2012年12月24日







ブランドン、クリスマスイブに乱暴され、大晦日(ニューイヤーズイブ)に死んでしまった。
もうすぐ19年が経つ。




2012年12月22日

また日記をさぼりがちです。
はてなからのコピーアンドペーストもやらないといけない。
今は2008年まで終わりました…。あと3年分…。
全体では600日くらいしか日記書いていないと思います。
今年中にはてなの分を移します。




2012年12月13日

スティーブ・ブシェミの誕生日。



2012年11月23日

何か書こうかと思ったけどやめて、写真。
「世界はこのように、美しいのかも知れない。」と思った。







2012年11月13日

いつからか期待をすることはやめて、いつも、それとは反対の悪い結果になることを覚悟して生きてきた。
いつそうなってもいいように。

いつからそうなってしまったのか、自分でも思い出せない。
少なからずそのことを後悔していて、回りが見えなくなってしまうほど、状況や物や人に夢中になりたいとも思っている。



(真夜中の独り言。)




2012年11月12日

前回の日記の言葉は、すきな歌の歌詞でした。

関係ない話だけど、テレビのCMで石原さとみが映るたびに、軽い恋心を憶えます。




2012年11月10日

「声が聞きたいな。 名前を呼んでよ。」




2012年11月2日

日記1
大学の知人の展示を見に行った。
今回のように、その人の絵を一度にたくさん見るのは初めてで、油絵だけじゃなくてイラストやドローイングも展示してあり、眼がくるくると壁を動き回った。欲しい絵もあったけど、買えなかった。こうして、人の絵を見る機会があって、あとになって振り返ると、自分は鳥の絵がすきみたいだ。その知人の欲しいなと思った絵も鳥だった。あとはHちゃんが描いている鳥もすきだし、Aさんが描いた鳥も、qpさんが描いた鳥もすきだ。

自分にはないものを欲するというのは往々にしてあるけれど、鳥もそこからくるのかもしれない。



日記2
頭痛がとれない。あと半歩下がったら、風邪に脳天打ち抜かれそうな感じだ。



日記3
生きたいという欲が出てきても、次の瞬間あとかたもなく消えて、またどこを向いているのか分からなくなる。



2012年10月30日

自分に何か役割があるというのは、幸福なことだと思います。


「自分の居場所」という言い方には、ずっと違和感があったのだけど、高校生のころに見たドキュメンタリー番組で、25年間引きこもっている北村五朗さんが言った、「自分の役割」という言葉に強い共感を覚えてから、自分はそういう風に考えるようになった。



2012年10月20日





2012年10月18日

日記、全然書いていない。
読んでいる人いるのかな。

毎日何かしら、今日はこれを書こうかな、と思うようなことはあるのに、いざ書くときになると、というか、書いているそばからすでに面倒になって結局全部消してしまう、ということがよくある。

でももし誰かが、今日は何か書いているかな、と思って見にきているとしたら、何も書いていなくて、すこし悪い気もする。
自分も、たまにひとの日記を読みにいって、更新されていたら、すこしうれしい気持ちになったりする。





2012年10月5日

ジェシー・アイゼンバーグも誕生日。




2012年10月4日



今朝見た夢からまだ抜け出せない。



2012年9月27日




2012年9月20日

あいもかわらず、昔の日記を「はてな」から移行しています。
インポートできないから、ひとつずつコピーアンドペーストです。
そうすると、嫌でも日記を読み返すから、ここ何年間かの記憶(忘れてしまっていたようなことや、そのとき感じていたこと、悩んでいたこと、天気も温度も、ときには匂いまで)を思い出しています。
そのときは感動していたことも時間が流れて関心が薄れてしまっていたり、そのときと同じようなことを今でも考えていたりすることに気がつきます。あと、日本語の使い方が変だったり、かえって新鮮な言葉を選んでいたりもする。昔のことなのに、不思議です。

過去に縛られていたら、おそらくどんどん脳も心も萎縮して、表情もなくなってしまうでしょう。
過去には不安は残っていないし、時間が流れると嫌な記憶も角が丸くなって当時ほど傷つかなくなってくる。
生きている人間は生きていかなければならないし、それはどうすることもできなく、決まっている。



