2011年1月31日

自分にできることは誰かをしあわせにすることではない、と子供の頃から思っている
それは絶望というのだろうか
今まで生きてきた中で、何ヶ所か、記憶の無い部分があり、それを思い出すことができない
家の中の記憶
いつからか、忘れる力を身につけた
忘れることは生きること、と彼女が言っていた
なぜこんなことを書いているのか分からない




2011年1月30日

18年前の人物に恋している




2011年1月26日





2011年1月23日

「ある作家さんのサイトで、自分がその人に送ったポストカードが色々な絵やポスターと一緒に部屋の壁に貼られている写真を見て、うれしかった。」




2011年1月22日

彼女は泣かない。




2011年1月16日

水戸/水戸芸術館現代美術センター「大友良英 アンサンブルズ2010―共振」展。


最終日になってしまったけれど、Hさんに勧められた大友展を見てきた。天気予報で雪が降るとのことだったので、車で行くことを断念して電車で向かった。電車のドアが開くたびに冷たい風が入ってきて、水戸は晴れていることを願い、車窓から外を眺めていた。Hさんが話していた散歩(会場最後でヘッドフォンとiPodを借りて水戸の街の散歩に出るというもの)にすこし期待しながら。


水戸駅に着いてみると雪は止んでいたものの結構積もっていて、この冬経験したことがないくらいの寒さだった。それでもなんとか開館と同時くらいに着いて、すこし体を温めてから展示を見た。水戸芸内の展示は、受け入れるまでに時間がかかってしまった。それぞれの展示室内には古いレコードプレーヤーや壊れかけたピアノなどの音を発生するものが不自然に並んでいて、すこし驚いたのは、見に来ていた人たちがそれぞれのプレーヤー(おそらくその人自身が惹かれるもの)の前で、じっと、瞑想するかのごとく、座り込んでいたことだった。別に、それが嫌いだとか、苦手とするタイプの作品ではないのだけれど、自分にはなぜか、そうするだけの余裕がなかった。


館内での展示を後にして散歩に出掛けた。これは、最後の展示室でヘッドフォンとiPodを借りて、そこから流れる音を聴きながら指定された道順で千波公園西の谷を目指すというもの。その音とは、大友さんが同じ道順で歩いて録音した街の雑音(車の走る音や通り過ぎるおばちゃんの声など)や歩きながら弾いたギターの音色だったりする。自分が行ったのはお昼どきで、寒いながらも日差しがとても気持ちよく、大友さんが録音した音を聴きながら、雪がまだ融けずにカチカチのままの上を慎重に歩きながら、公園を目指した。まるで、大友さんの時間を追体験しているような感覚があったのだけれど、その感覚は、自分が今歩いていることや、それに伴う街の様子に掻き消されることもあり、でもまた不意に大友さんの気配が蘇ってきたりと、なんとも言えぬ不思議な感じだった。


公園に着いてみると、カマクラを作っている親子のほかには誰もおらず、ひとり、雪が積もった中をゆっくり歩いた。Hさんに言われたように夕暮れ時の叙情のなかで体験したら、また違うものがあったように思え、それがすこし残念だったのだけれど、すこんと抜けた青空も最高に気持ちよく、思いもかけぬ雪景色に体験することができて、それはそれでよかったかと今になって思う。


借りたものを返しに公園を出ようとするとき、あやうく触らずに帰るところだった。雪を。雪は冷たく、さらさらとしていて、食べようかと思ったけれど、それはやめておいた。












2011年1月13日

去年最後の日記は海の話で、今年最初の日記も海の話だった。今日も海の話。自分は泳げないので(水に浮くこともできない)、夏の海に行くことはまずないのだけれど、大学に入った頃から、海水浴客の居ない時期にはよく行くようになった。毎回、ただ海を眺めて、帰りに近くの喫茶店に寄るだけのコース。実家から海までは車で40分くらいかかるので、子供の頃は連れて行ってもらわないといけなかったけれど、大人になった今は自分ひとりで、思いつきで行くことができる。大人になってできることもある。映画もひとりで見られる。明日、新幹線の切符をとって、知らない街に行くことだって不可能じゃない。
映画「ロスト・イン・トランスレーション」の中の、日本に滞在しているアメリカ人の主人公が、ホテルでひとり何もすることが無いから京都にふらっと観光に行くシーンがすきだ。おそらく彼女が感じているのは笑えるような楽しさではないのだけれど、しみじみ静かにその時間の流れを体験している、というのが伝わってきて、自分にも似たような経験があるから、それを思い出させもしてくれる。


今年はふらっと、どこかに行ってみたい。



2011年1月1日

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も日記のようなものを書いたり、撮った写真を載せたりします。

元旦、蓮沼海岸に生まれて初めて初日の出を見に行った。日の出の時刻を国立天文台のサイトで調べて、それに合わせて車で向かった。初めてのことだから、渋滞するのかとか、海岸にどれくらいの人が集まっているのかとか見当も付かないまま、思いつきで行ったのだけれど、こんなにうまくいくことがあるのかというくらいの、一日の、一年の始まりだった。道は混んでいなくて、走り抜ける景色の変わりようを目の当たりにできた。星がだんだん消えて行く東の空が、群青色からオレンジに変わる間の紫はとても綺麗で、地面にある景色は黒一色のシルエットでまるで夢の中を駆け抜けているようだった。海に着いてみると、人はたくさん居たけれど、みんななぜだか横に並んで静かにしていた。自分が驚いたのは、海の色。あのような海は今まで見たことがない。日が昇る前、波が青白く輝いていて、涙がでそうになった。たかが海の色と思うかもしれないけれど、感激したんだ。久しぶりの感情だった。あんなに綺麗な海は、もしかしたら初めて見たかもしれない。いよいよ昇った太陽の光は眩しくて、朝日と夕日の違いが分かった。
周りにいる人たちも思い思いにそれを眺めていたのだと思う。計り知れない時間の流れの中で太陽は何も変わらず毎日あり続けるのに、今日という日の朝は一年のうちで最も待ちこがれられる日なのだろう。恵まれた天気と時間と場所で一年の始まりを迎えられたことが、まだ夢のようだ。海で朝を過ごすこと自体初めての経験だったのだけれど、とても清々しい気持ちだった。