2009年4月30日

個展は終了しました。観に来て下さった方、どうもありがとうございました。<br><br><br>展覧会が終わってから、はじめての日記だ。本当にたくさんの、頭では抱えきれないほどの思い出ができた。だから、終わってしまう、という気持ちがどこかにあった。ちいさいけれど、見逃せないものだ。こういう、「日記を書く」という行為をしていて(たとえ読んでいる人があまり居なくても!)、日付をさかのぼってまとめる、というやり方は自分はあまり好きではない。でもやっぱり、書こうと思って、今日はまとめます。<br><br><br>4月25日(土)展覧会7日目。<br>朝から大雨。4月に入ってから、天気が悪くなる日もあったけれど、週末(自分の展示の日)は晴れていたので、このままいけるかな、と思っていた。会場に着くと、もう何人かの人が来てくれていて、中には千葉の友人が居た(余談だけれど、彼女はどんどん綺麗になるのだ。今日一見したときも、「ああ、また可愛くなっているなあ。」と思ってしまった)。すこしお互いの近況を話したりして彼女を見送ったあとも、雨は止まない。一定の強さで降っていた。その中を、傘をさしてやってくる人がこんなに居るとは思わなかった。うれしかった。あまり体調がよくなくて、今日は早く帰ろうと思っていたのだけれど、そんなことはできなかった。会わなくていい人は居なかったのだ。<br><br><br>4月26日(日)展覧会最終日。<br>数日前の予報では今日も雨だったのに、朝起きると見事に晴れている。自分は、自慢ができるんじゃないかと思うくらい雨降らしで、どこかに出掛けようと思ったときなど、よく雨が降る。あるいは出先で雨が降る。用心して大きい傘を持って出掛け、なかなか降らないと思っていたら、駅に傘を置き忘れた途端に雨が降る(これはさすがに笑ってしまう)。それなのに、ここぞという、これは唯一無二、譲れない日というときは、雨の天気予報も覆す。何かのパワーがあるのかな。よく分からないけれど。とにかく今日は、春うららかな日、という言い方がふさわしかった。夕方には、一応クロージングパーティーが始まり、作家さんや大学の友人と、お酒を飲んだり(自分は弱いからワインをすこし飲んだだけ)、食べ物を口に運んだりした。途中、3年ぶりくらいに会う大学の先輩が来てくれた。彼は、自分と2歳しか変わらないというのが信じられないほどの風格がある。それは在学中から強く感じていた。今まで展覧会の案内を出すと「いつまでやってるんや?行けたら行く」と電話をくれたりしたのだけれど、実際に観に来てくれたのは今回が初めてだった。自分はいつも、彼の考え方やそれを伝える言い回しに緊張みたいなものを憶える。たぶん、身近な人のなかでもっとも言葉に対して果敢に挑戦、というか逃げない姿勢を感じるからかな。今日も、クロージングのときに「絵を見るとき、一体何を見るのか?どういう見え方があるのか?」という話をしてきて、抽象的な表現を用い、言いたいことを掴んで離さないような言葉で伝ようとしない(たとえそれが不可能に近くても)、感じたことを言葉にすることは難しいという人が多いなかで、彼は疑いの目を持っていた。そうかもしれない。諦めきれないものが、やはり言葉にするということにはある気がした。だから自分はこんなにももどかしい気持ちになるんだ。<br>新宿で別れるとき、「なんも変わっとらんな。でもそれでよかった」と言われたことが、正直のところ安心した。「言葉ってあなどれんと思う。」と言った彼も何も変わっていなかった。<br><br><br>4月29日(水)<br>搬出をした。最後にじっくりと自分の絵を眺める時間はなく、いってしまえばあっけない終わり方だった。でも清々しい気持ちだったんだ。帰りはまだ夕方前で、天気がよく、電車も空いていて、駅から部屋に向かうまでの道も、暖かく気持ちのよい風が吹いていて、奇妙なくらい静かで、このまま終わってしまうのではないかと本気で思った。まるで映画や小説の終わりが近づいている、あの空気だった。朝が早かったから眠かったというのもあるかもしれない。あんなに静かな時間は、いつぶりだろうか。