2012年9月17日

「あなたを思うほどの心があれば」だと思ったら、「あなたを思う本当の心」だった。


変な天気で、雨が降ったり止んだりを繰り返し、夕方駐車場で見た雲が自分の天国のイメージに近く、こういうのを見ると、空が飛べたらと本気で思う。どうにかできないものだろうか。自分と太陽の間にある雲は、輪郭だけが金色に輝いていて、内側は紫のような灰色。その雲を突き抜けて上まで行けたら、一面光に包まれるのだろうな。想像して、まだその景色が見えるから、大丈夫だと思いたい。



2012年9月13日

おそらく何年ぶりかに、euphoriaの「Star Falling」を聴いた。
よく聴いていたころの冬の寒さ、肌にささるような空気の冷たさや夜の帰り道の風景が、強烈な勢いで蘇ってきて、いまの感覚はなんだろうか、と一瞬、どこに居るのか分からなくなった。


夏も、形のいい雲も、流されて、なくなる。


もうすぐ冬がくる。
いっそ、もうそのまま終わってしまえばいいとさえ思う。



2012年9月12日

「僕が知っているのは、あの空が何色でできているかということです。」




2012年9月6日

なにか、生きている実感が湧いている気がしたのだが。



2012年9月5日

すぐ近くで歌っていた女の人が輝いて見えて、恋をした。
彼女が作った世界にもうしばらく居たいと思ったし、それをひとり作り出す彼女になりたいとも思った。



2012年9月4日

携帯から日記。


病院の先生が双子だった。
眠そうな顔で入ってきたので、
寝坊でもしたのかな、先生もそんなことするんだな、と思っていたら、別人だった。
双子の姉か妹。
想像もしていなかったので驚いた。



2012年9月1日

たまに行く喫茶店で綺麗な女の人が話しかけてくれるのだけれど綺麗すぎて緊張してしまう。



2012年8月29日




救いのない映画で、年に2回ほど見たくなる。
体を痛めつけようと、わざとジャンクフードを食べるのと似ている。
ただ、トーンを抑えた映像の色が美しく、ヒロコとアキラがドリフトをする直前の目線や沈黙とか、人が人と居ることで生まれる空気をうまく収めていると思う。
金子久美という女優さんの声が心地よい。
加瀬亮は好青年を演じることが多いけれど、こういう、狂気じみた、根暗で変な人間の役の方がいい演技をする気がする。
「アンテナ」のときにやった主人公の役もよかった。




2012年8月23日

むかしの自分の日記を読み返していて、それを書いていたときの空気の冷たさとか匂いとか、鮮明に思い出した。むしろ、思い出したというよりも、いま、そのときに戻ったような、まるでそのときに自分が居るような気がした。自分にもまだ思い出せることがあったのだと思って、泣きたくなった。




2012年8月18日



成田山にいた猫。
なんだかいい目つきをしていて、もこもこしている。ゆっくり歩いていた。
天ぷらみたいなしっぽをしていたよ。



2012年8月16日

行きの電車が一緒だった女の人と帰りの電車も一緒だった。




2012年8月14日

相変わらず、「はてな」からの記事をひとつずつ移動している。
そうすると、むかし書いた日記なんかを読んで、そのころあったいろいろな出来事や思っていたことをいやでも思い出す。大したことではないのだけれど、あのころは何か言葉を連ねているのがそれなりに面白く、今より熱心だったように思う。
とはいえ、言葉の選び方が変なところも結構あって、移動するときに直してしまおうかと思ったけれど、そのままいじらないでおくことにした。



日記を書くということ以外でも、自分はいろいろなことに鈍感になっているようで、未来に希望がないとこんなにも世界はぼやけて、体は良くなることなく、人との繋がりもなくしていく。



2012年8月11日

何度やってもインポートできないので、ひとつずつ「はてな」からコピーしている。
とっても地味な作業。
でもけっこうすきだよ。




2012年8月8日

日記1(はてな)
「はてな」の今までの日記、インポートができない。
ひとつずつ移動するしかないのかな。
丸5年くらい、毎日ではなくても書いていたので、時間かかるけれど。


日記2(花火)
帰りの電車のなか、どこかであがる花火が見えて、思い出は更新されないまま、もう何年たったのか。



2012年8月2日





2012年8月1日

はてなに広告が出るようになってしまった。かなしい。
使いやすかったからすきだった。

誰かも書いていたけれど、大したことではないことが多くても、それでも悲しかったり嬉しかったり怒ったり色々な気持ちで書いたものの下に、「ダイエット大成功!」とか「1日10分でデッサン上達!!」とかいう広告が出てくるのは哀しい。

