2009年11月28日

日記1

美術館の(他人の)展覧会を見たとき違和感をおぼえるもの。「無題」や「Untitled」という作品(というか、その姿勢)。言葉にならない(できない)から絵を描くというのは、確かにあるかもしれず、けれど、そう言い放ったままというのはどうなんだろう。言葉にする、ということには、諦めきれないものがある。作品をつくったのなら、それにはやはり名前をつけたい。



日記2

失敗するときは、いつ訪れるだろうか。



日記3

アルバイト先以外で人と話していない。自分の顔はぎこちなく固まっているようで、声も届いていない感覚になる。



日記4

TSUTAYAのワゴンセールで「家の鍵」を見つけて、買った。映画の最後、パオロが泣いている父親のところへ近づいていくシーンが忘れられなかったから。



日記5

友人に「家族の映画ばかり見ているね」と言われたことがある。そう言われるまで自分では気がつかなかった。思い返すと、好きな映画も、家にあるDVDも、ほとんどが家族ものの映画だった。




2009年11月26日





2009年11月25日

車で遠いところに行きたい。そして何もせず引き返してくる。




2009年11月20日

いま滋賀でやっている「この世界とのつながりかた」のオープニングのときに会った人と話がしたい。日本画を描いていると言っていたひとで、京都で制作活動しているらしい。名前を聞くのを忘れた(聞いたかもしれないけれど忘れてしまった)。この日記を知っているはずもないし、連絡しようがない。特にどうしても聞きたいことがあるというわけでもないのだけれど、今日の帰り道、無性に、ただ話したくなった。絵の話でもそうでなくてもいいから。




2009年11月18日

石川町に大学の知り合いの展示を観に行った。最後に会ったのは、たしか去年の、まだ夏になる前だったと思う。あまり長居しても悪いかな、と思っていたのだけれど、結局2時間近く話していた。絵のことや、引っ越しのこと、あと、地震や雷、今までに会った変質者などの話。ギャラリーの前の道は通学路らしく、大きな窓からは下校する女子高生たちが見えていて、明るい話し声が響いていた。中を覗きながら通り過ぎていく子もいれば、そうでない子もいた。話をしながら、彼女がひとり、部屋で絵を描いている姿や、犬と散歩する姿、街の中をただ歩く姿が、スライドのように自分の頭の中に現れては切り替わっていき、自分はそれをぼうっと眺めていたのだけれど、部屋に帰ってきた今、まるでそれを実際に見ていたような気になった。




2009年11月17日

すべては、この世界にある。
美しいはずの、この世界に。




2009年11月16日

日記1

遺伝子は洗えず、それに抗うことは並大抵の力ではできない。


しかし自分はそれをやらなければならない。


すべてわかっているような顔、話し方をする人間はくだらない。
それから離れていたいと強く思う。




日記2

風邪をひいた。




2009年11月12日

日記1

うまくやるしかない。


日記2

「誰かひとり、作品を見てもらいたいと思うひとが居れば、いいんだよ。」鷲見さんの言葉を、自分は信じてきた。




2009年11月4日

日記1
手のひらの皮がずり剥けた。
キャンバスを張っていて、なんだか痛い、と思って見たら、皮が一枚無くなっていた。手のひらに何カ所か穴があいているみたい。とても痛い。
水が、とても滲みる。



日記2
どこからともなく泣きたい気持ち。



日記3
いやなことばかり起こる。世界は捨てたもんじゃないということは知っているはずなのに、忘れている。忘れているだけ。そして思い出せない。




2009年11月3日

じぶんはきえてしまいたい
きえてしまいたい