2009年12月31日

大晦日。それどころではないのだけれど、やはり街全体がそうだからか、空気がすこし違うように感じる。そわそわしているというか、この日の24時間をまさにカウントダウンしている。12月31日ほど、一年のなかでの一日(24時間)を意識することは無いのではなかろうか。絵を描いていて、息抜きに喫茶店に本を読みに行った。店に居る人、店の外を歩いていく人、誰かを待っているような人など、みんながそれぞれ、思い思いに年を越すのだろう。




2009年12月30日

夜明け前に寝て、すぐ目が覚めてしまい、このまま布団に居ても眠れないだろうと思い、起き上がった。駅前の喫茶店で本を読み、部屋に戻ってきた。まだ午前中で、帰り道の空は、今自分が描いている絵と似ていて、あの空も何色でできているか知っている、と思った。北海道に居る彼女に会いたくなって、よっぽど電話を掛けようかと思ったけれど、やめた。1月が過ぎたら、会いに行こうか。




2009年12月29日

ここに住み始めて7年くらいになるけれど、一向に自分の街になったという感じがしない。
くるりの歌にありましたね。
「この街は僕のもの」
あの歌聴くと、高3の冬、毎日遅くまで残っていた美術室からの帰り道の気温の低さ、肌が引き裂けるのではないかというくらいの風の冷たさを思い出します。




2009年12月28日

日記1
首が痛い。湿布を貼って、痛みを誤摩化しながら行動する。入った喫茶店内がうるさくて、読もうとしていた本も部屋に置き忘れ、踏んだり蹴ったり。こんな日もある。今年は年末年始が関係ないので師走の感じがまったくない。世間が2010年を迎えても、自分は一ヶ月くらい2009年を延長するので(年賀状は書くけれど)。千葉にも帰らない。


日記2
絵を描いていても楽しくない。時間は目の前を過ぎてゆく。気持ちばかり焦る。それを抑える。また焦る。自分を追いつめる。追いつめて、追いつめて、いつからかこうやって生きている。そのくせ、ひとりであたふたしている。人の気配を求めて、意味もなく外に出て行く。楽しそうな人も居れば、目が虚ろな人も居る。頭が痛い。かなしい。つらい。でも、いいこともそのうちあるかもしれない。世界は美しいと、言っていたし、自分もそれを知っている。




2009年12月27日

真面目であることは悪いことではないけれど、その真面目さが問題で、真面目さの方向とかあり方とかがわかっていない人は本当に困る。小実昌さん自身、『海燕』という文芸誌の新人賞の選考委員をしていたときに、これとだいたい同じ意味のことを書いていた。でも、真面目さの方向やあり方がわかっていないのは、本当はもっとちゃんと考えるべきことを考えていないからで、「不真面目」だとも言える……。

人間というのは、ああも生きられる、こうも生きられる、といういろいろの選択肢から主体的に自分の生き方を決められるものではなくて、そのレベルは全然小さなことか表面的なことで、もとのところは、「こうとしか生きられない」「こうとしか感じられない」「こうとしか書けない」ものだ。

(保坂和志「小実昌さんのこと」〈新潮社〉より)




2009年12月20日




最近本を全然読んでいなくて、絵もうまくいかず塞ぎがちの生活を送っている。これでは、やっぱりよくない、と思って、紙やペンは部屋に置いたまま、絵のこととか他にもいろいろ考えるのを止めようと思って喫茶店で本を読んだ(部屋では読めない)。今日から読みはじめたのは保坂和志の「生きる歓び」。古本屋で買ったのだけれど、表紙を開くと「保坂和志」とサインがしてある。本人が書いたのかは定かではないけれど(直筆を見たことがないから分からない。しかもサインをもらった本を古本屋に売るだろうか…)。でも、たとえば別人が書いたものだとしても、その誰かの字であることに間違いはなく、気配は確かに残っている。痕跡。自分にはどうしてなのか、こういうことにむかしから強く惹かれるものがある。


たとえば水を掴んだり空気を抱きしめることはできないが、それと同等の言葉なりかたち(絵とか映画とかでもいい)を見つけていければ、いいかもしれない。




2009年12月19日

暗い気持ち。外は寒く、それだけがいいこと。夜は落ち着く。誰も起きていない時間に、ひとりで何かする。




2009年12月16日

年末年始をそれらしく過ごす余裕がなくなりそうです。このままだと年が明けるのは2月。




2009年12月14日

どこかに行きましょう!
そうです!
あなたが行きたい場所ならばどこだっていいのです!
車で行きましょう!
夜中に出発しましょう!
交代で運転しましょう!
大丈夫です!
問題なんかありません!
ここに居る方が問題ですよ!
さあ準備をしましょう!
2時間後に公園のクレーターで待ち合わせましょう!
あなたよりも先にわたしは待っていますとも!
問題なんかありません!
ここに居たらあなたは壊れてしまいます!
綺麗な空気を吸いにいきましょう!
わたしが連れていきます!
朝が来る前に出発です!
誰にも見つからないように窓から出掛けてくださいね!
くれぐれも怪我をしないように!
わたしの小さな恋人よ!
あなたは何も知らない女の子!
素敵な街で暮らしましょう!
心配しないで!
わたしなら大丈夫です!
わたしたちなら大丈夫!
前だけ見れば何でも見えます!




(今日の日記は5回くらい書き直しています。全部内容が違います。自分でも憶えていません。)




2009年12月11日

時間が経つのがはやい。一日というより一週間が、あっという間にすぎていく。火曜日には金曜日のことを考えている。




2009年12月10日

日記1
最寄りの駅に向かうとき小さな橋を渡る。朝、そこの手前まで来ると、橋にある片方のフェンスにカラスが二羽停まっているのが見えて、ぎょっとした。しかし渡らないわけにいかないのでずんずん進んでいくと、奥に居た一羽のカラスは飛んでいったのだけれど、手前のもう一羽の方は動かずそのままフェンスに停まっていた。「なんか嫌だなあ恐いなあ。こっちに来なければいいなあ。」と思いながらカラスの前を通ったとき、気のせいかもしれないけれど、そいつが自分をじっと見ているような気がした。嫌な予感というのは大体当たるものである。通り過ぎて数秒後にバサッと羽ばたき、「カア」と言いながら足で頭を掴まれた。自分が想像していたことが現実となり、その驚きと、またそれがカラスに襲われるという日常ではあまり考えられないことで、心臓が止まりそうになった。おいおい勘弁してくれよ、と最初変な汗が出てきたが、だんだんそれは憎しみのような、どこにも発散することのできない感情として、自分の中にしばらく残っていた。憎たらしい。あの「カア」という鳴き声が耳に残っている。しかもあいつが自分の頭を掴んだあと、反対側のフェンスに停まって(自分のすぐ近く)、目が合ったのだ。「うけけけけ」とでも笑っているかのように思えた。今思い出しても腹が立つ。自分はナメられたのだ。あのカラスは、橋を渡っているとき、怯えていた自分の感情を察知したのだろうと思う。しかし、くちばしで頭や目を突かれたりはしなかったことに自分はホッとした。もしそんなことにでもなっていたら、頭に激痛(足で掴まれるのは全然痛くなかった)、もしくは流血なんてことになっていたかもしれないと思うと血の気が引くぜ。その小さな橋にカラスが停まっていたのは、今までで初めてのことで、二度と居ないことを願う。


日記2
明和電機のアルバム「地球のプレゼント」は名曲揃いだ。「麦の歌」や「地球のプレゼント」は歌詞の世界が壮大で、すこんと突き抜けた空のように思える。メカフォーク(自動制御されたフォークギター)の音色も素晴らしい。




2009年12月9日

日記1
Amazonで買った、明和電機の「地球のプレゼント」が届いた。「麦の歌」「地球のプレゼント」は名曲である。



日記2
弱音を吐いてはいけない。



日記3
仕事を与えられて、自分は幸福であると感じる。




2009年12月5日

アルバイトの帰り、歩いて渋谷まで行き、ユーロスペースで「ポルノスター」を見た。今日から一週間、豊田利晃監督の特集で今まで作った映画を上映している。自分は豊田さんの「青い春」がすきで、この「ポルノスター」もずっと前から見たかったのだけれど、近所のレンタル屋には無くて、ずっと見られないままだった(見てもいないのに購入するには高額すぎる)。たまにそれを思い出しては、悔しい思いをしていた。今回の特集のことはたまたま知って、これは見なければいけない、しかも、映画館のスクリーンで見られるなんてことはもう無いかもしれない、と思った。失礼だけれど、たとえ映画の内容がどんなにつまらないとしても、見に行くと決めた。それでその内容はというと、うまくはぐらかすというか、結局のところ全部よく分からないのだけれど、なんかいいんだな。雰囲気が。とにかくこの監督は、スローモーションをよく使うと自分は思っていて、しかもその使い方が上手いと思う。今回のオープニングにも痺れた。映画が始まることの歓びを感じていた。主演している千原浩史がよかった。役者としても映画の中の役柄でも浮いていた(この映画は11年前のもので、このときの千原浩史は今の自分と同じ年くらいだと思う)。


もうすぐ豊田さんの新作が公開されるのだけれど、これも見に行く。たとえどんなに内容がつまらなくても見に行く監督はこのひとだけかもしれない。でも結局「青い春」も「ポルノスター」もおもしろかったのだけれど。「ナインソウルズ」はいまいちだった。「空中庭園」は見ていない。


余談だけれど、映画を見終わったあと、ロビーに出たら、俳優の渋川清彦(KEE)さんが居た。もしかしたら他にも役者さんが見に来てたかもしれない。渋川さんのプロフィールを見たら、「清彦」というのは本名で、「渋川」というのは故郷の地名らしい。自分の「シスイ」も故郷の名前だから、勝手に親近感を憶えた。


今日行ったユーロスペースの周りには、ラブホテルやライブハウスが多くあって、妙な人達がたくさん居た。自分はとにかく黙々と歩いた。ちなみに渋谷は嫌い(大嫌い)だ。用もなく行ったりは絶対にしない。その用事が他の街で済むのなら、たとえ遠くても渋谷ではない方の街に行く。新宿も嫌い(大嫌い)だ。週末、これらの街の帰りの電車は大体酒臭く、いらいらする。




2009年12月4日

日記1

人前で話すと、マイクを持つ手が震えてきて、声も震えてくる。聞いている人の顔が見えなくなる。自分の声しか聞こえなくなり、何を言っているのかさっぱり分からなくなる。吐き気がする。大学4年のとき、卒業制作の合評会で、これを初体験した。昔から、話すのが苦手なのは分かっていたけれど、ここまでとは思わなかったから、正直ショックだった。この前の、滋賀でのオープニングでも、同じだった。吐き気がして、何を言っているのか、途中から分からなくなった。それで、自分の声が、いつも体の中で聞こえている声ではなくて、ほかの人が聞くのと同じように、自分の声を耳で聞いているようで、なんだこの変な声はなどと思いだしたら、余計に変な汗が出てきて、また吐き気がした。ひとつ気をつけていたのは、思っていないことは言わないということ。これをすると、よくない。それを守るだけで、精一杯だった(守れたか怪しいけれど)。聞いている人がどう思うかとか、考える余裕がミジンコ程もなかった。


日記2

滋賀で会った日本画を描いているひと、この日記を知らない。連絡の取りようがない。




2009年12月2日

最近、何となく暗い印象を持たれそうな日記が多い。別に構わないのだけれど。ただ、そればっかり書いていたいわけではもちろんないので、今日は違う話。


帰り道、とても寒く、そろそろ朝晩の移動には手袋が必要になってきたみたいだ。いつも寄る喫茶店から出て、アパートに向かっていると、ふと、夜なのにやけに明るいと思い見上たら、満月が出ていた。雲がゆらゆらと浮かんでいて、薄いところは透けていた。雲がもこもこと分厚いところは影になっていて、つまり、あの雲の上に上ったら、月の光を浴びられるだろう。自分はあの空や雲が何色でできているか知っている。みるみるうちに雲がどこからか流れてきて(発生して?)月はぼやけていった。しかし本当に明るかった。たぶん影踏みができるくらいだった。


月はぼやけたけれど、明るい夜の道を歩いて、アパートの前まで来たら、ごろんと何かが転がっていて、なんせ月明かりで陰影が強いから何だか分からず、ちょっと不気味で、遠巻きに見てみたら、キャベツだった。葉っぱが詰まっていて見るからに新鮮なキャベツだった。何なんだろう。満月の夜、アパートの駐車場に、キャベツ。よく分からないし、誰かが作るアート作品のようにも思えて、写真に撮ろうかな(アート作品ぽいからではなくて、ただ、この事態が変だから)、と思ったけれど、やめた。明日にはもうキャベツは無いと思う。




2009年12月1日

滋賀に居た十月の三日間、自分はしあわせだった。
今はよく前が見えない。


どこからともなく泣く
自分は何をしているのか


夜は落ち着く
同時に淋しさ


だれも起きていない時間に絵を描く
自分だけが知っている


昼は明るく気持ちがよい
同時につらい


諏訪さんと話してみたかった




2009年11月28日

日記1

美術館の(他人の)展覧会を見たとき違和感をおぼえるもの。「無題」や「Untitled」という作品(というか、その姿勢)。言葉にならない(できない)から絵を描くというのは、確かにあるかもしれず、けれど、そう言い放ったままというのはどうなんだろう。言葉にする、ということには、諦めきれないものがある。作品をつくったのなら、それにはやはり名前をつけたい。



日記2

失敗するときは、いつ訪れるだろうか。



日記3

アルバイト先以外で人と話していない。自分の顔はぎこちなく固まっているようで、声も届いていない感覚になる。



日記4

TSUTAYAのワゴンセールで「家の鍵」を見つけて、買った。映画の最後、パオロが泣いている父親のところへ近づいていくシーンが忘れられなかったから。



日記5

友人に「家族の映画ばかり見ているね」と言われたことがある。そう言われるまで自分では気がつかなかった。思い返すと、好きな映画も、家にあるDVDも、ほとんどが家族ものの映画だった。




