言っている間に28歳とかになっちゃうのかなー。それもなんだか嫌だなー。


少し話がずれるけれど、夕方歩いているときにいろいろ考えてしまった。たぶん、寒かったし、ひとりで歩いていたし、川沿いを歩いていたから、気分がそうなったのだと思う。以前、人に「冗談とか言うの?」と言われてしまい、正直驚いたことがあった。そんな風に見られているのかなあ、と。まあ考えてもしょうがないことかも知れないけれど。だって、そう思われる理由はやはり自分にあるのだと思うし、そしてその理由もなんとなく分かっているし、ならば直したらどうだい?ということだけれど、別に直したいとまでは思っていないというか。悪くないじゃんと思っているというか。あー分からん。書いてて余計に何言いたいのか分からなくなってきた。続きはまた明日にでも。まあ、とにかく自分は冗談も言うし、歌だって歌うし(ひとりでいるとき)、気分がいいときは踊ったりしますよ、ってことなんだ。




2008年1月26日

「あのひとだけが、僕を恐れず、僕の影響を受けませんでした。」




2008年1月25日








2008年1月24日

大学の頃の知り合いから電話が掛かってきて、「秋葉さん、ちゃんとしなよ。いきなり死んだりしないでね。」と言われた。心配しているのか、馬鹿にしているのか…、たぶんその両方だろう。んー、なんだかなあ。ちゃんとしなくちゃいけないというのは同感だけれど、いきなり死んだりは、しないんじゃないかな。




2008年1月23日

言いたいことの的からどんどんずれていくのは、うまく話そうとするからだ。これの繰り返し。学んでいないなあ。
自分の考えや本当に思っていることをそのまま話したとき、自分の中の何かの入れ物がからっぽになったような気がする。それは心地よい。聞いている人たちに伝わっているか定かではないけれど。いや、たぶんそういう時は伝わっている。その感覚は、今までに何度かあった。他の人たちは、いつもそういう風にできるのだろうか。自分と、他の人たちと違うところは…挙げれば切りがない。



2008年1月22日

久しぶりにウェブを更新しました。
「展示室C」「展示室S」に作品を追加したり、トップページを変えたりしました。それと、昨年の9月に行ったドイツとイタリアの写真も、せっかく1000枚近く撮ったし、すこし紹介しようかなと思い、新しくページを設けようと思っています。まあ1000枚は載せないけれど…。




2008年1月21日

自分はベンツの運転席に座っていて、ハンドルを握っている。助手席には友人(でも本当は知らない人)が座っていて、足下にアクセルとブレーキがある。段々道が混んできて、前のジープにぶつかりそうになって、「ぶつかる!ぶつかる!」と自分は言うが、結局衝突してしまう。それでもみんな無傷で、ベンツの中の人間は放心状態なのだけれど、自分の本心は、隣りに座っているアクセルとブレーキを調節する役割の友人に不満を抱いていた。後部座席の人たちは、友人の足下にアクセルとブレーキがあるとは知らず、ハンドルを握っている自分のせいだと思っている。そのあとのことは憶えていない。




2008年1月20日

帰りの地下鉄の駅で、手袋をなくしてしまい、少し焦った。たぶん、自分がホームに降りてからの本当に短い時間だったと思う。結局、駅員さんのところで見つかったのだけれど、そんな数分の間に届けられていたなんて。手元に戻ってきた手袋を、落とさないようにバッグに入れてからしばらくの間、手袋を探している途中に聞き込みをしたおばさんの声や、手袋を持って出てきた駅員さんの声や、届けてくれた人の見えない姿を思い出してみた。


さっきまであったものが一瞬で(というか自分が意識していないうちに)、姿を消す、あるいはそれ以前とはまったく違った状態になると、すぐに受け入れられない。それは物に限らずとも往々にしてある。どこかにあるはずと、希望を捨てきれない。