さよなら、はてな。

twitterもfacebookもすぐやめたのは、はてなが好きだったからでした。

はてなフォトライフはまだしばらく続ける。



2012年7月24日

「作品」のページを更新しました。一番上の列に並んでいる3枚を追加しました。春に自分のウェブをリニューアルしてから4ヶ月ぶりの更新とい う。よかったら見てみてください。あと、遊びのページ(べつに遊べるわけではないのだけれど、ウェブのなかのどっかをクリックすると出てくるページ)も地味に更新しています。
http://www.geocities.jp/akibasisui/sakuhin_c.html




2012年7月18日

日記1(本)
この前、何か本を買おうと思って本屋に入り、そういえば前欲しかったんだよな、と思い出して、田辺聖子の「うたかた」を買った。この人の描く人物は、いつも清清しく人間くさく仕事は何であれまっとうに生きている空気が漂っていてすきだ。時代背景も自分がいちばんすきな、その時代に生きてみたかったと思う年代で、情景が目に浮かぶ。恋愛ものなんて読むのは久しぶりで、たまにはいいものだな、と思う。



日記2(夏)
夏はあっという間に終わればいい。自分には夏に未練は何もなく、冬が恋しい。とはいえ、夏の風物詩はけっこうすきで、蚊取り線香を入れる金魚の形をした陶器も持っているし、かき氷機だって持っている。でも早く終わればいい。



日記3(ホームページ)
更新しているのは、この「はてな」ぐらいで、自分のページのほうはあまりいじっていない。でもそろそろ、更新しないといけない気がしてきた。絵、すこしだけど載せてみます。誰か見ているのかな。全然わからないのだけれど。




2012年7月11日

いちいち腹の立つこと言いますね。



2012年7月10日

大学のころ映画サークルに入っていて、先輩の撮る映画の手伝いをしたりしていた。大学2年の12月に、サークルの人ではないけれど先輩が友人のためにバースデイビデオを撮るといって、徹夜で10分くらいの映像をつくった。

夜から撮影を初めて朝にもすこし撮って、夕方までに編集して夜その人に渡したという。その話が、引きこもりの二人の人間がその先輩の友人のためにプレゼントを買いにいくという話で、おそらく自分たちしか面白くないんだろうけれど、その突拍子も無いカットの撮り方とか、繋げ方とか、音楽を入れる場所とか台詞とか、自分は結構すきだった。

ほんとどうしようもない一日だったんだけれど、今ではそんなことできない。その映像で自分は引きこもりの役をやって、うまいと褒められた。大掃除のときにそのテープが出てきて、何年かぶりに見たのも、もう何年か前。



2012年7月7日

さよならの表情はどういうものかな。



2012年6月26日

「光が見える。」「やはり だれか いるようだ。」

月に一度だけ、すきな(欲しい)映画のDVDか本かCDを一枚買うという自分の中だけの決まり事がある。たまに破るけれど。
今月は、絵本 『ダーナ』を買った。ずっと欲しくて、でも結構高くて今までなかなか買えなかった。初めて読んだのは、大学1年のとき、授業の合間に行った図書館でだった。表紙のブルーの色がとても綺麗で、ふつうの青じゃないというか、ひんやりとしていて冬の日の夜明け前、とでもいうような。

この絵本を読んでいると、体の真ん中あたり、奥のほうを締め付けられる。
ダーナという星がある日壊れてしまったことや、それによってルポ氏の記憶がなくなってしまったであろうこと、向こうにある星の破片に誰かの気配が確かにあり、ルポ氏はそれに近づこうとぜんまい仕掛けの熊のコックと橋をつくっていること。内容はすこし淋しいものなのだけれど、そのたった一度図書館で読んだだけの絵本のことを、自分は今まで何年も、ことあるごとに思い出し、また手に取って読みたいと思っていた。だから届いた絵本をひらくとき、うれしかった。

この絵本と出会ってから、自分はムニエルがすきになったし、自分の絵にもセルリアンブルーを多く使うようになったのかもしれない。








2012年6月22日

ずっと撮りたかった人の写真を撮ることができて、これでもう大丈夫、と安心しているそばから、本当に写っているか不安になる、という夢を見た。そのカメラは、最後まで撮り終わってフィルムを巻くときに切れてしまうことがよくあるからで、それを心配している、という。夢の中で持っていたカメラは、実際に自分が持っている一眼レフだった。押し入れのケースの奥に仕舞ってある。また引っ張りだして、写真を撮ってみようか。



