うまくやっていけない。
2010年9月29日
2010年9月25日
2010年9月24日
2010年9月22日
声にもコンプレックスがあるから、声のいい人に憧れる。歌声がきれいなのは、とてもうらやましく、話し声がいいのはずっと聞いていたくなる。知り合いのHさんは、鈴が転がるようにいい声をしている。歌声ですきなのはやっぱりくるりで、「ランチ」という曲はいつも最初に思い出す。
いま、これを書いていて思ったのだけれど、自分がこのはてなに日記みたいなものを書いているのは、心を落ち着けるためと言うのが一番近い(紙とは違う、インターネット上という誰か見ているか見ていないか分からないような場所で、何かを書いているというのは、よく考えると奇妙なのだけれど)。生活の中で、人と話す機会をあまり持たないから、誰も居ないかもしれない空間に向けて、何か話したくなるのかもしれない。毎日何かしら思うことはあって、それを記していく。声に出さずに、文字を並べて、ぼやけた景色をつくる。声を出さないのがいい。その日思ったことをそのまま書くときもあれば、たまに自分にしか分からないようなルールに則って書くときもあるけれど、それはそれでいい。こうやって考えると、絵も声を出さないな。たまに(絵を見せたりするときとか)、それを必要とされるんだけれど、絵を描くときは黙っていられる。
いま、これを書いていて思ったのだけれど、自分がこのはてなに日記みたいなものを書いているのは、心を落ち着けるためと言うのが一番近い(紙とは違う、インターネット上という誰か見ているか見ていないか分からないような場所で、何かを書いているというのは、よく考えると奇妙なのだけれど)。生活の中で、人と話す機会をあまり持たないから、誰も居ないかもしれない空間に向けて、何か話したくなるのかもしれない。毎日何かしら思うことはあって、それを記していく。声に出さずに、文字を並べて、ぼやけた景色をつくる。声を出さないのがいい。その日思ったことをそのまま書くときもあれば、たまに自分にしか分からないようなルールに則って書くときもあるけれど、それはそれでいい。こうやって考えると、絵も声を出さないな。たまに(絵を見せたりするときとか)、それを必要とされるんだけれど、絵を描くときは黙っていられる。
2010年9月21日
2010年9月18日
「ハンニバル」は2001年の映画で、もう約10年前なんだけれど、色褪せないな。ストーリーは原作があるからあれだけれど、映像として、映画の中の世界が古くならない(時代を感じない)。同じ感じので、「セブン」もそうだと思う。これはもう15年前か。両方とも初めて見たときの衝撃が、薄まってない。ちょっと話変わるけれど「セブン」が公開された6年後に「ハンニバル」が公開で、当時話題になったのは、ラストの晩餐のシーンでポール・クレンドラーがわけも分からず自分の脳みそを食べさせられるという場面だった。あれはもちろんCGとロボットを使っているんだけど、たった6年でこういうことが可能になったんだな。前から似たようなのはあったけれど、ロボットと分かった時点で興ざめというオチだったのにこのシーンにはそれが無かった。今も無い。「セブン」を撮ったデビッド・フィンチャーのだと3年前の「ゾディアック」もこれらと同じ部類に入るんじゃないかな。これは、漫画家だったのに半ば執念でゾディアック事件を調べ続けた男の話で、とてもおもしろい。連続殺人事件がモチーフとなっているけれど、それではなくもっと実際の登場人物にフォーカスしたお話。時代設定が1960年代から70年代が主で、行き交う車や人々の服装、オフィスの風景に至るまでとにかくすべてを完璧にその時代のものとして作り上げているから、本当にその時代に撮られたんじゃないかと思うくらいだった。そういった意味では最初の二つとはちょっと意味合いが違うかな。もともととある時代の状態を作り上げた映画だから。いやでも、そう、映画として自分たちが見た当初のまま、話の内容も音楽も映像も古くならないんだ。自分はこれが、とてもかっこいいと思う。もしこの先、車がこの世から無くなったり、服を着なくなったり、殺人が起こらない世界にでもなったら、こういう時代もあったという意味合いで古いと感じたりするのだろうか。
2010年9月16日
免許を取ったのは5年前の3月で、新潟では毎日雪が降っていて、すこし積もるんだけれど毎日昼間のうちに溶けていった。合宿だったから、2週間寮生活になるはずだったのが、その時期は希望者が多くて自分は新潟駅前のホテルに滞在する方に割り振られた。でもその方が気楽でいいし、何より毎日部屋を掃除してもらえるのがありがたかった。ベッドのシーツは毎晩ばりばりの固いやつにしてもらえるし。行ってみて分かったのは、ふつう合宿で免許とるときは友達同士で来るらしい。自分はひとりで行ったので、目的は免許とることだけ。別に観光とか友達増やすとかまったく頭に無かった。毎日教習が終わってからホテルの部屋に戻って、その日の復習ばかりやっていた。試験とか合格したり(落ちる人あまりいないだろうけど)、なんとなく今日はよくできたと思った日は、近くのコンビニに普段買わない高いアイスを買いに行って食べてた。毎朝朝食をホテルのレストランでとるときは窓際の席に座り、朝7時くらいで、窓の外は大きな道路をはさんでビルが並んでいて、通勤する会社員の人たちが歩いていた。毎朝それを眺めて、あの女の人昨日もこの時間に歩いていた、などと思っていた。新幹線で新潟に向かうときも、帰ってくるときも、毎日教習所に向かうときも教習の合間もYUKIの「JOY」というアルバムを聴いていた。だから、今でもあのアルバム聴くと教習所を思い出す。そしていつのまにか冬にしか聴きたくなくなってしまった。新潟も千葉と同じで曇り空のイメージしかない。また行きたいな。
