友人と1ヶ月ぶりに会った。先週彼女の誕生日だったので、プレゼントを渡した。実用的なものと、自分のオススメの曲を集めたCD。最近は、人に贈り物をするときに、こういった、曲のチョイス集をつくる(これは違法なのかな?)。昔でいうと、自分のベストカセットとでもいうような。相手が気に入るかどうかは、はっきりと分からないけれど、その人をイメージして曲を選んだり、その人が自らは聴かなそうな曲を敢えて入れてみたりする。そういうことや、曲順を考えることが、結構楽しい。今の時点で第4章まである。彼女も喜んでくれたようで、うれしかった。
2008年4月28日
2008年4月26日
2008年4月25日
2008年4月20日
上野/東京国立博物館・平成館「国宝薬師寺展」、東京都美術館「版画展」、丸の内/行幸地下ギャラリー「アートアワードトーキョー」、渋谷/シネマライズX「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」。
「薬師寺展」は、朝行ったのに人の数に驚いた。絵や仏像はじっと動かずそこにあるというのに、みんな順番に、そんなに焦らず、どうして観られないのか。なぜ押したり、我れ先にと人の間に突っ込んでいくのか。自分には理解できない。この展覧会の目玉である、日光月光菩薩立像は、やはりというか圧倒的な存在感。普段お寺にあるものを美術館に移動するというのは、些か無理があるようにも思うけれど、像の全体をぐるりと見回して、そのすみずみに行き届いている神経を目の当たりにして緊張した。観ているあいだだけ、音がなくなるような。日光月光は、それぞれ表情も違うし(自分は、日光は厳しい、月光はやわらかい表情に見えた)、衣の具合も身につけているものも、少しずつ違って、完全な左右対称ではなく、それがより美しさを増している理由に感じた。あとは、東塔水煙が(模造だけれど)造形的におもしろかった。「版画展」は高校の美術の先生たちが作品を出しているので観に行った。膨大な数の中、2人の作品だけを探した。「アートアワード」は去年も観に行った。これらが今年の卒制の中で選りすぐりの作品たちかあ、とぼんやり考えながら観ていた。気になったのは風能奈々さん。絵と、日々ドローイングを描き連ねているようなノートが展示してあって、ノートの方がよかった。作品をつくろうと意気込んで描いているというよりは、(ご本人もコメントしていた)日記、あるいはメモのような感覚に近いと思った。もちろん、大きな絵とそれらのドローイングは相互に関係しているのだけれど。
それから地上に上がって、新東京ビル1階にある丸の内カフェに行った。今まで知らなかったけれど、美術系の書籍が置いてあって、自由に読める無料休憩所。時間がなくて長居できなかったが、インターネットもできるみたい。飲み物やお菓子の自動販売機もあって、テラス席もあるし、カフェ自体は2階構造になっている。結構多くの人が利用していた。次回ここら辺に来たときは、ここを利用するとしよう。出発の時間まで、アルフレッド・ウォリスやジャン・コクトーの画集を眺めた。
最後は渋谷。絶対観ると決めていた「ヘンリー・ダーガー」のドキュメンタリーを観に。シネマライズXは初めて行った。今まで体験したことのない映画館の雰囲気。小さいし、2階建てだし、そのわりに座席が少ないし(自分は2階席で観た)、場内の壁面に絵や落書き(?)が描いてあるし…。映画は、タイトル通り、謎が謎のまま提示されていて、それが良かったように思う。解決しようとする想像力をかき立てる小さな刺激の集合という印象だった。もちろん解決することはおそらく不可能で、なぜなら、本当のこと(いくらアパートの住人や親しい人が彼について話したとしても)ダーガーのことはダーガーしか知らないことで、でももしかすると本人すら分からないわけだし、それよりも重要なのは、誰にもできないような想像力があったことが事実であることと、何より、あんなに綺麗な絵(世界)がこの世に生まれたという事実だろう。