2007年12月31日

今年もいろいろなことがありました。具体的なことは書けないけれど、嫌なことも忘れられないことも嬉しいことも感動したこともありました。初めての個展もしたし、色々忘れられない年になりそうです。あと、少し前の日記に書いた友人に、謝ることもできて、大切な人を失わずにすみました。


今、近所の神社で除夜の鐘が鳴っています。みなさん、良いお年を。



2007年12月30日

まだ暗いうちに出発して、友人たちと群馬県のハラミュージアムアークに「原美術館コレクション展」と「第8回牧場の想い出絵画コンクール」展を観に行った。車で出掛けたので、車中でスピッツやキンモクセイなどを聴いたり、みかんを食べたりして、ドライブ気分を味わった。ハラミュージアムアークは伊香保グリーン牧場の中にあって、素敵な場所だった。きっと春はもっと緑が鮮やかで綺麗なのだろうなあ。牧場内では時間ごとにさまざまなイベントがあるらしく、展覧会を見終わったあと、「うさぎのふれあい」というプログラムに参加した。人の膝に乗せられたうさぎはとても寒そうだったけれど、触るとふわふわとしていて、暖かい。他にも山羊や馬やポニーや牛や羊がいた。みんなやっぱり寒そう。


牧場をあとにして、うどん屋へ。いい値段だったけれど、他に店が見つからなかったし、凍える寒さだった(それもそのはず、雪が降っていた)ので、3人とも釜あげうどんを食した。そして伊香保温泉へ。体の芯まで温まる。というかのぼせる寸前まで入っていた。屋外の温泉の、顔にあたる冬の風が気持ちよかった。湯上がりにコーヒー牛乳を買って飲み(これが夢だった!)、この時点でまだ午後2時。


このまま真っ直ぐ帰宅するのももったいないということで、東京へ戻り六本木ヒルズの展望台へ登った。ついでに森美術館の「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展を観たけれど、イマイチ。展望台はいつも、ごちゃまんと人がいるのに、さすがに年末だからか人が少なかったように思う。「国会議事堂はどこだ。」とか「あの暗いところは青山霊園だ。」などと言いながら友人たちと見て回った。帰りに下北沢で夕飯を食べて家に帰った。



おそらく2007年トップ3に入るくらい内容が濃かった1日だと思う。計画を立ててくれた友人と、運転をしてくれた友人に感謝します。






2007年12月29日








2007年12月28日

5年ぶりの高校の友人たち。



2007年12月27日

千葉に帰っていた。


帰る前に、小山登美夫ギャラリー「タル・アール The Look」展、シュウゴアーツ「森村泰昌 荒ぶる神々の黄昏/なにものかへのレクイエム・其の弐」展などを観る。


千葉はとても寒く、それでも昼間は晴れていて清々しい青空だった。家のベランダで育っているバラの花とか、名前は分からないけれど綺麗な花が咲き始めていた。日曜日、佐倉市立美術館に「Chaosmos'07 さびしさと向きあって」展を観に行った。この企画の第1回目ほどの衝撃はなかったかなあ。あのとき観たサワヒラキさんの映像とか、ムラタ有子さんの絵とか、どれもあの頃の自分には新鮮だったから今でも憶えている。けれど今回初めて石田徹也さんの絵を生で観られたのはよかった。絵の前に立ったとき、他にも人は結構居たのに、自分とその絵だけになったような感覚になった。沈黙の中に居るような。最後の絵は(画集で見た時もそうだったのだけれど)、彼が見ている夢を見ているような気分がした。哀しそうだからとか楽しそうだからとか絵の描き方がどうだとかで絵を判断することは自分はできない。思考を吹っ飛ばして自分に繋がるものがある絵に惹かれる。「それだけ」になっている感じというか…。理由を言葉で表すのは難しいのだけれど。


久しぶりに千葉でゆっくりできた気がする。ラーメン屋に行ったり(麺楽という最高に美味しい店)、夜ベランダでぼーっとしたり、料理をしたり、車を運転したり。なんてことはない、千葉に居た頃よくしていたことをした。クリスマスの深夜、月の周りに大きな光の輪ができていたのを知っていますか。ああいう、人の力では作ることも壊すこともできないものを目の当たりにしたとき、自分にも何かに意味を作ることができるのではないかと思います。どこにもそんな確信はないけれど、大きなものに包まれると、昔から自分はそう思います。



2007年12月26日








2007年12月20日

ロイは自分の体を持たないがアーロンを守っている。アーロンに罵声を浴びせるが、彼を馬鹿にしたり脅したりする人間に牙を剥く。なぜなら守るために生まれてきたから。ロイはそのために生きている。


池のほとりをアーロンと歩いた。童顔なのに背が高い。足下には落ち葉がびっしりと敷き詰まっていて、歩くたびに乾いた音がする。道でないところを歩くので、たまに枯れ葉の中に靴が埋もれる。空は曇っていて、だからといって暗くなく、1枚めくれば日が射しそうな、明るい白色だ。なんとも空虚な、しかし希望にも満ちていると錯覚しそうな空だった。目的を持たず歩いていても、どこまでも行ける気がした。不意に哀しい気持ちになるのはなぜだろうか。きっと気づいているからだ。遠くに行くことができないことも、夜がもうじき始まるということも。「そろそろ引き返そうか。」といい声がする。不純物のない乾いた空気は、その声を真っ直ぐ耳に届ける。




2007年12月18日

夢の理想乗っけて壁叩く。昔どっかで聞いた音がしました。


黒点の光よ。



2007年12月17日

銀座/フタバ画廊「Futaba Gallery Presents  a lot of...年末小品展」、ギャラリー小柳「杉本博司 漏光」展、ガーディアンガーデン・クリエイションギャラリーG8「290人のクリエイターによるオリジナルカップ&ソーサー展 お茶にしませんか?」、日本橋/高島屋6階美術画廊X「天にかけて誓うな 山本直彰展」。


ギャラリー小柳に行ったら、いつもと違う雰囲気を感じた。すると奥から女の人が出てきて「今日はお休みなんですよ。」と言われてしまう。そのあとすぐに「でも、どうぞ、観ていってください。」と言ってもらえたので、体が縮まりそうになりながら観た。どおりで、一緒にエレベーターに乗ってきた男の人が少々不思議そうに自分を見ていたんだ。あの人は関係者だったのだ。作品というよりこの体験の方が、しばらくの間、頭に焼き付いていた。


カップ&ソーサー展では、あれだけの数のカップたちを1度に観るのが初めてで、また、それぞれの作者さんのアイデアだったり、メッセージみたいなものがさまざまで見応えがあった。服部一成さんの野球のカップ&ソーサーがシンプルだけれど楽しくてよかったなあ。そういえば、自分は、食器などキッチンに関係するものが好きで、たとえばティーカップとかクッキーの型を見ると欲しくなってしまう。一人暮らしだからそんなに数は必要ないのだけれど。



2007年12月16日

夢の中で理想の家に住んでいた。




2007年12月15日

自分としたことが…。おとといはブシェミの誕生日だったではないか。すっかり忘れていた。何歳になったのかなあ。ところで、スティーブ・ブシェミの良さが最も引き出されているのはやはり「ゴースト・ワールド」だと思う。ダサいけれど、趣味が抜群に良くて、正直者で、ふとしたときに色気がある。つまり最高にかっこいい。この映画を初めて見たとき、「何もできやしない。」と言うイーニドに対して「何がしたい?」と訊くシーモア(ブシェミ)の目が、恥ずかしくなるほどショックだった。


部屋に帰ってテレビをつけたら、フィギュアスケートがやっていてた。キム・ヨナは綺麗な人だなあと思う。滑っているときの身のこなしや姿勢もそうだけれど、話している時の表情が魅力的だった。




2007年12月13日

知人に誘われて、「カブールの幽霊 in 下町(谷中、根津、千駄木)リレー展」(2008年1月)のためのお手伝いをした。Like Water Pressというところが主催をしている。カブールの子供たちを対象に行われた聞き取り調査の2つの報告、「最も怖いと思うこと」「最も嫌だと思うこと」の1位がともに「幽霊」だったということで、子供たちにその幽霊の絵を描いてもらい、集まった絵はおよそ500点。中には初めて絵を描いた子供たちもいたそうだ。自分と知人は、子供たちのその絵を缶バッヂにする作業をした。本当に様々な絵があって、どれも本当にいい。絵だった。色も形も自由で、そこにはなんのルールもなかった。


この展覧会は、谷中・根津・千駄木(谷根津)界隈のギャラリーやショップやカフェにて、それぞれ違った趣向の内容になっているそうです。
詳しいお知らせはこちらhttp://www.likewater-press.org




2007年12月12日

品川/原美術館「ピピロッティ リスト:からから」展、目黒/目黒区美術館「目黒の新進作家ー七人の作家、7つの表現」展、目黒駅近くの Kaffe Eins「ワタベテッサン ルールル巡航速度」、初台/東京オペラシティアートギャラリー「北欧モダン デザイン&クラフト」展。


原美術館は好きだ。あの建物の感じ、広さと、庭がいい。勝手だけれど、リストは自分の中で典型的な女性芸術家というイメージがある。性を露にするところなんて特に。好みの話で言うと、そういうのは、あまり好きではない。自分とはまた違う位置に居る人だと思う。いいとか悪いとかではなくて。印象に残ったのは、入り口正面にある映像作品だった。壁に寄りかかって眺めていたら、登場人物の体内に入るような場面では、例えるとジェットコースターで最初の急降下をする直前のような、あるいは悪い夢のような、体の奥がグラグラ揺れる感覚になった。帰りにミュージアムショップに寄ってガチャガチャをしたら商品が出て来なくて、お店の人に言ったら「上からひとつ取ってもらえますか。」と言われひとつ選んで取った。勇気を出してガチャガチャ回したのに。1年くらい前に違う美術館でしたときも、商品は出て来なかった。そういう星のもとなのか。あと、来年のカレンダーを買った。壁掛けできる縦長の、場所を取らないやつ。


目黒の Kaffe Eins はノスタルジックな趣のある喫茶店。コーヒーとチーズケーキを食べて休憩した。ワタベテッサンさんの絵は、もう何度か展覧会で観ている。何かははっきりしないけれど、今回の絵を見て何かが変わったような気がする。でもいつも感じるのは、この人はきっと自分のスピードを分かっている人なのではないかな、ということ。話したことないから分からないけれど。そして、人の描き方がおもしろいなあと思う。


「北欧モダン」展に並ぶ食器や家具たちは、まさにデザインが貫かれているものが多かった。見た目の美しさと機能性を兼ね備えたものがたくさんあって、生活の中にこういったものたちが自然に存在しているなんて、北欧の人たちはなんて贅沢なんだ。日本にもそういうものは確かにあるけれど、現代の、日本人の、しかも自分からすると、身近ではないから。そのまま持って帰りたくなるような食器がいくつかあった。