2012年6月20日

アロエは元気だ。花屋の店の人が今の時期はベランダに置くといいですよ、と言っていたので、昼間、部屋に居ない間はベランダに出して、夜戻ってきたら部屋に入れるようにしている。きのうは台風が来ることになっていたので、外には出さず、ずっと部屋の中に置いておいた。あまり水をやりすぎると弱ってしまうらしいので、買ってから水をあげていなかったのだけれど、きのう部屋に戻ってきたとき、なんだかアロエの色が薄くなっているように思えて、今朝は、水をあげてからベランダに出した。そしてさっきベランダから部屋に戻したアロエは、見違えるほど緑が濃くなって、元気になったようにみえる。水あげなくてごめんよ。植物も元気がいちばんだよ。



2012年6月19日

音楽が自分で作れたらどんなに楽しいかって思うこと、3日に1回くらいある。



2012年6月13日

花屋でアロエを買った。あと、ガーベラがあったので、一本だけ買って、部屋に花瓶がないから、飲み終わったサイダーの小さな空き瓶に生けた。ガーベラは水がすこしの方が長持ちすると店の人が言っていた。ガーベラはすきだよ。本当はいつでも部屋に飾っていたい。また今日もグリーンカレーにしようと思って、ココナッツミルクとかナンプラーとか買って帰ってきたのに、鶏肉を買い忘れたことに気づいて、また部屋を出た。外の空気は冷たく、Yシャツ一枚では寒いな、などと思いながら歩いた。夏をすきになろうとしたけれど、やっぱりあまりすきではない。ずっと冬のようでいい。「寒い寒い」と言いながら、はやく歩きたい。グリーンカレーはこの前よりもうまく出来た。


毎日何かしら、何年も前のことを思い出している。自分の地元は田舎だからけっこう星がよく見えるのだけれど、10年くらい前、幼なじみと夜空を見上げていたことがあった(なんでそんなことしたのかは憶えていない)。綺麗だとか何とか言いながら見ていたら、星と星の間をゆっくり流れる光が見えて、明らかに流れ星ではないし飛行機でもなかった。それで幼なじみが「あれは衛星だ。」とか何とか言って、自分は「そうだね」と返した。いま思えば衛星が あんな風に見えるものなのか疑わしいものだけれど、どうしてか今日はそれを思い出した。


忘れては思い出し、思い出してはまた忘れる。そんな世界に居る。



2012年6月12日

雨が降った。
雨が降りましたね。
手前にも奥にも、等しく雨が降りました。



2012年6月8日

恵比寿/waitingroom「Night Songs」。

5人の作家によるドローイングのグループ展。おのおの、制作する上でのドローイングの立ち位置というか、意味合いみたいなものがそれぞれ違っているようでおもしろかった。日記のような存在であるというひととか、作品をつくる前の段階のしるしであるというひととか、ドローイング自体が作品であるひととか。何を持ってドローイングと作品を分けるのかというと、これはかなり微妙な問題であると思うのだけれど、たぶんつくった本人が決めることなのだろうと思う。それで、森田さんのドローイングは相変わらずよくて、欲しい絵がいくつもあった(でももう売れてしまっていた)。森田さんの絵は、夢の世界のようで、現実のルールなどが存在していない(と自分は思っている)。少女がふわりと浮かんでいたり、頭に鳥がくっついていたりする。絵の中に登場している生き物とか植物とかは動きがあって、紙に描かれた世界には時間が流れていそうだ。それと、草がさらさらいう音とか風の音などが聞こえてきそうな気がする。メロディーではなく、音が。

部屋に帰ってきて、この前生まれて初めて食べたグリーンカレーが美味しかったので、自分でつくってみた。すこし辛すぎたけれど、美味しくできた。久しぶりに日記らしい日記。



2012年6月6日

学生の頃から同じ種類のクロッキー帳を使っていて、ドローイング描いたり、メモ書いたり、たまに、文字が並んでいたりする。白い紙に黒いボールペンで線を引くときの緊張感がすきで、一時期絵より文字ばかり書いていた。散文もあって、どうしようもないものばかりだけれど今度はてなフォトライフに載せてみようかな。