あとよかったのが、アニメーションだった。これは自分でも意外だったというか…。自分は最初、絵が動く、すなわち、さっき述べたように本当のことはダーガーしか分からないだろうに、他人が勝手に解釈した展開を見せられるということに、あまり好意を持てなかったけれど、意外にも違和感がなかった。たぶん、自分が想像していた通り、というか、ダーガーの絵を観たときに自ずと感じる、その世界の動きが、再生されたというか。ああいう動きになることは、他人ではなく絵自体がはなから物語っていたように思った。…などが見終わったあとの率直な感想かな。
「薬師寺展」は、朝行ったのに人の数に驚いた。絵や仏像はじっと動かずそこにあるというのに、みんな順番に、そんなに焦らず、どうして観られないのか。なぜ押したり、我れ先にと人の間に突っ込んでいくのか。自分には理解できない。この展覧会の目玉である、日光月光菩薩立像は、やはりというか圧倒的な存在感。普段お寺にあるものを美術館に移動するというのは、些か無理があるようにも思うけれど、像の全体をぐるりと見回して、そのすみずみに行き届いている神経を目の当たりにして緊張した。観ているあいだだけ、音がなくなるような。日光月光は、それぞれ表情も違うし(自分は、日光は厳しい、月光はやわらかい表情に見えた)、衣の具合も身につけているものも、少しずつ違って、完全な左右対称ではなく、それがより美しさを増している理由に感じた。あとは、東塔水煙が(模造だけれど)造形的におもしろかった。「版画展」は高校の美術の先生たちが作品を出しているので観に行った。膨大な数の中、2人の作品だけを探した。「アートアワード」は去年も観に行った。これらが今年の卒制の中で選りすぐりの作品たちかあ、とぼんやり考えながら観ていた。気になったのは風能奈々さん。絵と、日々ドローイングを描き連ねているようなノートが展示してあって、ノートの方がよかった。作品をつくろうと意気込んで描いているというよりは、(ご本人もコメントしていた)日記、あるいはメモのような感覚に近いと思った。もちろん、大きな絵とそれらのドローイングは相互に関係しているのだけれど。
それから地上に上がって、新東京ビル1階にある丸の内カフェに行った。今まで知らなかったけれど、美術系の書籍が置いてあって、自由に読める無料休憩所。時間がなくて長居できなかったが、インターネットもできるみたい。飲み物やお菓子の自動販売機もあって、テラス席もあるし、カフェ自体は2階構造になっている。結構多くの人が利用していた。次回ここら辺に来たときは、ここを利用するとしよう。出発の時間まで、アルフレッド・ウォリスやジャン・コクトーの画集を眺めた。
最後は渋谷。絶対観ると決めていた「ヘンリー・ダーガー」のドキュメンタリーを観に。シネマライズXは初めて行った。今まで体験したことのない映画館の雰囲気。小さいし、2階建てだし、そのわりに座席が少ないし(自分は2階席で観た)、場内の壁面に絵や落書き(?)が描いてあるし…。映画は、タイトル通り、謎が謎のまま提示されていて、それが良かったように思う。解決しようとする想像力をかき立てる小さな刺激の集合という印象だった。もちろん解決することはおそらく不可能で、なぜなら、本当のこと(いくらアパートの住人や親しい人が彼について話したとしても)ダーガーのことはダーガーしか知らないことで、でももしかすると本人すら分からないわけだし、それよりも重要なのは、誰にもできないような想像力があったことが事実であることと、何より、あんなに綺麗な絵(世界)がこの世に生まれたという事実だろう。あとよかったのが、アニメーションだった。これは自分でも意外だったというか…。自分は最初、絵が動く、すなわち、さっき述べたように本当のことはダーガーしか分からないだろうに、他人が勝手に解釈した展開を見せられるということに、あまり好意を持てなかったけれど、意外にも違和感がなかった。たぶん、自分が想像していた通り、というか、ダーガーの絵を観たときに自ずと感じる、その世界の動きが、再生されたというか。ああいう動きになることは、他人ではなく絵自体がはなから物語っていたように思った。…などが見終わったあとの率直な感想かな。
