アパートの近くには駐在所がある。今日その前を通ったら、今まさに警察署へ連行される人を見た。何人かの警察官に囲まれ、黒い手錠を掛けられ、それと腰をロープで繋がれていた。そういう人を見たのは生まれて初めてだったので、すこし驚くとともに、この人は何をしたんだろうと思った。1日のはじまりに珍しいものを見たわけだけれど、今日の帰り、駅の近くを歩いていたら、こんどは今まさにパトカーで連行される人を見た。近くには警察官に事情を訊かれているような人が居て、車のなかのこれから連れていかれる人は大人しくしていた。こんなこともあるんだな。普段の生活のなかであまり見る機会がないであろうことが、1日に2回もあった。やはり衝撃的だったのは、手錠を掛けられ連れていかれる人の姿で、生まれて初めて見たというのとはまたすこし違うような、そういう事実、人間が連れていかれるという光景を目の当たりにしたということ。何をしたのかは知る由もないが、それとは別に、たぶん自分はこれからたまに、あの連れていかれた人のことを考える、というか思い出すとおもう。
2009年7月25日
7月19日に、用事を済ませてなんだか途方に暮れたように疲れて、ああ早く部屋に戻ろうなどと考えながら歩いて、帰りの電車に乗った。外を眺めていると、黄色っぽいというか、、うん、黄色っぽい。ともかく、普段ではあまりない空模様で、というのは、雲が、雨雲のように厚いのだけれど、明るい、というような空気、世界。普段は、こういう、日常的でない自然の現象を喜ぶほどなのだけれど、その日はなんだか憂鬱で、「ああ不気味だな」と思っていた。そうして電車を降りたら、ホームに居る人たちが、同じ方向を見上げてザワザワしている。なんだと思って、自分も同じ方向を見上げたら、ホームの屋根と止まっている電車の屋根の隙間に、それは鮮やかに、はっきりとした虹を見た。なんだこれはと思って、駅を出てからもう一度見上げたら、それは、完全な虹だった。始まりから終わりまで、地面から地面まで、途切れていない、完全な。何より色が鮮やかすぎて、目を疑うとは、心奪われるとは、あのようなことを言うのだろうか。そしてようく見ると、その虹の左側に、薄く、もうひとつ虹が出ていた。周りの人はしきりに、携帯電話のカメラやデジカメで撮影していた。自分はというと、ただ見ていた。写真に撮ると、弱くなる(何がかは知らんが)、漠然とそう思った。それと同時に、「忘れたくないものは写真に撮らない」という、小学校のとき道徳の授業で読んだ文章の言葉を(しかしこの言葉は怪しいと感じるが)、思い出した。それだけで、綺麗じゃないか。そうやって眺めながら、もしかしたら見ているだろうか、と一瞬思った。自分と同じように、もうひとつの薄い虹にも気づいただろうか。虹はだんだん、色が薄くなっていったけれど、空は相変わらず黄色っぽく、それに夕方のオレンジや紫が混ざって、妙な色をしていた。もし、この虹が、時間帯が違ったり、方角が違っていたら、見られなかっただろう。自分に限らず、虹に気付いたすべての人において。
この写真は、この前壊してしまった携帯電話。
この写真は、この前壊してしまった携帯電話。
2009年7月24日
「梱包された自分の絵を運ぶときに雨が降ってきたなら、画家は、自分にでなく、絵に傘をさすんだ。濡れないように。そういうもんなんだ。」
うまくいかないことばかり。自分が悪い。正しいと思っていることも、的外れなんだと思ってしまう。他人のしたことが、本人にそういう意図がないとしても(あるかもしれないけど)、気に入らない。馬鹿にされるのは嫌だ。我慢してきたけど。自分には言い返せるだけのものが何もない。でも、嫌だ。気分が暗い。またこんな感じ。世界を一瞬で消す方法は?という問題の答えは、自分が死ぬことだった。言い換えれば、世界を変える方法は、自分が変わることだ。
でも、世界は美しいものなんだ。
それを忘れてはいけない。
うまくいかないことばかり。自分が悪い。正しいと思っていることも、的外れなんだと思ってしまう。他人のしたことが、本人にそういう意図がないとしても(あるかもしれないけど)、気に入らない。馬鹿にされるのは嫌だ。我慢してきたけど。自分には言い返せるだけのものが何もない。でも、嫌だ。気分が暗い。またこんな感じ。世界を一瞬で消す方法は?という問題の答えは、自分が死ぬことだった。言い換えれば、世界を変える方法は、自分が変わることだ。
でも、世界は美しいものなんだ。
それを忘れてはいけない。
2009年7月22日
2009年7月21日
海を掬う
雲をつまむ
山を切る
風を持ち帰る
いつだったか、思いついた、言葉の羅列。
自分でない人ならば、もうすこし違った言い回しを(そしてより的確に)思いつくだろう。