2009年11月26日





2009年11月25日

車で遠いところに行きたい。そして何もせず引き返してくる。




2009年11月20日

いま滋賀でやっている「この世界とのつながりかた」のオープニングのときに会った人と話がしたい。日本画を描いていると言っていたひとで、京都で制作活動しているらしい。名前を聞くのを忘れた(聞いたかもしれないけれど忘れてしまった)。この日記を知っているはずもないし、連絡しようがない。特にどうしても聞きたいことがあるというわけでもないのだけれど、今日の帰り道、無性に、ただ話したくなった。絵の話でもそうでなくてもいいから。




2009年11月18日

石川町に大学の知り合いの展示を観に行った。最後に会ったのは、たしか去年の、まだ夏になる前だったと思う。あまり長居しても悪いかな、と思っていたのだけれど、結局2時間近く話していた。絵のことや、引っ越しのこと、あと、地震や雷、今までに会った変質者などの話。ギャラリーの前の道は通学路らしく、大きな窓からは下校する女子高生たちが見えていて、明るい話し声が響いていた。中を覗きながら通り過ぎていく子もいれば、そうでない子もいた。話をしながら、彼女がひとり、部屋で絵を描いている姿や、犬と散歩する姿、街の中をただ歩く姿が、スライドのように自分の頭の中に現れては切り替わっていき、自分はそれをぼうっと眺めていたのだけれど、部屋に帰ってきた今、まるでそれを実際に見ていたような気になった。




2009年11月17日

すべては、この世界にある。
美しいはずの、この世界に。




2009年11月16日

日記1

遺伝子は洗えず、それに抗うことは並大抵の力ではできない。


しかし自分はそれをやらなければならない。


すべてわかっているような顔、話し方をする人間はくだらない。
それから離れていたいと強く思う。




日記2

風邪をひいた。




2009年11月12日

日記1

うまくやるしかない。


日記2

「誰かひとり、作品を見てもらいたいと思うひとが居れば、いいんだよ。」鷲見さんの言葉を、自分は信じてきた。




2009年11月4日

日記1
手のひらの皮がずり剥けた。
キャンバスを張っていて、なんだか痛い、と思って見たら、皮が一枚無くなっていた。手のひらに何カ所か穴があいているみたい。とても痛い。
水が、とても滲みる。



日記2
どこからともなく泣きたい気持ち。



日記3
いやなことばかり起こる。世界は捨てたもんじゃないということは知っているはずなのに、忘れている。忘れているだけ。そして思い出せない。




2009年11月3日

じぶんはきえてしまいたい
きえてしまいたい




2009年10月24日

NO-MAでの展覧会が始まりました。このような幸福感はいつ以来だろうか。
しばらくこのままでいたいけれど、そうもいかない。
ひとりまた、てくてく歩いていかないと。
以下、それまでの日記。パソコンがなくて書けなかったので。



22日
ワタリウム美術館で不定期に開催されている「15人の建築家と15人の表現者による対話実験」の第6回「素」を聞きに行った。今回は建築家の乾久美子さんと写真家の梅佳代さんによる対談。まず梅さんが写真をプロジェクターで見せながら、いつもの口調で解説していった。公園を歩く高校生の肩に鳩が停まっているところを横から撮った写真は笑ってしまった(実は両肩に停まっているらしい)。乾さんが2番目に話した「群馬のゲストハウス」の設計に、自分は感動してしまった。建築について、専門用語もルールもまったく分からないが、感動した。設計図を上から見た図(?)をプロジェクターで投影しながら説明していたのだけれど、このゲストハウスの全貌が見えてくる瞬間に、自分はときめいていた。なんといえばいいのか…、実際にあの設計図を見ながら、乾さんのあの説明を聞いていないと、伝えられない。本のページをめくる瞬間に似ている気がする。分からない。これも的外れかもしれない…。帰りに、乾さんのところに行き、挨拶をした。「こんなところに居ていいんですか!展覧会頑張ってください。」と言ってもらった。夜8時から始まって、終わったのが10時半。今夜は冷え込んでいて、こういう夜は、早歩きになる。


23日
3時間くらいしか寝ていない。近江八幡に展示をしに行った。前回は小田原から新幹線に乗ったのだけれど、今回は新横浜から乗った。こっちの方が、時間を短縮できる。調べが甘かった。次回からは新横浜を使おう。前回来たときもそうだったけれど、米原で乗り換えのホームが分からなくなり駅員に聞いたら関西弁でうれしくなる。と同時に心細くなる(分かるだろうか、この感じ)。




2009年10月21日

帰りに石けんのお店に寄った。
量り売りだったので、2種類の石けんを100gずつ買った。
店員が、まるで豆腐かケーキにそうするように、包丁で石けんを切っていた。
目分量で切っては計りに載せ、100gに近づけようとするのだけれど、何度も失敗していた。
綺麗な女の人だった。
折れてしまいそうなほど、細い指だった。



その帰りに喫茶店に寄った。
石けん屋の袋を見て、店員に「そこのお店好きなんです。新商品出ていましたか?」と聞かれた。
自分は「初めて行ったんです(本当に初めて行った)。でも出ていたと思います。」と、よく分からない返事をしてしまった。
それがすこし気がかりだったが、今となってはどうすることもできないので、すぐに忘れた。
綺麗な女の人だった。
肌が白く、よく通る声をしていた。




2009年10月19日

日記1
京橋/ギャラリー坂巻「菅野静香 mystic」展、銀座/GALLERY TERASHITA「五十嵐彰雄」展。


日記2
絵は自分が描く。


日記3
誰も見たことないような、誰も体験したことないような感覚にさせる作品が一番だという考え方には、自分は違和感を憶える。
そう言うと、「美術はお化け屋敷じゃないからな。」と、Hさんは言った。


日記4
流行りもあるのか、アウトサイダーアートに対して好意的な印象を持つひとが多い。ただ、アウトサイダーアート「だから」すべて良いとすることがある気がする。自分は、それは違うと思う。よくないものはよくない。それとは反対に、こういう風潮があるからか、一歩引いた目で見る人もいるようだ。それはそれで、実につまらない。いいものはいいし、よくないものはよくない。「『出自』が『何所』だから」という理由で、どちらに対してでも感情を持つのは、くだらない。




2009年10月18日

六本木/国立新美術館「光 松本陽子/野口里佳」展、雪谷大塚/小島びじゅつ室「坂本太郎展 森守」。

招待券をいただいていたのに、まだ見に行っていなかった。国立新美術館には、いたるところに椅子があって、いつも人で埋まっている。それはいいとして、展覧会を見るまで気づかなかったけれど、野口さんの写真は何年か前にギャラリー小柳で見たことがあった。黒い部屋に展示してあった太陽の写真(鹿が映っているやつ)を見て気がついた。印象に残ったというか、ひっかかったのが、「フジヤマ」のシリーズで、霧のような雲のようななかに女の子の後ろ姿が見える写真だった。走っていってしまうような後ろ姿だった。あとは「マラブ」のシリーズの写真。この写真をギャラリー小柳で見たとき、はじめ、妙な人が立っている姿を映したものだと思って、そんなに深刻そうじゃないのだけれど、ちょっと不気味な印象を持ったのを憶えている。その、人だと思ったものが本当は鳥だと分かったあとも、人間みたいだ、と思っていた。それが今日、予想していなかったかたちでまた見ることになり、あのときと同じことを思っていた。写真だけが照らし出された暗い部屋のなかで。すこし時間があったので、ミュージアムショップに寄った。新美術館のミュージアムショップはすきだ。なかなか見応えがある。こういうところで売っているTシャツは、なぜあんなに高いのだろうか。アトリエインカーブのものが欲しかったのだけれど、高すぎて買わなかった。

小島びじゅつ室は自分が4月に個展をした場所で、半年ぶりに会場に入るのは、なんだか妙に緊張した。ここに自分の絵があって、いろいろな人が見にきてくれた。うれしかった。あの展覧会のことは、まだちゃんと憶えている。

でも、もう半年もたってしまった。最近は、天気はいいけれど気分が晴れない。ずっと落ち込んでいる。いや、たまにはこういうこともいいのだけれど、長く続くのはあまりよくない。でも、もうずいぶんと長いあいだになる。



2009年10月17日

表参道画廊+MUSEE F「開廊10周年記念展」を見た。画廊に向かう道は初めて通ったので、目新しく、色々なものを見ながら歩いた。高そうな家具屋や、トートバッグを売っている店、大きな家、新しそうな白い壁の家、綺麗な花が咲いている木がある家、古いアパート、すこし離れたところにある高いビルには、ガラス張りの部屋のなかにテーブルやソファが無造作に置かれているのが見えた(あの部屋は何なのだろう…)。ほとんど建物しか見ていない。そしてそのすべての中を覗いてみたいと思いながら歩いていた。画廊の近くの広場みたいなところで子供や大人たちが、とんがった黒い帽子を被っていたり、オレンジ色の何かの飾り付けをしていたり、ハロウィンを意識して何か賑やかにしていた。はじめは運動会をやっていると思ったのだけれど、帰りにまたそこを通ったら、門のところの小さな看板に「隣人まつり」と書いてあった。なんだか楽しそうだな、と、一瞬入ってみようかと思ったけれど、自分にはそれができない。ほかの人なら、すっと入っていけるのだろうか。


展覧会には17人の作品が並んでいて、部屋に入ってすぐに目にとまった絵を、たぶん森山晶さんのだ、と思って近づいたらやっぱりそうだった。地平線(水平線)の絵で、岩絵の具が照明に反応してちらちら光っていた。それはさながら空気のようにも思えたし、目が慣れないと見えない星のようにも思えた。この絵のタイトルがすきだった。




2009年10月12日

ことしは雪がふるでしょうか。




2009年10月1日

ウェブを更新しました。風邪気味。鼻をかみすぎて痛い。


今月の24日から始まる展覧会のチラシを、また知人や友人に送るのだけれど(まだ準備していない)、綺麗なチラシだから折りたくなくて、そうするとメール便で送ることになって、そうすると切手が貼れなくて、そうすると宅急便のあのバーコードみたいな黄色いシールになってしまう。それがなんとなく気が進まない、というか嫌なのだけれど、きっとそうする。


この前、ふらっとTSUTAYAに行って何か借りようと思った。正確には「ミート・ザ・ペアレンツ」を借りようと思っていた。これは、1ヶ月くらい前に深夜テレビでやっているのを途中から観て、かなりおもしろかったので、最初から観たくなったから。でもこの日は、そういうコメディタッチのものを観たい気分ではなくて、何にしようかとフラフラ歩き回って、結局「チャプター27」を借りた。監督はJ・P・シェーファー、主演はジャレッド・レト。マーク・チャップマンによるジョン・レノン殺害までの3日間を描いた映画。自分はビートルズの音楽のことも、ジョン・レノンのこともよく知らないから、この映画に真実味があるのかわからない(よく知っていても本当は犯人にしか分からないのだけれど)。ジャレッド・レトがよかった。すこし話題になった、体重を数十kg増やすなどの役作りは、最初に登場するシーンでちょっと衝撃を受けた(あの映し方はとてもよかった)。とはいえただの肥満体になったというよりは、もともと体を鍛えている人だから、筋肉がしっかりしている太った体、という印象で、もう引退したけれど、関取時代の舞の海さんみたいだった。そういう体の役作りよりも、映画の中のチャップマンの、あの人間描写がとてもよかったと思う。特に、出待ちをしているカメラマンやジュードというジョン・レノンのファンの女の子に対する、「まだ居るだろ?居てくれ。行かないで。」と引き止めるシーンは本当に不気味だった。このひと役者じゃないんじゃないかな、と思ってしまうほどだった。エンドロールが流れて、ジョン・レノン役の人の名前を見たら、マーク・リンゼイ・チャップマンだった。なぜ、チャップマンに殺されたとされるジョン・レノン役を、犯人と同じ名前の人が(ミドルネームは違うけれど)演じたのだろうか。別にいいのだけれど。顔がはっきり映るわけではないから、その人でなければならない理由があるとは思えないし、意図したものだとしたら、なぜなのだろう。




2009年9月30日

「反復は、発見されるべき新たなカテゴリーなのである」(キルケゴール)




2009年9月26日





2009年9月25日

昨日の日記のつづき。


千葉に帰っている間にお墓参りをした。今年はいままで生きてきたなかでもっともお墓参りをしている回数が多い。お花を供えてお線香をあげた。天気がよく、お墓に行く前、人を待つ間に、近所の貸家の庭に首輪をした猫が居るのが見えて、なんだ可愛いなあと思い近づいていくと、首輪をしているくらいだから人間に慣れていて、何かねだるようにその猫がミャアミャア言いながら寄ってきた。白い猫が黒い布を被ったような模様で、しっぽの先だけ白かった。「何もあげるもの持ってないよ。」と言いながら離れると、猫は地面にごろんと寝転がって毛繕いをはじめて、自分はしばらく遠くから見ていた。

去年の秋くらいから、首が痛くなることがあって、ひどいときには何もできない。起きていられないくらいで、困る。首が痛いと何もやる気がおきなくなる。こういう風になってから、ある日、痛くてたまらず、片手で首の後ろを押さえながら歩いていたら、一歩踏み出すごとに首の中身が動いていることに気づいた。みんな知っていて、自分だけ知らなかったのかもしれないけれど、首というのは何kgもある頭を支えているだけではなかったのか、とすこし驚いた。それで、千葉に帰っている間に、マッサージに行った。地元の駅前にあるお店で、まだ新しい。評判がいいのを聞いて、今年の5月ころに行ったことがあった。おじさんがひとりでやっているところで、色々と話した。はじめ、肩と腰に電気を流すマッサージをうけたのだけれど、これ、自分の部屋にもあったらいいなあ、と思った。電気屋に行って見てみよう。