帰りに、吉祥寺バウスシアターで「ファンタステッィック!チェコアニメ映画祭」のアニマルプログラムを観た。チェコアニメを観たのはいつぶりだろうか。随分前に人形劇の不思議の国のアリスを観たような…。全体を通して、いわゆるいい奴がいとも簡単に死んでしまったり、善は善で悪は悪という関係になっていないというか。でも別に悲惨や複雑に描いているわけでもなくて、そういうこともある、みたいな感じがよかった。あるお話に出てくる、仲間はずれにされていたウサギが可愛かった。




2007年12月11日

最近観た映画(DVD)「アメリカンヒストリーX」「ミスティックリバー」「レッド・ドラゴン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」。ほとんどサスペンスものだ。


「アメリカンヒストリーX」は、何度もあるわけではないのだけれど、暴力シーンの描写がちょっと目を逸らしたくなるようなもので、喉の奥の方が締め付けられるような気持ちになった。悲しいとか素晴らしいとか簡単に言えるような映画ではないようなきがする。誰が観ても考えてしまうところがあるのではないかな。印象的だったのは、白人のデレクと黒人の男が天井近くまで積まれた洗濯物の中で作業しているシーンだった。部屋にはシーツと2人しか居なくて。映画全体的に、モノクロの効果がよく出ていると思う。
(少し前に見た「ハンニバル・ライジング」とあわせると)ハンニバルシリーズはすべて、前にもそれぞれ観たことはあったのだけれど、話の時間順に観たのは初めてだった。トマス・ハリスの原作を読んでみたくなった。「ハンニバル」の後はさすがにもう映画にならないのかな。少し観てみたい気もする。ジュリアン・ムーアは美しくて、グッチのドレスも似合うけれど、やっぱりクラリス役はジョディ・フォスターがいいなあ。あの人は賢くて集中力のある顔をしてる。



2007年12月10日

(写真)



2007年12月9日








2007年12月8日

部屋に帰ってきて、すこし寝てしまい、変な時間に目が覚めた。いつの間にか雨は止んでいたみたい。しなくちゃいけないことがいくつかあるけれど、何もやる気がしない。いまは朝の5時で、朝なのに外は暗くて、自分はジンジャーエールを飲んでいる。




2007年12月7日

髪を切った。少し。美容院で髪を切ったのは何ヶ月ぶりだろうか。


そのあと、和光大学B303アトリエの「SUMISEMI PROJECT-6鷲見ゼミプロジェクト 2007 <ペノーネの方へ>」を観に行った(同時開催されている「アンデポンタン Art Week in Wako」は、昼間の方がよさそうなので別の日にする)。去年のプロジェクトでは山中信夫を取り上げて、自分もゼミ員としてすこし参加していたので、大学を卒業して、一観客として展示をみるのは今年が初めてだった。最近までジュゼッペ・ペノーネという作家は名前を聞いたことがある程度で、どういう作家かはよく知らなかったのだけれど、9月に行ったヴェネチア・ビエンナーレで生に作品を観ることができた。莫大な数の作品が展示されている中でも、印象に強く残っている作家のひとりだ。ペノーネの作品でいくつかあった中でも、大きな角材がある部分をくり抜かれた状態で横たわっているという作品は、一見すると、本来あるべき姿(樹木)からそこまで掛け離れていないような気もするけれど、やはりそこには不自然さが漂っていると感じた。それがいいと思った。その着かず離れずの本当に微妙な感じが。的を得ているのか不安だけれど。自分はいつも的外れなことを言ってしまうから…。しかしまあ、とりあえずその負い目は置いておいて、やはり自分はその微妙さに反応し、そしてそれは自分が絵を描くときにも意識していることだと思う。あえてそうしようとしているわけではないと思うけれど、自分の描いた絵は、どっち着かずな、観る人を(たぶん自分のことも)はぐらかすような節がある。あるいはそういう方向に絵が向かっているというか近づいていくというか…。自分のことについてはまた別の日に書くとして、とにかく、ペノーネの作品をゼミ生が考察して、それに関係した事柄(同時に展示されている鉛筆の芯だけ残して木の部分を削っていくとか、木と触れ合うこととか、凸と凹のこととか)を体験して、実際にペノーネの作品に似たようなことをやってみて、そうしてできたものを展示するということは、自分の制作にも還元できるような要素があるかも知れないし、単純に、ペノーネを知らなかった人たちにその存在を教えるという意味もあるかも知れない。あとは、こういう一連の流れは、個人でやるよりも多人数でやることによって、スケールが大きくなるし、ひとりでは見出せないものも見えるかもしれない。作品に関わることだけでなく、人間関係も。つまり、自分はそういうことをぼんやり考えたりしながら展示を観ていた。幸い自分しか部屋にいなかったので、しばらくそこに居て何かを考えていた。


展覧会をじっくり見たのは久しぶりだったかな。そのためか、髪を切ったからというのもあるかも知れないけれど、なんだか、本当に少しだけ、気持ちが軽くなったというか。自分も、何かできるような気がして。何かは分からないのだけれど、何かできるようなきがして。


帰り道に聴いていたのはeuphoriaというバンドの「fairytale  landscape」という音楽。このバンドを知ったきっかけは友人の紹介で、自分は、その友人にひどいことをしてしまったのではないかと思っていて、でも何もできずにいる(もしかしたらしていないだけかも)。昔、ある他人に対して、言わなくていいことを言うのは言った本人がそれを言うことによって楽になりたいからだ、と言ったことがある。だから自分はそれを許さなかった。けれど今ここにこうして、自分が日記に書いているようなことは、まさに自分が楽になりたいからなのかも知れない。それはよくないと、何度も言っているのに。




2007年12月6日








2007年12月5日

信濃町の銀杏並木を初めて見に行った。そしてその下を歩いた。人がたくさんいて、車もたくさん走っていた。そのあと東京タワーに行った。そしてそれに登った。修学旅行らしき学生たちがたくさんいた。夜景を見るのは、いつも複雑な気持ちになるのだけれど(こんなに電気を使っていて大丈夫なのかなあとか、なんでこんなに狭苦しいところなのかなあとか、高いところに登って街を見下ろすことはどういうことなのかなあとか、いろいろ考えてしまって)、そういう間もいろんな色の光の集合体が下の方に広がっている。遠くの方に目をやると、東京湾のむこうに小さな光の粒が連なっている。それは水平線に沿っているわけで、まるで空と海の境目にネックレスみたいなものが1本置いてあるように見える。そしてそれは千葉の景色である。すぐ近くにばらまかれたような光よりも、自分は、夜だから黒くなってまるでぽかんと穴があいているような海と空の間に、目を凝らさないと見えないような、けれどもちゃんと在る、その、光の粒をずっと見ていた。野暮なことかも知れないけれど、敢えて言うと、森山晶さんの絵のようだった。




2007年12月4日








2007年12月3日

何もしない日もあるさ。




2007年12月2日

暗闇の中でバッグの中の鍵を探す。それは手の感覚に頼るしかない行為で、自分にとって絵は、そういう感じだと思う。




2007年12月1日

鎌倉に行った。特に用事があったわけではないけれど、小町通りのお店にいろいろ入ったり、路地裏で写真を撮ったりした。昨日の天気とは打って変わって青空が広がり、紅葉とのコントラストが綺麗だった。鎌倉に行ったときには必ず寄る喫茶店に最後入った。そこでは古い食器やらアクセサリーやら布やら電話などが売っていて、中でもそれらが並んでいる棚が欲しくなった。それはかなり古そうで色合いもよく大きさも丁度よくて1万円から2万円くらいのものがいくつかあった。結構考えてしまう値段だけれど、あれはいい棚だなあと思う。




2007年11月30日

今日で11月が終わり。夏が終わって気温が下がり始めると、あっという間に年末になる。
今日は代官山ヒルサイドフォーラムにシェル美術大賞展を観に行った。はっとする作品はなく(まあ確かに、そうそうそのような作品があるわけではないと思うのだけれど)、予想を裏切らない内容。そして代官山という街は落ち着かない。なんなのだろう、あの居心地の悪さは。シェルの展覧会を観る意外行くことがない。つまり1年に1度しか訪れない街。どうでもいいことだけれど。




2007年11月28日

ひとりで居ることに慣れているとは思えない。しかし人と一緒に居ることはできない。ならばどうすればいいのだろう。何をどうしたら、もっと、生きやすくなるのだろう。頭が少し痛い。いまのところ時間はある。このまま朝がくる前に抜け出して、電車に乗ってしまおうか。そんなことをする勇気も力もないだろう。言葉はひとつしか話せない、身を守れるわけでもない、何ができると言うのか。少しは前に進んでいると思っていたのに、実際は円の上を何周もしているだけだったのだ。終わりもなければ始まりもない。本当のことしか言いたくないと誓っているのに、無神経になれるほど強くない。アーロン。素直すぎると誰かが言っていた。それでも嘘のつき方を知っている。何ができるというのだ。ふざけた連中は今夜ものうのうと眠っているというのに。頭が悪いのは知っている。賢くない。文字は読めるけれど、本は読めない。この意味が分かるだろうか。何かが破綻する音がした。確かに聞こえた。嘘つきは許さない。許さない。頭が痛い。父親について聞かれたアーロンは、あいつはよくない、とだけ言ってそれきりだった。アーロンはどこに行ってしまったのか。呼んでも返事がない。彼は紅茶ばかり飲む。自分はコーヒーばかり飲む。最後に話したのはいつだっただろうか。いや、話したのではなく独り言だったのかも知れない。彼のカップがきれいだった。部屋へ向かう帰り道、見上げた空に、そのまま滲んで消えてしまいそうな星がひとつだけあったのだ。世界はなんと美しいのだろう!なんと素晴らしいことか!そのとき全てが自由なんだと分かったよ!世界は終わる!このふざけた世界をつくり直そう!必要なものを持って行こう!本とベッドとキッチンと何枚かの写真と紙とペン。アーロン。もうすぐ会えるんだ。狭いアパートにも窓がある。そこで植物を育てよう。名前は知らないから、自分たちでつけよう。嘘を言ったな!許さない!機会なんてものはないんだ!嘘つきは許さない!すべてのことを憶えている。黒いシャツとベージュのズボンだ。あの街にはもう行かない。近づかない。夜が来る。朝は来るかも知れない。初めて音で景色が見えた。空が何色でできているか知っていると言った彼は、無表情だった。アーロンには何があったのか。自分には何があったのか。何が。つまり自分でなくなる必要があるということで、そうするにはどうしたらいいのか。もう1人。ロイ。ああ、底に居るということで、だからこんなにも静かなのだ。虫の声も聞こえない。そういえば昨日、虫を殺してしまった。自分からそうしたのか、偶然そうなったのか、笑い話にもならない告白だ。次から次へと問題は出てくる。なにをどう動かせば、もっと、生きやすくなるのだろうか。ロイは力を持っている。すぐ人を殴る。汚い言葉を吐く。守るために生まれてきた。それだけ。政治家は同じ顔をしている。自分がどこから来たのか。言葉をひとつしか知らない。アーロン。頭が痛い。すこし疲れた。明日は雨が降るんだ。こんなに冷えているからきっとそうだ。何をどこに持って行けばいいのか。よくもくだらない話をしてくれたな!耳を傾けた自分に反吐が出るさ!許さない!こっちを見ろ!許していない!どこに行けば会えるだろうか。それが分からない。生まれる前からずっと分からない。