2012年6月5日

まさか会えるとは思わなかった。







2012年6月4日






2012年6月2日

夢の話を聞いて、「あ、いま誤解されたかな。」と思ったけれど、言い直せず、そのままにしてしまった。



2012年5月31日







え 。 く ち か ら で ま か せ 、 わ か っ て る 。 )




2012年5月28日

誰かと話がしたい部屋にひとり居てそんなことばかり考えて自分は屑だなと思うと同時に自分以外の人間は屑だと思っていてでも幸せになってほしい人もいるしこの世から消えて欲しい人もいるのは確か居なくなっちまえばいいこの世を一瞬で消す方法はという彼女の問題の答えは自分自身が消えてしまうことだったそれ ならいつでもできる今からすることもできる別れのときのさよならの表情はどんなものだろうか最後には何を残していこうか手紙を書くのはやめようか恥ずかしいことも言えるかもしれないな行きたい場所はたくさんあったブランドンが最後に居た場所にも行ってみたかったその場所の空はどんな色で空気はどんな匂いがするのか感じたかった日差しはどのくらい強く風はどこから吹くのか確かめたかったもう誰も居なくなったここに居ても意味はないし大してそうしていたくもな いならいっそ終わりにしようか毎日そんなことばかり考えていて何を言いたいのかも分からないし見たいものもないただひとりもう一度会いたい人が居るのだけれど自分にはどうすることもできないこんなに時間を元に戻したいと願うことはないひとりの屑のお陰でこんなことになってしまったそれ以外誰も悪くなかったあの人間さえ居なければもっとましな世界に居られたでもそれはもう帰ってこない今をよくすることはできないもう疲れた疲れた疲れた疲れた何もないんだよもう何も無い頭が痛いずっと続いている生きたくても生きられない人もいるというのは確かだけれどそれを言うのは意味がない僕は僕であなたはあなただそれを乗り越えられる術はたった一つででもここにはそれがない



2012年5月26日

「100年の孤独に耐えて待つ。」



2012年5月25日

いっそ、体をすてて、飛んでいってしまおうか。



2012年5月23日

「目の前に居るあいだは、忘れることができた。」



2012年5月19日






2012年5月18日

欲望は消えてなくなった。



2012年5月15日

淋しくなったら手紙を書く、という癖が治らない。



2012年5月8日

顔が治ったらさ、やりたいこといっぱいあるんだけどな。



2012年4月29日

外国の俳優ですきなのはケヴィン・ベーコンとスティーブ・ブシェミで、すきな女優はジョディ・フォスターとクロエ・セヴィニーです。他にもいろいろ、素敵なひとはたくさんいますが、この4人は無条件に、どんな映画に出ていてもすきです。特にケヴィン・ベーコンは人生で一番最初にすきになった俳優で、中でも「クイックシルバー」と「告発」はツートップです。前から兄弟で歌をうたっているのは知っていたけれど、この前はじめてその映像を見て、色んな国でたくさんライブをやっていることはそのときまで知りませんでした。アルバムを1枚買って、最近電車のなかでよく聴いています。楽器を演奏できたら、たのしいだろうな。


動画を探していたら、つい先日のライブ映像が見つかった。格好いい。





2012年4月27日

たしか高校生のころに見た、日本テレビの「スーパーテレビ」というドキュメンタリー番組で13歳の頃から25年間引きこもっている北村五朗さんのことを、自分はなぜか一年に何回か思い出す。正確には、北村さんの「何か、自分に役割があるというのは、うれしいことです。」と、体は向いているけれど話している相手の目を見ず、どこか違う方向を見ながら言っていた言葉を思い出す。あと、毎週決まった曜日に、父親が買ってくる鰻重弁当を、緑色の古い電子レンジで温めて、大きなスプーンで米粒ひとつ残さず綺麗に食べているところも強く印象に残っている。渋谷の高級住宅街の一軒家、降り積もった庭の雪を見るために雨戸を開ける北村さんは、ひとと接したくないというのではなく、おそらくむしろ、ひとが好きなんだろうなと思えた。あれから10年近く経って、北村さんは50歳くらいになっているはずで、いまは何をしているだろうか。元気だといいな。



2012年4月26日

この日記はだいたい夜中に書いていてさ、普段言わないことも言いそうになってさ、ここに書いてしまうのだけれど、朝になるとやっぱり恥ずかしくなって、消してしまうってことよくある。



