2013年12月31日

ブランドンが死んで、20年が経った。
クリスマス・イブに乱暴されて、ニューイヤーズ・イブに殺されてしまった。
20年前の記憶はあるけれど、そのころまだ自分はブランドンのことを知らなかった。
知ったときにはもう居なくて、想いを馳せることしかできない。
あの人がどんな声でどんな風に笑ってどんな風に哀しかったのか。

いつも想っている。





2013年12月27日

消してしまいたい人間たちがいる。
それらから切り離されたところで生きていきたい。
生きていくのなら。




もうなにもやる気がおきない。
欲望は消えてしまった。








2013年12月6日

夜歩いていて、今ふと立ち止まってしまったら右も左も分からなくなって、そのまま自分を無いものにしてしまいたい終わりにしてしまいと思ってしまうだろうということが分かり、このまま歩き続けなければいけない、そういう予感が消えるまで歩き続けなければならない、と、昨日はどこまでも歩いた。
なんとか治まって部屋に戻り、そのまま椅子の上で眠ってしまった。


たまにこういう風になる。
気持ちはどこまでも沈んでいき、世界を終わらせてしまいたいと思う。
こんなくだらない世界、もう未来なんてないような世界ではないか。
もう折り返し地点を過ぎて、成長する余白はない、あとは縮んで終わりを待っているような世界に居て、何をするというのか。
Hさんの「否、それでも世界は美しい。」という言葉を、ときどき見失いそうになる。
もうそれは遠く霞んで、本当にそう言ったのかさえ思い出せなくなる。

世界を一瞬で終わらせてしまう方法は、という質問の答えはひとつだった。
自分が消えれば全部消すことができる。

でも問題なのは、生きている人間は生きていかなくちゃいけない、ということだ。
これを破ってはいけないから、こんなにもしんどい。



2013年11月4日

この場所だけは誰にも侵されたくない。




2013年10月31日


しばらく日記を全く書いていなかった。
それでも毎日何かしら思うことはあって、日記に、これを書こう、あれを書こうと思いながらずるずるきてしまった。
言い訳としてひとつ挙げると、パソコンの調子が悪く、部屋でインターネットができなくなってしまったというのが大きい。ケータイで日記を書くのは画面が小さく非常に面倒なのでいつもパソコンで書いていたのだけれど、それができなくなって、まあそのうちと思っているうちに何ヶ月も過ぎた。
自分のパソコンは、もう化石と言われるくらいのものなので、修理を出すならいっそ新しいのを買おうと思うのだけれど、経済もあるし、なかなかどうしてすんなりいかない。
まあ、いいや。

もう憶えていないことは書けないから、憶えていることをまとめて書いてみる。

日記1)
豊田市美術館「フランシス・ベーコン展」。
ベーコンは 学生のころからすきだった。一連の歪んだ人物像なんかを初めて画集で見たときは、「この人は、本当にこういう風にものが見えているんじゃないかな。」と思っていた(今も思っている)。あとは色彩がめちゃくちゃ格好いいからすきだ。形にも色にも、不穏な空気と美しさが同時に存在していて、格好いいというのはこういうことだろう、と漠然と感じた。

東京国立近代美術館でのベーコン展とは違い、平日の日中だったからか(あと、美術館へ続くあの坂道を猛暑のなか上ろうという気になるひとはあまり居なかったのかも)、人がまばらで、会場にぽつ、ぽつとしか人が居なかったので、ゆっくり絵を見られた。

「人があまり居ない会場でベーコンの絵とゆっくりできたのはたいせつな思い出となりました。」

関係ないけれど、ベーコンが話している姿を収めたビデオが流れていて、自分は初めてベーコンの声を聞いた。それで思ったのだけれど、声も話し方もアンソニー・ホプキンスにそっくりで驚いた。いや、アンソニー・ホプキンスというか、彼が演じたハンニバル・レクターに似ていて驚いた。特に「very much」の発音。
もうポロックを演じてしまっているけれど、ベーコンを演じるとしたらアンソニー・ホプキンスが よかったと思います。
 
