2009年12月27日

真面目であることは悪いことではないけれど、その真面目さが問題で、真面目さの方向とかあり方とかがわかっていない人は本当に困る。小実昌さん自身、『海燕』という文芸誌の新人賞の選考委員をしていたときに、これとだいたい同じ意味のことを書いていた。でも、真面目さの方向やあり方がわかっていないのは、本当はもっとちゃんと考えるべきことを考えていないからで、「不真面目」だとも言える……。

人間というのは、ああも生きられる、こうも生きられる、といういろいろの選択肢から主体的に自分の生き方を決められるものではなくて、そのレベルは全然小さなことか表面的なことで、もとのところは、「こうとしか生きられない」「こうとしか感じられない」「こうとしか書けない」ものだ。

(保坂和志「小実昌さんのこと」〈新潮社〉より)