2007年11月27日

大きな代償を払って時間を手に入れた。




2007年11月26日

話し方が少し変だからと言う。そんなことは気にしないでいいと言い返す。自分は政治家の演説や歌手の歌声や小説家の文章が欲しいのではない。



2007年11月24日

この日記にもたまに出てくる自分が言う「どうでもいい」こととは、無関係の、存在しなくていいものという意味ではなくて、一旦自分の性格や能力や環境を通して改めてそれを見たときに、今の自分にはそれほど大切でない、抱えている必要がない、あるいはそうしたくないもの(実物や考え方など)、という意味だと思う。そしてそれは、必要になる可能性をおおく含んだものでもある、と。自分の中にあるこの感覚をことばにするのならば、これが1番妥当な言葉の並びだと思う。




2007年11月23日

アーロンは図書室で働いている。なるべく他人と一緒にならない作業を周りの連中が選んだのだ。しかし彼は本が好きだったのでゆっくりとしたその仕事を楽しんでいるようにも見えた。貸し借りを受け付けする間も、カウンターで本を読むことができるし、何より本が好きだった。彼はその日に読み終わった本を、机の隅に重ねていく。その手つきはとても慎重で、角をぴったりと合わせた。




2007年11月19日

「消灯時間から1時間経ったら、庭のクレーターで待ち合わせしよう。」というメモを渡されて、ベッドの中で寝たふりをしている自分は、その時を待っていた。夜は冷えるのだけれど、パジャマの上から1枚上着を羽織っただけで、あとは、返す本を持って部屋を抜け出した。まだ見回りが来ないうちに。誰にも見つからないように。庭には奇妙な形をした遊具が点在していて、クレーターはそれらの中心にある。その窪みに入ってしまえば、建物からの死角になるからいつもそこで待ち合わせをする。歩いてクレーターに着くと、アーロンは頭以外を毛布にすっぽり包んで座っていた。声を掛けると毛布を半分貸してくれた。


肌が白い、目が茶色い、髪が茶色い、いい声。自分が知っているのはそのくらいで、あとは季節の話や天気の話や、今日の食事の話をする。たまに笑ったりして、黙る。あとは寝転がって月や星や雲を見る。それについて話して、黙る。友達だから、それでいい。けれどそういう間に、ここを本当に抜け出したらどうなるのだろう、と考えたりしている。でも言わない。アーロンも、言わない。


先週の日曜日、街に行ったとき買ったものを渡した。2つ買ったうちの1つを。本を貸してくれたお返しに。それは木で作ってある小さな置物で、鳥の形をしている。何の鳥かはよく分からないのだけれど、ポケットに入れていられるし、白くてきれいだったから。アーロンはまたいい声で、小さくお礼を言った。




2007年11月18日

雪が谷大塚、小島びじゅつ室「山本まり子 むきあうこと」展。
東急池上線には初めて乗ったのではなかろうか。電車の座席が、3人あるいは4人掛けに区切られていた。初めての土地はいつも少し戸惑う。いや、何回行っても慣れない土地も多いのだけれど。そして会場に行くまでに少し迷った。同じ通りを行ったり来たり。地図を見るのは得意なのに。山本さんの作品は、それに向かう山本さんの姿勢が見て取れるようなものだった。つまり、真摯に向き合っているというか。それ故タイトルにもなんとなく納得する。会場には自分しか居なくて、小さな1人掛けのソファーがあったので、そこに座ってしばらく居た。作品を眺めたり、全然関係のない個人的なことを考えたりもした。作品の中で印象的だったのは、缶詰の中に入っている石けんくらいの大きさの小さな作品(文字では説明しづらいのだけれど)。ひっそりと、けれども存在感があった。


帰り道。いろいろと今よりもよくなればいいなあと考えながら歩いた。しかし、それは自然とどうにかなるものではなく、自分の腕次第というか。自分が楽しむ、また納得するという事柄を増やすこと。他のことは当分、どこか遠くにやってしまうだろう。でも、そのまま、になるのは本当は怖い。




2007年11月17日

清澄白河、小山登美夫ギャラリー「シュテファン・バルケンホール展」、シュウゴアーツ「池田光弘 宙を繋ぐ」展、Taka Ishii ギャラリー「トーマス・デマンド」展、hiromi yoshii「ヴィディア・ガスタルドン|Healing Boom」展「Yosuke Bandai|reunion」展、zenshi「村住知也 視力を失った夢」展、など。


バルケンホールはやっぱり好きだ。2年前に観たオペラシティアートギャラリーでの展示ほど衝撃はなかったのだけれど(それは当然かも知れない。あのとき初めてバルケンホールの作品を観たわけで、今回は2回目なのだから。新鮮さという意味では、初めてにかなうものはないだろう)、あの普通の人たちを、愛すべきものとして変換できてしまうのは、なかなかできることではないと思う。そして自分にはそういうことをする力がないということを痛感する。
トーマス・デマンドのわざわざすべての被写体を紙で作って、展示するのは写真だけというやり方は、ちょっと地味で好きだ。以前の近美での展示でもそういう印象を持ったので、憶えていた。ただ、ギャラリーに置いてあった紹介文に「政治的訴えの…」というような内容の文章があって、そういうのはいまいち分からない。自分はただ作品を見ていいなあと思ったけれど、そういう政治的なんたらかんたらみたいな話が出てくると分からなくなる。


歩いていても寒くなってきた。夜は吐く息が白くなった。


最近観た映画(DVD)、「真実の行方」「スコア」。
「真実の行方」は、教会のミサの手伝いをしている少年が、その大司教の殺人容疑で裁判にかけられるという話。中学生くらいのときに観た映画で、ずっと忘れられない映画だった。この結末が、とても強い印象を残した。若い頃のエドワード・ノートンが出ていて、半端無くいい俳優だと改めて痛感する。それを観て自分の身動きが取れなくなるようなシーンがある。
「スコア」は賊の話。金庫を破って宝物を盗むという内容で、この映画を観て気づいたのだけれど、最近の映画は必ずと言っていい程、劇中で登場人物の誰かが死ぬ、あるいは不特定多数の役柄もない人物たちが死ぬ。でも、この話の中では誰も死なない。その上ハラハラする。誰の命も奪わないで盗むわけだから、その行為が成功するかどうかに集中するからだろうか。そして主演ではないけれど、この映画にもエドワード・ノートンが出ている。「真実の行方」同様、頭のきれる役が向いている俳優だなあと思う。




2007年11月11日

しばらく絵を描いていない。




2007年11月10日

銀座、フタバ画廊「辻由佳里展」、ギャラリー小柳「マラブ・太陽 野口里佳」展、ギャラリー山口「賢尻展TakashiP Exhibition」、など。「マラブ・太陽」は、ギャラリー小柳のWEBに載っている作品の写真を見ていて、人を写した作品の展示だと思っていたのだけれど、実は写真にうつっているのは人ではなく鳥(?)だった。でもそれがなんとなく人に見えるような、鳥離れした鳥…みたいな。夢の中の景色を見ている気分になった。少なくとも自分は、夢の中で、あの写真のように視界がそんなにはっきりしなくて、中心から遠くなるにつれて黒くなっているから。古い映画のような。


G8やガーディアンガーデンは土曜日は休みだった。これらは展覧会によって休みの日が変わるんだった。おかげでたくさん歩いた。雨が降っていたから寒かった。




2007年11月9日

眠れない。眠いのに。雨が地面に落ちる音が聞こえる。たき火の音に似ているかも知れない。
ぼんやり考える、イケムラレイコの絵を。彼女の絵が1枚あったら、この部屋は素敵になると思う。




2007年11月8日

バッカスというチョコレートがおいしい。チョコの中にお酒(ブランデー?)が入っている。自分はお酒がどうしようもなく苦手なのだけれど、これだけは唯一、自分から進んで口にしてしまう。まあ、ただのお菓子なのだけれど…。最近寒いから、夜の帰り道、これを食べると心なしか体が温まる。正確には、喉の奥のほう。



2007年11月7日

イケムラレイコの絵は、色が光っているように見える。ただの絵具なのに。
暗闇の中に浮かび上がるような線や女の子たちの姿は、悪い夢のようにも思えるし、秘密の楽園のようにも思える。




2007年11月6日

眠れず、考えていたら腹が立ってきた。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。


そこから見下したつもりだな。言葉で責める方法を心得ているようだな。そしてそれしか知らないんだ。愚鈍だ。今すぐ消えろ。船から降りたらすぐに。莫大な数の回線の海を、この文章も流れていくのだ。ようこそ、汚物の海へ。もう顔も憶えていない。タラララルラララ。スリーツーワン・ドカン。こっちはそっちを置いていくだけだ。


うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。 すべてを知っているような口調だった。あれもこれも全部。




2007年11月5日

今読んでいるのは青木淳吾の「四十日と四十夜のメルヘン」。ずいぶん前から手元にあったのに読んでいなかった。


テレビをつけるとつまらない番組しかやっていない。ニュース番組ですら、演出などに凝りすぎてよく分からないものになっている。昔からこうだったのだろうか。キャスターの横にCGで画面が大きく出てきたり、ニュースの渦中の人物があたかもそこに居るかのように等身大のCGが施されたり、どうでもいい技術ばかり。あとは内容。どうでもいいことばかり。新聞を取っていないので、どんな番組が毎日やっているのかよく分からない。先日はバレーボールを見ていた。中学の頃バレーボールをやっていたから、スポーツの中でルールが分かるのは唯一これだけだ。6、7年前と比べたら、チーム全体の力は上がっているように見えた(以前は本当に限られた選手の力だけが目立って、チームプレーになっていなかったような気が)。にしても今一歩及ばないのはなんなんだろう、始まる前から今日の相手なら負けるなというのが分かる。日本はそういうチームだ。それはもうずっと前からそう。


上に書いた、青木淳吾の小説の中で、主人公の「わたし」が自らが住むアパートの住人についていろいろ考えたり想像したりするのだけれど、それは自分にも当てはまる。自分の隣りの部屋に住んでいる女の人は、ステレオによって目覚める方法を用いているらしく、朝方5時くらいに大音量でチャゲ&飛鳥の音楽が流れてくる。歌詞が鮮明に聞こえてくるほどだ。アパートは古いので、大きな物音とかは簡単に壁を通ってしまうのに、平日は遠慮なく行使してくる。もちろんこっちとしては、チャゲ&飛鳥などには興味がないのだけれど。でも自分はそれを何年も放っている。自分が眠っている時ならべつに構わないし、寝付けなくて起きているにしても、なんとなく放っている。朝方5時から15分間くらいだからと思って。しかしもし、自分がある日、苦情を告げたらどうなるのだろう。彼女はおとなしく目覚まし時計を用いるようになるのか、音量を少し下げるなどの抵抗策を出してくるのか。はたまた違う歌手の歌を使うのか。