2008年4月17日
1週間前の日記に、「自分は、家族がテーマになっている映画を好んでみているようだ。」と書いた。それは友人に言われて気づいたことだ(今まで自分はそれに、本当に、全く気づかなかった)。それで、なぜそうなのかと考えてみた。好きな映画を挙げると、もちろん家族をテーマにしたものだけではないのだけれど、圧倒的に多いかも知れない。それに加え、さらに共通点が多いものを挙げるとしたら、洋画ならば「イカとクジラ」「サムサッカー」「家の鍵」「ダージリン急行」「Digging To China」などで、邦画ならば「萌の朱雀」「ゆれる」「酒井家のしあわせ」などだろうか。その共通点とは、家族がどこかうまくいっていなくて、でも崩壊するほどじゃないし、ぎこちなさは消えないまま家族として、別に哀しがることもなく、反対に希望に満ち溢れていくこともなく、そのまま暮らしていくというところかなあ(「萌の朱雀」だけは家族が離散するけれど)。もちろんそれぞれの描き方があって、そこがおもしろいし、一概にひとくくりにはできないかも知れないけれど、友人に言われ、気づいたことで改めて考えてみたら、こういうことかなあと思って。
そして自分が、なぜそういうのばかり知らず知らずのうちに選んでいるのかは、きっと(明確な答えにはなっていないけれど)、家族ってそういうものだよなあ、つまり、そんなうまくいくものじゃないんだよなあ、と納得したいからなのかなあと思った。
そして自分が、なぜそういうのばかり知らず知らずのうちに選んでいるのかは、きっと(明確な答えにはなっていないけれど)、家族ってそういうものだよなあ、つまり、そんなうまくいくものじゃないんだよなあ、と納得したいからなのかなあと思った。
2008年4月16日
2008年4月14日
2008年4月12日
下馬/島田画廊「鷲見和紀郎 Yukel」展。
大学4年で鷲見さんのゼミをとっていた。それから鷲見さんと話すようになった。自分が知る大人のなかで、好きな大人の1人だ。また新しいところへ進んだ。
去年の冬の終わり、聞いたこと。そのころ自分はあまり人に会っていなくて、鷲見先生に誘われ、東京国立近代美術館の「靉光展」のレセプションに連れて行ってもらった。その帰り、入った蕎麦屋のテーブルの上に置かれた、器やコップや割り箸の袋やおしぼりなどで、「こういうものでも世界は作れるんだよ。」と言いながらいろいろ動かしたり、組み立てたり、やっぱり並べ替えたりしていた。それを自分が黙って見ていると、「君もやってみて。」と言われ、2人でテーブルの上に世界を作った。
「作品をつくると次の作品が見えて、その繰り返し。そうしてたくさんの時間が経ったあと、振り返って自分はどれだけ進んできたのか。そういうこと。」
大学4年で鷲見さんのゼミをとっていた。それから鷲見さんと話すようになった。自分が知る大人のなかで、好きな大人の1人だ。また新しいところへ進んだ。
去年の冬の終わり、聞いたこと。そのころ自分はあまり人に会っていなくて、鷲見先生に誘われ、東京国立近代美術館の「靉光展」のレセプションに連れて行ってもらった。その帰り、入った蕎麦屋のテーブルの上に置かれた、器やコップや割り箸の袋やおしぼりなどで、「こういうものでも世界は作れるんだよ。」と言いながらいろいろ動かしたり、組み立てたり、やっぱり並べ替えたりしていた。それを自分が黙って見ていると、「君もやってみて。」と言われ、2人でテーブルの上に世界を作った。
「作品をつくると次の作品が見えて、その繰り返し。そうしてたくさんの時間が経ったあと、振り返って自分はどれだけ進んできたのか。そういうこと。」