23日には佐倉市立美術館で「オランダデザイン展―挑発する色とかたち」を観た。この日が最終日ということもあってか、人が結構多かった。オランダデザインの家具や、雑貨、切手、本、雑誌、展覧会のポスター、会社のグッズ、それとモンドリアンの作品など、いろいろ展示されていて、見応えがあった。特に、本のデザインは絵として充分おもしろいというか、目が歓ぶ感じがする。あと強く印象に残っているのは切手。ポスターよりも目が奪われた。切手はせいぜい2~3cmくらいの小ささだけれど、手紙や葉書と一緒に送った相手に届くもので、それは郵便屋さんに送ってもらうことの代償なのだけれど、ただそれだけで終わっていないというか、届いたときの(または選ぶときの)楽しみにも一役買っていると思えるものだった。他の国のことをうらやましく思うのは、あまり好ましくないのだけれど、それでも日本の切手は、もうすこし何とかならないものか。いいものもあるけれど、もうちょっと違うタイプのものがあってもいいのではないだろうか。たとえばグラフィックデザイナーの人がデザインしたものとか。結構おもしろい人、居ると思うのだけれど。少なくとも自分はあったらいいなと思う人が居るんだけど。…でもこれ、もうすでにやっているのかな?それとも、まだやっていないとしたら、今の時代にできないのは、自分が知らないだけで何か理由があるのかな。話がずれました。

久しぶりに何日も千葉に帰っていて、行きたいところにはほとんど行った。千葉はとりたてていいとは思わないけれど、でも、なかなかいいところ。




2009年9月24日

連休は千葉に帰った。ふと、牛久大仏を見たくなったので車で向かった。5年ぶりくらいだろうか。初めて見たのは昼間で、次に見たのは深夜だった。今回はまさに晴天で、車を運転するのも気持ちがよかった。茨城の道は、千葉と違って走りやすい(茨城全体に言えることではないのだろうけれど)。この日はシルバーウィーク(これ、誰がつけた名前だろうか)ということで、フリーマーケットや出店があったりして、人がたくさん居た。それに合わせて、通常よりも入館料が高くて、そこまでしたいというほどではなかったので、結局大仏の足元までは行かなかった。それでも充分、牛久大仏は大きく、なかなかいい顔をしているなあ、なんて思った。自分の周りには牛久大仏を知っている人があまり居ないのだけれど、初めて見るときは、かなりの衝撃を受けるのではないだろうか。自分には強烈な体験だった。牛久大仏は120mくらいある立像だから(ギネス記録らしい)、長谷の大仏のように体が緑に囲まれてもいなければ、すぐ近くに行ってようやく見える、というものではないので、つまり、1km先からでもその姿が見える。見えてしまう。茨城はのっぺりしているから。あの衝撃。初めて見たときもそうだったけれど、今回も、森の向こうに牛久大仏がすっくと立っている姿が見えたとき、思わず声が出てしまった。自分にとって牛久大仏の醍醐味は、近くよりも、こういう、かなり距離のあるところから視認するというところにある気がする。罰当たりな言い方だろうか。あと、もうひとつ、牛久大仏のすごさ、というようなものを感じるのが、夜に見に行くこと。夜のよさは、昼間と反対で、近くで見上げること。というか、近くに行くまで気づかないと思う。これはすごい。何年か前に見た深夜の牛久大仏が忘れられない。夜の空よりも暗い色をした大仏が立っている姿を想像できるだろうか。なんといえばいいのか…音に例えるなら、「ぶぉぉおおおおぉぉぉぉん」というかんじ。闇の恐ろしさを体感させられるものだった。また千葉に帰ったら、今度は深夜の牛久大仏を見に行きたい。


今とても眠いので、日記はここまで。




2009年9月18日

この国に住んでいることが嫌になる。




2009年9月17日

スニーカーがぼろぼろになってきて、そろそろ買い替えないと恥ずかしいような状態だ。でもお店に行くのもしんどい。ところで、スニーカーは白と決まっているけれど、白いスニーカーと言っても、色々なメーカーが出している。自分のはコンバースのジャックパーセルで、これは2代目なのだ。つま先が空豆みたいになっているのが気に入っていて、履きやすい。ただ履きかたが悪いのか、かかとの部分がすぐぼろぼろになる(特に内側)。




2009年9月16日





2009年9月14日

ぷっちょ、というソフトキャンディが美味しい。




2009年9月12日

きのう東所沢に行った。電車で府中競馬場の近くを通ったとき、窓から、そこの大きな画面が見えて、ちょうど、騎手を乗せて走る馬の姿が映し出されていた。電車と競馬場のあいだには結構な距離があるのに、目の前でテレビを見ているような感じだった。自分が今までに見たなかで、きっと一番大きな画面だと思う。競馬はやったことがないし、興味もないけれど、馬が走るところを見られるというのは、なかなかおもしろそうだな、とすこし思った。


そして今日は、久しぶりの雨で、夜、雨が上がったあと、霧が出ていた。そういえば、ウェブの今のトップページも霧の出ている駐車場の写真。あれは那須で撮ったもの。車を運転しているときに、みるみる視界が悪くなって、すこし先を走っている車のテールランプや、対向車線を走る車のヘッドライトが、どんどん頼りないものになるときの、そわそわした感じ。




2009年9月10日





2009年9月9日

何年か前の夜、牛久大仏を見たときの衝撃。




2009年9月8日

先週、群馬県立館林美術館に行った。初めて行ったのだけれど、敷地が広くて、人工芝が広がる大きな庭があり、そののっぺりした感じが、なかなかよかった。小さなカエルが、芝生に足を取られながら、跳ねてどこかへ行った。その日、前日にも会っていた友人と、おすすめ曲を集めたCDを交換した。自分のは「秋葉シスイ・チョイス集 第7章」という題名(7枚目のCDだから)で、前日に「(お互いに)自分のiPodにはこんな曲が入っている」という話をしていたので、それらを主に入れた。人に、おすすめ曲を集めたCDを送るのは、なかなか頭を使う。とはいえ、相手の好みを考えすぎず、こんな音楽もありますぜ、という感じで選ぶ。曲順もいろいろと試して、インストのものを入れたりしながら、最終的に全体がやんわりまとまっていればいいかなあぐらいで作っている。ひと昔前は、こういうのは、カセットテープで作っていたのだろうなあ。それはそれでおもしろそうだ。テレコを使って何かしてみたいと前から思っている。これは作品にできたらいいのだけれど。




2009年9月3日

津田直の「漕」を見た(読んだ)。こんな人、見たことない。自分がやりたいことの一部をすでにやっていて、ああ、と思う。それがまたいいから、なおさらそう思う。津田さんは1976年生まれ。自分にはこのへんの年に生まれた気になる人が何人か居る。くるりの岸田繁さんや、佐藤征史さん、キンモクセイの伊藤俊吾さん、など。ほかの作家では、さわひらきさんや、関根直子さん(この2人は1977年生まれ、佐藤さんもそうだった)。ほかにも誰か居るかな。自分と年が10歳も離れていないということに、さっと体の(頭の中の?)温度が下がるような感覚になることがある。




2009年8月28日

21日のこと
滋賀県に行ってきた。


滋賀県は、生まれて初めて訪れた。考えてみると、自分は、奈良県にもまだ行ったことが無い。行ったこと無いところは、多い。奈良県は、きっと、すきになるだろうと言われた。いってみたい。

ドイツも行きたい。ドイツ。他人とは思えない国。根拠はないけれど。



2009年8月24日

1 日記
もしこれがうまくいかなかったら、とふとおもって、ぞっとする。そのくりかえし。なにをしていてもうわのそら。きがかり。



2 日記
なごやしのちゅうがくせいが、しょうしんじさつしたというにゅーすをみて、こわくなった。ほんとうに、じさつなのだろうか。じさつのほうほうのなかでも、もっともくるしいもののひとつだとおもうのだけれど、それをなぜわざわざえらんだのだろうか。みめいにみちばたで、というのもみょうなきがする。いじめられるほうがじさつしても、いじめているほうははんざいしゃにならない。しかし、いじめられているほうがいじめているほうをころしてしまうとはんざいしゃになる。いったいどうしたらいいんだ。そのことそのおやは、どうしたらいいんだ。がっこうにいかせないとか、そんなことでもしろというのか。そんなかんたんなことじゃない。がっこうがわのきょうとうの、ゆるんだかおのかいけん。むしず。いじめていたせいとらにちゅういをして「いじめはとまった」といっていた。いじめられていたこは「まったくなくなった」といっていました、といっていた。おかしなことをいっている。なくなったのではなくて、よりいんしつになってみえなくなっただけ。いじめにもきづかなかったれんちゅうが、なぜなくなったとわかるんだ。しょうじきものがばかをみるせかい。




2009年8月23日

1 日記
たまに見る人の日記(ブログ)があるのだけれど、今日読んで、もうしばらく見ないと思った。読むのが、つかれてしまった。


2 日記
吹く風が冷たくなってきたら、秋がくるという合図。


3 日記
バレーボールの試合は、テレビでやっていると、ついつい見てしまう。自分が、ルールを理解している唯一のスポーツ。特に、女子の試合をよく見る。いつも気になることがあって、それは、日本で大会が開催されている場合、なぜかジャニーズの人たちが出てきて、試合前に歌を歌い、セットの間にコメントしたりする(決めポーズや掛け声がある)。あれ、あまり好きではない。ほかのスポーツの大会では、ああいうの、無いと思う…。少なくとも、体操の大会では無かった。これは、もう10年くらい前から続いているけれど、いい加減、止めたほうがいい気がする。それと、スポーツ番組以外での、選手のアイドル扱いというか、そういう演出は要らないんじゃないかな。バレーボールの選手たちには、奇妙なニックネームが付いていて、それがいちいち、試合中、クローズアップされた選手の名前のところに出てくる…。それを見るたび、なんだか興ざめする。試合に、そういうの、要らないと思う。




2009年8月13日

毎年、春の終わりから夏のあいだ、自分の部屋のお風呂場の窓にはヤモリが来る。今年はここ数年で、もっともよく来る。先々週くらいは毎日来ていた。窓の外側にぴたっとくっついていて、動かないなあと思っていると、急にどこかに行ってしまったりする。初めて見たときは驚いたのだけれど、こう頻繁に現れると、愛着がわいてくる。現れるヤモリは、今のところ3匹居る。日によって違う。いちばん大きいやつは7センチメートルくらい。こいつはある日、しっぽが切れて短くなっていた。カラスにでも食べられてしまったのかな。でも、日が経つにつれて、切れたしっぽが伸び(再生し)ている気がする。小さいやつは5センチメートルくらいだった。こいつはあまり現れない。自分は、身近でよく見掛ける動物や、部屋においてある植物に名前をつけるのが、すきというか癖なのだけれど、このヤモリたちにも名前がある。「モモちゃん」だ。3匹ともモモちゃん。最初は、やってくるヤモリは1匹だけだと思っていたから、どうやら何匹かいるらしいと気づいたあとも、名前はひとつだけ。おそらく、虫がよく採れるから来るのだろうなあ。たまに、窓の外側に、小指の爪ほどの大きさの虫が止まると、それまでじっとしていたモモちゃんは、目を覚ましたかのようにハンターとしての動きをはじめる。そろりそろり、と虫の至近距離に近づいていき、一気に飛びかかる。一度目撃したときは、なんだかどきどきした。でも、今週に入ってから、モモちゃんはあまり来ない。すこし淋しい。夜、何回もお風呂場の窓を見に行くようになってしまった。モモちゃんのしっぽは完全に再生されただろうか。元気にしているといいな。




2009年8月12日

一日、一週間が過ぎるのが速い。特に何もしていない。何もしていない。同じことの繰り返し。毎日、同じ時間の電車の同じ車両の同じ位置に乗って同じ場所へ行き同じ場所に座って作業をし同じようなものを食べ同じ時間の電車に乗って帰り同じ店にほとんど毎日寄って同じ本を読む。それが嫌だってことじゃない。ただ、一日、一週間が過ぎるのが速いと思っただけ。同じようなことを考えている。この先のこととか、千葉にいた頃のこととか、人のこととか。火曜日には金曜日のことを考えている。


最近は(頭の中でだけれど)自分がまるで大剣を持ってたまにそれを振り回すような感覚になることがある。そういう感覚のとき、腕の筋肉が動くかんじがする。




2009年8月4日

ところで、市民として一番大きな美徳というものはなんでしょう?この間、エフスターフィ・イワーノヴィチがわたしとの話のなかで、この問題について、一番大切な市民としての美徳とは金儲けの才能だといっていました。これは冗談でいったことですが(これが冗談だったということはわたしも知っています)、そこに含まれている教訓は、相手が誰であろうとも他人の厄介になるな、ということです。ところでわたしは誰に対しても厄介になっておりません!わたしはちゃんと自分のパンを持っています。たしかに、それはありふれたパンで、時にはぼろぼろに乾いていることもありますが、それでもこれは自分で働いて得たパンですから、誰からも後ろ指さされずに、堂々と食べてよいものです。これで十分じゃありませんか!筆耕の稼ぎなんかわずかなものだと、自分でも承知していますが、とにかくわたしはそれを誇りとしています。なにしろ、わたしは働いて、汗を流しているんですから。

ドストエフスキー「貧しき人びと」より



2009年8月3日

日記1 (要らないこと)
頭のおかしな人間がいる。
自分のことばかり。
手のひらで踊らせようと色んな仕掛け。
そんなことはくだらない。
考えているふり。
ふり。



日記2 (欲しいこと)
彼は僕のことを何も知らないし、僕も彼のことをほとんど知らない。
僕の声が届くのならば、話をすることは可能だろうか。
ただ話がしたくて。
天気のことや、住みたい町のことや、行きたい国のこと。
そういう話が、したいだけなんだ。
はじめから。