2007年11月4日

バイトのあと。初台、ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)「坂本龍一+高谷史郎|LIFE-fluid,invisible,inaudible…」など。




2007年11月3日

夜、火星を見た。




2007年11月2日

もうそろそろ、いろいろなことを忘れようかと思っている。
自分は、そういうやり方でしか前に進むことを知らない。あるいは進めない。
それを頼りによろよろと歩いていたけれど、本当の、ひとりぼっちになってみようかと思っている。




2007年11月1日

バイトのあと、渋谷にライブを見に行った。
渋谷は大嫌いだ。自分の身を守ることができない。人の氾濫から、音の洪水から、悪意ある他人の行動から。でも目的があったから、そのために全てを無視して歩いた。


音楽は好きだ。自分の場合、今までに聴いたことのある音楽にかなりの偏りがあるのだけれど、自分にはそういう音楽が必要だ。毎日をただ過ごす中でも、苦しいことや耐えられないことがあったときも、自分の中には音楽が流れている。そういうものを、自分のメロディーで奏でられる人たちを、尊敬してしまう(もちろん、それの好き嫌いはあるけれど)。今回見た人たちからは、静かなものと、熱いエネルギーを同時に感じた。自分は、そういう一見相反するものがひとつのものの中に存在しているということに、常日頃、興味があったり気にしていたりするので、彼らの演奏を見て、それを感じたのは、少々衝撃だったかな。印象的だったのは、最後に挨拶をした人が、一生懸命何かを言おうとしている姿。自分はそれをじっと目を凝らして聞いていた。


それと、今日でこの秋葉シスイのサイトは1周年です。
更新がゆっくり(非常に!)ですけれど、気ままにやっていくので、今年もよろしくお願いいたします。




2007年10月30日

渋谷、渋谷区立松濤美術館「Great Ukiyo-e Masters 春信、歌麿、北斎、広重」展。青山、Gallery5610「服部一成展 視覚伝達」。


どちらも、初めて行った場所だった。松濤美術館の展示の方は、予想以上によかった。普段(というか今まで)、日本画や浮世絵には大して興味を持っていなかったというか、あえて見るということはしていなかったのだけれど、なぜだかこの展覧会だけは、見に行こうと決めていた。しかし、ちょうど数日前にすべての作品の展示替えがされたらしく、替わる前のも見たかったと今更ながら思う。くやしい。作品数もそんなに多くないし、ゆっくりと見られた。そしてなにより、改めて、「線の美しさ」に気づいた。どの作品も見応えがあって、時代背景とか構図とかに関してはよく分からないけれど、とにかく色の美しさと線の美しさ、それに尽きた。どうしようかと本当に迷いに迷ったあげく、カタログを買った。迷ったのは、金額についてもそうだけれど、やっぱりカタログに載っているのは絵ではなくて写真な訳で(当たり前だ)。特に今回のような版画の作品なんかは、紙に、刷ったときに加わった力によって版の凹凸とかがついていて、それがとても美しかったりするから、それを写真でというのには限界があるわけで。それと、実際に見たときに感じた衝撃が薄れる、あるいは変化してしまうのではないかと、なんやかんやと考えてしまって。でも、カタログ自体がよくできていた。過剰な演出とか説明がないし、図版がほとんど。しかもページのデザインがかっこいい。紙の質もいい。1冊の本として成り立っていると思う。ということで結局買いました。


服部一成さんは、グラフィックデザイナーと称される人たちの中で、自分がはじめて知った人物だと思う。非常に勝手な意見だけれど、なんだか、いろいろな意味で思い出深い人となってしまった。服部さんの名前を知ってから、くるりのCDのジャケットをデザインした人だということを知った。
Gallery5610は上にも書いたとおり、初めて行った。地図を持たないまま、部屋を出てしまったものだから、駅からたどり着くまでにえらい時間がかかり、通りを1本間違えたことに始まり道に迷って、40分近く(!)歩いていた。やっとの思いでギャラリーに着いたら、迷っている間にそこの前を通っていたことに気づいて、自分が不甲斐なく思えた。ともあれ、初めて目の前で見る服部さんの作品(ポスター)は、色や線が洗練されているという印象をもった。あと、それらが組み合わさってできる形の面白さ。無機質のようだけれど、心地よかった。欲しいと思ったポスターは売り切れてしまっていたので、かわりにパンフレットを買った。とても薄くてデリケートな冊子なので、帰りの電車の中でも潰れたりしないように慎重に持って帰った。


振り返ると、今日は、線と色をたくさん見た日だった。




2007年10月29日

電車に乗ってきた男の子は白いシャツを着ていた。ズボンのポケットに財布を入れて、手には本を1冊持っていた。荷物はそれだけで、たまに外の景色を眺めながら本を読んでいた。



2007年10月28日

夜、江ノ島にある展望台に登って、町並みの景色とは反対側に回る。すると、恐ろしいほどの暗闇の海と空。この世で本当に怖いのは、こういう、自分の力ではどうすることもできない自然のありのままの姿を目の当たりにしてしまったときだと思う。登ったのはもう随分と前の話。けれどあの暗闇ははっきりと憶えている。本物の黒。




2007年10月27日

カーテンを開けて、雨が降っているのが見えるようにして眠った。ときどき風が強く吹いて、窓が濡れた。


1年前の今日、横浜に居た。知り合いのアトリエの最後の日で、そこにいた人に自分の作品ファイルを見てもらった。とても緊張したのを憶えている。その人が好きな作家さんだったから。感想が、あまりいいものではなくて、何日か落ち込んだんだった。その人の絵は自分の道しるべだった。何がと言われるとうまく答えられない。なんというか、紙の中の世界みたいなもの。ただ、絵はひとりで描くものだと言っていた。そんなことは分かっている。はずだった。


あれから1年、自分の位置はどこだろう。あれから少しでも移動できているのだろうか。




2007年10月26日

ここで日記みたいなことを書いているのだけれど、日記帳に書いて自分で読むのではなく、わざわざパソコンを使って書いて、しかもそれをネットワークにのせて他の人が読めるようにしている。日記なのに、よく考えれば少し奇妙なことをしているのかも知れない。内容は、その日の主な出来事とか、何か思ったことがほとんどだけれど、たまに、自分にしか理解できないような言い回しをして文章を書いてもいる。あることをありのまま言えなかったり、言いたくなかったりするのだ。そうして、それを読んだ人が居たとして、意味不明な文章だと思うだろうし、あまり気分がいいものではないとも思う。でも、その「読んでいる人が居るかも知れない」ということが、自分には大切な気がして、それでこそ、この日記が意味を持つのかなあと思う。




2007年10月25日

高校に絵を送ったあと、知人のアトリエに行った。いくつかの偶然が重なって知り合うことができた人。彼女は自分とはまったく違う絵を描く。そしてわたしはその絵が好きだ。彼女の絵を見ると、色をたくさん使って絵を描きたくなる。もっと自由に。コーヒーを飲みながら、いろいろ話した。お互いの絵のことや外国のことや住んでいるアパートのことなど。近所に雰囲気のいい喫茶店があるといいね、とか。4時間くらい居たかな。冬にお鍋をしたいねと言っていた。




2007年10月24日

あれだけ啖呵切ったように出掛けたのに、急用のために戻ってきた。くやしい。
蓮沼に行きたかった。あの海はきれいだ。海水や砂浜の質が格別きれいというのではなくて、なんというか、全体が。自分は泳げないし、人混みが苦手なので、海には大抵冬に行く。蓮沼は千葉に帰ると車で毎回のように行っていたのに、もう随分と長い間行っていない。だから行きたかった。また当分行けない。


千葉に帰ったのは、高校で絵の展示をすることになったから。先週の個展で展示した絵を何点か運んでもらい、展示作業をしてきた。本来、絵を掛けるような場所ではないところに展示するのは難しい。美術の先生と、あーでもないこーでもないと試行錯誤をしてなんとか形になった。作品数が少ないということで、「展示室P」にある作品も何点か展示することに。あれらが日の目を見るのは初めてだろうか。絵にいたずらされないか不安だけれど、大丈夫なことを願う。


と、一通りこの数日で思っていたことややってきたことを書いているのだけれど、気がつけば違うことを考えている。まるで、ここから先は入ってはいけないと言われたようで、立ち尽くしている。自分は止まってしまった。それが少なからずショックだったのかも知れない。本当は泣きたかったのかも知れない。でも堪えた。誰も悪くない。ただ、やるせなくなっただけだ。そんなこと分かっている。そういうルールだ。ルール。


というか、前回の日記に書いたことを実行しないと。これからその作業に移ります。




2007年10月21日

個展が終わりました。
この1週間でたくさんの人と会いました。自分は話すことが苦手なのですが、それでも来た人と話していて、そういう人たちの表情は、なんだか憶えているものですね。展示が終わった今、なぜだかよりはっきりと思い出しています。それと、自分の絵を気に入ってくれたという人に会えたことが、ただ嬉しかったです。絵の世界とか、よく分からなくて、それがよくないとか言われたりもしますが、自分はそういうことは大袈裟に言ってしまえばどうでもいいというか、あまり気にしていません。ただ、これからどうしようというのは強く感じています。生活とか、絵を描くこととか、他にもたくさん。いろいろなことを真っ白にしたい。
頭も気持ちも。そんな気分です。
まだ自分にとって今回の展示がどういうものだったのか、頭の整理がついていないのですが、来てくれてありがとうございました。


それで、明日からしばらく千葉に帰るので日記が書けません。またこっちに戻ってきたら書きます。


戻ってきたらやること。
1.大掃除(大変そう。)
2.WEBの更新(展示していた作品をアップしようと思います。)
3.先月行ってきたドイツとイタリアの写真を、小出しで公開するページを作る(うまくできるかなあ。)
4.どこかに行きたい。これは願望。いくつか気になるところがあって、京都(行ったことある)や金沢(行ったことない)や四国のどこか(行ったことない)
など。




2007年10月20日

生まれて初めて絵を買った。




2007年10月19日

自分の絵が手元から離れていくのは、大切な友人が転校していくのと似た感覚のような気がする。




2007年10月18日

個展の会場は地下にある。部屋の壁には自分の絵が掛かっていて、そこに来た人たちと話をしたりする。とても、きみょうな、夢を、見ているようで。これもあと少しで覚めてしまうと思うと、少し淋しい。それはやはり、不安と緊張を常に感じながらも、少なからず楽しんでいるからだろう。もっと、人と会いたい。何か残るだろうか。何か、ひとつでも。


