2015年9月30日

今年の夏の思い出は。

8月に、行って来た。
どんな町なのか知りたくて。
どんなふうに時間が流れて、どんな空気なのか、肌で感じたかった。

本当は冬に行きたかったのだけれど、初めて行く土地をいきなり雪深いなか運転するのはすこし怖く、まずは夏に行くことにした。
だいたい地理は掴めた。
全部で800kmくらい移動していて、写真を撮ったりした。

お店の人とすこし話をして、「この町は冬が綺麗ですよ。」と言っていた。
やはりそうか。
「特に何があるってわけではないけど、良い町です。」と。
それ、とても豊かなことだと思う。

一日中車で出掛けて、日暮れに町に戻ってくる、というのを繰り返していた。
夜は町を散歩した。
8月なのに夜は気温がかなり下がり、体が冷えていくのがわかった。
夜更けでないものの人がほとんど居らず、カモメたちが鳴いていた。
姿は見えない。
姿は見えなくても、声が頭上を移動していくのが分かった。
滑空しながら鳴いている。

あのときの感覚。
あの夜道に感じた、空気の冷たさ、風の匂い、それとカモメのコーラスの美しさ。
いま自分は本当にこの町に居るんだという誇らしさにも似た歓び、それと相反する淋しさ。
消えない傷のような、記憶になった。
忘れない。

帰ってきてからも、気持ちはどこか上の空で、あの町に想いを馳せる。
夜中、絵を描いているとき、
「今もカモメたちは、あの夜と同じように鳴きながら、飛んでいるだろうか。」
と思う。
































































2015年9月28日



あ と い くつ ね む れ ば き み に あ え る の か な
エ ト ピ  リ  カ
よ があ ける まで ねむ らず にい た ね
おとな に なれ ずに あ さ を む か え る

あ し た は は れ る か な
き み へ と と ど く か な
エ ト ピ  リ  カ




2015年9月26日

身体も思考も止まったまま、その上を時間だけが流れて行く。
キンモクセイが咲いたので、もう夏は終わった。

よくない。
健全でないとき、夢が鮮明に見える。
知っている人が出てきて、会話をしていた。
未来がないことを分かった上でする会話は、虚しい。
そのときの表情や声の冷たさに、目を覚ましたあとも苦しんでいる。




2015年9月24日





















































2015年9月20日

いつまでこの暗いところに居なければならないのか。
抜け出すのは自分の足だが、歩いても歩いても同じところに戻ってしまう。




2015年9月19日

やさしい歌。






2015年9月13日





2015年9月10日

一日の終わりにいいと思っても、
翌朝見て違和感があったなら、
それはやはりどこかおかしいということなのだ。


壊すことを恐れずに。




2015年9月9日



13年前。
今より、声も歌い方も荒削りのよう。
その分、多面体できらきらしている。

どんな演技をしているのだろう。
はやく観たいな。






何もないこの海がすきだ。



2015年9月8日

ほんとうに伝えたいことだけ口に出せたらいいけれど、生活していくにはそうもしてられない。

twitter、今までのをほとんど消した。
なんとなく、何も書けなくなった。
書いたそばから全部違うものになってしまう。
それで、毎日1枚ずつ写真を載せている。
自分の場合、海の写真ばかり。
たまに違うやつ。


写真は、自分の記憶の証明でもある。
ときにそれは残酷に、記憶の隙間に手を捩じ込んでかき回すけれど、写真はやっぱりすきだ。




2015年9月5日

京都の写真は消しました。
他のアルバムの中の写真もいろいろ消しました。
twitterもたいせつなのだけ残して他は全部消した。

あと、トップページを更新しました。

衝動的に、ここも消そうと思ったら、ここは消すわけにはいかなかったこと、思い出した。
いらないところだけ整理して、この場所は残す。


そういえば、qpさんも昔同じことしていたな。