2010年9月14日
2010年9月11日
2010年9月7日
大学のころ映画サークルに入っていて、先輩の撮る映画の手伝いをしたりしていた。大学2年の12月に、サークルの人ではないけれど先輩が友人のためにバースデイビデオを撮るといって、徹夜で10分くらいの映像をつくった。夜から撮影を初めて朝にもすこし撮って、夕方までに編集して夜その人に渡したという。その話が、引きこもりの二人の人間がその先輩の友人のためにプレゼントを買いにいくという話で、おそらく自分たちしか面白くないんだろうけれど、その突拍子も無いカットの撮り方とか、繋げ方とか、音楽を入れる場所とか台詞とか、自分は結構すきだった。ほんとどうしようもない一日だったんだけれど、今ではそんなことできない。その映像で自分は引きこもりの役をやって、うまいと褒められた。大掃除のときにそのテープが出てきて、何年かぶりに見たのも、もう何年か前。
2010年9月6日
埼玉にある倉庫で一日作業した。倉庫の中はうだるような暑さで、拭いても拭いても汗が出てくる。タオルを首から下げて作業して、しばらくして、ふらふらしてきたけれど、ああこの感覚懐かしいなあと思った。中学時代にやっていた部活の夏休みの練習を思い出した。自分はバレーボール部に入っていて、授業がある日は朝7時から8時30分くらいまで朝練があり、放課後は午後4時10分くらいから7時まで練習があった。夏休みの練習は、たしか8時くらいから夕方4時までやっていた(いまこうして時間について書いてみると、結構記憶が曖昧になっている)。今考えると信じられない。暑さの中、学校の敷地の外周を何周も走ったり、急な坂を駆け上る「坂ダッシュ」というメニューをこなしていたな。何も疑わずに走っていたな。バレーの試合よりもそういう基礎練ばかり印象に残っている。もっとも、今ほど気温が高いだけで終わる夏ではなかった。日陰に入れば涼しかったし、夕方帰るときの空気は、とても気持ちよかったように思う。
2010年9月2日
日記1(労働)
半年ぐらい前から、ある分野の昔の商品について調べていて、そのポスターとか広告とか毎日のように見るのだけれど、戦前の商品のデザインとかなんてかっこいいんだろうと思う。形や大きさ、ラベルに至るまで、完璧というか妥協が無い。あわせて当時の街や人の写真を見ていると、そのとき流れていた空気が匂いたち、ふと自分もそこに居たような気分になって、現在との大きな隔たりを感じる。それらの商品について調べていると、時代背景なんかも見えてきて、60年代70年代は希望に満ちていて、いまと違って「やりきった感」が無い。
日記2(季節)
陽はだいぶやわらかくなって、夕方3時には秋の日差しの柔らかさを感じる。影は以前ほどはっきりとせず、輪郭がぼやけている。しかしこの気温。この気温の高さのおかげでまだ夏が居座っている。
日記3(映画)
「クイックシルバー」を初めて見たのは小学生だったか、中学生だったか。主人公の、人生につまづいてもスレずに生きている姿勢がとてもすきだ。何よりケビン・ベーコンの美しさ。
日記4(兄)
「ぼくには兄になりきれなかった人が居て、今でも会うことができたなら、どんな話ができるだろうかと考えるけれど、もう会うことはきっとないから、話はできない。それが分かっているから、ときどき目の前が真っ暗になって、ぼくは眠る前に彼を思い出す。もしも、またどこかで偶然見かけることがあれば、そのときは彼の隣に誰か、やさしそうな女の人が居るといいと思っている。」
半年ぐらい前から、ある分野の昔の商品について調べていて、そのポスターとか広告とか毎日のように見るのだけれど、戦前の商品のデザインとかなんてかっこいいんだろうと思う。形や大きさ、ラベルに至るまで、完璧というか妥協が無い。あわせて当時の街や人の写真を見ていると、そのとき流れていた空気が匂いたち、ふと自分もそこに居たような気分になって、現在との大きな隔たりを感じる。それらの商品について調べていると、時代背景なんかも見えてきて、60年代70年代は希望に満ちていて、いまと違って「やりきった感」が無い。
日記2(季節)
陽はだいぶやわらかくなって、夕方3時には秋の日差しの柔らかさを感じる。影は以前ほどはっきりとせず、輪郭がぼやけている。しかしこの気温。この気温の高さのおかげでまだ夏が居座っている。
日記3(映画)
「クイックシルバー」を初めて見たのは小学生だったか、中学生だったか。主人公の、人生につまづいてもスレずに生きている姿勢がとてもすきだ。何よりケビン・ベーコンの美しさ。
日記4(兄)
「ぼくには兄になりきれなかった人が居て、今でも会うことができたなら、どんな話ができるだろうかと考えるけれど、もう会うことはきっとないから、話はできない。それが分かっているから、ときどき目の前が真っ暗になって、ぼくは眠る前に彼を思い出す。もしも、またどこかで偶然見かけることがあれば、そのときは彼の隣に誰か、やさしそうな女の人が居るといいと思っている。」