予定より数日遅れで、酒々井へ。
でも、場所は違えど、同じ時間、同じ太陽を見ながら、同じような景色を見ながら故郷に向かうのはなかなかよかった。
千葉から酒々井に向かう電車ではボックス席に座ることができて、大きな窓から見える流れる景色は綺麗だった。
傾きかけた太陽の光が雲間から差して、平たい町を照らしてた。
ちょうどsleepy.abの「lump」が流れてきて、なんというタイミングなんだろうと思った。
しばらく繰り返し聴いていた。
明るいメロディに、それとは反対の言葉が重なる。
淋しいのに、どこか温かい。
その綺麗な景色とsleepy.abの歌が溶け合って、穏やかな気持ちになった。
他にも、「街」「君と背景」「かくれんぼ」「ハーメルン」「around」「アンドロメダ」「夢の花」「メロディ」…
道中長いからアルバム何枚分。
「かくれんぼ」の最後、
また探しに行こうよ
ひとりでうずくまってた世界を抜け出して
のあとに続く歌詞が、とても好きだ。
初めてこの歌を聴いたとき、そのとき自分のなかにあった形がはっきりと見えない気持ちに、言葉を当てはめてくれたように感じた。
いろいろ置いていく。
その先に新しい景色が広がっていたらいいし、
それを見てみたいと思うようになった。
2015年12月13日
2015年11月3日
日記)1日
自分が来ていることに気がついて、1mくらいの距離なのに、ぶんぶん大きく手を振りながら、
「おーい!なにしてるんだよー!こっち来いよー!」
って大声で言うから、思わず笑ってしまった。
変わっていなくてよかった。
版画の刷り損じで手作りしてくれた手提げ袋をくれた。
「誕生日おめでとう。」
きれいなきれいな、青い袋。
波のように、いろんな青が重なっている。
世界にひとつしかないから、なかなか使えないね。
日記)2日
死んだじいちゃんが大切にしていた場所に行った。
朝方出発し、高速に乗って3時間。
サービスエリアに寄る楽しさ。
じいちゃんを何回も連れていった。
帰りに、毎年同じ喫茶店で一緒にコーヒーを飲むというのが決まったコースだった。
死ぬすこし前から、じいちゃんは忘れっぽくなっていて、昨日会いに行ったことも忘れて「ああ、やっと来たかあ。」と笑いながら言っていた。
ひとは死んだら、その最後の瞬間の記憶しか持っていけないのだろうか。
忘れてしまったけど確かにあった楽しい思い出を、持っていくことができるだろうか。
そうだといい。
じいちゃんは自分にやさしかった。
子供のころから、さよならするときはいつも握手していた。
最後に会ったときも、それは忘れていなかった。
じいちゃんを想うと涙が出てくる。
日記)3日
海に行きたい。
と言う毛布さんを、海へ連れていった(写真)。
浜辺を歩きながら、
「どうして普通に生きられないの。」とか、
「未来はどうやって描けばいいの。」とか話した。
どのくらい歩いただろう。
今まで行ったことのないところくらいまで歩いた。
この海に行きはじめて10年以上経つけれど、初めてカモメが居るのを見た。
カモメ、近くで見ると大きい、丸い。
ハクセキレイと一緒に波打ち際に佇んでいたり、飛んだりしていた。
夏に根室に行ってからすっかりカモメがすきなので、この海でも会えるんだなと思うと、なんだかうれしかった。
帰りにいつも寄る喫茶店に行ったら臨時休業だった。
毛布さんとコーヒーを飲みたかった。
薪ストーブも見せたかった。
普段ひととほとんど話さないので、たまにこうやってまっとうな時間を過ごすと、おおげさかもしれないけれど、生きている感じがする。
「僕はここにいる。」
自分が来ていることに気がついて、1mくらいの距離なのに、ぶんぶん大きく手を振りながら、
「おーい!なにしてるんだよー!こっち来いよー!」
って大声で言うから、思わず笑ってしまった。
変わっていなくてよかった。
版画の刷り損じで手作りしてくれた手提げ袋をくれた。
「誕生日おめでとう。」
きれいなきれいな、青い袋。
波のように、いろんな青が重なっている。
世界にひとつしかないから、なかなか使えないね。
qpさんみたいに撮ってみた
日記)2日
死んだじいちゃんが大切にしていた場所に行った。
朝方出発し、高速に乗って3時間。
サービスエリアに寄る楽しさ。
じいちゃんを何回も連れていった。
帰りに、毎年同じ喫茶店で一緒にコーヒーを飲むというのが決まったコースだった。
死ぬすこし前から、じいちゃんは忘れっぽくなっていて、昨日会いに行ったことも忘れて「ああ、やっと来たかあ。」と笑いながら言っていた。
ひとは死んだら、その最後の瞬間の記憶しか持っていけないのだろうか。
忘れてしまったけど確かにあった楽しい思い出を、持っていくことができるだろうか。
そうだといい。
じいちゃんは自分にやさしかった。
子供のころから、さよならするときはいつも握手していた。
最後に会ったときも、それは忘れていなかった。
じいちゃんを想うと涙が出てくる。
日記)3日
海に行きたい。
と言う毛布さんを、海へ連れていった(写真)。
浜辺を歩きながら、
「どうして普通に生きられないの。」とか、
「未来はどうやって描けばいいの。」とか話した。
どのくらい歩いただろう。
今まで行ったことのないところくらいまで歩いた。
この海に行きはじめて10年以上経つけれど、初めてカモメが居るのを見た。
カモメ、近くで見ると大きい、丸い。