2012年4月24日

古本屋で本を買いためてそれらが読み終わったらまた同じ店に行くことにしていて、冬にまとめて買った本はもうすぐ読み終わってしまうのだけれど、いらなくなったという本を何冊かもらったのでしばらく古本屋には行かない。



2012年4月23日

「僕が知っているのは、あの空が何色でできているかということです。」



2012年4月21日

吹けば消し飛びそうな歓びでも、それが必要で。



2012年4月20日

どういうわけか、ラブソングが聴きたくなった。



2012年4月19日









2012年4月18日

料理しているときに飲むオレンジジュースはなんておいしいのだろう。



2012年4月17日

「ひとがそれによって何らかの自分らしさがつくられていると思っているものはいくつかあるが、
それが一つずつなくなっていってもそんなものはたいした問題ではなくて、
やっぱり自分は相変わらずだと感じるようにできているのだと思う。」


「まだ少しも恋人のようになっていなくて、
それなのに住んでいるところの駅まで行ってしまうなんて自分でもずいぶん子供っぽいことをしていると思ったけれど、
会いたいと思うとテレや決まり悪さよりもからだがそっちに向かうようにできているからしょうがない。」(保坂和志「草の上の朝食」)




2012年4月16日

今日、電車に乗っているとき、何か音楽を聴きたいなと思い、久しぶりにスーパーカーのアルバムを聴いた。初期のころの「cream soda」とか「Lucky」という曲がわりとすきなのだけれど、何番目かに流れてきた「Planet」がとてもよく、繰り返ししばらく聴いていた。前はあまりすきではなかったのに、もう何年も聴いていなかったからか新鮮に感じて、今日の曇り空と春の空気と電車の揺れと融合して心地よい時間だった。

スーパーカーを聴くと、大学1年のころを思い出す。
映画サークルの先輩で、まだ自分が入部して間もないころ、色んな曲を入れたCDをよく焼いてきてくれた人がいて、そのなかにスーパーカーの曲も入っていた。あのひと、いま元気にしているかな。



2012年4月15日

今年もお花見はしなかった。桜の下にシートを敷いて、何か飲んだり食べたり、というお花見は、子供のころに一度したのが最後で、それ以来していない。公園や道路を散歩して桜を眺めるくらいでいつも終わる。毎年この時期に電車のなかから外を眺めていると、あそこにも桜の木があったんだな、と思う。

なんでもない話。でも毎日何かしら思うことはあって、それを書いている。




2012年4月12日

ホームページのこと。
自分がホームページを作ろうと思ったのは大学4年のはじめで、きっかけは知り合いのグループ展に参加していた別のひとのサイトを見て、「自分もこういう場所を持ちたい(作りたい)。」と思ったからという単純なものだった。それまでホームページの仕組みなんて意識したこともなく、そこから勉強というか知ることからはじめて、とりあえず初歩的な参考書と割と本格的な参考書を大学の生協で買い、どういうページにしたいかイメージしながら、ソフトを買う には高かったので結局買わず、テキストエディットで作れるならそれでいいや、むしろその方がいいということで、毎日のようにパソコンに向って夜な夜な作っていった。出来上がるまで4ヶ月くらいかかったと思う。途中どうしてもうまくいかないところが出てきて、参考書を読んでもさっぱり原因が分からず、大学のHさんのところに自分のノートパソコンを持っていって相談したりした。今なら何てことはない、どうしようもないくらい小さな原因だけれど、結局そのHさんのおかげで原因が分かり、そのときは「うまくいった!」と二人で声をあげたりもしたな。

うまくいっているときも楽しんでいるのだけれど、自分の思うようにいかない事柄にぶつかったとき、自分のイメージするページに近づけるために、ああでもないこうでもないといじっている時間はなかなか楽しい。そしてそれがうまくいったとき(実現できたとき)ひとり祝杯をあげるかのごとく嬉しくなり、ジンジャーエールで乾杯するのだ。自分はそういう単純な人間なんだな。

ホームページを作る工程は、建築、とはちょっと大袈裟な言い方だけれど、ある一つの部屋があって、その部屋のとなりにまた違う部屋を増築していく、という感じがする。そしてその部屋ごとに入口出口の数を増やしたり、つなげたり(時には遠く離れた部屋に繋がるドアを作ったり)していく。分かるかなあ、この感じ。