朝、手紙が届いた。どうもありがとう。




2007年10月17日

帰りの電車の中、暗いところに向かって歩いているような、とても心細い感覚。




2007年10月16日

この個展が始まるまで、ひとりでいる時間が長かったから、人と話すのが楽しい。こんなことを思ったのは初めてかも知れない。とはいえ、人と話すのが苦手なのは相変わらずだけれど。



最近見た映画「9ソウルズ」「息子のまなざし」。
豊田利晃監督の「9ソウルズ」は、絶望に満ちたような世界。幸福の時間は短い。それは往々にしてそういうもの。豊田監督の「青い春」は結構好きな映画で、それに通じる部分も多いかも知れない。「青い春」の方が高校生という面で希望の匂いが強い気がする。
ジャン・ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の「息子のまなざし」は、久しぶりに見た、こんないい映画。見ている方の気持ちを高ぶらせるような音楽をまったく使っていないし、言葉も少ない。だからちゃんと映像で見せている。体に染みてくるような映画だった。絶望と希望は隣り合わせだ。と改めて思った。ああ、なんと素晴らしい映画なのだろう。




2007年10月15日

個展が始まりました。今日は色々な人が来てくれて、そんな中で自分は少し話したりしました。嬉しいこともあれば、やはり考えなければいけないことも出てきてしまったり。まあしかし考えるのはあとにします。



2007年10月14日

搬入を終えて帰ってきました。もう、自分の準備はこのくらいです。けれど、実際に展示してみると、自分の絵の弱さが露骨に見えてきたりして、辛くなっていたりします(もちろん気に入っているものもあるけれど)。でももう明日から始まるし。やっぱり見に来てほしいです。とりあえず、今日は寝ます。




2007年10月13日

清澄白河。小山登美夫ギャラリー「落合多武 展 "ひっ掻き  血  または猫彫刻"」「山本桂輔 展    "豊壌"」、シュウゴアーツ「藤本由紀夫『静/聴』」展、hiromiyoshii「キーガン・マックハーギー Bubble Eyes」「榎本耕一 surrogate picture」、Taka Ishii Gallery「ミロスラフ・ティッシー」展など。本当は昨日回った。久しぶりに、じっくりと展示を観たような気がする。なんだろう、大していいとおもうわけでもないのに、絵が壁に掛かっていて、それを自分はゆっくりと静かに見ていくということが、嬉しかった(変な言い回しかな)。目を通して自分の中に色が入ってくる。それを実感する日だった。なんとなくだけれど。あ、でも、キーガン・マックハーギーの作品は、水彩絵具(ポスターカラー?アクリル絵具?)を使っていて、ギャラリーに入ったときに、美術室のようなあの独特の匂いがした。そして、描かれている内容自体にはあまり関心がなかったのだけれども、水彩絵具も楽しそうに思えた。


梱包が終わった。もう夜中。大きな作品が1枚だけあって、これを梱包するためにプロレス並みに奮闘した。四畳半のアトリエ日曜日では難儀だ。大きさはともかく、カンヴァスというのが考えどころだと思う。紙ならば、もっと違う搬入の仕方があるだろうし、お金も安く済むだろう。映像作品なんて、設備が会場に整っていたら、下手すりゃディスク1枚バックに詰め込んで行ける。生活は、制作に大きく関わってくる。自分も、少し考えないと。このままではきっと。
生活が苦しい。経済が切実。




2007年10月12日

きっとまた会う。そうして友達になる。




2007年10月11日

2人のうち1人にはどうしても会いたい人がいた。だから探しにいった。毎日が初詣のように人でごった返す街に。片方は言った。「こんなに人が居たら見つからないよ。帰ろう。」もう片方は道行く人を目で追いながら言った。「こんなに人が居るんだ。あの人だっているかも知れない。」




2007年10月9日

小さな植物を買った。名前が分からないけれど、竹みたいなやつ。なるべく元気そうなのを選んだ。そうやって、雨が振る前に部屋に帰った。




2007年10月8日

個展まであと1週間。この話が決まってから、本当にその日は来るのだろうかと思っていた。でもやっと、その始まりの景色みたいなものが見えてきた。たぶん、こういうときが1番わくわくするのかも知れない。全貌は見えにくい、けれど、ぼんやりと気配を漂わせ、すこし触れそうなくらいが(例えるなら遠足の前夜?)。なぜなら、始まってしまったら、それはもう半分終わっているということだから。けれども少し、不安。いや、相当不安だ!


そしてやはり、観に来てほしいです。これはもう、本当に。月刊ギャラリーという雑誌で、小さく紹介されているのだけれど、展覧会のタイトルが全く違うものになっていて…なんというか、率直に、ショック。一応書いておきますが本当は「そこから」というタイトルです。



帰り道、マーブルチョコを買った。あの、筒型の入れ物に入ったカラフルなチョコレート。懐かしい味。m&mよりも歯触りがよくておいしい。




2007年10月7日

遠くの方で花火のあがる音が聞こえる。




2007年10月6日

一見、制作とは関係ないように思える、生活のなかの些細なことや人間関係を大切にするところから。というような言葉が、今日本屋で立ち読みした雑誌に書いてあった(言っていた人の名前が思い出せない)。




2007年10月5日

自分で言うのは変なことかも知れないけれど、今日は誕生日でした。夜、友人と先生にご飯をご馳走になり、いろいろ話をして、写真を撮って、本をいただきました。美術の本と、間取りの本。


秋にしてはすこし蒸し暑い日だった。それでも今日の帰り道、キンモクセイが咲き始めていた。懐かしく、すこし切ない匂い。




2007年10月4日

くるりのハローグッバイ。あの、最後のメロディに入る前。




2007年10月3日

感覚をまっすぐ聞き入れること。




2007年10月2日

この間失敗したため、今日あらためて東京オペラシティアートギャラリーに「メルティングポイント」展を観に行った。人がほとんど居なくて貸し切り状態。内容はこれといって別に…という感じ。新宿から歩いていても気持ちのいい季節になってきた。でも新宿は苦手。それと、お金が減ったけれど、前から気になっていた本を買った。




2007年10月1日

今日から10月。このところ気温がぐっと低くなっている。もう秋なのだろうか。自分が好きな季節だけれど、毎年2週間くらいで終わっている気がする。


バイトのあと、また駅前のスタバに入ったら偶然知り合いが居て、同じテーブルに着いてしばらく話をした。そういえば、人と話をしたのは何日ぶりだろう(その間まったく口を開かなかったわけではなく、お互いの名前を知っている間柄でのという意味で)。なんだか楽しかった。


それと今日、DMを出しました。郵政民営化して初の日に。朝出したから明日には届くのかな。あんまり傷とか付いてほしくないのですけれど、もしそうなっていたらすみません。あとこれは余談だけれど、お金を払ったあと、窓口のおばさんがポストの形をした貯金箱をくれた。おもちゃみたいなやつ。すこし考えて、せっかくだしと思いもらっておいた。これに小銭を入れていこう。いま入れているのはどこで手に入れたのかも忘れた空き瓶だから。




2007年9月30日

正しい人。




2007年9月29日

スパイラルガーデン、ギャラリー360°、SPACE YUI、GALLERY DAZZLE、トキアートスペース、ワタリウム美術館などを回った。これと言ってひっかかるものはなかった。スパイラルの2階で衝動買いをしてしまったのだけれど、帰ってくる途中から「これ、そこまで必要じゃないかも知れない。」と思っていて、家に着いた今、その思いはどんどん大きくなっている。でもせっかくお金を出して買ったのだし、大事にしようと思う。


そして今日は最後に、東京オペラシティアートギャラリーに行こうと思っていたのに、何をぼうっとしていたのだろう、乗っていた電車が違うところに行ってしまって、歩いてギャラリーに行くにはもう時間がなく、かと言ってもう1度満員電車に乗る気力もなくて、結局諦めて帰ってきた。なにしているんだろう。今日はいい1日ではなかった。


そうしてアパートに着いたとき、花火が見えた。そういえば今日は調布かどこかの花火大会があるんだった。結構きれいに見えたので、写真に撮れるかなと思ってカメラを構えたのだけれど、なんだか撮ったあとにどうしようもなく虚しくなるような気がしてやめた。


ひとりでももっと楽しめる人になりたいなあと思う。それはほんとうに些細なことでいいのだけれど。自分はひとりで出掛けていると、どうも気後れしてしまう節があって、満喫することができない。ヘタクソだ。そして、もっと色々なことを知りたい。特に本。今まで読んだ本の数は相当少ない方だと思う。でも本というのは、音楽や映画と違っていて、それを味わうには時間がかかる(読むのが速い人はそうでもないのかな)。今からできるかな。なぜそう思ったかというと、なんだかとても、自分が薄っぺらい人間におもえるというか、人と話していても。(本を読んでいてもおかしな人がたくさん居るのも事実ですが。)いろんなこと、知りたい。ひとりで絵をやっていくのは、すこし淋しいんだ。