2009年7月30日

アパートの近くには駐在所がある。今日その前を通ったら、今まさに警察署へ連行される人を見た。何人かの警察官に囲まれ、黒い手錠を掛けられ、それと腰をロープで繋がれていた。そういう人を見たのは生まれて初めてだったので、すこし驚くとともに、この人は何をしたんだろうと思った。1日のはじまりに珍しいものを見たわけだけれど、今日の帰り、駅の近くを歩いていたら、こんどは今まさにパトカーで連行される人を見た。近くには警察官に事情を訊かれているような人が居て、車のなかのこれから連れていかれる人は大人しくしていた。こんなこともあるんだな。普段の生活のなかであまり見る機会がないであろうことが、1日に2回もあった。やはり衝撃的だったのは、手錠を掛けられ連れていかれる人の姿で、生まれて初めて見たというのとはまたすこし違うような、そういう事実、人間が連れていかれるという光景を目の当たりにしたということ。何をしたのかは知る由もないが、それとは別に、たぶん自分はこれからたまに、あの連れていかれた人のことを考える、というか思い出すとおもう。




2009年7月28日

自分の絵に額をつけて笑いながらこう言った。「馬子にも衣装だ」と。
嫌になる。



2009年7月25日

7月19日に、用事を済ませてなんだか途方に暮れたように疲れて、ああ早く部屋に戻ろうなどと考えながら歩いて、帰りの電車に乗った。外を眺めていると、黄色っぽいというか、、うん、黄色っぽい。ともかく、普段ではあまりない空模様で、というのは、雲が、雨雲のように厚いのだけれど、明るい、というような空気、世界。普段は、こういう、日常的でない自然の現象を喜ぶほどなのだけれど、その日はなんだか憂鬱で、「ああ不気味だな」と思っていた。そうして電車を降りたら、ホームに居る人たちが、同じ方向を見上げてザワザワしている。なんだと思って、自分も同じ方向を見上げたら、ホームの屋根と止まっている電車の屋根の隙間に、それは鮮やかに、はっきりとした虹を見た。なんだこれはと思って、駅を出てからもう一度見上げたら、それは、完全な虹だった。始まりから終わりまで、地面から地面まで、途切れていない、完全な。何より色が鮮やかすぎて、目を疑うとは、心奪われるとは、あのようなことを言うのだろうか。そしてようく見ると、その虹の左側に、薄く、もうひとつ虹が出ていた。周りの人はしきりに、携帯電話のカメラやデジカメで撮影していた。自分はというと、ただ見ていた。写真に撮ると、弱くなる(何がかは知らんが)、漠然とそう思った。それと同時に、「忘れたくないものは写真に撮らない」という、小学校のとき道徳の授業で読んだ文章の言葉を(しかしこの言葉は怪しいと感じるが)、思い出した。それだけで、綺麗じゃないか。そうやって眺めながら、もしかしたら見ているだろうか、と一瞬思った。自分と同じように、もうひとつの薄い虹にも気づいただろうか。虹はだんだん、色が薄くなっていったけれど、空は相変わらず黄色っぽく、それに夕方のオレンジや紫が混ざって、妙な色をしていた。もし、この虹が、時間帯が違ったり、方角が違っていたら、見られなかっただろう。自分に限らず、虹に気付いたすべての人において。





この写真は、この前壊してしまった携帯電話。



2009年7月24日

「梱包された自分の絵を運ぶときに雨が降ってきたなら、画家は、自分にでなく、絵に傘をさすんだ。濡れないように。そういうもんなんだ。」


うまくいかないことばかり。自分が悪い。正しいと思っていることも、的外れなんだと思ってしまう。他人のしたことが、本人にそういう意図がないとしても(あるかもしれないけど)、気に入らない。馬鹿にされるのは嫌だ。我慢してきたけど。自分には言い返せるだけのものが何もない。でも、嫌だ。気分が暗い。またこんな感じ。世界を一瞬で消す方法は?という問題の答えは、自分が死ぬことだった。言い換えれば、世界を変える方法は、自分が変わることだ。


でも、世界は美しいものなんだ。
それを忘れてはいけない。




2009年7月22日

さっき(午後9時半ころ)、携帯電話を壊してしまった。だから通話もメールもできません。
用がある場合は(ないと思うけれど)、こちらにメールを送ってください。



2009年7月21日

海を掬う
雲をつまむ
山を切る
風を持ち帰る


いつだったか、思いついた、言葉の羅列。
自分でない人ならば、もうすこし違った言い回しを(そしてより的確に)思いつくだろう。


自分ひとりでは、ひとりの人間でしかなくて、ときどき、無性に、つまらなく感じることがある。もし、ここに、話したり話を聞く人間がいたならいいと思うのだけれど、きっと、それは誰でもいいのではなくて、すでに決まっているのかもしれないと思う。本やパソコンで読むような活字になっている誰かが書いた文章は、読むときに、声に出さなくても、頭の中で誰かの声を借りて読んでいる。いや、しかし、厳密に言うと、「借りる」という言い方は不自然であって、なぜならそれは、その借りた声の主は、別に自分の知らない人だから。つまり、文章の主体が男性なら、自分ではない「男性」の声で、それが女性なら、自分ではない「女性」の声、という極めて漠然としたものであるから。こうして自分以外の声を感じることがあるのは確かなのだけれど、ここに居ればいいと思う(望む)人間は、こういう明瞭としない存在でなく、すでに決まっている声の持ち主なのではないかと思う。ただ、自分でもそれが、一体誰で、いまどこに居るのかは分からない。




2009年7月20日

日記1 (本)
保坂和志の「残響」を読み終わった。


日記2 (部屋)
掃除をした。棚を作ろうと思う。


日記3 (生活)
ひとりでそれを続けたなら、運命は変わるだろうか。




2009年7月18日

愛しいまりあ。
惨めな僕を、どうか、笑わないでおくれ。
たとえ、世界中が僕を見下しても、どうか、今の僕を笑わないで。




2009年7月14日

質問


世界が滅んで、一艘の舟があります。自分の他に、もうひとり乗せていけるとしたら、次の動物のうち、何を選びますか。

1 馬
2 孔雀
3 虎
4 羊




2009年7月12日

数日だけれど千葉に帰っていて、そのうちの半日は、高校に行くために使った。人生の中で、今に確実に繋がっている選択は何か、と聞かれたら、自分は、「この高校に行くことを選んだ決断だ。」と答えるだろう。世界の歴史から見たら、無いに等しいくらいの時間の堆積や、出来事の集積だが、ひとりの人間には、充分過ぎるくらいのそれだった(もっとも、もっとちゃんと、色々なことに向き合えるだけの知恵や術が身に付いていれば、と思うことも、今になってみればたくさんあるのだが)。同級生とは連絡をとっていない。高校に行くのは、(いつも決まった、数人の)先生たちに会うためだ。自分が居たころとは、景観がすこし変わったところもある。この日は、授業が半日だけで、帰宅する学生や部活動をする学生で賑わっていた。元気のいい人たちのなかを歩き、それだけでなんだかとてもはずかしい気持ちになっていたのだけれど、校内を歩いていたら、日に焼けた、いかにも今風の(言い方が古いか、、)男子学生が、「こんにちは」と挨拶してくれた。自分も「こんにちは」と返しながら、驚いて、でもそれとほぼ同時に、高校生のとき、たしかそういう、校内で来客に会ったら挨拶をするようにという指導を受けていたなあ、と思い出していた。美術室で、美術部の人たちに紛れて、片付けの手伝いをしたり、本を読んだりしたあと、帰った。


帰りに、喫茶店に行き、美術の先生と、アニメの話や、日本の都道府県の位置の話をした(2人とも記憶が曖昧だから日本列島の天気図で答え合わせをした)。この喫茶店のレジの前には、オリジナルのマッチ(箱じゃなくて二つ折りのケースのやつ)があって、今どき珍しいなあと思い、2つもらってきた。「人のセックスを笑うな」のなかで、ユリが煙草に火をつけるときに、このタイプのマッチを使っていて、火のつけかたがカッコいいなと思っていた。それを自分もやりたかったのだけれど、身近にそんなマッチは売っていなくてできずにいたのだ。それで今日、試しにやってみたら、これがなかなか難しい。慣れていないから、手つきが覚束ない。それでもコツをつかんで、やっと火をつけることができた。火がついたら指で弾いて消す。ユリがやっていたように。でもただつけて消すだけでは、つまらない。




2009年7月7日

今日は七夕。
夜、ベランダに出たら、月が輝いていた。雲の輪郭がはっきりしていて、しばらくしてまた上を向いたら、月は曇に隠れていた。
空にはいくつか、星が出ていた。はっきり見えるものと、注意をはらわないと見えないもの、自分の眼では見えないもの。
それでも、どれも、同じく空(宇宙)にある。




2009年7月5日

正直者が馬鹿をみる世界。




2009年7月4日

恋をする理由に、正しいも間違いもないだろうが、知り合いのそれを聞いたとき、自分はとても感動した。もう随分前の話だけれど。たまにそのことを考える。


自分の存在が、ある人にとって、無いに等しいくらいのものなのではないかと考えていたとき、夜中、ある女性から「寝た?」と書かれたメールが届いた。
彼は、自分を気にしている人が居て、そのことがうれしかった。そして恋に落ちた。やっぱりそれは、きっと正しい。




2009年7月3日

映画「パッセンジャー」のなかで、アキラとヒロコが車に乗っているシーンは、綺麗だ。あの雰囲気は、何となく分かる。
2人の人間が居るから起こる、出来事の空気。それで満ちるから、言葉がない。




2009年7月2日

アルバイトを休んだ。また調子が悪い。頭が痛い。




2009年6月29日

「tokyo.sora」を久しぶりに見た。夜眠れなくて、ふと、この映画の断片を思い出したのだ(このDVDは何年か前に買って持っている)。深夜、映画を見ている最中も見終わったあとも、初めて見たときと同じような、気持ちになった。普通の風景が特別のように感じられるとき、登場人物たちの素敵な性格、この映画の中で唯一すんなり受け入れられない展開(ユキちゃんの展開の仕方には、いつも違う方法を考えてしまう)。登場人物たちは一様に、淋しさや人恋しさを持ち合わせていて、ただそれとどう向き合っていくかが、当たり前だけれどばらばらで、強いとか弱いとかの次元の話でなく、生きているからそうなる(単純だから複雑になる)というような構造が、物語の外側の自分たちと、極限にまで近い形で映像としてなっている。そう、映画と言うよりは映像と言った方が合っているかも知れない。<br><br>この中で、登場人物それぞれは、全員が明確な形で関係を持たないのだけれど、ほんのすこしずつ、たとえば、同じ電車の中に居合わせたり、同じ道路を時間をずらして歩いていたり、という繋がりがある。これは言わば、自分自身には見えない世界を切り取って(あるいは違う方向から)見ているのだから、ドラマチックに思えるが、実際のところ、自分の世界でもじゅうぶんに起こりうることで、現に起こっていると思う。世界はひとつではなく、いくつか存在しているのだけれど、その、それぞれの摩擦というか、接触の反動に、何か(こうとしか言いようがないこと)を期待せずにはいられない。




2009年6月28日

キング・オブ・ポップと呼ばれた人が亡くなったというニュース。これを聞いたとき、本当に死んだのかな、と思った。本当はまだちゃんと生きているんじゃないかな、と。これは、よくある「誰々は、まだみんなの心の中に生きている」というような、願いともとれるような思考ではなくて、物体(肉体)としての意味でだ。なんか、妙だと思うのだ。どっかでこの騒ぎを見ている気がする。姿をくらまして、生きていこうと決めたのではないだろうか。




2009年6月26日

1 してみたいこと
夜中じゅう、車の運転。海際の道か、高速道路。


2 日記
本当に些細なことで、落ち込む。すこし気分がよくなっては、落ち込む。その繰り返し。天気がいいことにも気づかない。気づけば、夜。




2009年6月25日

アルバイトを休んだ。
眠れずに朝になった。外は不気味な灰色で、どこかに幸福は落ちていないかと、主人公は徘徊する。




2009年6月24日

アルバイトを休んだ。具合が悪い。頭痛が続いている。頭の中はどうなっているのか。どうして頭痛は起こるんだ。それと、体とは別のもうひとつ、人間を形成するもののバランスが悪く、自分でも、どうしたらいいのか。


欲望がなくなったら終わりだ、と言っていたのは誰だったっけ。たしかに。それは、目標とかもそうかな。


誰かと話がしたいと思うと同時に、誰ともはなしたくないという気持ちが出てくる。
自分以外の人も、こんな風に、思ったりするのかな。




2009年6月23日

自分がいま、ここに、こうして、居る理由なんかないのだ。




2009年6月22日

答え


イレーネ   → 江口のりこ




2009年6月21日

問題


クレア    → 上野樹里
テレサ    → 後藤久美子
ラキ     → 井之脇海
ミリア    → 松雪泰子
ヘレン    → 土屋アンナ
デネブ    → 黒木メイサ
オフィーリア → 吹石一恵
ジーン    → 木村佳乃
フローラ   → 湯川潮音
ウンディーネ → 小池栄子
ガラテア   → 桐島かれん
リフル    → 大後寿々花
プリシラ   → 沢尻エリカ
リガルド   → 早乙女太一
イースレイ  → 及川光博
イレーネ   → ?