2008年4月11日
六本木/国立新美術館「アーティスト・ファイル2008ー現代の作家たち」展、外苑前/Flaneur Cafe「木下陽輔 はなをつむ」展。
「アーティストファイル」は、ずいぶんと前から秘かに楽しみにしていたのだ。なぜなら、好きな映像作家のさわひらきさんが参加しているから。展覧会全体的にこじんまりとした印象を持ったけれど、それは悪いものではなかったように思う。さわさんは、前回BankARTで観たときから、また新しいところへ進んだ気がする。正直前の方が、もっと夢の中に居るような、知らないどこかへ迷い込んでしまったような、心地よい不思議がある世界観が強かったけれど、今回はもうすこし、さわさん自身が自分の世界観を客観的に捉えているような感じがした(一緒に行った友人がこのような表現をしていた)。それでも独特の心地よさは在った。また、映像の途中に流れるオルゴールのような音がいい。映像を見始めてしばらく困ったのは、6つのスクリーンを観るということかな。さわさんの作品は、仕掛けみたいなものが登場することが多く、今回は6つそれぞれが関係し合っているから、それを見逃せまいとして目の動きがしばし落ち着かなかった。あと気になったのは、エリナ・ブロテルスさんの写真。特に後ろ姿を撮っている写真は、目を離しがたいものがあった。自分は普段、横を向いた人を描くことが多いのだけれど、それは、単純に形の面白さもあるし、片側しか分からないちょっとした不安感みたいなものが落ち着くから、というのがあるのだと思う(もちろんこれらがすべての理由ではないし、これらがちゃんとした理由かはまだはっきり分からない)。後ろ姿というものにもまた、そういうのを感じて、彼女の写真に自分と似たものを感じたようだ。作者がそれを意図しているかは知らないけれど、自分はそういう感想を持った。
見終わったあと、ミュージアムショップに寄って、カタログと四角いバッヂを買った。それと忘れてはならないのが、ミニチュア石膏像のガチャガチャ。今回はジョルジョだった。肩幅の広い男前。次は、アリアス、マルス、ヘルメスあたりを狙いたい。
「アーティストファイル」は、ずいぶんと前から秘かに楽しみにしていたのだ。なぜなら、好きな映像作家のさわひらきさんが参加しているから。展覧会全体的にこじんまりとした印象を持ったけれど、それは悪いものではなかったように思う。さわさんは、前回BankARTで観たときから、また新しいところへ進んだ気がする。正直前の方が、もっと夢の中に居るような、知らないどこかへ迷い込んでしまったような、心地よい不思議がある世界観が強かったけれど、今回はもうすこし、さわさん自身が自分の世界観を客観的に捉えているような感じがした(一緒に行った友人がこのような表現をしていた)。それでも独特の心地よさは在った。また、映像の途中に流れるオルゴールのような音がいい。映像を見始めてしばらく困ったのは、6つのスクリーンを観るということかな。さわさんの作品は、仕掛けみたいなものが登場することが多く、今回は6つそれぞれが関係し合っているから、それを見逃せまいとして目の動きがしばし落ち着かなかった。あと気になったのは、エリナ・ブロテルスさんの写真。特に後ろ姿を撮っている写真は、目を離しがたいものがあった。自分は普段、横を向いた人を描くことが多いのだけれど、それは、単純に形の面白さもあるし、片側しか分からないちょっとした不安感みたいなものが落ち着くから、というのがあるのだと思う(もちろんこれらがすべての理由ではないし、これらがちゃんとした理由かはまだはっきり分からない)。後ろ姿というものにもまた、そういうのを感じて、彼女の写真に自分と似たものを感じたようだ。作者がそれを意図しているかは知らないけれど、自分はそういう感想を持った。
