2016年9月29日



今夜も、映画の話。
「マイ・ルーム」(1996年、原題:MARVIN'S ROOM)。

少年から大人になるちょうど狭間、その時期独特の不安定さを抱えるハンクを、レオナルド・ディカプリオが繊細に演じている。
もうじき18歳になるハンクは「自分はもう大人だ」と思っているけれど、その考え方や言動には子供っぽさが残り、手に負えない部分が多い。
明け方に置き手紙を残して家出したかと思えば、昼間にはケロッと帰ってきたり。
口を開けば母親と喧嘩をし、反抗的で、ついには自分たちの家に放火して施設送りに。

後先よく考えず、心の赴くままに行動してしまう。
危ういほどに純粋で、でも、本当はやさしい心を持っている。


物語の中心は、長年にわたり音信不通だった姉妹と、このハンクにある。
この姉妹を演じているのが、ダイアン・キートンとメリル・ストリープ。

責任感の強いベッシー(キートン)とその反抗的な妹リー(ストリープ)は、もう20年もの間絶縁状態。
長年にわたり寝たきりで認知症の父親をひとりで介護しているベッシーはある日、自分が白血病に冒されていると宣告を受ける。
姉が助かるには骨髄移植しかないとの知らせを受けた妹リーは、問題児のハンクら息子2人を連れて20年ぶりに実家に戻る。
すぐに打ち解けたかに思えたものの、長い間抱えてきたお互いへの複雑な感情による溝は簡単には埋まらない。
でも、時間をかけてすこしずつ歩み寄ることで、お互いの存在の大きさ、家族が背負ってきたものの大切さを見つめ直していく。

介護の問題、姉妹の確執、白血病といった重いテーマを扱いながら、全体にユーモアが散りばめられていて、どこか清々しささえ憶える映画。






ハンクと伯母のベッシーが海に行くシーン。
停止線の鎖を突っ切り、波打ち際を猛スピードで車で駆けて行く。
介護の大変さ、「家族」というもののどうしようもなさ 、身体を蝕む病のこと。
ベッシーもハンクもそんなことはきっと忘れていて、ふたりはただ大笑いする。
この作品を象徴するような場面で、観ている方も思わず笑ってしまう。




2016年9月24日



映画「オーバー・フェンス」を観た。

他人へというより、己への感情に焦点が当てられていて、それがなんだか新鮮だった。
登場人物たちが抱える、どうしようもない自分への怒りや情けなさ。
それって、誰もがみんな持っているのかな、と思った。
うまく生きているようにみえる人でも、そういうものって抱えているのかな。

オダギリジョーは泣く演技がいいですね。
蒼井優が演じる、超絶めんどくせえ女がよかった。
めんどくせえんだけど、自分もあんな風に生きられたら、と羨ましくなるほど正直で、なんてったって、笑顔がいい女だった。


今日から自分が変われるかも知れないって思ったら、
もう死んだみたいに生きなくてもいいって思ったのに。


人間として壊れかけた、一組の男女。
平凡で退屈なそれぞれの毎日を淡々と描きながら、ふと心動かされる一瞬の煌めきを、日常のなかに昇華させてゆく。






2016年9月23日

もっとまじめに、生きなくちゃいけない。

器用にとか、
上手にとかじゃなく、

まじめに。




2016年9月20日

怒りや苛立ちも憶えなくなったときが、忘れられたときなのだろう。
そのとき本当の意味で、解放されたと言えるのだろう。




2016年9月15日

焼かれた骨はすかすかで、ほろほろと崩れていった。
骨壺に入れる時の、あの独特の温度。




2016年9月1日

映画のテーマは「蘇る」ということ。
人生に絶望しても、人はやり直す。
それは誰にでも経験があること。
傷を癒して、また失敗する。
そしてまたやり直す。
植物も、季節に応じて何度も芽吹く。
でも根の部分は変わらない。
この映画で描くのはそこだ。
何度も蘇る男の話だ。
アレハンドロ・G・イニャリトゥの言葉