2009年6月20日

日記1
あの雲が何色でできているか知っている僕に、友達が居ない
可愛い女の子が隣りに立つ僕に、友達が居ない
健康な僕に、友達が居ない
ロスコの生まれ変わりの僕に、友達が居ない
歯並びが悪い僕に、友達が居ない
頭の中で人を殴る僕に、友達が居ない
テレビを見ない僕に、友達が居ない
人見知りの僕に、友達が居ない
雨が降るときが分かる僕に、友達が居ない
足が速い僕に、友達が居ない
動物と話せる僕に、友達が居ない
彼女が恋をしていない僕に、友達が居ない
本を読むのが遅い僕に、友達が居ない
今インスタントラーメンを食べる僕に、友達が居ない
お金がない僕に、友達が居ない
変な声の僕に、友達が居ない
卵焼きが世界一うまい僕に、友達が居ない
哀しくない僕に、友達が居ない
楽しくない僕に、友達が居ない
コーヒーばかり飲む僕に、友達が居ない
部屋を選ぶセンスがない僕に、友達が居ない
日記を書く僕に、友達が居ない
横になる僕に、


日記2
最近は、見るテレビは金曜ロードショー(日本テレビ)か、土曜プレミアム(フジテレビ)か、日曜洋画劇場(テレビ朝日)だけ。今日の土曜プレミアムでやっていた「トランスフォーマー」は、途中から見たのだけれど、何と言うのかな、いちいち騒々しいというか、登場人物たちの声の大きさや話し方が、ひどく不快だった。途中から見た、というのはおそらくあまり関係なく、たとえば最初からあの映画を見ていたとしても、それは変わらないと思う。そして日本語吹き替え版だったことも、関係ない気がする。単に自分の肌に合わなかったということなのだろうけれど、何なんだろう、あの不快感は。あれは映画じゃない。あと、主人公の傍にいた女の子(ヒロインかな)が、何ともよくなかった。笑っている顔も、困った顔も、誘っている顔も、全部同じに見えた。表情がないというか…。


日記3
自分にとって声というのは大切である。自分の声にコンプレックスがあるというのが大きな理由であるけれど、「いい声」の人は、うらやましいというか、自分のものにしたくなる(その声を)。声優で言うと、星野貴紀さんのような低く深いような声もいいし、櫻井孝宏さんのような固く冷たい感じの声もいい。女性だと、麻生久美子さんのような鈴を転がしたように響く声がたまらなくいいです。他にもたくさんいい声の人は居ます。というか、大抵の人は、自分よりいい声。声好きが嵩じて、声を使って、何か作品とかできないかなあと、最近ぼんやり考えています。


日記4
頭が痛いのは気のせいではない。




2009年6月19日

引っ越しをしたいなあと、もう何年も前から思っている。そう思うたびに、「お金がなくてできない。」と思う。でも実際は、お金はどうにかなるものだ。労働すればいいのだから。本当の問題はそうでなくて、自分は、部屋を選ぶセンスというか、そういう感覚的なものが優れていない。それは部屋に限らず(きっと挙げれば切りがないだろう)。実は住みたい町があって、いつか、そこが自分の町になったらいいなあと思うのだけれど。他ならぬ、自分にとっての「良い部屋」を見つけられるのかな。センスないのに(これは大問題なんだ!)。ちなみに今住んでいる部屋は、値段のわりには広い。だから、一部屋を絵を描くための部屋にしている。以前は、絵を描くことを第一と考えていた。それが正しいと思っていたし、かっこいいとも思っていた。でも、ずっと前からここを(町からも)出て行きたいと感じていて、そして今日ふと、別に狭い部屋でもいいから、住みたい所に住みたい、と思った。ただこれは、今日の心境や、最近の気持ちの落ち込みから、そう思っだけなのかも知れないけれど。もし自分が引っ越しをしたら、携帯電話を解約して、「息子のまなざし」でオリヴィエが使っていたような大きくて四角い電話を、部屋に引きたい。




2009年6月18日

起きている間は誰とも話さないのに、夢の中で誰かと話していた。あれはロスコだ。外光がよく入る部屋のなかに居て、ビーチチェアみたいなものに座っていた。何を話していたか憶えていない。楽しく話したり、インタビューのように、質問があって答えがあるというよりは、ぽつり、ぽつりと言葉が聞こえて、自分も何かを言っていた。絵のことじゃなくて、生活のことを話していたような気がする。一緒に暮らしていたのかな。


ただ、これは本当に夢で見たのか、自分の記憶のすり替えみたいなもので作り上げたものなのか(そんな夢なんか見ていないのか)、判断できない。




2009年6月17日

アルバイトの休憩中に、ワタリウム美術館でやっている「アロイーズ展」を見た。ここは、会期中なら、同じチケットで何度でも入られる。一回の休憩では見きれないので、何日かに分けて行くことにしよう。今日は2階を見た。紙の中に、ぎゅうぎゅうと押し込まれたような絵が多い。紙を糸で縫い合わせているようなものもあって、興味深かった。縫い合わせて紙の面積を広くしていたり。アロイーズの絵を見るとき、自分の目が、きょろきょろと、動き回っているのが分かる。絵の上を這っているみたいだ。「マントの中に君を入れる」みたいな題名の絵(タイトルをメモし忘れた)が、よかった。




2009年6月16日

ド・スタールも自殺で、ロスコも自殺だった。彼らがこの世にもう居なくて、一緒に話ができないことが、悲しい。
聞きたいことが、たくさんあった。
ロスコの本を読んでいて、無性に、そう思う。




2009年6月15日

しばらくの間、日記を書いていませんでした。正確に言うと、書く気になれなかった。もっと正確に言うと、前回の日記を書いたとき、もう当分の間書かない(もうできない)と決めたから、あれを書いたわけなのだけれど、それなのに、書きたいことは、ほとんど毎日なにかしらあって、言いたいことや思いついた文章が、頭の中をぐるぐるぐるぐる回っていたのだけれど、いざ、書こうと思うと、それを思ったと同時に、「こんなこと書いてもどうしようもない。」「何にもならない。」という気持ちになって、結局書かなかった。でも今日は、書いている。どうしようもなくても、その、何かしら思うことを記すことは、必要だ。少なくとも、自分には。書きたい、書きたい、と思っていることが分かった。ある人の昔の文章を読んでいて、おもしろそうだったんだ。だから自分も始めたんだけれど。いつしかそれも読まなくなっていて、昨日、久しぶりに読み返したら、やっぱりおもしろかった。


パソコンの画面に打ち出される文字は、自分の文字ではないから(形が違う)、一見、無機質のように思える。でも嫌いじゃない。誰が書いた文章も、同じ形の文字で書かれているのに、そこから受ける雰囲気は同じようにはならないんだよ。それはやはり、言葉の選び方や、言い回しの違いが大きく関係しているのだろうけれど、だからなおさら、違うものを同じ形の文字列で表すから、おもしろいのかも知れない。




2009年5月29日

しばらく書けない。




2009年5月27日

こんなに部屋に帰りたくなかったのはいつぶりだろうか。でも帰って来てしまった。あっけなく。途中で行き先を変更し、あるいはまったく考えもせずにどこかへ行ってしまうほど、気はふれていないということだ。明日も仕事があるから自分が居なくては誰かに迷惑がかかるとか、あてもなく行き着いた先のことを考える余裕すらあって、結局のところ、どこかで理性を保っているということだ。自分にできたのは、電車を2本ほど見送ることと、いつもよりゆっくりと歩くことぐらいだった。しかし何も変わらない。希望は消えた。うまくいくといいと願っていたことは打ち砕かれた。別世界だ。数時間前、まだ夢をみていた。それがどうだ、跡形もなくなった。




2009年5月25日

この日記を読んでいるか分からないけれど、柊が出てくるお話は「ムーンライト・シャドウ」だった。




2009年5月22日

目黒/目黒区美術館「上野伊三郎+リチ コレクション展 ウィーンから京都へ、建築から工芸へ」、日本橋/日本橋高島屋「荻原季美子・山本直彰 二人 展」、上野/東京藝術大学大学美術館陳列館「第3回企業のデザイン展 資生堂・サントリーの商品デザイン展 -over a century of design by Shiseido & Suntory -」、上野の森美術館「ネオテニー・ジャパン 高橋コレクション」展。


上野伊三郎+リチの展覧会は、伊三郎が主に建築の図面、リチは主に伊三郎の設計した建物の内装デザインや工芸品のデザイン画、そのデザインを形にした実物 の展示だった。印象がつよかったのがリチで、壁紙や生地、小物入れなどのデザイン画は、どうしても絵に見えた。見ているときに、自分の目が歓んでいた。そ れだけで部屋に飾ってあっても素晴らしいような。また、紙の色が茶色っぽく変色していることは、否応でも時間の長さを感じさせて、この絵が描かれたとき の、ひとりの女性のことを想像させた。伊三郎の建築の図面は、自分にはよく分からないような言葉や線があって、だからか、それもまたひとつの絵として見て しまった。設計図の横に、実際に建てられたその建物の写真も展示されていて、そのふたつを見比べると、人が紙の上で想像したものが、機能をもつ物へと実際 の形になっていた。当たり前になっていることだけれど、ふと、「すごいことじゃないか。」と思った。それは、設計した伊三郎(頭)と建てた人たち(手)の 間には、なにか自分の知らないことが多そうだ、と。

山本先生の授業を、大学の後半2年間とっていた(さぼった日もある)。絵について、その考え 方について、人との接し方について、よく話していた記憶がある(自分は聞く一方)。憶えている。ロマンチストという甘い言葉は不似合いだけれど、そういう 面が多々ある素敵な大人だ。

資生堂とサントリー。自分が買うのはサントリーのジュースくらいだけれど、両方とも、広告はよく目にしていたと知っ た。それと、自分が買わなくても商品はお店によく置いてある。陳列館にずらりと並んだ両社の商品のデザインは、時代を反映するというのもあるけれど、消費 者へのメッセージが込められていたり、その商品を見た目からも物語るようなもので、納得する部分があった。クールなイメージだから「細身の角張った瓶で色 はブルーが基調」だったり、高級感を演出するために「金色の蓋」「手作りのカットガラス」だったり。それと、そのものの形だけでなく、商品名や情報文の フォントも注意して選ばれている。歴史を追うことを目的とせず会場に入ったとしても、楽しめる展覧会だったと思う。1階は、列を成して見るような展示の仕 方で、自分も順々に商品を見ていたら、後ろのほうで、おじさん2人が「あった、あった。そういえばこんなのあったよねえ~。」と大声でしゃべっていた。そ うだなあ、自分でも懐かしい商品(サントリーの「はちみつレモン」)があったくらいだから、おじさんたちには、もっと、青春時代に使ったサンオイルとか、 お酒とか、色々あって、そういう点でも楽しめたのかなあ、と思った。

高橋コレクションでは、色々な作品が見られた。ひとりの人が選んだとは思え ないくらい、色々なタイプの作品があって、何が、この人の基準なのかなあと、ときどき思った。きっと何かのルールというか決まりがあるのだとは思うのだけ れど。経済力が雲泥の差(!)ということは抜いて考えたとしても、自分には分からなかった。でも、前から自分が欲しいと思っていた作品もあった。たとえ ば、さわひらきさんの映像。自分が初めてさわさんの作品を見たのはたぶんあれで(食器や文房具などに足が生えて歩いたり飛んだりするやつ)、そのとき「欲 しい!」と思ったんだ。すこし、羨ましく思った。


今日はなんだか、へとへとになった。



2009年5月21日

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




2009年5月20日

手紙を書いたら、返事が来た。絵の具や鉛筆が一緒に入っていた。誰かからの返事を待ち遠しく感じるのは、それを待っているからだろう(妙な言いかた)。毎日ポストを覗いては、来るかどうか分からない便りのことを気にしていた。


色々なことを思い出して、でもだんだん朧げになってしまう。まるで写真のように切り取られた場面だけが、薄ら残るだけである。すべてを記憶することは難しく、しかしそうである必要はないと分かっていながら、それを望む。




2009年5月19日

涙をこらえてクールに踊る 4分半だけ夢見たいから ベイベー 離れられない




2009年5月15日

竹橋からの帰り、乗換駅の代々木上原で、ふと駅の近くにある古本屋のことを思った。もう何年も行っていないけれど、まだあの場所は変わらずあるだろうか。帰りを急ぐ必要はない。久しぶりだから道も忘れかけていて、何度か行ったり来たりした末にたどり着いた。前回来たときと同じように、レジの横には犬が居た。何か無償に本が欲しくなって、保坂和志の「カンバセイション・ピース」と「残響」、ドストエフスキーの「貧しき人々」を買った。なぜそうしたのか。きっと、いつもと違う行動を取りたかった。その小さな変化が、今日の自分にはとても大きな力になる。たとえ気のせいでも。


清澄白河のhiromi yoshiiに行ったとき、入口のガラスに気付かないで体ごとぶつかってしまった。正確に言うとドアの横の壁にあたる部分。よそ見(展示の看板を見ていた)とはいえ、こんなことを自分がするとはショックだ。恥ずかしさのあまりに、頭から誰の展示だったか吹っ飛んでしまった。でもその自分の可笑しな出来事は、昨日からの気分を、束の間引き離してくれた。その後見た池田亮司もそうだった。今日、展覧会をいろいろ見たのは、正解だった。






銀座/ギャラリー小柳「内藤礼 color beginning」。清澄白河/シュウゴアーツ「田口和奈 そのものがそれそのものと」、タカ・イシイギャラリー「伊藤存 April Pool」、hiromi yoshii「ヒロミックス 早春、心の輝き」「毛原大樹 都市のエフェクト」、東京都現代美術館「+/- [the infinite between 0 and 1] Ryoji Ikeda」「MOTコレクション MOTで見る夢/MOT,Field of Dreams」。竹橋/東京国立近代美術館「ヴィデオを待ちながら」。