2007年9月28日

どうすればいいのか分からない。気に入らないのは確か。納得ができないまま、展覧会なんかしていいわけがない。それも確か。だめだだめだだめだだめだ。きっと、ひとりで居るのがよくない。前もそうだった。ひとりでいると、夢か現実か、わからなくなるというか。友人がいないわけではないです。誤解しないでください。ほら、こうやってすぐ弁解する。くだらない。誤解なんか怖いものか。本当は怖い。さて解答は。自分の体がどんどん小さくなっていくのが分かる。終いには虫みたいに踏まれるよ。このまま、部屋のドアを飛び出して、来月までどっかに放浪の旅にでも出たらどうなるでしょう。展覧会も約束もほっぽらかして、放浪の旅に出たらどうなるでしょう。そんなことできないし、する勇気もないけれど。ひとりひとり。独り言も言わないから、声が出るのか分からない。あーあー。応答せよ。誰に。言う。最後に話したのはいつでしょう。最後に泣いたのはいつでしょう。最後に笑ったのはいつでしょう。最後に怒ったのはだいぶ前。最後に呆れたのはつい最近。生き別れた双子よ、聞いているか。応答せよ。こんな日記、誰が読んでいるのか知らないけれど、読んでいたとして、気分のいいものではないでしょう。でも、誰の為に書いているわけじゃないんだよな。でも、誰かが読んでいると、意味とか出てくるのかな。うそばっかり。言ったじゃないか。たいして大切に思ってないからすぐ忘れるのさ。泣き虫小虫、はさんで捨てろ。気に入っている絵は何枚あるでしょう。きいたら驚くぞ。それだけ飾ってさあおしまい。逃げろ逃げろ。今もひとり、明日はふたり、あさってはさんにん、その次はふたり出て行ってまたひとり。気に入らない気に入らない。なんでこんなことまでして絵を見せなくちゃならないんだよ。本当はあの絵を飾りたい。でも駄目だってさ。そんなもの、展覧会の意味がないじゃないか。いっそ燃やせば仕方なくなるのかな。燃やしちゃおうか。そうしようそうしよう。それは明暗だよ。さあ、マッチを買ってきたよ。茶色いところでこすれば、赤いところにボシュって火がつくから、それをキャンバスに近づけて。わあ、きれいだね。まるで花火のようだよ。油絵具だからよく燃えるなあ。はなびはなび。もう絵はなくなりました。炭にもならず蒸発しました。あーくだらない。まだ読んでいるのかい。きっと絵がうまくいかないのは神様のせい。あの子のせい。日本のせい。同僚のせい。うそだようそだよ。自業自得ってやつですよ。そんなことは知っていますよ。ここまで読んでいるのなら、教えてあげるよ。会いたい人がいるんだよ。ずっと前からそう思っていたんだ。でもあの子はそうは思ってないんだよ。そんなことは知っているんだよ。あの子は知らない街に住んでいるんだ。だから会えない。偶然なんてそうそうあるもんじゃないんだよ。だから会えない。名前は知っているよ。でもそれだけじゃ手紙も出せやしない。あいたいなああいたいなあ。もう寝ているだろうね。夜遅いもの。次はいつ会えるかなあ。でもねでもね、もう会えないかもしれないよ。だってそうだろう。肝心な勇気がないのだからね。そういえば勇気って何色だろうね。なんとなく濃い赤色か、紫に近い赤色だと思うなあ。もしかしたらエメラルドグリーンだったりしてね。わらえるわらえる。そうしたらがっかりだなあ。こんなに長く文章書いているのに、気分がいっこうに晴れないよ。はれない。明日は雨だってさ。その湿気が体内に入り込んで、脳細胞をおかしくして、だから、今こんなに嫌な気分なのかな。今もひとり。物音もしないから、夢の中でおいてきぼりされたみたいな気分だよ。たった今ドアのチャイムが鳴っても怖いけれど、ひとりは嫌だな。明日はなにしようかな。でも雨なんだよな。気分が重いな。涙も出ないよ。絵ってなに。あの子に会いたいよ。




2007年9月27日

今日は帰りに下北沢に行ってみた。今の仕事場がある最寄り駅には、小田急線と京王線が通っている。小田急線でも行けるけれど、京王線の方が電車賃が安いし、いつもとは違う風景を眺めて行ける。電車の車体も違うし、明日は休みだから、わざわざ遠回りして帰ってもいいような気分になった。


下北沢に行ったのは、展覧会のDMを置いてもらうため。といっても数カ所にしか行かなかったけれど。


そういえば、久しぶりに行ったなあ。大学に入学して一人暮らしを初めたころ、下北沢にあるキッチン南海というお店に行ったのを思い出した。たしかカレーライスを食べたんだ。小さい店なのに、意外にもチェーン店ということをだいぶあとに知って驚いた。自分の知っている限りでは、経堂、千歳船橋、向ケ丘遊園にもある。カレーライスは下北沢より梅ヶ丘店のほうが美味しい。今でもたまに行くけれど、ほとんどのメニューが500円前後なんだ。トッピングや定食もあるし、持ち帰りだってできるんだ。また食べたくなったなあ。行きたい人はいますか。



2007年9月26日

なんだか今日は、「日記にこれを書こう。」と思うことがいくつもあった。たぶん、寝不足のせいだろうと思う。そういうときは決まって、思考が妙なくらい活発になる。そしてそれを通り越すと、眠くて何も考えられなくなる。もともと、日記にいくつもの内容を書くのがあまりすきではないのだけれど、せっかくだから書いてみる。


「どらやきとおせんべいがいいよ。」
小さな子供の言葉。
鈴が転がるような声。


お芝居を始めた理由。
「ともだちがほしいから。」


欲しい絵がある。
その絵が自分の部屋に来たら、きっとそれは、自分にとって、秘密基地ができたことと同じことだ。
でも言えない。独り言でしか。


週末、晴れるといいですね。
楽しんでおいでよ。


毎週見ていた「クレイモア」というアニメが昨日で終わってしまった。


今の仕事場はタバコの煙がひどくて、おそらく自分の肺は、毎日少しずつ冒されていっているに違いない。けれどそんなことよりも困ることは、仕事のあと人と会う約束がある場合だ。自分の身の回りには、タバコを吸う人があまりいないので、そういう人たちと会ったとき、自分の服や髪の毛からその不快な匂いが漂っていると思われるのが心苦しい。けれど、どうしようもない。空調の近くに行ったら終わりだ。そうやって、ヒヤヒヤしたりしている。


どうしよう。描きたいものが少しずつ変わってきている。展覧会はもうすぐなのに。自分の展覧会だから、自分の好きなようにすればいいのに。けれど、今回はそうはいかないのです。今回だけは。変えられなくて。苦しい。すこし。間違っている?自由になるための手段のはず。でも、今描いている絵も、描きたかった景色。だから、見届けないと。新しく描きたいものは、今、すこしずつ描きためています。


急に泣きたくなることって、他のひとはあるのだろうか。
たとえば、車が横切るとき。
川の上を電車で通り過ぎるとき。
朝が清々しいとき。
くるりの「ハローグッバイ」を聴いたとき。
走り出したくなったとき。
たぶん共通しているのは、淋しいという感覚。
他のひとはあるのだろうか。




2007年9月25日

ビスコンティの「ベニスに死す」の世界。ただひたすら美しいだけ。だから力強い。




2007年9月24日

今年の3月にあった卒制展に、WEBのトップページになっている絵を出した。会期中、フラフラ会場を歩いているときに、知り合いが親しい親子を紹介してくれて、その子供が恥ずかしそうにしていたので、なんだろうと思っていたら、もじもじしながら自分の絵の景色を「きれい。」と言った。それがうれしかった。自分の絵はよく「暗い」と言われていて、そう思う理由は何となく分かるし別に不快ということでもないのだけれど、自分ではそんな風には思っていないというか、そういうものを好んで描きたいわけではないというのはある。しかし、絵を見た人がそう感じてしまうのには、自分に問題があるのだろうか。


駅前のスタバにたまに行く。値段が高いのだけれど、元気に働く店員さんや、広くて過ごしやすい店内が好きだ(おそらくどのスタバの店舗よりも広いのではないだろうか)。外を通り過ぎて行く人たちをぼうっと眺める。足早で通り過ぎる女の人、お店に入ろうかどうしようか考えていそうな男の人、楽しそうに話す学生、母親のあとを一生懸命くっついて歩く子供。自分はそういう人たちを眺めて、彼らは自分には気づかない。




2007年9月23日

そうやって変わっていくんだろう。




2007年9月22日

紅茶はレモンにしますか、ミルクにしますか。
髪は短いですか、長いですか。
歌を歌いますか、聴きますか。
4日前の嬉しいことを憶えていますか。
黒には何色を合わせますか。
海に行きますか、川に行きますか。
背は高いですか、低いですか。
やっぱりコーヒーを飲みますか。
一緒に散歩をしましょうか。
冬は本当に来るのでしょうか。
フォークが好きですか、スプーンが好きですか。
話をしますか、それとも聞きますか。
どうしても欲しいものがありますか。
許せないことはありますか。
スニーカーはやっぱり白だろと思うのですが。
太っていますか、痩せていますか。
部屋は広いですか、狭いですか。
窓の外は何が見えますか。
夜にしましょうか、朝にしましょうか。
駅には歩きますか、自転車ですか。
肉料理ですか、魚料理ですか。
花は見ますか、育てますか。
近所の猫は何色ですか。
観たい映画はありますか。
好きな路線はありますか。
明日は誰かと会いますか、ひとりで過ごしますか。
時間を持って帰る方法を知っていますか。
返事はきましたか、まだですか。
もう気にしていないことはありますか。
新しく憶えたことはありますか。




2007年9月21日

そういえば最近、本を読むペースが遅い。映画もあまり観ていない。もしかすると、こういうときこそ(絵のこととか、展示のこととか、他にも考えてしまうことがある。)本を読んだり映画を観たりした方がいいのかも知れない。だんだん視野が狭くなっていくというか、決まったパターンができてしまう気がする。それはきっと窮屈なことで、自分にはよくないことなんだと思う。


今までたくさんの映画を観たけれど、初めてひとりで映画館で観たのは「タナカヒロシのすべて」だ。途中、おもわず笑ってしまったところがあって、隣りに座っていた、仕事帰りのようなサラリーマン(この人もひとりで来たようだ)もクスクス笑っていて、なんだか妙に嬉しい感じがしたのを憶えている。




2007年9月20日

大きな公園に行きたい。



2007年9月19日

帰りの電車の中で、話したかったことや聞きたかったことが、あれもこれもと出てくる。でもどんどん離れていく。帰りの電車の中だから。




2007年9月17日

ただいま。
10日間の旅行だったのだけれど、とても内容としては濃く、考えさせられることも多かったような気がします。しかし、今はとても疲れている(初めての時差ボケを体感しているところです)ので、話はまた別の日にしようと思います。写真も撮ってきたので、それも少しずつWEBにアップしようかなと思っています。


そして気づけば個展まで1ヶ月をきった。いや、知っていたけれど。もうワープを使ってどこかに逃げることもできませんね。
さてはてどうなることやら、どうすることやら。




2007年9月5日

個展のタイトルを決めた。


久しぶりにWEBを更新した。(「お知らせ」と「展示室K」)


イタリアに行く。




ちなみにこれは夢の話じゃない。



2007年9月4日

雨上がってよ。屋根から地面に落ちる雨粒の音が、刺々しい。このアパートの嫌なところのひとつ。




2007年9月3日

綺麗な建物に囲まれた石畳の広場に、たくさんの人たちがいる。立ち話をする人たちやスケートボードをする人たち、ボールで遊ぶ子供たちもいる。自分はというと、その中をてくてく歩いている。しばらくして、知っている人を見かけたので近づいていくと、横から走ってきた人(それも知人)が彼女に近づいていき、不意にキスをした。彼女はやさしく微笑んで、彼はまた走ってどこかに向かってしまった。自分はよく分からないけれど、引き返す。
そのあと、先生にひどく怒られた。普段、皮肉は言うが怒ることはない人なので、ショックだった。


最近、夢の話ばかりしているなあ。読んでいて楽しいかは分かりませんが、結構印象に残ってしまうので。




2007年9月2日

バイトのあと、知り合いのギャラリーに行った。渋谷のとても賑やかな土地にある。電車を降りてから、とくに用もないのに、フラフラとギャラリーとは反対方向にむかって歩いてみた。どのくらい歩いたろう。あ、そうか、歩いてきたこの距離を、また同じ時間かけて戻らなくちゃいけないのだ、と気づいて引き返す。涼しかったからついついと。いよいよギャラリーに近づいてくると、怖くて頭が上げられない。この街は本当に嫌いだ。音が氾濫しているし、人が多い。たくさんの顔や足が動いていると頭がクラクラするのだ。ギャラリーの窓の下にはそういう景色が小さく広がっている。知人と少し話して、とても美味しいクラッカー(少し辛い)を食べながらトランプで遊んだりした。




