日記1
美術館の(他人の)展覧会を見たとき違和感をおぼえるもの。「無題」や「Untitled」という作品(というか、その姿勢)。言葉にならない(できない)から絵を描くというのは、確かにあるかもしれず、けれど、そう言い放ったままというのはどうなんだろう。言葉にする、ということには、諦めきれないものがある。作品をつくったのなら、それにはやはり名前をつけたい。
日記2
失敗するときは、いつ訪れるだろうか。
日記3
アルバイト先以外で人と話していない。自分の顔はぎこちなく固まっているようで、声も届いていない感覚になる。
日記4
TSUTAYAのワゴンセールで「家の鍵」を見つけて、買った。映画の最後、パオロが泣いている父親のところへ近づいていくシーンが忘れられなかったから。
日記5
友人に「家族の映画ばかり見ているね」と言われたことがある。そう言われるまで自分では気がつかなかった。思い返すと、好きな映画も、家にあるDVDも、ほとんどが家族ものの映画だった。
2009年11月20日
2009年11月18日
石川町に大学の知り合いの展示を観に行った。最後に会ったのは、たしか去年の、まだ夏になる前だったと思う。あまり長居しても悪いかな、と思っていたのだけれど、結局2時間近く話していた。絵のことや、引っ越しのこと、あと、地震や雷、今までに会った変質者などの話。ギャラリーの前の道は通学路らしく、大きな窓からは下校する女子高生たちが見えていて、明るい話し声が響いていた。中を覗きながら通り過ぎていく子もいれば、そうでない子もいた。話をしながら、彼女がひとり、部屋で絵を描いている姿や、犬と散歩する姿、街の中をただ歩く姿が、スライドのように自分の頭の中に現れては切り替わっていき、自分はそれをぼうっと眺めていたのだけれど、部屋に帰ってきた今、まるでそれを実際に見ていたような気になった。