内藤礼の作品を目の前にすると、音がなくなる。時が止まっているわけではないのだけれど、それを忘れるというか、遠ざかる(感覚がする)。それと、絵とそれ以外の作品(今回の展示でいうと糸の作品とか、水が流れている作品)が、すべてどれも独立しているのに散漫になっていない。ただそこにあるだけにも関わらず、動きたくないようなもうしばらく見ていたいという気持ちが出てくる。
田口和奈は佐倉市立美術館の「CHAOSMOS'05」で初めて知ってから、気になっている作家だった。作品ができるまでの行程もどうやらすこし変わっているし、そうしてできた作品はすこし不気味でもあり、同時に目が離せなくもなる。特に女性の作品の方は、たとえば「ひとりの人間のイメージでない」と知らなくとも、明らかな違和感があって、不穏に感じると思う。実際、4年前に初めて作品を観たときがそうだった。今回の作品は画面のシルバーが強くて、焦点が合わしにくかった。描かれている内容に加えて、作品を見る行為自体もすこし遠ざけられるような印象を持った。<br> 伊藤存は本や手帳の表紙になっていて知っているくらいで、実際の作品を見たのは初めてだったかな。テキスタイルの作家というイメージが自分のなかで強かったから、それ以外のもの(丸い紙や、飴細工みたいなものや、シャワーキャップみたいなもの)が会場の所々、ふと目が行くところにあるのが、おもしろかった。こういうこともやるんだ、と。何かひとつ見つけると、「もしや、あそこら辺、あの角を曲がったあたりにも何かあるかな。」と探していた。それが狙いなのか知らないが、自分はそうやって楽しんだ。そういうこともあってか、布の作品は印象が弱かった。内藤礼とはここが違う。
ヒロミックスの絵を初めて見た。最初、(上に書いたような理由で)誰の展覧会か知らないで会場に入り、絵だけを(写真よりもまず絵に目が行ったので)見て、またこういう感じかと思った。でもそのあとに、興味はあまりなくても自分も知っている写真家の描いた絵だと知って、なるほど、と思ってしまった。これは恐い。とどの詰まり、作品だけで判断していないということになってしまうから。こうやって、作品以外のもの(他人がつけた評価や、文章、時にはその作品の解釈)で、観賞する土台や基準があらかじめ存在してしまうというのは、よくない(それが正しいか分からないが、自分はあまりそうなりたくない)。でも実際それは往々にしてある。
池田亮司の展覧会はひさしぶりの衝撃だった。一気に日常から遠ざかった。大きく分ければ、黒い部屋の映像作品と、白い部屋の音の作品に分けられるけれど、自分は断然、黒い映像の部屋がよかった。その最大の要因は、作品のスケールだと思う。空間の仕切りがない、広い場所で、何やら意味不明な線や数字が、あたかも何かを表すかのように次々とリズミカルに現れて、流れて行く。映像自体もわりと好きなほうだったけれど、それだけ、というよりは、あの整列して並んでいる様や、投影された映像の大きさも心地よかった。たとえばあれを小さな画面で観たとしたら、このようなおもしろさは感じなかっただろう。映像の内容と空間の関係が、絶妙だった。あと、音と映像の合わせ方もよかったと思う。音の雰囲気からして、映像と音の先(結末のようなもの)が読めるのだけれど、それでも驚いたし、機械的なリズムに合わせて流れる数字は人間のように見えたり、その遺伝子のようにも、ただの塵のようにも見えたりした。一方の白い部屋は、音を聞くというよりは、脳みそにそのまま信号が送られているようで、ひどく大袈裟な耳鳴りのようにも思えた。この部屋は靴を脱いで見るようになっていたのだけれど、今日は最近気に入っている靴下を履いていたので恥ずかしくなかった。一方、コレクション展は、ここ最近気になっていた何人かの作家を、改めてみる機会となってよかった。不意だったのは、伊藤存の何年か前の作品が出ていたこと。これを見るすこし前に見た最近の作品よりよかった。布の形が変な形だったり四角でないことが、うねうねと行き交う糸を、陽気と言ったら言い過ぎな気がするけれど、楽しそうだな、と思わせた。それと、単純に布と糸の色のバランスが新作より綺麗に見えたということもあるかもしれない。すこし時間があったから、友人が働いているNADiffに寄ったら、彼女は休みだった。商品を一通り眺めてから近代美術館へ。
「ヴィデオを待ちながら」は、最初のコーナーが見づらかった。これは残念だ。あらゆる方向を向いてモニターを置くのも、あまりよくない気がしたけれど、何よりモニター同士の間隔が狭い。展示室最初のコーナーということもあって、やはり人は最初はゆっくりじっくり見る傾向があるようで、そこに充分なスペースとまではいかなくても、人が滞るような配置の仕方はちょっと厳しかった(小さい椅子がひとつやふたつだけ置いてあるのも)。それでも半ばくらいからは、相変わらずその方向は色々だったけれど、スクリーンの作品が出て来たり、人が動ける間隔が出て来て、そこまで気にならなくなった。映像のおもしろさみたいなものを感じたのは、部屋に作られた合わせ鏡と、今まさに2台のカメラで撮影された映像が5秒遅れて流れるモニターを使った作品だった。ちょうど、知らない女の人が自分の前に入っていたので、自分ではない別の人の動きが加わって、余計にそう感じたのかもしれない。それと、たった5秒の時間差。2人は同じ方向に居なかったから、彼女が見ているモニターには主に自分の5秒前の姿が映され、自分が見ているモニターには主に彼女の5秒前の姿が映されていた。時間を共有したという歓びも、少なからずあったと思う。あと何も考えずに単純におもしろかったのは、今で言うところの「ピタゴラスイッチ」みたいな映像。うまくいくかな、とほんの僅かにハラハラしながら、物に与えられた役目が果たされたとき、これも僅かに気持ちが高ぶった。最初にそう思ったのは、糊でべとべとしている板の坂道を、鉄の塊(円柱)が転がっていく場面。糊に抵抗しながらゆっくり坂を下って、見事下までたどり着くと、次の物体へと役目をバトンタッチする。そうだ、「運動を次に繋げる」という役目を、意識の無い「物」が背負っているから、おもしろかったんだ。




久しぶりの長い日記、と感想。



2009年5月14日

話がしたい、誰か。




2009年5月13日





2009年5月12日

自分の手のひらにある生命線は、途中で切れている。以前は辛うじて繋がっていたのだけれど、今では完全に途切れている。しかも、年々その間が広がっているような気がする。手相を信じているわけではないが(占い師に見てもらったこともないし)、自分が唯一知っている手相なだけに、しかも生命線という大それた名前だし、やはり、気になる。段々と、切れた間隔が広がっていくというのがなあ。今では横にある別の線に繋がってしまいそうだよ。




2009年5月10日





2009年5月9日

電車のなか、外を眺めていると、月が浮かんでいた。次から次へと通り過ぎる建物の間から確かに見える。
綺麗な丸で、自分と同じスピードで走っているようだった。




2009年5月8日

「50円の記念切手は、現在販売しておりません。」と言われた。80円の記念切手は何種類もあるのに。




2009年5月7日

スニーカーは白に決まっています
駅までは歩くと決まっています
お弁当にはナゲットひとつと決まっています
コーヒーは一日2杯と決まっています
音楽はくるりか及川光博と決まっています
花はガーベラと決まっています
女の子はやさしいと決まっています
男の子はつよいと決まっています
テレビゲームは脳みそを破壊すると決まっています
歩き煙草は迷惑と決まっています
子供を殴る大人は人間のクズと決まっています
夜のサングラスは意味不明と決まっています
人前で化粧をする女の人の美意識は本当のところ崩れていると決まっています
女の子は時に男の子よりもつよいと決まっています
男の子は時に女の子よりも涙がでると決まっています
そして本当のことは決まっています
「前だけ見れば何でも見える」と決まっています




2009年5月6日

ウェブを更新した。



今日は一日雨が降っていて、ずっと部屋のなかに居た。
雨の音を聞きながら眠ってしまったり、これからのことを考えながら眠ってしまった。まるでそれから逃げるように。




2009年5月3日

個展が終わってから一週間が経った。


今、千葉に向かう電車のなか。及川光博を聴きながら携帯でこれを書いている。帰ってきたらウェブを更新する。




2009年4月30日

個展は終了しました。観に来て下さった方、どうもありがとうございました。<br><br><br>展覧会が終わってから、はじめての日記だ。本当にたくさんの、頭では抱えきれないほどの思い出ができた。だから、終わってしまう、という気持ちがどこかにあった。ちいさいけれど、見逃せないものだ。こういう、「日記を書く」という行為をしていて(たとえ読んでいる人があまり居なくても!)、日付をさかのぼってまとめる、というやり方は自分はあまり好きではない。でもやっぱり、書こうと思って、今日はまとめます。<br><br><br>4月25日(土)展覧会7日目。<br>朝から大雨。4月に入ってから、天気が悪くなる日もあったけれど、週末(自分の展示の日)は晴れていたので、このままいけるかな、と思っていた。会場に着くと、もう何人かの人が来てくれていて、中には千葉の友人が居た(余談だけれど、彼女はどんどん綺麗になるのだ。今日一見したときも、「ああ、また可愛くなっているなあ。」と思ってしまった)。すこしお互いの近況を話したりして彼女を見送ったあとも、雨は止まない。一定の強さで降っていた。その中を、傘をさしてやってくる人がこんなに居るとは思わなかった。うれしかった。あまり体調がよくなくて、今日は早く帰ろうと思っていたのだけれど、そんなことはできなかった。会わなくていい人は居なかったのだ。<br><br><br>4月26日(日)展覧会最終日。<br>数日前の予報では今日も雨だったのに、朝起きると見事に晴れている。自分は、自慢ができるんじゃないかと思うくらい雨降らしで、どこかに出掛けようと思ったときなど、よく雨が降る。あるいは出先で雨が降る。用心して大きい傘を持って出掛け、なかなか降らないと思っていたら、駅に傘を置き忘れた途端に雨が降る(これはさすがに笑ってしまう)。それなのに、ここぞという、これは唯一無二、譲れない日というときは、雨の天気予報も覆す。何かのパワーがあるのかな。よく分からないけれど。とにかく今日は、春うららかな日、という言い方がふさわしかった。夕方には、一応クロージングパーティーが始まり、作家さんや大学の友人と、お酒を飲んだり(自分は弱いからワインをすこし飲んだだけ)、食べ物を口に運んだりした。途中、3年ぶりくらいに会う大学の先輩が来てくれた。彼は、自分と2歳しか変わらないというのが信じられないほどの風格がある。それは在学中から強く感じていた。今まで展覧会の案内を出すと「いつまでやってるんや?行けたら行く」と電話をくれたりしたのだけれど、実際に観に来てくれたのは今回が初めてだった。自分はいつも、彼の考え方やそれを伝える言い回しに緊張みたいなものを憶える。たぶん、身近な人のなかでもっとも言葉に対して果敢に挑戦、というか逃げない姿勢を感じるからかな。今日も、クロージングのときに「絵を見るとき、一体何を見るのか?どういう見え方があるのか?」という話をしてきて、抽象的な表現を用い、言いたいことを掴んで離さないような言葉で伝ようとしない(たとえそれが不可能に近くても)、感じたことを言葉にすることは難しいという人が多いなかで、彼は疑いの目を持っていた。そうかもしれない。諦めきれないものが、やはり言葉にするということにはある気がした。だから自分はこんなにももどかしい気持ちになるんだ。<br>新宿で別れるとき、「なんも変わっとらんな。でもそれでよかった」と言われたことが、正直のところ安心した。「言葉ってあなどれんと思う。」と言った彼も何も変わっていなかった。<br><br><br>4月29日(水)<br>搬出をした。最後にじっくりと自分の絵を眺める時間はなく、いってしまえばあっけない終わり方だった。でも清々しい気持ちだったんだ。帰りはまだ夕方前で、天気がよく、電車も空いていて、駅から部屋に向かうまでの道も、暖かく気持ちのよい風が吹いていて、奇妙なくらい静かで、このまま終わってしまうのではないかと本気で思った。まるで映画や小説の終わりが近づいている、あの空気だった。朝が早かったから眠かったというのもあるかもしれない。あんなに静かな時間は、いつぶりだろうか。




2009年4月24日

頭痛がひどい。なんとしても治す。




2009年4月23日

離婚を経験値のように話す人間は嫌いだ。


頭痛がひどい。早く眠ろう。




2009年4月22日

隣りに女の人が居る。
女の人は本を読んでいる。
何を読んでいるのか気になる。
気づかれないように本の題名を見る。
その本を知っている。
僕は知っている。
席を立つ。
本屋に向かう。
本を探す。
彼女と同じ本を見つける。
店員に渡す。
お金を渡す。
本を受け取る。
安心する。
部屋に戻る。
本を読む。
女の人と同じ本を読む。
女の人はもう居ない。
隣りには誰も居ない。
本が残る。
僕の手元には本が残る。




2009年4月21日

物語の最後が近づいてくると、途端に読むスピードが遅くなる(目で文字を追う速さではなく、よし読もうと本を開く回数のこと)。ビデオに撮ってあるドラマの「奇跡の人」も、テレビで見たことがあるし何度も繰り返し見て結末は知っているのに、最終回をなかなか見る気分になれない。どんなに素晴らしい終わり方でも、もう先がないという事実が、つらい。こんなにすきな世界なのに、先が無い。次のページやシーンは絶対に現れない。これが、人生とは違うところだ。生きていると、当然、分かりやすく言えばいいことや悪いことが起こって、こんなにも苦しい、悲しいとか、自分だけで抱えきれないほどの幸福を感じるとき(あるいは年月)がある。でもそのひとつひとつ、ある一定の期間では区切れない。どんなに綺麗な思い出ができても、次の日に財布を落としたり、正しいことをしているのに馬鹿をみたりすることだってある。人の時間は繋がっていて、映画や物語のように次の場面が絶対に現れないということを実感することがない(死は、実感とは正反対であるからこれに当てはまらない)。でもこれは、自分が当分のあいだ、かなり長い期間生きているという、前提での話だ。




2009年4月20日

本棚にある一冊の本のなか、「運命に反抗するには愛しかないことを教えてくれた」という言葉。




2009年4月19日

展覧会6日目。
今日はばたばたとしていた。もうすこし、ゆっくり話をしたかった人も居たのだけれど。鈴木省三さんが見に来てくれた。


すこし疲れがたまっているみたい。体調がよくない。治さないと。




2009年4月18日

展覧会5日目。
今日もいろいろな人が見に来てくれた。わざわざ、と言ってよい場所なので、来てくれただけでとても有り難い気持ちになる。そうして、ここへ来たことにがっかりしないといいなあと思う。やっぱりそう思ってしまう。今回の展示も後半を迎えたんだな。あと3日間。