2007年9月1日

バイトなのに働き過ぎだ。体が無理をしている。気分も暗くなってしまう。雨が降らないことを思う。



2007年8月31日

バイトから帰る電車の中で、向かい側に制服を着た小学校1年生くらいの女の子がふたり座っていた。楽しそうに話したり、お互いのランドセルの中をのぞき合ったりしていた。ひとりの子が電車から降りる時、ドアの手前で、わたしの横でしゃがみ込んだので、どうしたんだろうと思ったら、次の瞬間「おとしましたよ。」と言って何か差し出してきた。見ると小さなゴム印(よく学生時代にあったような細長いもの)だった。突然のことで驚いてしまって、「あ、あ、ちがいます。」と答えた。女の子はしばらく考えてそれを持って行ってしまった。女の子が去ってから、もうすこし違う答え方をした方がよかったかな、と考えたりした。

2007年8月30日

建物から外に出たときに秋の匂いがする。

2007年8月29日

何考えてんだお前はよ。
フラフラ歩いてんじゃねえ。
歩道を我が物顔で自転車乗ってんじゃねえ。
携帯電話いじりながら歩いてんじゃねえ。
歩きタバコしてんじゃねえ。
改札前で立ち止まってんじゃねえ。
満員電車で本読んでんじゃねえ。
押すんじゃねえ。
パーティーという名目の暇つぶし。
ふざけんじゃねえ。
ふざけんじゃねえ。
消えちまえ。消えちまえ。捨てちまえ。


という夢の話。



と、



ベランダから、大きな顔が描いてある赤い飛行船が飛んでいるのが、向こうの方に見える。それが(空気が抜けて萎むということではなく)大きくなったり小さくなったりしながら、だんだん近づいてくる。最後には1メートルくらいまで小さくなって、もう、すぐ目の前にまで近づいてきてしまった。ゆらりゆらり、ゆっくりゆっくり。「このままだと、部屋の中に入ってきてしまう。」と思って、自分は急いで部屋の中に入って窓を閉め、鍵をかける。小さくなった飛行船は、ぼすん、ぼすんと窓に何回もぶつかっている。どうやら本当に部屋の中に入ろうとしているらしい。ペイントの顔が笑っているのだけれど、それがなんとなく怖い。窓越しに自分はじーっとそれを眺めていた。


という夢の話。

2007年8月26日

部屋が散らかっている。部屋もアトリエ日曜日も。ひどい。食べこぼしとかそういうのではない衛生的(?)な散らかり方。いけませんね。今月中にやることの予定に大掃除が加わりました。

2007年8月25日

夢が覚めるのは、年が明ける前に。9月になってしまう前に。日付が変わってしまう前に。夜になる前に。その前に。心の準備ができているうちに。

2007年8月24日

そういえば、こんな話を思い出した。毎日何かを思い出してばかり。
何年か前、友人と一緒にアップルパイを作ったことがあった。それはそれは立派なもので、リンゴを何個も使い、かなりの大きさになったものだ。砂糖で煮詰めて生地の上にのせて焼いて。夜な夜な作り上げたそれは、どこのケーキ屋よりも美味しかった。出来上がった後、友人は「10年後、お互いに恋人がいなかったら一緒にケーキ屋をやろう。」と言った。なぜ恋人がいないことが条件なのか分からなかったが、世界で1番上手いアップルパイを作り上げたことで舞い上がって、そんな約束をした。何年か経って、今ではそうそう会うこともなくなり、忙しい友人はそんな話憶えていないかも知れない。それよりもまず、自分で言っていた条件をクリアできていないから、夢のケーキ屋は開店できそうもない。格闘家のアップルパイ。


食によるコミュニケーションは基本だというのは誰かの言葉だが、確かに。匂いや味というのは時に恐ろしいもので、不意をついて記憶を蘇らせる。アップルパイの味はひとつ。

2007年8月23日

WEBを数ヶ月更新していません。少なからず、見ていただいている人がいるのですね。近々行いたいと思います。

2007年8月22日

去年、「もしもし、残暑さん」というタイトルの日記を書いたことがある。あれからもう1年経つのか。去年の今くらいの時期は、明け方に遠くの方まで(本当にすごい距離)散歩したりしていたな。それにしても、お盆が過ぎたというのに一向に涼しくならない。少し歩くだけでへとへとになってしまう。きっと、季節の温度が全体的に上がっているのと、それに伴う空調設備への依存と、あとは自分が年々確かに年をとっているということが原因だろう。暑さ寒さも彼岸までという言葉ってあったっけ?


早く、「寒い寒い。」と言いながら出掛けたい。

2007年8月21日

さよならの表情。を思い出したりしている。

2007年8月20日

睡眠不足でずっと頭が痛い。考えることはいくつかある。それ以外のことは、今はどうでもいい。もっとシンプルに生活したいだけなのに。

2007年8月19日

たったこれだけでお前を判断したりしないよ。

2007年8月18日

「モノノ怪」というアニメがおもしろい。

2007年8月17日

DMづくりで半日パソコンに向かっていた。あーでもない、こーでもない。
最後は直感で。

2007年8月16日

知らない男の人に、「エレベーターのドアが閉まると思ったらまた開くんだ。それを繰り返していて、しばらくするとガタガタいっていたドアの音が声に変わる。気をつけたほうがいい。」と言われた。そうして廊下を進んでいったら、突き当たりに、ずらっといくつものエレベーターが両脇に並んでいて、そのうちの奥から2番目のエレベーターだけ動いている。自分が居る階で止まって、ドアが開いた。しばらくしてドアが閉まったのだけれど、すぐまた開いてしまう。それをずーっと繰り返している。ただ自分は眺めていたのだけれど、男の人の言葉を思い出す。そうして、ガタガタいっていたドアの音が知らない声に変わっていった。あー、だか、うー、だかと言っていた。廊下の窓からは、公園のような整理された土地が見えて、たくさん木が生えていた。怖かった気もするけれど、冷静だった気もする。また変な夢を見た。

2007年8月14日

新盆のため千葉に帰っていた。昼間はやはり日差しが強く暑いのだけれど、夜は風が気持ちよく過ごしやすかった。昨日の夜は、なんとか流星群が見えるということで、ベランダからしばらく空を見上げていた。すると、3つ、流れ星が見えた。大きいのもあれば小さいのもあった。つー、つー、と流れて、あっという間に消えてしまった。

2007年8月10日

そこにある景色。

2007年8月9日

苦しいのは、自分が甘いから。

2007年8月8日

フタバ画廊「さとうちあき stranger」展、ギャラリー小柳「木道純子 山口智子」展。自分の展示はどうしようなどと考えながら観ていた。

2007年8月7日

今、ジャンプしたらそのまま飛んでいけそうだなと思うことがあるだろうか。何も、嬉しいことがあって気分がハイになったときに限らず、たまにある。でも、誰もそこで本当にジャンプしない。もしかしたら本当に飛べるかも知れないのに。本当のこと。何も知らない。夢の中でたまに飛んでいるじゃないか。お腹に力を入れたら高く飛べるよ。息を深く吐いたら急降下だ。あの山も湖も越えて、どこまで行こう。

2007年8月5日

今日は飛んでお帰り。

2007年8月4日

2日前に思い立って、愛知県の豊田市美術館に行くことにした。友人と一緒に。鈍行列車で。往復14時間かけ、3時間の滞在。笑ってしまうようなスケジュール。しかし楽しかったです。さっき家に帰ってきた。とりあえず、寝ます。

2007年8月3日

誤解でもいいから、またここにおいでよ。

2007年8月2日

テレビをつけると「大食い」をしている番組ばかりやっている。たまたま自分が見たのがそのタイミングなのか、本当に最近そういう番組が多いのか知らないけれど、あまりいいものではない気がする。人並みはずれた量を食べられるとはいえ、それを電波に乗っけて紹介するほどのことだろうか。大抵の場合、量と同時に食べる時間の早さにも重きを置いているようだがそれに果たして意義があるのだろうか。どうでもいいことだけれど。


1週間、続けて日記を書いてみた(ほとんどが絵とは直接関係のないものばかり)。すこしでも、なんでもいいから、毎日決まったことを繰り返すというのは、今の自分には必要なことかも知れない。これからも家に帰れないことがないなど、日記を書けない状況にならない限り、書いてみようかなと思う。

2007年8月1日

なんだろう。頭がひどく痛む。前頭葉から首の後ろにかけて全てが。いろいろ考えられない。
どうやら梅雨は明けたらしい。明日からどのくらい暑くなるのだろう。

2007年7月31日

そう。
確かに君は今日も生きている。
それは奇跡に近い。
交通事故に遭うこともなく、
増水した川に流されることもなく、
通り魔に襲われることもなく、
転んで頭を打つこともなく、
大きな病にかかることもなく、
自ら死を選ぶこともなく、
飢えに苦しむこともなく、
ひとりになることもなく、
家が火事になることもなく、
閉じ込められることもなく、
切れた電線に感電することもなく、
頭上から鉄骨が落ちてくることもなく、
誘拐されることもなく、
明日が見えないこともなく、
絶望することもなく。
そんな中で君は生きている。
これは奇跡に近い。

2007年7月30日

そんなに雨はひどくないと思っていたのだけれど、行きの電車に30分近く閉じ込められる。仕事に遅刻した。遅刻はよくない。そういえば、随分前に見たテレビで、島田紳助が「遅刻するなら休む。」と言っていた。それもどうかと思うけれども。分からなくもない気がする。

2007年7月29日

部屋を出る頃に大雨になった。ものの数分で足下はずぶ濡れだ。

頭(もしくは心)は身体と繋がっているので、身体を動かすことから。いい絵を描くつもりはないけれど、健全な絵を描いていたい。

2007年7月28日

今日は搬出作業で横浜に行った。とにかく暑い。色んなもののコントラストが強くなり、眩しくなる。また焼けた。横浜の方から家までの道路脇には結構おもしろい建物が多い。相当古いアパートがごろごろあったり、工場が立ち並んでいたり。工場はいい。無駄がないように思う。複雑に絡み合ったパイプも、きっとどれか1本でも欠けたら駄目なのだろう。おそらく多くのものが廃棄され、空気を汚しているのだろうけれど。なぜだか引きつけられてしまう。それは、もう長いこと変わっていない。

2007年7月27日

1年前の今日は、ライブに行ったんだ。どこの駅で降りたのか憶えていないけれど、高架線脇のビルの前の広場で、キンモクセイの歌を聴いていた。確か、今日みたいに暑かった。「正しい人」という絵は、あのあと描いたんだ。忘れたこともあるが、憶えていることもある。