2008年1月19日








2008年1月18日

ここ数日、寒中見舞いを書いている。結構な数。




2008年1月17日

最近観た映画(DVD)。「サムサッカー」、「カポーティ」、「叫」、「ハード・キャンディ」。


「サムサッカー」はとてもよかったなあ。映画の中で主人公が急に走り出すシーンが何回かあるのだけれど、そういう行動をとる気持ちがよく分かる。自分はそう簡単に受け入れられない、他人のことは欲しいくらいに思うことがあるのに。「答えのない人生を生き抜いていく力」、それは手に入るものなのか、作り出すものなのか。「カポーティ」は、原作を読んでみたくなった。この映画のではなくて、この映画に出てくる、カポーティが書いた「冷血」という作品。「ハード・キャンディ」は登場人物が限りなく少ない。そのためか、緊張感と非現実感がある。根本的な謎は解決しないけれど、名残が何もなかった。こういうのも、いいのかも知れない。




2008年1月16日

風邪はだいぶよくなってきた。あとは喉だけ。
夜、多摩川に行った。とても寒く、数分おきに高架線を電車が通っていった。水や火は、見ていると落ち着く。海や川やストーブの火など。




2008年1月15日








2008年1月14日

強さの反対側にあるのは嘘をつくことだ。どんどん弱くなる。ならばやめよう。自分の本当のことを、ひとつずつやっていこう。




2008年1月13日

「男の人と女の人の話す声がする。2段ベッドの上にあがっていて、それを聞いている。とても哀しくなって、聞かないようにする。ただ止まるのを、待つ。」




2008年1月12日

体調はすこしずつよくなってきた。ここ数年、薬を飲まないで風邪を治している。病院は苦手だし、家でゆっくり休んでいるほうがいい。長引くけれど。
今年初めて、お餅を食べた。スーパーのではない、搗いたお餅はおいしい。




2008年1月11日

今日は自動車免許証の更新のために講習を受けた。免許をとってから初めての更新なので、どういうものなのかなあと思っていた。思ったより退屈でもなく、眠くなることもなかった。前の免許証の写真は気に入っていなかったので、やっと変えられてよかった。


部屋に帰ってきたら、また少し体調が悪くなってしまって、それからずっと横になっている。



2008年1月10日

体調が全然よくならない。
それでも日記を書いているのは、今のところ毎日続けているから、それを途切れさせたくなくて。毎日何かしら思うことはあって、それをただ、意味が通じる通じないということではなく、記していく。それを大切にしたくて。




2008年1月9日

どうやら風邪を引いたみたい。熱が上がらないといいのだけれど。




2008年1月8日

喉が痛くて葛根湯を飲んだ。へんな味。




2008年1月7日

最近観た映画(DVDやテレビで)。「家の鍵」「25時」「コール」「コレリ大尉のマンドリン」


「家の鍵」がもっとも印象に残っているかな。子供は、親のもとへ歩いていく。どんなに遠くても。そういう、自分が子供の頃には分からなかったことが、最近分かってきた気がする。「コール」には好きな俳優のケヴィン・ベーコンが出ている。物語は後半になるにつれて最初の緊張感が薄れていく感じだった。コートニー・ラブは色っぽい顔をしていて、たまにドキっとする。




2008年1月6日

そんなにいらない。




2008年1月5日

布団のなかにいる。




2008年1月4日








2008年1月3日

新しい手帳と、素敵な靴を買った。




2008年1月2日

大好きなキンモクセイが、今月をもって活動を休止することになった。とても悲しい。キンモクセイの音楽はいつも自分のそばにあったし、ライブもとても楽しかった。演奏するみなさんの表情が、何よりも楽しそうで、それが強く印象に残っている。これからは今までの曲を聴くことしかできなくて、新しいキンモクセイの曲を聴くことができない。それを思うと何かが止まってしまうような気持ちになる。こうなることを選んだ理由はいろいろとあるのだろうけれど、自分はやっぱりキンモクセイの音楽が好きだから、これからのみなさんの活動も見守っていきたいと思う。




2008年1月1日

明けましておめでとうございます。


新年は、テレビで流れていたオーケストラの演奏で迎えました。
今年は自分のペースをもって、着実な生活をしていきたいです。それと、友達もできるといいなあと思います。いろいろなところにも出掛けてみたい。


更新は頻繁ではないですが、今年もこのウェブは続けていこうと思うので、よろしくお願いいたします。