レヴェナント:蘇えりし者
ヒュー・グラスの物語。
アメリカのフロンティア時代、狩猟をして毛皮を採取するハンターチームにガイドとして息子と一緒に同行していたグラス。
遠征していたチームが砦へ戻る途中、見回りをしていた森のなかで、グラスはグリズリーに襲われる。
一命を取り留めたものの自力で動くこともできず、即席の担架にのせられ仲間の手によって砦までの道を運ばれる。
しかし、極寒の山越えに自分たちの命の危険も感じること、またグラスは瀕死でもあることから、チームの隊長は特別手当を支給する代わりに「死ぬまで見届け、埋葬する者」を募り、グラスを見放してしまう。
そこに息子ホークと、グラスを慕うブリジャー(彼らは金はいらないと言った)がまず名乗りを挙げ、金のためにとフィッツジェラルドが最後に加わった。
チームと分かれ、林のなかに留まりグラスに付き添う3人。
長く保たないと予想していたグラスがなかなか死なないため、徐々に苛立つフィッツジェラルド。
しびれを切らして、「生にしがみつくな。」とグラスに襲いかかっているところをホークに見つかってしまい、ホークを刺し殺してしまう。
それを自由の利かない身体のまま、ただ見ているしかなかったグラス。
その後フィッツジェラルドはブリジャーをうまく騙してグラスを見捨て、砦を目指して去ってしまう。
極寒の大地、失うものは自分の命だけとなったグラスは地面を這って、300km以上離れた砦を目指し、フィッツジェラルドのあとを追う。


——


今年4月の映画公開時に初めて観たとき、これは人生で何度も観るタイプの作品ではないと思った。
それくらい特別な作品だったし、経験だった。
でも結局その素晴らしさに捕われて、劇場で3回観てしまった。
Blu-rayの発売が告知されるとすぐに予約して、手元に届くまで2ヶ月、指折り数えて待っていた。
それが先週末やっと届いて、ほぼ毎日観ている。






文字通り、破けた布のように「穴だらけ」になり、それを黒い糸で縫い合わされた身体。
傷の痛みに追い打ちをかけるように息子を失い、心も引き裂かれる。


「息子は俺のすべてだった。それを奴が永遠に奪った。」


瀕死の傷を負い、自分のすべてだった息子が殺されたとき、絶望の果てにグラスに残ったのは自分の命だけ。
「死」に身体半分を突っ込んだ状態から蘇ってくるグラス。
ほぼ消えかけている命を奮い立たせて、一歩一歩前進して行く。
そこにほとんど言葉はなく、にも関わらず多くを語りかけるレオナルド・ディカプリオの演技に圧巻してしまう。
こんなにいい俳優だったんだなあ、としみじみ思う。


これは観ないと分からない。
絶対に。
単なる復讐劇ではなく、ひとりの人間の命の物語。
命をつなぐのもまた別の命。
生きるために命を繋いで行く。
人間が動物の一種であることを意識せざるをえない映像が、迫ってくる。
自然光だけで撮影された映像の美しさと、時に残酷なまでに感じる力強さ。
自分が今まで観たどの映画にも類似しない作品だった。


息子の仇を討つ機会を手放したとき、グラスの復讐は終わったのだと思う。
その決断に至るまでにあるドラマ。
因果応報も描かれている。
作品の冒頭、フィッツジェラルドが蹴飛ばした相手は、ポワカの父親だったこと。
グラスが途中で助けた女はポワカだったこと。
そこから繋がるラストシーン。


序盤、グラスが息子ホークを叱るシーンは込み上げてくるものがある。
ホークは白人であるグラスと原住民ポーニー族の女性との間に生まれた子。
現代よりも差別が悪とされていなかった時代。
何かと突っかかってくるフィッツジェラルドの言葉に、息子以上に悔しい思いをしているはずなのに、ホークを守るためにグラスは語気を荒げる。
「白人はお前の言葉なんか聞かない。肌の色だけ見る。透明になって口をつぐめ。」
大人になるまで、ただじっと耐えるんだ。と言うように。
ここでもディカプリオの演技に胸が詰まる。
ちっとも大袈裟でなく、それでいて痛いほど伝わってくる。
子供を想う父親の気持ちを、あそこまで表現できるなんて。


この作品で、ディカプリオはアカデミー賞のオスカーを受賞した。
文句無しの主演男優賞。
授賞式の映像を見ていると、名前が呼ばれたときの会場全体がひとつになって祝福する様子には感動してしまう。
そして、このときのディカプリオのスピーチがまたとても良かった。
自分以外の人に賞賛を送り続け、この作品が描いているもう一面から見たテーマ「自然と人間」について言及した。
ステージの去り方も震えるほど格好いい(自分もこんな男になりたい)。