  
「フランシス・ベーコンもすきだし、ケビン・ベーコンもすきだよ。」



日記2)
名古屋に行っていたときにちょうど愛知ビエンナーレが始まった。
時間がなかったので色々とは回れなかったけれど、横山裕一さんのところはどうしても見たかった(見たいというより横山さんが会場に来ていたので会いたかった)。

横山さんに、その日持っていたバッグの空いているところに絵を描いてもらった。
原画も販売していたので一枚購入すると、おまけにスケッチ(横山さんはらく描きと呼んでいた)をいただいた。
大切にします。




日記3)
大学の先輩のライブに行った。
大学時代に話したことはなく、卒業後にライブに行くようになったり、その人のCDを買ったりした。
ギターを弾きながら歌っている姿を見て、楽器ができたらどんなに楽しいだろうなあ、などと考えていた。これは昔から考えているけれど、楽器を演奏できるというより、自分の感情や風景を音楽に変換できるって素晴らしいし格好いい。



日記4)
韓国は食べものが辛くて、最後の方、だんだん腹が立ってきた。
写真は一枚も撮らなかった。



日記5)
毎日、鉄砲水のように時間が流れていき、すこしつらい。
「身体が時間に追いつかない。」
たまに暴言を吐きたくなる。



日記)6
アトリエ日曜日の掃除をしないと、何も始まりません。











2013年10月5日

ジェシー・アイゼンバーグも誕生日。




2013年9月30日

夏になってから毎日時間が流れる速度を早く感じる。
火曜日には金曜日のことを考えなくてはならず、身体が時間に追いつかない。

心と身体は繋がっていると、Hさんは言っていたな。



別のHさんは若くして亡くなってしまった。



2013年8月1日





2013年7月17日




「10年経って、はじめの場所から少し移動している、って、そういうことだよ。」


絵を描いていくこととはどんなことなのか、という話をしていたときの、大学の先生(もう居ない)が言っていた言葉を自分は箱に仕舞うようにたいせつにしている。

日が暮れてゆく森のなかをひとり歩いているようで泣きたくなることもあるけれど。




2013年7月8日

「ろくでもないくそどものたわごと。」



2013年5月8日




男を好きでも、いい父親になれる。
俺にも優しくしてくれた。

聖書には「男は男と寝るな」とある。
でも神様はあんたを冥界にはやらないよ。

あの子は闇のなかに住んでいる。
世界はもっと広いのに。

あの子を頼む。




2013年5月6日

早く仕事場に行きたい。

自分の役割が少なからずある、という幸福。
生きている意味とはなにか違う、「自分の役割がある」ということ。




2013年5月2日

日記1)
ベン・ニコルソンの銅版画を見たとき、なんて美しいのだろうと思った。
心が落ち着くと同時に胸が弾むような感覚になった。
この感じ、いつかも体験したことがあるなと思ったら、ド・スタールの絵を見たときと似たような感動だったと気がついた。


日記2)
自分は夜に絵を描く。昼間に描くことはほとんどない。
もともと夜型の人間だけど、なんというか、人々が眠っている時間、一日で一番静かな時間がはかどるのだ。
とはいえ、絵を描いているだけでは生きていけないので、朝方まで描いてはいられない。
でもだいたい4時くらいまで描いている。
たまに孤独だと感じるけれど、自分にはこれしかない。と信じている。

あと思い出したけど、満腹の状態で制作できる人がうらやましい。
自分はできない。

部屋に帰ってきて、夜ご飯つくって食べてしまうと絵が描けない。
実に不健康だと思う。
でも、絵のことに関しては、健全だと言えるのだ。
あっちをとれば、こっちがとれず。
物事は往々にして正反対の要素を持っていると思っていて、自分の絵もそういうことを気にしているのだけど、ここでもそうなんだな。