自分ひとりでは、ひとりの人間でしかなくて、ときどき、無性に、つまらなく感じることがある。もし、ここに、話したり話を聞く人間がいたならいいと思うのだけれど、きっと、それは誰でもいいのではなくて、すでに決まっているのかもしれないと思う。本やパソコンで読むような活字になっている誰かが書いた文章は、読むときに、声に出さなくても、頭の中で誰かの声を借りて読んでいる。いや、しかし、厳密に言うと、「借りる」という言い方は不自然であって、なぜならそれは、その借りた声の主は、別に自分の知らない人だから。つまり、文章の主体が男性なら、自分ではない「男性」の声で、それが女性なら、自分ではない「女性」の声、という極めて漠然としたものであるから。こうして自分以外の声を感じることがあるのは確かなのだけれど、ここに居ればいいと思う(望む)人間は、こういう明瞭としない存在でなく、すでに決まっている声の持ち主なのではないかと思う。ただ、自分でもそれが、一体誰で、いまどこに居るのかは分からない。
雲をつまむ
山を切る
風を持ち帰る
いつだったか、思いついた、言葉の羅列。
自分でない人ならば、もうすこし違った言い回しを(そしてより的確に)思いつくだろう。
自分ひとりでは、ひとりの人間でしかなくて、ときどき、無性に、つまらなく感じることがある。もし、ここに、話したり話を聞く人間がいたならいいと思うのだけれど、きっと、それは誰でもいいのではなくて、すでに決まっているのかもしれないと思う。本やパソコンで読むような活字になっている誰かが書いた文章は、読むときに、声に出さなくても、頭の中で誰かの声を借りて読んでいる。いや、しかし、厳密に言うと、「借りる」という言い方は不自然であって、なぜならそれは、その借りた声の主は、別に自分の知らない人だから。つまり、文章の主体が男性なら、自分ではない「男性」の声で、それが女性なら、自分ではない「女性」の声、という極めて漠然としたものであるから。こうして自分以外の声を感じることがあるのは確かなのだけれど、ここに居ればいいと思う(望む)人間は、こういう明瞭としない存在でなく、すでに決まっている声の持ち主なのではないかと思う。ただ、自分でもそれが、一体誰で、いまどこに居るのかは分からない。
2009年7月12日
数日だけれど千葉に帰っていて、そのうちの半日は、高校に行くために使った。人生の中で、今に確実に繋がっている選択は何か、と聞かれたら、自分は、「この高校に行くことを選んだ決断だ。」と答えるだろう。世界の歴史から見たら、無いに等しいくらいの時間の堆積や、出来事の集積だが、ひとりの人間には、充分過ぎるくらいのそれだった(もっとも、もっとちゃんと、色々なことに向き合えるだけの知恵や術が身に付いていれば、と思うことも、今になってみればたくさんあるのだが)。同級生とは連絡をとっていない。高校に行くのは、(いつも決まった、数人の)先生たちに会うためだ。自分が居たころとは、景観がすこし変わったところもある。この日は、授業が半日だけで、帰宅する学生や部活動をする学生で賑わっていた。元気のいい人たちのなかを歩き、それだけでなんだかとてもはずかしい気持ちになっていたのだけれど、校内を歩いていたら、日に焼けた、いかにも今風の(言い方が古いか、、)男子学生が、「こんにちは」と挨拶してくれた。自分も「こんにちは」と返しながら、驚いて、でもそれとほぼ同時に、高校生のとき、たしかそういう、校内で来客に会ったら挨拶をするようにという指導を受けていたなあ、と思い出していた。美術室で、美術部の人たちに紛れて、片付けの手伝いをしたり、本を読んだりしたあと、帰った。
帰りに、喫茶店に行き、美術の先生と、アニメの話や、日本の都道府県の位置の話をした(2人とも記憶が曖昧だから日本列島の天気図で答え合わせをした)。この喫茶店のレジの前には、オリジナルのマッチ(箱じゃなくて二つ折りのケースのやつ)があって、今どき珍しいなあと思い、2つもらってきた。「人のセックスを笑うな」のなかで、ユリが煙草に火をつけるときに、このタイプのマッチを使っていて、火のつけかたがカッコいいなと思っていた。それを自分もやりたかったのだけれど、身近にそんなマッチは売っていなくてできずにいたのだ。それで今日、試しにやってみたら、これがなかなか難しい。慣れていないから、手つきが覚束ない。それでもコツをつかんで、やっと火をつけることができた。火がついたら指で弾いて消す。ユリがやっていたように。でもただつけて消すだけでは、つまらない。
帰りに、喫茶店に行き、美術の先生と、アニメの話や、日本の都道府県の位置の話をした(2人とも記憶が曖昧だから日本列島の天気図で答え合わせをした)。この喫茶店のレジの前には、オリジナルのマッチ(箱じゃなくて二つ折りのケースのやつ)があって、今どき珍しいなあと思い、2つもらってきた。「人のセックスを笑うな」のなかで、ユリが煙草に火をつけるときに、このタイプのマッチを使っていて、火のつけかたがカッコいいなと思っていた。それを自分もやりたかったのだけれど、身近にそんなマッチは売っていなくてできずにいたのだ。それで今日、試しにやってみたら、これがなかなか難しい。慣れていないから、手つきが覚束ない。それでもコツをつかんで、やっと火をつけることができた。火がついたら指で弾いて消す。ユリがやっていたように。でもただつけて消すだけでは、つまらない。