そらがからっぽになってしまうのではないかとおもうくらいあめがふったね。
ぼくにはてにいれたいものがあるよ。
とりもどしたいものもあるよ。
かみのけをきろうかな。
2009年1月25日
恵比寿/東京都写真美術館「ランドスケープー柴田敏雄展」。これは、招待券をもらって、せっかくなので行ってみた。ホームページで紹介されていた、夜景シリーズを自分は楽しみにしていた。実際に見てみると、想像とはすこし違ったのだけれど、結果そのシリーズがいちばん良かったように思う。ガソリンスタンドや高速道路の料金所など。とはいえ、それ以外でも全体的に、自然の中にある人工物(不自然なもの)が突如として現れているような写真は、おもしろかった。また、人が映っている写真はほとんどないのに、すべての写真に人間の気配、名残りがある。
観に行ってよかった。最近はあまり展覧会を見ていなかった。絵の方も調子が出なくて、塞ぎがちな生活を送っていた。
写真美術館に行くと、毎回美術館のカフェでコーヒーを飲む。その後NADiffに行って、ポストカードを2枚買った。手紙を書いてみようか。
観に行ってよかった。最近はあまり展覧会を見ていなかった。絵の方も調子が出なくて、塞ぎがちな生活を送っていた。
写真美術館に行くと、毎回美術館のカフェでコーヒーを飲む。その後NADiffに行って、ポストカードを2枚買った。手紙を書いてみようか。
2009年1月23日
2009年1月19日
2009年1月18日
仙川/東京アートミュージアム「PHILOSOPHIAE NATURALIS PRINCIPIA ARTIFICIOSA 展 自然哲学としての芸術原理/6作家の連続個展と共通展示」を観に行った。同時代の作家が約3週間ずつ、それぞれ個展をするというもの。個展はメインスペースで行われ、そこに向かうまでの展示スペースに6作家の作品が展示されている。
個展第1週目は鷲見和紀郎さん。「先生」と呼ばれることを嫌う鷲見さんのゼミを、自分は大学4年のときにとっていた。自分の展示には毎回足を運んでいただき、感想を聞く。今回展示されている鷲見さんの作品は見た目で分けるならば2種類あって、自分は、壁にかけてある作品がすきだ。「深いところから浮かび上がってくる」重そうなのにそれを感じさせないような作品。作り続けることの意味を、先を歩いている鷲見さんから聞いた言葉を今でも憶えている。
東京アートミュージアムには初めて訪れた。小さくて、壁に関しては絵を飾るにはどうなのかという感じだけれど、館内はアスレチックみたいで自分はわりと気に入った。普段では縁遠い存在の空間という感じだし、所々にある窓からは外の景色が見える。展示を観終わったあと、自分は窓の枠に顎をのせて、外を眺めていた。向かいにあるマンションに出入りする人や、犬と散歩をする人、転んだ子供や、木の枝についている何かの蕾を見ていた。
個展第1週目は鷲見和紀郎さん。「先生」と呼ばれることを嫌う鷲見さんのゼミを、自分は大学4年のときにとっていた。自分の展示には毎回足を運んでいただき、感想を聞く。今回展示されている鷲見さんの作品は見た目で分けるならば2種類あって、自分は、壁にかけてある作品がすきだ。「深いところから浮かび上がってくる」重そうなのにそれを感じさせないような作品。作り続けることの意味を、先を歩いている鷲見さんから聞いた言葉を今でも憶えている。
東京アートミュージアムには初めて訪れた。小さくて、壁に関しては絵を飾るにはどうなのかという感じだけれど、館内はアスレチックみたいで自分はわりと気に入った。普段では縁遠い存在の空間という感じだし、所々にある窓からは外の景色が見える。展示を観終わったあと、自分は窓の枠に顎をのせて、外を眺めていた。向かいにあるマンションに出入りする人や、犬と散歩をする人、転んだ子供や、木の枝についている何かの蕾を見ていた。