いま、この日記は、絵を描いたあと、夜中の4時に描いている。
とても眠い。
眠すぎる。
でもお腹も空いた。
どうしよう。
眠い。
いま一番の問題は、こんなに眠いのに、筆を洗わなくちゃいけないということだ。
大問題だ。
こんなに眠いというのに。




2013年4月26日

もう何年も会っていない人が夢に出てきて、
「久しぶりだね。」と言った。










2013年4月21日

むしゃくしゃする。
煙草も酒もやらない人間はどうやって紛らせばいいのだろうか。

こんなとき描いた絵は気に入らない。
「無理矢理は愛せないのだ。」




2013年4月13日

おととしの年末に書いた日記

自分は今まで何度かtwitterをやっては辞め、やっては辞め、をくり返していて、この日の日記はそれまで使っていたアカウントに投稿したものを最初から最後までまとめたもの。
今考えると、なんでこんなことしたのだろうな。
たぶん、メモみたいに使っていたものでもこの世から消えることが淋しかったからではないだろうか。
このあと、そのアカウントは削除した。




2013年4月4日

一方的によく目にしていた物や人の気配がどんどん消えていく。



2013年3月21日










黄色、ピンク、青。




2013年3月13日

色が白くて、髭が濃かった。


サインもらえばよかった…。
と、帰り道すこし思った。



2013年2月13日

日記1(漢方)
新しい病院に行くようになって、毎日処方された漢方を飲んでいる。
飲みはじめのころは、体のなかから何か出てきてしまうんじゃないかというくらい、お、お、お、お、お、という風になっていたのだけど、それもだいぶ慣れてきた。


日記2(すーちゃん)
今さら、という感じなのだろうけれど、益田ミリの『すーちゃん』シリーズがおもしろい。
来月には映画も公開するようだ。
本の面白さを知ったあとに映画を観るというのは、おすぎは薦めていなかったな。
それなら逆の方がいいわよ、と。
映画を観たあとに原作を読むほうがまだいいってことで、それはなんとなく分かる気がする。


日記3(映画)
この前の映画の日に「96時間 リベンジ」を観た。
いわずもがな、「96時間」の方が4倍くらいおもしろかったな。
あの映画は続編を意識して作っていたとは思えないし、展開に無理がありすぎた気がする(「96時間」もリュック・ベッソンではお馴染みの結構無理のある設定だけれど)。
でもスカッとする。
悪者をバタバタと薙ぎ倒していくさまに興奮するのは、自分のなかにもそういう願望があるからなのかも知れない。



2013年2月2日



BUCK-TICKの櫻井敦司は鬼みたいな顔をしている、いいな。




2013年1月17日

味覚と嗅覚がまだ戻らない。


帰り道、最近は仕事場から原宿まで歩いている。
色々な人が居て、その気配を感じて歩いている。
おそらく部屋まで歩いても帰れるだろうけれど、まだ試したことがない。

寒いなか歩くのは、心が落ち着くというか、静かな愉しみがある。
春は春で、夏は夏で、いいところもあるけれど、自分はやはり一年の後半、秋から冬の季節がいちばんすきだ。

でもまあ、どんな季節でも、多く笑っていられればいい、と、最近は思う。


その原宿までの途中、東京タワーが見える場所があって(振り返るかたちで)、今日は何色に光っているのか、かならず見ている。



2013年1月13日

風邪を引いた。


今回の風邪で気がついたのだけど、具合が悪いときは、味覚と嗅覚がおかしくなるようだ。
他の人はどうだか知らない。
コーヒーを飲んでも味がしないし、香りもしない。
何か食べても、味がしない。
しない、と言うより、感じない、ということなのだけれど。



新年から嫌なことばかり起きて、先が思いやられます。
それでもやっていかなくちゃいけない。
生きている人間は生きていかなくちゃならないし、それはどうしようもなく、決まっている。





2013年1月1日




明けましておめでとうございます。
今年も日記は細々と続けていこうと思います。
よろしくお願いします。


(はてなからのコピーアンドペースト、実はまだ終わっていません。
まずはそこからやっていこうと思います。)