2009年2月23日

横浜/BankART Studio NYK「和光大学芸術学科卒業制作展'09 comma」を観に行った。自分が居たころよりも絵画以外の作品のバリエーションが増えていて、なかなかおもしろかった(というか絵画は本当に少なかった気がする)。展示を観ていたら、卒業生の知り合いが「これからパフォーマンスをやります。」というので、せっかくなので見ることにした。女の人と男の人(自分の知り合い)がひとつの空間で、プロジェクターで映される樹のような水のような映像の前で踊ったりするもの。踊る、という言葉が正しいのか分からないが、とにかく体を動かしていた。それは、普段の普通の生活の中ではあり得ないような動きで、次はどうなるのかと予測できないようなものであった。ちょうど昨日、NHKの教育テレビでコンテンポラリーダンサー(本人はこう呼ばれることが好ましくないらしいが、テレビやネットではこう紹介されている)森山開次さんの番組を見たので、体を動かすこと、それ自体で表現していることをすこし考えながら見ていた。たとえば自分は、体を使い、さらに道具を使って絵を描いたり何かを作ったりしている。でも、ダンスや物語を演じることなどは、体だけで作ること。それってなんだか、無性におもしろいことのような気がする。そういえば、スポーツもこういったパフォーマンスに近いものがあるかもしれない。記録という絶対的な評価がついて回るところは違うかな…。体だけで表現する(少なくとも人前でダンスなどは)自分は決してやらないことで、そして今までそういうことのおもしろさが分からなかった、又すこし敬遠していたところがあったが、それがなんだかなくなってきたようだった。これは最近の、自分の心境などからの影響も大きいのだと思うけれど。


そういえば、BankARTがリニューアルしてから初めて行ったんだ。あのような空間に、自分も作品を飾ってみたい。絵にとっては苦しいという話も聞くが、自分にはかえって面白いように思えるのだが。会場のところどころにある窓からは、風車や倉庫、煙突や大きな橋などが見え、それらが雨あがりの灰色の空気と水蒸気のような雲にかすんで、とても綺麗だった。こういう天気のときは、まるで嘘のような、このまま晴れることはないのではないかといつも思う。横浜(といってもこの辺り)は、どこか浮世離れした土地だと、いつも思う。海のすぐ近くに大きなビルがあったり、公園があったりするからだろうか。また歩いている人も、どこか独特の雰囲気がある。すくなくとも千葉とは違う。もう少し静かで、透き通っている。




2009年2月20日








2009年2月18日

自分もいつか、光のような絵を描きたい。
意味などということを考えだしたら、きっと、つまらなくなってしまう。
ただそこにあるだけで、相手を黙らせるほどの、それ以外考えられないとう絵を描けたなら、自分はしあわせになれる。




2009年2月14日

借りて来た「タイムレスメロディ」を観た。監督/奥原浩志、主演/青柳拓次、市川実日子。3人が音楽を演奏するシーンがよかった。3人も、曲も、生き生きと瑞々しかった。物語の途中、楽器に触れたり演奏するシーンがあるたびに、…何と言えばいいのか、走り出したくなるというか、体中を力が駆け巡るというような、感覚を憶えた(…上手く言えない)。登場人物がそれぞれ、大袈裟なことをするでもない、自分やすこし周りのことを、丁寧にしている、大切にしているというような、その人のまとう空気が美しく思えた。そしてそれは映画の中だけのことではないということ(自分の人生においても同じということ)を、感じさせられた。これは、すぐ忘れてしまうことなのだけれど、大切なことなんだと思う。この映画はいい。観ている最中も、見終わったあとも、穏やかな気持ちが続いていた。映画を観ることの歓びを感じていた。



「いい学校を出るとか、大企業に就職するとか、そんな”豊かな人生”の神話は、この数年で完全に崩れた。
 代わりにはっきりしてきたのは、好きなものを選んでそれを大切にする、自分が決めたルールを黙って守り続けるといった、
 自分の中にスタンダードを持つことが、本当の心地よさの指針になるということだ。」