見終わったあと、ミュージアムショップに寄って、カタログと四角いバッヂを買った。それと忘れてはならないのが、ミニチュア石膏像のガチャガチャ。今回はジョルジョだった。肩幅の広い男前。次は、アリアス、マルス、ヘルメスあたりを狙いたい。
2008年4月6日
有楽町/東京国際フォーラム・展示ホール「アートフェア東京2008」、末広町/旧練成中学校「101 Tokyo Contemporary Art Fair 2008」。
国際フォーラムの方は、新しい感じという作品はなかったかな。ただ、自分の好きな大塚聡さんの作品が偶然観られたのはよかった。ごちゃごちゃした会場の中で、ひっそりと、繊細な空気が漂っていた。あとは、現代美術よりも、壷や器やアフリカのお面など、古美術の方がおもしろかった。今思い出せるのはそういう、古いものばかり。あとはほとんど忘れた。旧中学校の方は、建物の窓から見た古いプールが1番おもしろかった。
居てもたってもいられないくらい、呆れたのさ。
だから思いっきり大きな声で言ってみようか。
「カスは逆立ちしてもカス。」
国際フォーラムの方は、新しい感じという作品はなかったかな。ただ、自分の好きな大塚聡さんの作品が偶然観られたのはよかった。ごちゃごちゃした会場の中で、ひっそりと、繊細な空気が漂っていた。あとは、現代美術よりも、壷や器やアフリカのお面など、古美術の方がおもしろかった。今思い出せるのはそういう、古いものばかり。あとはほとんど忘れた。旧中学校の方は、建物の窓から見た古いプールが1番おもしろかった。
居てもたってもいられないくらい、呆れたのさ。
だから思いっきり大きな声で言ってみようか。
「カスは逆立ちしてもカス。」
2008年4月4日
2008年4月3日
千葉県佐倉/川村記念美術館「DIC創業100周年記念展 マティスとボナール 地中海の光の中へ」。
やく1年の改装期間を経て15日から新しい展示が始まった。ちょうど千葉に帰っているので、行ってきた。気持ちのいい天気で、人が結構多かったかな。展示の印象は、マティスっていいなあ、と思った。今まではそこまで良さが分からないというか、あまり興味がなかったのだけれど、絵のなかの色がみんな綺麗で、特に、人の表情が素晴らしくて。その人の本質を捉えてしまっているような…。ボナールは、若い頃に描いた自画像が気になった。自画像って、描いたらおもしろいのかなと思ってしまうくらい。コレクションも多く展示されていて、ジョゼフ・コーネルの作品がいつもよりたくさんあった。やっぱり好きだなあ。あの小さな箱の中は小宇宙だ。新しくなったロスコ・ルームは、イマイチだったなあ。なぜあんな形の部屋にしたのだろう。前よりも狭くなったように思うし、監視員(2人も居る!)との距離がやたら近く感じて、落ち着かなかったなあ。
美術館を出て、目の前の池に居る白鳥。近くで見たいのに、いつも芝生には入っちゃだめなのだ。ともあれ、白鳥は気持ち良さそうに泳いでいた。
やく1年の改装期間を経て15日から新しい展示が始まった。ちょうど千葉に帰っているので、行ってきた。気持ちのいい天気で、人が結構多かったかな。展示の印象は、マティスっていいなあ、と思った。今まではそこまで良さが分からないというか、あまり興味がなかったのだけれど、絵のなかの色がみんな綺麗で、特に、人の表情が素晴らしくて。その人の本質を捉えてしまっているような…。ボナールは、若い頃に描いた自画像が気になった。自画像って、描いたらおもしろいのかなと思ってしまうくらい。コレクションも多く展示されていて、ジョゼフ・コーネルの作品がいつもよりたくさんあった。やっぱり好きだなあ。あの小さな箱の中は小宇宙だ。新しくなったロスコ・ルームは、イマイチだったなあ。なぜあんな形の部屋にしたのだろう。前よりも狭くなったように思うし、監視員(2人も居る!)との距離がやたら近く感じて、落ち着かなかったなあ。
美術館を出て、目の前の池に居る白鳥。近くで見たいのに、いつも芝生には入っちゃだめなのだ。ともあれ、白鳥は気持ち良さそうに泳いでいた。