というわけで、今回はサーバーを移動するついでにページをリニューアルした。あまり変わってないところもあるけれど、前より画像を増やして、 入口に気づいてくれるかわからないけれど、遊びのページもつくった。作業している間はやはり楽しく、そろそろ終わりが見えてきて、公開する日(4月1日)が近づいてきたときは、なんとも言えない淋しい気持ちで、これは大学4年のときに初めてホームページを作ったときにも感じた気持ちだった。ともあれ、更新は頻繁にはしませんが、たまに覗いてもらえたら嬉しいです。




2012年4月6日









2012年4月1日

ホームページを移動しました。よろしくお願いします。
http://www.geocities.jp/akibasisui



2012年3月24日

「半分は独り言のようで残りの半分だけぼくに言うように言った。」



2012年3月21日

保坂和志の小説に出てくる主人公は、自分の中でいつも同じ人になる。現実の、自分の知っている(でも詳しいことはあまり分からない)人で、だから他の人が書いた本よりも、いつも、より鮮明に映像に変換されてしまう。たとえば主人公が猫に餌をあげる場面だとか、誰かと話していて、その相手のことを頭の中でああでもないこうでもないと考えている場面とかは、その自分の知り合いがそうしているような映像として頭に浮かんでくる。他人と時間を共有することに対して、変に無頓着というか、自分の生活に他人が入り込んでくることを強く拒むことがないところも、自分はそういうことが出来る人がうらやましい気持ちがあり、まさにそれはその知り合いのような人で、だから保坂和志の主人公にいつも自分は憧れている。



2012年3月13日







2012年3月8日

いい名前だね。




2012年3月6日

日記1(本)
保坂和志の本を久しぶりに読んでいる。「プレーンソング」、はじめのたった数行を読んで、この物語を読むことの歓びというか、いまこのタイミングで読み始めたことに歓びを感じた。



日記2(スーパー)
にんじんが見当たらなくて、結局買えなかった。




2012年3月5日









2012年3月4日

風邪はだいぶよくなってきた。気持ちがふさぎがちになりそうで、これはあまりよくないなと思い、車で蓮沼海岸に行ってきた。自分がいつもいくところは海岸沿いの展望台のある近くで、その横に大きな駐車場があるから、いつもそこに車を停めて海まで歩く。展望台の近くは、日曜日ということもあって家族連れがたくさん居た。初めて、この駐車場が満車に近い状態になっているのを見た。いつも平日に行っていたから気がつかなかったけれど、家族や恋人たち にとってここは結構な遊び場なんだろうな。これでは海も混んでいるかな、と思いながら歩いて行くと、全然人が居なくて驚いた。この日はあまり寒くなく、波はなかなか高いが風は強くなく、明るい曇り空で海も白く霞んで綺麗だった。いつもそうだけれど、しばらくボーっと海を眺めていた。何をするでもない。ただ歩いて、波の近くまで行ったり、またそこから離れて海を振り返ったりする。高校生の頃、自分は美術部で、毎日放課後の美術室にいた。高校2年の冬の日の部活中、休憩のときにストーブのそばに椅子を置いてそこに座り、ストーブの中で燃える火をずっと眺めていたら、「火って見てると落ち着くでしょ。」と先生が言って、そのときの記憶がなんだか強く残っている。自分にとっては海も同じで、いつまでも見ていられる。その理由が分かりそうで分からないのだけれど。今日はそろそろ帰ろうかな、と海に背を向けて歩き出したとき、この日はいつもより高かったからか、海からしばらく離れたところでも波の音が大きく聞こえて、いつもより耳の感覚、とうか耳の意味を強く感じた。


蓮沼はすきだ。
自分はいつも、ひとりぼっちであることを確認するために海へ行く。



2012年2月14日

久しぶりに風邪をひいた。喉の痛いのはすこしよくなった。そう思っていたら今度は鼻炎がひどくなってきた。鼻が、どうにかなりそうだ。ああ、これが目眩というのか、と実感。椅子に座っていてもふらふらする。頭がうまく働かず、言葉が思うように出てこない。今は部屋に帰ってきた。食欲がないので、りんごジュースを飲んで、薬を飲む。というのを繰り返している。