2007年7月26日

自分の絵にはメッセージとか世界を変えたい野望みたいなものはないように思う。胸を張っていられるほど、しっかりしていない。ただそこにある景色が大事で、そのために絵を描いている。その、自分の景色が最近どんどん霧がかかって、境界線はますます暮夜けていくようだ。戸惑っている。でも、もしかしたら、今はそれでいいのかも知れない。おまじないのように自分に聞かせている。

2007年7月21日

用があって横浜に行った。滅多に行くことがない場所だけれど、今日の天気のせいかな、なんだか少し時間がゆっくりな気がして、久しぶりにのんびりできた気がする。公園のベンチで休憩したりしてしまった。お陰で日に焼けた。

時間が余ったのでBankArt studio NYKとBankArt 1929 Yokohamaで開催されている「ボルタンスキープレゼンツ La Chaine 日仏現代美術交流展」と、横浜美術館の「森村泰昌ー美の教室、静聴せよ」を観に行った。どちらもおもしろい。BankArtの方はでは、さわひらきさんの新作が観られてよかった。以前とはまた少し違う雰囲気ができつつあるようで、よりアニメーションに近くなっているかなあと思った。今まで全く知らなかった けれど、ガブリエラ・フリードリスクドティールという人が気になった。(不純なのかもしれないけれど、)その衣装とか、撮影している場所とか、どんな感じだったのかなあと思っていた。森村泰昌展の方は、一応分かりやすい構成になっていたのではないかと。展示自体が授業形式になっていて、最後にテストを受け るのだけれど(自分も受けた)、目の前で採点されるというのはなんだか居たたまれなくなる。

それよりも、ベラスケスの作品(マルゲリータ王女)に扮する為に森村さんが言っていた「子供にならなければならない。」という言葉がなんだか印象に残っている。

2007年7月20日

また変な夢を見てしまった。起きたあとしばらくして思い出した。

死んでもう会えなくなってしまった人がいて、その、もう会えないということを、何をするでもなく、ただただ実感している。という夢だった。その人が誰なのか知らない。そして初めて、夢の中で自分の姿を見た。いつも自分は自分で、自分の視界から夢を見ていたのだけれど。だからか、まるで映画かお 芝居を見ているようだった。なぜあんなに悲しんでいたのだろう。何なんだろう。

2007年7月19日

1日過ごしていたら何かしら思うことはある、と聞いたときから、それを答えだと本当は信じている。

2007年7月18日

日が落ちるのか昇るのか。そんな中を歩いている。

2007年7月14日

円の終わりは円の始まり。

2007年7月11日

止まらないし戻らないし。

円の終わりは円の始まりで。

迷っているのは確か。

2007年7月10日

うるさい。

2007年7月9日

自分も含めて、知った気になっている。

2007年7月5日

こっちに行ったりあっちに行ったりしている。

2007年7月4日

ただそれだけで相手を黙らせるほどの。

2007年7月2日

逓信総合博物館(ていぱーく)「efuto=絵封筒展」、フタバ画廊「桐山征士展」、ギャラリー小柳「須田悦弘」展、西村画廊「もう一つの三沢厚彦展」、東京都現代美術館「トーキョーワンダーウォール公募2007入選作品展」、森アーツセンターギャラリー「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」。

いろいろな展覧会だった。
数ではなく、内容が。 絵封筒展は見応えがあった。手紙の封筒という、自分の手元から必ず離れていくものに絵を描く行為は、それだけで歌のようだ。イラストレーターや絵描きに限らず、子供たちが描いた絵封筒も、眼を見張るものが多く、時間をかけてゆっくりと観た。会場の奥には実際に絵封筒を描いてみようというコーナーがあったのだけれど、親子たちばかりでなく、若い男女も楽しそうに描いていたりした。こういう、遊び心の郵便みたいなものは、日本ではできないと思っていたのだけれど(勝手に)、そうではないようだ。郵便配達員が読み取れるくらいの工夫は構わないらしい。あまりに凝りすぎてしまうと、機械が感知してくれず、戻って来てしまったりもするそうだが。あと、切手自体には手を加えてはならない(有価証券扱いのため)。今までやりそうで思いつきもしなかったことが展開されるこの展示を観たら、絵封筒(手紙)を描いてみたいと多くの人が思うのではないだろうか。

須田悦弘の作品は今まで美術館の常設展ぐらいでしか観たことがなかった。つまり、初めて個展を観た。大体予想はしていたのだけれど、やはり観られてよかったというか。作品の実物という圧倒的な力を感じたというか。そういう作家と、そうでない作家がいるけれど、須田さんは確実に前者だろう。2点ほど作品を見落として帰るところだった。そして、ギャラリーに入って真正面にある作品は、空調で起きるわずかな風でひらひらと震えていた。



何かを言おうとして、やっぱり言わない。
そういうことが1日に何度も起きる。
何かを言いたくて、やっぱり言えない。

2007年6月29日

今朝、バイトに行く前にニュース番組を見ていたら、記憶を無くした男性の特集をやっていた。どうやら、昨日も同じ特集で、番組終了後に多くの情報が寄せられ、男性の身元が判明したということで今日も同じ内容だったようだ。

まだ男性の素性が明かされる前、冒頭で映し出された彼の写真を見て驚いた。自分の同級生だ。案の定、通っていた学校も学科も学年も同じだった。とは言っても、彼とは話したことはなく、名前も分からないが、確かに顔は憶えている。けれど、わたしは彼を知らない。どうしてしまったのだろう。自分の視界に居た人が、いつの間にか記憶を失って、遠い地域で保護された。

なんというか、本当にたまたま、いつも見ないチャンネルのニュース番組を見ていただけなのに。人との距離なんかを感じてしまった。一体何なのだろう。

2007年6月26日

くるりのベストアルバムを聴いた。ファンとしては遅いくらいだろうか。カップリングでしか発表されていない曲が入っていたり、デビューして間もない頃の未発表曲も入っていたりと、聴き堪えのある内容。(でも「青写真」が収録されなくて残念。)なんというか、このアルバムを聴くことに対して、変な抵抗があったというか、くるりの音楽を純粋に聴けなくなってしまって、今まで手に取らなかった。それは、度重なるメンバーの入れ替えやボーカルの岸田さんの発言に不信感を憶えたためである。でも、先日発売された「JUBILEE」という曲をテレビで偶然見かけて、茫然としてしまった。歌唱力は少々難ありだったけれど(何故だか岸田さんはテレビだとそのボーカルの良さが出し切れていない気がする。ライブは例外。)、メロディーの心地よさと、なんといっても歌詞の美しさに目が覚めた。単にキャッチーな音の並びではない。街に氾濫して消費されていくだけの音楽ではない。そうか、そういうことか。くるりは素晴らしい音楽を奏でたかっただけなのだ。紆余曲折もその「だけ」のためだったのだ。いろんなものに惑わされてそれに気づくのに時間が掛かった。やっぱりくるりは最高だ!水のようにするする身体に入って来るくるりの音楽は、やっぱり必要なのだ。

ちょっと熱くるしいだろうか。でも、本当に思うから。

休みの日に、川崎市市民ミュージアムに行って来た。「オフ・ストライプス 縞模様の繊細なる瞬き」展。あの会場は、展覧会が身動き取れなくなりがちな造りだと思う。近くにあるグラウンドの横やスタジアムの近くを散歩した。その日はとても暑くて、全てが色鮮やかに、コントラストが強く、くらくらしてしまった。散歩をしていると、いつも写真を撮りたいのだけれど、知らない人を撮るのにはとても勇気が必要で、いつも断念してしまう。この日もだめだった。

2007年6月21日

ロープに引っかかって転ぶという珍事。帰りの電車はブルーでいっぱい。

2007年6月18日

生まれて初めて、歌を聴いて笑った。くるりの「人間通」。

2007年6月17日

上野の森美術館「アートで候。会田誠 山口晃」展、「山口晃|山愚痴屋澱エンナーレ2007」、藍画廊「長坂真帆」展、ギャラリーQ「坂本知野」展、ガレリア・グラフィカ bis「Exposition Saiko KAITO」、コバヤシ画廊「赤塚祐二」展、ギャラリー360°「ホンマタカシ NEW WAVES」展、ロゴスギャラリー「ホンマタカシ NEW WAVES」展(ギャラリー360°と同時開催)。

最初の展示は、招待券をもらったので行ってみた。山口晃の絵は、気が遠くなるほど細かいものが多く、その線に少し見入った。1本1本の線が的確に引かれているような気が。まるで地図を見ているような気分になった。(まあ六本木や渋谷など地域別の作品が多いのだけれど。)そしてなぜだか、中学生や高校生の頃にポスターを描いた感覚を思い出した。「没頭している感じ」を感じたのだろうか。

ホンマタカシの作品は出版物でしか見たことがなく、展覧会という形では初めてだった。8年間撮影された波の写真からなる展示。全体の写真数のどのくらいの量が、この展覧会のために選出されたのだろうか。形がない水が、写真に収められることで姿を現す。それを見れば、いつでも音が蘇る。海(波)の前では、何時間でも居られる。強風の場合は少し無理があるけれど。一定のリズムで繰り返される波の音やその見た目が、鼓動というか脈拍というか、そういうものと波長が合うからではないだろうか。ギャラリー360°の方は、白い壁に写真が掛かっていて、ひとつだけある窓から日が射していた。窓の外は大きな交差点で、たくさんの人が立ち止まっては歩き出してどこかに行った。

今日はたくさん歩いて、部屋に戻ったら少し眠ってしまった。起きたら頭が痛い。変な時間に眠るといつもこうだ。コーヒーを飲んで覚醒しよう。

2007年6月16日

すぐそこにある果てしなく遠い景色。

2007年6月15日

今日で学校の方のバイトが終了した。

友人との待ち合わせまで少し時間があったので、部屋に帰って靴を履き替えた。やはり履き慣れたこの靴は最高だ。穴が空いてしまっているけれど。

夜の公園(というか広場みたいなところ)で話していると、色々な人が通りかかる。知っている人、話したことがある人、知らない人、有名人に似ている人。大きな声で笑う人、耳障りな話し方をする人、楽しそうな人。その人たちのほとんどは自分の家があって、帰ってから何をするのだろうかなどと考える。望み通り、夜は涼しくなったので、外に居るのが気持ちよかった。少し、眠い。

2007年6月14日

休みがない。観たい展覧会が増えてきてしまった。

今日履いてきた靴がとても歩きにくい。以前に一度だけ履いたのだけれど、そのときも歩きづらかった。今度は大丈夫だろうかと思ったら、なんのことはない、今回も歩きづらさは御健在。 朝、日差しがとても強く、雲は薄く変な形に歪んで高いところにくっついているみたいだった。昨日たくさん雨が降ったからだろうか。夜は涼しくなるといいなあ。

2007年6月13日

今日からここで日記のようなものを書きます。この場所は、ウェブを公開する少し前に1回だけ使用したところです。だから前の日の日記はずいぶん前のものです。いろんな事をして、いろんな事を思ったけれども、少しは前に進めているだろうか。