今日はすこし体調が悪かった。




2009年4月16日

昨日アルバイトのとき、外の空気を吸いたくなって、部屋の外の階段を上ってみた。そういえば今まで上ったことがなかったんだ。階段からは、隣りの家の庭や近所のビルが見えた。いつも見ている建物でも、そっち側(階段に上らなければ見えない角度)を見ると全然違った景色になる。はっとした。月の裏側を見たら、やはりこんな感じなのだろうか。そして、目を奪われたのは一番背の高い建物だ。表から見ると下のほうの階は飲食店が入っていると分かるのだけれど、裏側はこうなっていたのか、と気づく。だいぶ古そうなビルで、非常階段のようなものは角度が急で赤く錆びている。しかもその階段が、最上階ではドアじゃなくて大きめの窓に繋がっている。その最上階が気になる。なんだか人が住んでいるような気がしたからだ。階段の途中にある踊り場(と言える程広くはない。ベランダみたいなスペース)には物干し用の紐がかかっているし、大きな窓の曇りガラス越しには、ジーンズなどのズボンが掛かっている。こうなると中が見たくなる。部屋の中もきっと相当古いはずだ。でも陽当たりはいい。高い位置だから景色もいいはずだ。もしかしたら、自分がこうしてあの遠くに見える建物の一室の中を想像している瞬間も、現にあの部屋では住人が何かをしているかもしれない。曇りガラスの向こうで何かが動いたりしないか、ずっと見ていた。あわよくば住人が下からトントンと階段を上って来ないかな、と思っていた。でも、何も起こらなかった。




2009年4月15日

最近また、「闘牌伝説アカギ」のDVDを観ている。このアニメは雀卓や牌をCGで見せているのが効果的で、臨場感がより味わえる。また声優陣も豪華で、アカギ役の萩原聖人はもうこの人意外考えられない。雀力においても適格な配役だと思うし、なんといってもその声が素晴らしくて。落ち着いた、深みのある声だ。自分はこのアニメをテレビで見て、麻雀のルールを覚えた。知れば知るほどよくできたゲームだなあと思う。ルールもさることながら、場の空気まで勝負の要素にするっていう点で抜きん出ているんじゃないかな。



2009年4月7日

アルバイト先の近くに青山霊園がある。そこの桜がきれいだと聞いたので、昼休みに行ってみた。満開だった。自分は年々、桜が綺麗だと思うようになっている。でも花見などは苦手、というかしたことがないのだけれど。墓地で写真を何枚か撮った。会社員のひとたちが縁石に腰掛けてお弁当を食べたりしていた。気持ち良いだろうな、と眺めていた。










展覧会3日目。
たくさんの人が来てくれた。初めて会う人、大学の先生、大学の友人と彼女のボーイフレンド、自分も名前を知っている作家の人、千葉の幼なじみ、会社の休みをもらって観に来てくれた人。当たり前だが、展覧会をすると人に会う。そうすると言葉を交わす。絵についての感想だったり、そうでない天気やお互いの近況だったりもする。今日、ふと分かったような気がしたのは、自分は、絵についての感想を言われたことに対して、こんなにもうれしいのではなく(それも確かにすこしあるのだけれど)、その人が伝えようとする自分の絵についてのことを、それに一番ふさわしい言葉を選んで自分に話し掛けている、それがグッとくる。そんな気がしたんだ。


自分の絵について、話せることはあまりない。展覧会場に居るのは無力だとさえ感じるときがある。描いた絵が自分そのままだからだ。そこに言葉とか、いらないと、究極のところそういう考えを持っている。ただ、そうも言っていられないようだ。質問をされれば答えなくてはいけないし。だから自分も、一番ふさわしい言葉を選んで答えるしかない。でもどうしても気持ち悪さみたいなものが残る。何かに引っ掻かれているような。


今日の帰り、駅に着いていつも行くカフェに入ったら、友人と偶然会って、閉店まで話していた。印象深かったのは、「探しているものが見つかったらどう思う。」という質問をされたことだ。最初、落とし物(たとえば眼鏡や財布)のことなのかと思ったが、そうではないらしく大きく言えば人生においてのそれだという。そうして改めて考え直したとき、まずその「探しているもの」については頭の中にすでに答えがあった。ここには書けないけれど、それを友人に話すと「もし、それが手に入ったら、絵を描いていけるかい?」という問いが返ってきた。一瞬間を置いて、「できると思う。」と答えた。



展覧会4日目。
ひとりの女性とたくさん話した。そのひとは誰の話も分け隔てなく聞ける人だった。彼女と、友達になりたいと思った。




2009年4月6日

きのうのこと。「観る人が居ないと、絵は、ただのキャンバスにできた絵の具の染みだ。」と言っている人がいた。作品にはならない、と。それは分かる気がする。でも自分は、その言葉を聞いたとき、どこだかわからない体の内側をつねられたような、いきなり冷たいものをぶつけられたような、そんな気持ちになった。はたして本当にそうだと言い切れるだろうか。




2009年4月5日

「感覚で分かっていることは言葉にすることはできない。」




2009年4月4日

展覧会1日目。自分が予想していたよりも見にきてくれて、うれしかった。それと、それはもう天気がよくて。びじゅつ室前の小学校の桜も見事だった。花びらがちらちらと落ちていくのを見て、写真に撮った。来週には散っているかなあ。展覧会にお父さんと来てくれた幼い兄妹が可愛かったなあ。お兄ちゃんが芳名帳に名前を一生懸命書いてくれて、妹の名前も書いてあげていた。親子の帰り際、何度も振り返ってバイバイしてくれた。


今日は大学の先輩が2人来てくれた。この先輩たちはシスイの展覧会を毎回欠かさず観にきてくれる。そして思ったことを、言葉を探しながら伝えようとしてくれる。ずっと見続けてくれる人が居るというのは、とても嬉しくありがたく思う。自分は人のために絵を描いているわけではないのだけれど、それでも人に力をもらっているところは確かにある。




2009年4月3日

一気に気分が悪くなってしまった。「なんなんだ、あいつは。」という声が聞こえたんだ。ドアの外に居たがそれは聞きたくなかった。もう学校には行かない。


今日は一日中歩いた。天気がとてもよく、歩いていて気持ちがよかった。光もすこし強いから、景色の色が鮮やかに見える。それを別にしても、駅や家々の花壇にはたくさんの花が咲いていて、歩いている人たちの洋服の色も冬のころとは違った、明るいものが多いからだろうか。でも明日は晴れではないみたい。雨もすこし降るみたい。そして明日からは展覧会が始まります。しつこいですが、外が明るいうちに観てほしいです。絵は変わらないんだけれど、外の光が入る部屋の明るさが、夜よりも「いい」からです。これは空が晴れていなくても、たとえ雨が降っていても、そうだと思う。




2009年4月2日

お昼休みに外を歩いていたら、MAYA MAXXとすれ違った。雑誌やテレビで見るのと同じだった。金髪の巻き髪にサングラス。MAYA MAXXと聞いて思い出すのは、「Laundry」という映画だな。物語の途中、イメージイラストとして彼女の絵が流れる。印象的だったのは、口笛を吹くのが上手い少年が「ピュー」と口笛を吹いたときに、画面を白い線が走る、というシーン。あの映画を自分は、前向きになれる映画だと思う。好きで、何度も観た。また観たいなあ。




2009年4月1日

今日から4月。今日は晴れてほしかったのだけれど、雨が降っている。


DMに宛名書きをしていた先々週あたりは天気がよくて、こりゃあもう春だなあ、と「もうすっかり春ですね。」とかちょっと控えめに「もう春はすぐそこですね。」みたいなことを書いてしまった相手がいたと今日気づいた。あちゃー。先週はまた冬に戻ったような空気だし、桜の満開も遅れているというのに。そういう一言があった方、ご勘弁を。




2009年3月31日

この展覧会は、自分だったら、外が明るいうちに観たいなあと思う。これは、展示場所には外光が入る場所があり、それがとても綺麗だからだ。美術館やギャラリーには、窓がないところが多い。でも自分は、作品は外の光を感じる場所にあるほうが健全だと思っている。閉じ込めないでもいいのではないか、と。(でもこれは自然の景色に適うかどうかという点では難しい。)あと、理由がもうひとつ。今回の展示場所が住宅街の中にあって、天気が晴れの日は、まわりを散歩するには日中が気持ち良いと思うからだ。だから4月の週末は是非とも晴れてほしいなあ。また、上旬は桜が見事だと思うのでね。展示室の前は小学校だから、道沿いの桜は見ごたえあるんじゃないかなあ。




2009年3月29日

搬入が終わりました。今回は、学生の頃の絵も飾るということになりまして(これはすこし複雑な心境ですが)、1階は旧作を中心に、2階には新作を展示しました。全部で18点です。旧作はカンヴァスに油彩の作品だけでなく、木製パネルに描いたものもあります。これは自分の中でカンヴァス作品とは意識がちょっと違うというか、何も考えていないというか。展示自体は内容としててんこ盛りのような気がします。ごちゃごちゃと言ってもいいかなあ。それは、普通のギャラリーではできないような展示の仕方なので、なかなか見ごたえがある、のではないかと。


搬入の帰りに「ワンダーシード2009」を観に行った。観た端から、記憶からなくなっていくという印象だった。期待という名の投資なのか、ステータスのひとつとして消費されていくのか。その、得体の知れない気持ち悪さのようなものからか、絵が並んでいる壁がなんだかとても寒々しいものに感じた。そして哀しくなった。でも自分はこれに応募して落ちたのだけれど。



2009年3月28日

キム・ヨナ、かっこよかった。リンクに登場したときから、すさまじいほどの自信が感じられた。演技も体から力強さと柔らかさが同時に流れていくような。曲調が変わる場面、自分の胸がざわざわしているのが分かった。終わってしまうのが哀しくなるくらい、もうすこし眺めていたかった。不安とか、心配とか、そんなものがないところまで、彼女は身を運んだんじゃないかな。でないとあんな表情はできないだろう。目標を高く持った、そのためにするべきことをやりきった人というのは、あのような佇まいになるのか、としばらく思い返していた。



2009年3月27日

いわなくていいことをくちにするひとがいてぼくはそれにあきれているわるぎがないとかかんけいないのさしらなくてはいけないことだよおとなだとはおもえないねあまりにそういうひとがおおいしねそんなときはけすんだ3びょうまえにもどってけすんだそれをするんだぼくはもうもたない




2009年3月26日

3年くらい前、映画のエキストラをやったことがあって、その映画が今日テレビで流れていた。ちょうど自分が参加したシーンだったので観てみた。普段自分が好んで観るようなお話ではなかったので、今まで観たことがなかったのだけれど、それでもすこし観てみて、俳優さんたちはすごいなあと思いました。本来の自分とは違う人間を演じるということは、どんな気持ちなのだろう。いろいろな所に行って、いろいろな時間帯に、いろいろな服装や髪型、あるいは顔つきまで違う人を演じるということ、自分には想像もできないことだ。強くないとできないんじゃないかな。そうやって作られた物語に、自分は感動したり、時には人生においてとても重要な、大袈裟に言ってしまえば生き方の手がかりとなるものを見つけたりもするのだなあ。自分は映画が好きで(とはいえ、とても詳しいとかどんなお話でも観るというわけではない…)、今言ったような映画が自分にとっては何本かある。歌や本も同じだと思うけれど、この世にそういった物が生まれたことは奇跡のようにも感じ、それでも必然的であったようにも感じる。




2009年3月21日

顔色が悪いと言われる

嘘つきと言われる

ちゃんと食べなさいと言われる





フランス人に靴を褒められる

駅で大学の先生とすこし話す









2009年3月20日

一日誰とも話さないと、夢の中に居るようだ。実感がないと言うか。
今日から伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読み始めた。この本は有名らしいが、今まで手をつけたことがなかった。この話は5月に映画になるそうで、その予告編を観たから、なんとなく原作を読んでみようかなあと思っただけ。映画も観に行くだろうけれど、原作を先に手をつけたのは失敗だったかな。この話を自分がとても気に入ってしまったら、他人によって作り出された映像を受け付けられないかもしれない。現にすでに、この話にのめりこみつつある。まだ数十ページしかたっていないのに。この話がどんな展開なのかは知らないが、なにより、語り手(泉水という青年)の話し方やその場でのものの捉え方、相手に対する接し方に好感を持ってしまった。


「僕には兄になりきれなかった人がいて、今もどこかで生きているはずだ。住んでいる場所や、働いている場所も知っている。会いに行こうと思えば、いつでもできる。でも、僕はそれをしない。本当は僕のことを一番わかってくれる人かもしれないけれど、それは幻想で、僕たちはもう会う事はないだろう。もし、どこかで偶然会う事ができたら、隣りに誰か、優しそうな女の人が居ることを、願っている。」



2009年3月17日

日記を書いたのに、送信するのを忘れてパソコンを切ってしまった。でも今冷静になって思えば、そのほうがよかったと思う内容だった。以下、違う話題。


最近は松山千春のアルバムを聴いている。中でも「銀の雨」「雨あがりの街」を特に。当時の松山千春の歌声で、今よりも声が透き通っているように感じる。子供のころ、一度コンサートに行ったことがあった。たぶん、自分にとって、最初の生演奏の記憶はそれだ。まぶしいライトの中から、すさまじい音量の楽器の音色と歌声が聞こえていた。心臓をなんども手で押されるような感覚だった。



2009年3月14日

4月の個展のDMが届いたので、宛名書きを開始する。おととしの個展は自分でDMのデザインをしたが、今回は自分じゃない。出来上がるまでどんなものが仕上がるか分からなかったのだが、なかなか気に入りました。特に紙質が自分好みだった。よかたよかた。おとといの日記でガン×ソードの話をしたら、DVDが全巻欲しくなってしまった…。放送されていた当時、ビデオ録画し損ねた第1話と第12話が収録されているDVD1巻と7巻は持っているのだが、録画していたビデオは、自分の部屋にデッキがもう無いので観られないし。自分の持っているDVD観ると、あれもこれもと観たい回を思い出すのだ。ちなみに今いちばん観たいのはヴァンとレイが初めて出会う「ツインズ・ガード」の回。