DVDのパッケージに書いてあった言葉だ。誰のものか分からないけれど、自分はこれに衝撃を受けた。まるで水を掴んでいるようだと思った。




2009年2月13日

今日は生暖かく風も強くて、春が近づいているのですね。花粉症の人は大変そうだなあ。




2009年2月12日

今年に入ってから、アルバイトの日はお弁当を作っている。いちばんの理由は食費を節約するため。とは言え、すぐに続かなくなるだろうと思っていたのに、これがなぜだか続いている。朝すこし早く起きて、自分のお昼ごはんを準備するというのは、なかなか気分が良いものだと知った。小さな箱の中を、彩りや栄養や味のバランスを考え、食べ物で埋めていく。と言っても毎回のメニューはそんなに変わっていないのだけれど(たとえば毎回欠かさずチキンナゲットを入れている。なぜだか自分はお弁当にこれが入っていないと嫌なのだ)。お昼休みが本当の休息の時間になった。ゆっくりと、ちゃんと食べ物を味わっている。へたすると、1日の食事の中で1番充実している。この間は、お弁当のことを考えすぎてその夢を見た(夢の中でもお弁当のメニューを考えていた)。




2009年2月11日

もらった古いキャンバスは、釘が錆びていて剥がせない。だから、そのまま上から描こうとしたのだけれど、それもすこし気が引ける。知らない人でも、それはなかなか気が進むものではない。…困ったなあ。結構な量があるのだが。そのうちの、何も描かれていないキャンバスは使えそう。残りはどうしたものか。




2009年2月7日

公募展は落選した。…がっかり。でもそんな気がしたな。
それじゃあ駄目でしょう!



一文日記
今日は、アルバイト中におつかいを頼まれて和菓子屋に和菓子を買いに行ったら「本日、品切れのため閉店」とドアのところに張り紙があって、なんかお店の雰囲気が(外観だけの判断だけれど)よかったから、「ああ、ちょっと残念」と思い、アルバイト先の人に「和菓子が品切れでお店が閉まっています」と伝えたら、「じゃあ、駅の近くのケーキ屋でケーキを買って来てください」と言われたので、ケーキ屋に行くと、なんだか店員さんもお客さんももちろんケーキも高そうな感じなので(そしてケーキは高かった)、自分はそういうところが苦手だから、ケーキを選ぶことに集中して、結局、値段はそれぞれ同じくらいで種類が違うケーキを6個買い、高そうな店員さんが丁寧にケーキを箱に詰めるのを見て、お金を払い、大きなケーキの箱(6個も買ったのなんて初めて!)を持って、仕事場に戻り、みんなで食べたいケーキをそれぞれ選んで、おやつの時間が始まり、「ケーキと紅茶は相性が抜群だなあ」と実感しながら食べて、自分は普段ケーキ屋でケーキを買うことがないから、嬉しく思った。




2009年2月5日

10号の古いキャンバスをたくさんもらったので、最近はそれに絵を描いている。剥がすことができないから、上からそのまま描いている。最初は実験的に、自分が普段描かないような、あるいは「こういうの描いてみたいなあ」とふと思ったものを描いていた。でも結局、すべてあまり気に入らない、どこか自分を誤摩化して描いているような気がしてきて、また風景を描いている。やっぱり描きたいんだ。自分は風景を描きたい!でもなにか変わりたい、という願望があるのは確かだ。それは分かる。去年くらいから感じている現実味のない感じはもう嫌だ(絵の世界とかそういうことでなくて、自分の姿勢)。変わるにはたくさん描かないと。それと怖がってちゃ駄目だ。壊すこともしてみようかと思う。目が覚めるような瞬間を経験したい。




2009年2月4日

「どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。」

(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」)




2009年2月2日

1.向こうに


2.そこで目が覚めた


3.目が覚めた




2009年2月1日

電車に1時間乗って行った先での用事は8分。また1時間電車に乗って帰ること。


たまに、ふと、涙が出そうになる。帰り道を歩いているとき、店に居るとき、夜絵を描いているとき。なぜこうもうまくできないのか。うまくというか、ちゃんとできない。暗い気持ちになるのは気候のせいなんかではない。そして、柔な病気のせいでもない。もっと根本にある、人間の質のこと。