ハクセキレイと一緒に波打ち際に佇んでいたり、飛んだりしていた。
夏に根室に行ってからすっかりカモメがすきなので、この海でも会えるんだなと思うと、なんだかうれしかった。
帰りにいつも寄る喫茶店に行ったら臨時休業だった。
毛布さんとコーヒーを飲みたかった。
薪ストーブも見せたかった。
普段ひととほとんど話さないので、たまにこうやってまっとうな時間を過ごすと、おおげさかもしれないけれど、生きている感じがする。
「僕はここにいる。」
2015年10月22日
2015年10月21日
この前の日記に書いた町は、根室でした。
行こうと思っていたところは全部行けた。
喫茶どりあんのエスカロップも、ナインハーフのカレーピラフも、花咲港のラーメン屋のホームラン焼きもおいしかった。
「絶対食べてほしいやつ。」と言っていた意味が分かった。
なかでも、guild nemuroに行けたのは嬉しかった。
オーナーさんがいいひとで、並んでいる品物について丁寧に説明してくれた。
自分は陶器の耳つきボウルと、深い青が綺麗な金属のレンゲを買った。
それで、やっと写真をまとめた。
明るさとか色味とかほとんど編集していない。
実際にこの目で見た景色とだいぶかけ離れてしまっているものもあるけれど、そのまま載せています。
本当はもっともっと、心奪われる美しさがあった。
行くところ行くところ人が居らず、静かで、林を抜けた先にある灯台なんかは夢のなかに迷い込んだようだった。
根室は、美しく豊かで、すこし淋しさのある町でした。
終える前に行けて、よかった。
エトピリカ |
行こうと思っていたところは全部行けた。
喫茶どりあんのエスカロップも、ナインハーフのカレーピラフも、花咲港のラーメン屋のホームラン焼きもおいしかった。
「絶対食べてほしいやつ。」と言っていた意味が分かった。
なかでも、guild nemuroに行けたのは嬉しかった。
オーナーさんがいいひとで、並んでいる品物について丁寧に説明してくれた。
自分は陶器の耳つきボウルと、深い青が綺麗な金属のレンゲを買った。
guild nemuro |
guild nemuroで買ったボウルとレンゲ |
それで、やっと写真をまとめた。
明るさとか色味とかほとんど編集していない。
実際にこの目で見た景色とだいぶかけ離れてしまっているものもあるけれど、そのまま載せています。
本当はもっともっと、心奪われる美しさがあった。
行くところ行くところ人が居らず、静かで、林を抜けた先にある灯台なんかは夢のなかに迷い込んだようだった。
根室は、美しく豊かで、すこし淋しさのある町でした。
終える前に行けて、よかった。
2015年10月20日
2015年10月16日
2015年10月6日
2015年9月30日
今年の夏の思い出は。
8月に、行って来た。
どんな町なのか知りたくて。
どんなふうに時間が流れて、どんな空気なのか、肌で感じたかった。
本当は冬に行きたかったのだけれど、 初めて行く土地をいきなり雪深いなか運転するのはすこし怖く、 まずは夏に行くことにした。
だいたい地理は掴めた。
全部で800kmくらい移動していて、写真を撮ったりした。
お店の人とすこし話をして、「この町は冬が綺麗ですよ。」 と言っていた。
やはりそうか。
「特に何があるってわけではないけど、良い町です。」と。
それ、とても豊かなことだと思う。
一日中車で出掛けて、日暮れに町に戻ってくる、 というのを繰り返していた。
夜は町を散歩した。
8月なのに夜は気温がかなり下がり、 体が冷えていくのがわかった。
夜更けでないものの人がほとんど居らず、 カモメたちが鳴いていた。
姿は見えない。
姿は見えなくても、声が頭上を移動していくのが分かった。
滑空しながら鳴いている。
あのときの感覚。
あの夜道に感じた、空気の冷たさ、風の匂い、 それとカモメのコーラスの美しさ。
いま自分は本当にこの町に居るんだという誇らしさにも似た歓び、 それと相反する淋しさ。
消えない傷のような、記憶になった。
忘れない。
帰ってきてからも、気持ちはどこか上の空で、 あの町に想いを馳せる。
夜中、絵を描いているとき、
「今もカモメたちは、あの夜と同じように鳴きながら、 飛んでいるだろうか。」
と思う。
8月に、行って来た。
どんな町なのか知りたくて。
どんなふうに時間が流れて、どんな空気なのか、肌で感じたかった。
本当は冬に行きたかったのだけれど、
だいたい地理は掴めた。
全部で800kmくらい移動していて、写真を撮ったりした。
お店の人とすこし話をして、「この町は冬が綺麗ですよ。」
やはりそうか。
「特に何があるってわけではないけど、良い町です。」と。
それ、とても豊かなことだと思う。
一日中車で出掛けて、日暮れに町に戻ってくる、
夜は町を散歩した。
8月なのに夜は気温がかなり下がり、
夜更けでないものの人がほとんど居らず、
姿は見えない。
姿は見えなくても、声が頭上を移動していくのが分かった。
滑空しながら鳴いている。
あのときの感覚。
あの夜道に感じた、空気の冷たさ、風の匂い、
いま自分は本当にこの町に居るんだという誇らしさにも似た歓び、
消えない傷のような、記憶になった。
忘れない。
帰ってきてからも、気持ちはどこか上の空で、
夜中、絵を描いているとき、
「今もカモメたちは、あの夜と同じように鳴きながら、
と思う。