2009年3月12日

自分はたまに、ふと気づけばなんだか昔のことを思い出したり、その頃に観た映画やアニメを見たりします。音楽や食べ物もそうです。繰り返し繰り返し、何度も。こういう状態のとき、今自分は前向きではないのかなあと思う。でも、好きなものは好きで変わらない。ただその頃の感覚を思い出したいということかも知れない。それがまた必要というか。好きなアニメはいくつかありますが、ガン×ソードはやっぱり特別です。内容はつじつまが合わなかったり、無理矢理な感じが多々ありますが、でも好きです。ヴァンとレイの関係が特によかった。声優陣も豪華で、主役の星野貴紀さんは最適だった。はじめて初回から最終回まで見たアニメでした。






2009年3月10日

展示をします。


個展「向かう」
2009年4月4日(土)・5日(日)・11日(土)・12日(日)・18日(土)・19日(日)・25日(土)・26日(日)
※土曜日と日曜日のみのオープンです。
13:00~19:00
場所:小島びじゅつ室(雪谷大塚)
入場無料



1階は旧作(これは学生の頃のもの…)、2階は新作の展示です。
詳しくは、お知らせのページをご覧下さい。
あと、DMを希望される方はメールにてお知らせ下さい。



2009年2月23日

横浜/BankART Studio NYK「和光大学芸術学科卒業制作展'09 comma」を観に行った。自分が居たころよりも絵画以外の作品のバリエーションが増えていて、なかなかおもしろかった(というか絵画は本当に少なかった気がする)。展示を観ていたら、卒業生の知り合いが「これからパフォーマンスをやります。」というので、せっかくなので見ることにした。女の人と男の人(自分の知り合い)がひとつの空間で、プロジェクターで映される樹のような水のような映像の前で踊ったりするもの。踊る、という言葉が正しいのか分からないが、とにかく体を動かしていた。それは、普段の普通の生活の中ではあり得ないような動きで、次はどうなるのかと予測できないようなものであった。ちょうど昨日、NHKの教育テレビでコンテンポラリーダンサー(本人はこう呼ばれることが好ましくないらしいが、テレビやネットではこう紹介されている)森山開次さんの番組を見たので、体を動かすこと、それ自体で表現していることをすこし考えながら見ていた。たとえば自分は、体を使い、さらに道具を使って絵を描いたり何かを作ったりしている。でも、ダンスや物語を演じることなどは、体だけで作ること。それってなんだか、無性におもしろいことのような気がする。そういえば、スポーツもこういったパフォーマンスに近いものがあるかもしれない。記録という絶対的な評価がついて回るところは違うかな…。体だけで表現する(少なくとも人前でダンスなどは)自分は決してやらないことで、そして今までそういうことのおもしろさが分からなかった、又すこし敬遠していたところがあったが、それがなんだかなくなってきたようだった。これは最近の、自分の心境などからの影響も大きいのだと思うけれど。


そういえば、BankARTがリニューアルしてから初めて行ったんだ。あのような空間に、自分も作品を飾ってみたい。絵にとっては苦しいという話も聞くが、自分にはかえって面白いように思えるのだが。会場のところどころにある窓からは、風車や倉庫、煙突や大きな橋などが見え、それらが雨あがりの灰色の空気と水蒸気のような雲にかすんで、とても綺麗だった。こういう天気のときは、まるで嘘のような、このまま晴れることはないのではないかといつも思う。横浜(といってもこの辺り)は、どこか浮世離れした土地だと、いつも思う。海のすぐ近くに大きなビルがあったり、公園があったりするからだろうか。また歩いている人も、どこか独特の雰囲気がある。すくなくとも千葉とは違う。もう少し静かで、透き通っている。




2009年2月20日








2009年2月18日

自分もいつか、光のような絵を描きたい。
意味などということを考えだしたら、きっと、つまらなくなってしまう。
ただそこにあるだけで、相手を黙らせるほどの、それ以外考えられないとう絵を描けたなら、自分はしあわせになれる。




2009年2月14日

借りて来た「タイムレスメロディ」を観た。監督/奥原浩志、主演/青柳拓次、市川実日子。3人が音楽を演奏するシーンがよかった。3人も、曲も、生き生きと瑞々しかった。物語の途中、楽器に触れたり演奏するシーンがあるたびに、…何と言えばいいのか、走り出したくなるというか、体中を力が駆け巡るというような、感覚を憶えた(…上手く言えない)。登場人物がそれぞれ、大袈裟なことをするでもない、自分やすこし周りのことを、丁寧にしている、大切にしているというような、その人のまとう空気が美しく思えた。そしてそれは映画の中だけのことではないということ(自分の人生においても同じということ)を、感じさせられた。これは、すぐ忘れてしまうことなのだけれど、大切なことなんだと思う。この映画はいい。観ている最中も、見終わったあとも、穏やかな気持ちが続いていた。映画を観ることの歓びを感じていた。



「いい学校を出るとか、大企業に就職するとか、そんな”豊かな人生”の神話は、この数年で完全に崩れた。
 代わりにはっきりしてきたのは、好きなものを選んでそれを大切にする、自分が決めたルールを黙って守り続けるといった、
 自分の中にスタンダードを持つことが、本当の心地よさの指針になるということだ。」




DVDのパッケージに書いてあった言葉だ。誰のものか分からないけれど、自分はこれに衝撃を受けた。まるで水を掴んでいるようだと思った。




2009年2月13日

今日は生暖かく風も強くて、春が近づいているのですね。花粉症の人は大変そうだなあ。




2009年2月12日

今年に入ってから、アルバイトの日はお弁当を作っている。いちばんの理由は食費を節約するため。とは言え、すぐに続かなくなるだろうと思っていたのに、これがなぜだか続いている。朝すこし早く起きて、自分のお昼ごはんを準備するというのは、なかなか気分が良いものだと知った。小さな箱の中を、彩りや栄養や味のバランスを考え、食べ物で埋めていく。と言っても毎回のメニューはそんなに変わっていないのだけれど(たとえば毎回欠かさずチキンナゲットを入れている。なぜだか自分はお弁当にこれが入っていないと嫌なのだ)。お昼休みが本当の休息の時間になった。ゆっくりと、ちゃんと食べ物を味わっている。へたすると、1日の食事の中で1番充実している。この間は、お弁当のことを考えすぎてその夢を見た(夢の中でもお弁当のメニューを考えていた)。




2009年2月11日

もらった古いキャンバスは、釘が錆びていて剥がせない。だから、そのまま上から描こうとしたのだけれど、それもすこし気が引ける。知らない人でも、それはなかなか気が進むものではない。…困ったなあ。結構な量があるのだが。そのうちの、何も描かれていないキャンバスは使えそう。残りはどうしたものか。




2009年2月7日

公募展は落選した。…がっかり。でもそんな気がしたな。
それじゃあ駄目でしょう!



一文日記
今日は、アルバイト中におつかいを頼まれて和菓子屋に和菓子を買いに行ったら「本日、品切れのため閉店」とドアのところに張り紙があって、なんかお店の雰囲気が(外観だけの判断だけれど)よかったから、「ああ、ちょっと残念」と思い、アルバイト先の人に「和菓子が品切れでお店が閉まっています」と伝えたら、「じゃあ、駅の近くのケーキ屋でケーキを買って来てください」と言われたので、ケーキ屋に行くと、なんだか店員さんもお客さんももちろんケーキも高そうな感じなので(そしてケーキは高かった)、自分はそういうところが苦手だから、ケーキを選ぶことに集中して、結局、値段はそれぞれ同じくらいで種類が違うケーキを6個買い、高そうな店員さんが丁寧にケーキを箱に詰めるのを見て、お金を払い、大きなケーキの箱(6個も買ったのなんて初めて!)を持って、仕事場に戻り、みんなで食べたいケーキをそれぞれ選んで、おやつの時間が始まり、「ケーキと紅茶は相性が抜群だなあ」と実感しながら食べて、自分は普段ケーキ屋でケーキを買うことがないから、嬉しく思った。




2009年2月5日

10号の古いキャンバスをたくさんもらったので、最近はそれに絵を描いている。剥がすことができないから、上からそのまま描いている。最初は実験的に、自分が普段描かないような、あるいは「こういうの描いてみたいなあ」とふと思ったものを描いていた。でも結局、すべてあまり気に入らない、どこか自分を誤摩化して描いているような気がしてきて、また風景を描いている。やっぱり描きたいんだ。自分は風景を描きたい!でもなにか変わりたい、という願望があるのは確かだ。それは分かる。去年くらいから感じている現実味のない感じはもう嫌だ(絵の世界とかそういうことでなくて、自分の姿勢)。変わるにはたくさん描かないと。それと怖がってちゃ駄目だ。壊すこともしてみようかと思う。目が覚めるような瞬間を経験したい。




2009年2月4日

「どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。」

(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」)




2009年2月2日

1.向こうに


2.そこで目が覚めた


3.目が覚めた




2009年2月1日

電車に1時間乗って行った先での用事は8分。また1時間電車に乗って帰ること。


たまに、ふと、涙が出そうになる。帰り道を歩いているとき、店に居るとき、夜絵を描いているとき。なぜこうもうまくできないのか。うまくというか、ちゃんとできない。暗い気持ちになるのは気候のせいなんかではない。そして、柔な病気のせいでもない。もっと根本にある、人間の質のこと。




2009年1月31日

そらがからっぽになってしまうのではないかとおもうくらいあめがふったね。

ぼくにはてにいれたいものがあるよ。

とりもどしたいものもあるよ。

かみのけをきろうかな。




2009年1月25日

恵比寿/東京都写真美術館「ランドスケープー柴田敏雄展」。これは、招待券をもらって、せっかくなので行ってみた。ホームページで紹介されていた、夜景シリーズを自分は楽しみにしていた。実際に見てみると、想像とはすこし違ったのだけれど、結果そのシリーズがいちばん良かったように思う。ガソリンスタンドや高速道路の料金所など。とはいえ、それ以外でも全体的に、自然の中にある人工物(不自然なもの)が突如として現れているような写真は、おもしろかった。また、人が映っている写真はほとんどないのに、すべての写真に人間の気配、名残りがある。


観に行ってよかった。最近はあまり展覧会を見ていなかった。絵の方も調子が出なくて、塞ぎがちな生活を送っていた。
写真美術館に行くと、毎回美術館のカフェでコーヒーを飲む。その後NADiffに行って、ポストカードを2枚買った。手紙を書いてみようか。




2009年1月24日

千葉に帰りたい。




2009年1月23日

「たしか僕には友達が居た。夜中、建物を抜け出して公園のクレーターで待ち合わせた。友達はいつも薄着で来るから毛布を半分貸したんだ。多くはないけれど色々話して、あとは空を眺めたり、黙っていたはずだ。たしかそのときに何かもらったんだ。それが何だったのか、思い出せなくて。友達は今どこに居るのだろうか。僕の名前はアーロン。」




2009年1月19日

映画「クローンは故郷をめざす」を観た。中嶋莞爾監督、及川光博主演。映画館で映画を観るのは去年の夏以来だ。自分がそんなに好む内容ではなかったけれど、観られてよかった。物語のところどころに出てくる宇宙のシーンや、主人公が自分の亡骸を担いで歩いていく先々の景色が美しかった。及川光博はすきだ。表現の手段が歌でも演技でも、彼にしか出せない空気がある気がする。誰とも同じでない、特別であるような。




2009年1月18日

仙川/東京アートミュージアム「PHILOSOPHIAE NATURALIS PRINCIPIA ARTIFICIOSA 展 自然哲学としての芸術原理/6作家の連続個展と共通展示」を観に行った。同時代の作家が約3週間ずつ、それぞれ個展をするというもの。個展はメインスペースで行われ、そこに向かうまでの展示スペースに6作家の作品が展示されている。


個展第1週目は鷲見和紀郎さん。「先生」と呼ばれることを嫌う鷲見さんのゼミを、自分は大学4年のときにとっていた。自分の展示には毎回足を運んでいただき、感想を聞く。今回展示されている鷲見さんの作品は見た目で分けるならば2種類あって、自分は、壁にかけてある作品がすきだ。「深いところから浮かび上がってくる」重そうなのにそれを感じさせないような作品。作り続けることの意味を、先を歩いている鷲見さんから聞いた言葉を今でも憶えている。


東京アートミュージアムには初めて訪れた。小さくて、壁に関しては絵を飾るにはどうなのかという感じだけれど、館内はアスレチックみたいで自分はわりと気に入った。普段では縁遠い存在の空間という感じだし、所々にある窓からは外の景色が見える。展示を観終わったあと、自分は窓の枠に顎をのせて、外を眺めていた。向かいにあるマンションに出入りする人や、犬と散歩をする人、転んだ子供や、木の枝についている何かの蕾を見ていた。




2009年1月14日

トップページの画像は更新しました。1月も半ばを過ぎるので。


忘れることもあれば思い出すこともある。
経済苦。久々に恐怖を憶える。立ちはだかる現実。




2009年1月12日

自分の部屋には給湯器がない。冬の食器洗いは、手が痛い。




2009年1月8日

トップページの画像は、もう見られるようになりました。お正月気分がそろそろ抜けるころですが、もうしばらくあのままにしておこうと思います。




2009年1月6日

どうやらトップページの画像が見られないみたいですね。せっかく描いたのですが…。部屋に帰ったら、修正してみます。


帰りに寄り道をして、新しい手帳と便箋と、あと変な色の手袋を買った。なんだかとても欲しくなって。
それを付けて歩いている自分を想像しながらお金を出した。


そして今、喫茶店で温かい飲み物を飲みながら、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んでいる。今日は「八、鳥を捕る人」から。




2009年1月1日

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします


今年の抱負は、「遅刻をしない」「旧年よりすこし前へ」です。
まずはウェブを更新しました。色々見ていただけたらうれしいです。


前回の日記からだいぶ時間が経ちました。
その間に、風邪を引いたり、料理をしたり、福島に行ったり、散歩をしたり、成田山に行ったり、海に行ったりしました。