2012年2月8日









2012年2月5日









2012年2月2日

彼女からもらったCD。色んなアーティストの曲が入っている。なかでも気に入った曲があって、最近繰り返し聴いている。透き通った声の男の人のボーカルで、寒い日の帰り道に合う。この人の声、大学のころの先輩の声に似ていて、聴くたびに「あのひと今なにしているかな。元気にやっているかな。」 と思う。ただ、もらったCDは曲名もアーティスト名も入っていなくて、歌詞も憶えてしまうくらい何回も聴いているのにずっとどんな人たちが歌っているのか 分からなかった。それで今ふと思ったのだけれど、インターネットで歌詞を検索したら分かるのかな、と思ったら分かった。sleepy.abというバンドの歌だった。メンバーは札幌の人たちらしい。それで寒い日に聴くのが心地よいのだろうか。

話がすこしずれるけれど、こうやってふと思いついて調べてみただけだけれど、インターネットはすごいな。調べればどんなに些細なヒントでも、自分が欲しかった情報に辿り着くことができる(ことが多い)。虚しくなることも多々あるけれど。そして今日の話にみれば、彼女に、あの歌の題名は何て言うの、と尋ねる機会をひとつなくしてしまった。



2012年1月31日

旭の中央病院は改装が終わって綺麗になった。病棟からは海が見える。その左側、向こうの方には波崎にある風力発電の風車が何基も見える。自分が中学生のころ、ドライブで連れて行ってもらったことがあった。中学生ぐらいのときは、日常を逸脱する術をあまり知らず、かと言って不満みたいなものもなく、それが当たり前だと狭い世界で暮らしていた。でもその世界が自分のすべてで、その中でひとり遊びをした記憶もいい思い出だとおもう。だからたまにある遠出や見た映画が自分の中で今でも強い印象を残している。波崎の風車の下に行って、羽がぐるぐる、ブワンブワンと回る様子は迫力があった。それ以来一度も行っていなくて、子供のころの自分には遥か遠くの場所だったけれど、今ならひとりで行ける。こんど行ってみよう。



2012年1月27日

日記1(パソコン)
パソコンの調子が悪い。ディスクの読み込みができなくなってしまった。CDもDVDも。そうでなくても買い替えたいなーとも思っていたけれど、まだ使えるし、初めて自分で買ったパソコンだし、へんな愛着がある。



日記2(夜中)
夜中に飲み物を買いに行く。自分は酒を飲まない。買いに行くのはきまって炭酸のジュース。歌の歌詞にあった「飲み物を買いに行く」というのの「飲み物」とは、自分のなかではずっと、炭酸のジュースのことだと思っていた。麦茶かも知れないのにね。



日記3(松山千春)
千春にはいい歌がたくさんあるけれど、なかでも「銀の雨」「青春」がすきだ。去年、北海道に行ったとき、足寄に寄って、千春の実家に行ってきた。道に場所案内の看板が出ているくらいで、昔からファンが訪れている。






2012年1月24日

お正月にフジテレビでやっていた「さんタク」という番組はなかなか面白かった。「復活」をテーマに、病気やスランプから蘇った著名人の特集をしていた。それをなんとなく見ていたら、ミッキー・ロークが出てきて、嬉しかったなあ。ミッキー・ロークの復活といえば、「レスラー」の主演、ということ。また言うけれど、この映画はよかった。「さんタク」でもとり上げられていた、映画ラストにある試合前のランディのスピーチ、自分の人生とも被る台詞を、彼はどんな気持ちで言ったのだろう。






2012年1月20日

雨や雪が降ったり、朝陽がきれいだったり、面白い形の雲が現れたり、心地よい風が吹いたり、花が咲いたり、そういうものは人間が居なくなっても続いていくことなのだろうなと思う。誰に見られずとも、感動されずとも、記録されずとも、ただ、続いていくんだろうな。



2012年1月1日

あけましておめでとうございます。


今年は初日の出は見に行きませんでした。2011年の元旦に見た初日の出があまりにきれいで、これは何度も見に行くものじゃないのかもしれな いと思いました。しばらくあの一度きりの初日の出の記憶を、思い出しながらいきます。そのかわりといっては妙ですが、2011年の大晦日の日の入りを見に 行きました。初日の出と同じ蓮沼海岸に。冬の時期のこの海岸はすきです(夏は行ったことがないけれど)。ひとりぼっちであることを確認するために、自分は冬、たまにここに行きます。昨年は「はてな」をあまり更新しませんでした。twitterやfacebookにも手を出してみましたが、結局まめな性格でないので全体まんべんなく更新できず集中できませんでした。そこでどちらも止めて、自分はやっぱり「はてな」がすきだよ、ということでここだけは続けようと思います。




健康で穏やかな年になりますように。今年もよろしくお願いします。