そう。
確かに君は今日も生きている。
それは奇跡に近い。
交通事故に遭うこともなく、
増水した川に流されることもなく、
通り魔に襲われることもなく、
転んで頭を打つこともなく、
大きな病にかかることもなく、
自ら死を選ぶこともなく、
飢えに苦しむこともなく、
ひとりになることもなく、
家が火事になることもなく、
閉じ込められることもなく、
切れた電線に感電することもなく、
頭上から鉄骨が落ちてくることもなく、
誘拐されることもなく、
明日が見えないこともなく、
絶望することもなく。
そんな中で君は生きている。
これは奇跡に近い。
2007年7月30日
2007年7月29日
2007年7月28日
2007年7月27日
2007年7月26日
2007年7月21日
用があって横浜に行った。滅多に行くことがない場所だけれど、今日の天気のせいかな、なんだか少し時間がゆっくりな気がして、久しぶりにのんびりできた気がする。公園のベンチで休憩したりしてしまった。お陰で日に焼けた。
時間が余ったのでBankArt studio NYKとBankArt 1929 Yokohamaで開催されている「ボルタンスキープレゼンツ La Chaine 日仏現代美術交流展」と、横浜美術館の「森村泰昌ー美の教室、静聴せよ」を観に行った。どちらもおもしろい。BankArtの方はでは、さわひらきさんの新作が観られてよかった。以前とはまた少し違う雰囲気ができつつあるようで、よりアニメーションに近くなっているかなあと思った。今まで全く知らなかった けれど、ガブリエラ・フリードリスクドティールという人が気になった。(不純なのかもしれないけれど、)その衣装とか、撮影している場所とか、どんな感じだったのかなあと思っていた。森村泰昌展の方は、一応分かりやすい構成になっていたのではないかと。展示自体が授業形式になっていて、最後にテストを受け るのだけれど(自分も受けた)、目の前で採点されるというのはなんだか居たたまれなくなる。
それよりも、ベラスケスの作品(マルゲリータ王女)に扮する為に森村さんが言っていた「子供にならなければならない。」という言葉がなんだか印象に残っている。
時間が余ったのでBankArt studio NYKとBankArt 1929 Yokohamaで開催されている「ボルタンスキープレゼンツ La Chaine 日仏現代美術交流展」と、横浜美術館の「森村泰昌ー美の教室、静聴せよ」を観に行った。どちらもおもしろい。BankArtの方はでは、さわひらきさんの新作が観られてよかった。以前とはまた少し違う雰囲気ができつつあるようで、よりアニメーションに近くなっているかなあと思った。今まで全く知らなかった けれど、ガブリエラ・フリードリスクドティールという人が気になった。(不純なのかもしれないけれど、)その衣装とか、撮影している場所とか、どんな感じだったのかなあと思っていた。森村泰昌展の方は、一応分かりやすい構成になっていたのではないかと。展示自体が授業形式になっていて、最後にテストを受け るのだけれど(自分も受けた)、目の前で採点されるというのはなんだか居たたまれなくなる。
それよりも、ベラスケスの作品(マルゲリータ王女)に扮する為に森村さんが言っていた「子供にならなければならない。」という言葉がなんだか印象に残っている。
2007年7月20日
2007年7月2日
逓信総合博物館(ていぱーく)「efuto=絵封筒展」、フタバ画廊「桐山征士展」、ギャラリー小柳「須田悦弘」展、西村画廊「もう一つの三沢厚彦展」、東京都現代美術館「トーキョーワンダーウォール公募2007入選作品展」、森アーツセンターギャラリー「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」。
いろいろな展覧会だった。
数ではなく、内容が。 絵封筒展は見応えがあった。手紙の封筒という、自分の手元から必ず離れていくものに絵を描く行為は、それだけで歌のようだ。イラストレーターや絵描きに限らず、子供たちが描いた絵封筒も、眼を見張るものが多く、時間をかけてゆっくりと観た。会場の奥には実際に絵封筒を描いてみようというコーナーがあったのだけれど、親子たちばかりでなく、若い男女も楽しそうに描いていたりした。こういう、遊び心の郵便みたいなものは、日本ではできないと思っていたのだけれど(勝手に)、そうではないようだ。郵便配達員が読み取れるくらいの工夫は構わないらしい。あまりに凝りすぎてしまうと、機械が感知してくれず、戻って来てしまったりもするそうだが。あと、切手自体には手を加えてはならない(有価証券扱いのため)。今までやりそうで思いつきもしなかったことが展開されるこの展示を観たら、絵封筒(手紙)を描いてみたいと多くの人が思うのではないだろうか。
須田悦弘の作品は今まで美術館の常設展ぐらいでしか観たことがなかった。つまり、初めて個展を観た。大体予想はしていたのだけれど、やはり観られてよかったというか。作品の実物という圧倒的な力を感じたというか。そういう作家と、そうでない作家がいるけれど、須田さんは確実に前者だろう。2点ほど作品を見落として帰るところだった。そして、ギャラリーに入って真正面にある作品は、空調で起きるわずかな風でひらひらと震えていた。
何かを言おうとして、やっぱり言わない。
そういうことが1日に何度も起きる。
何かを言いたくて、やっぱり言えない。
いろいろな展覧会だった。
数ではなく、内容が。 絵封筒展は見応えがあった。手紙の封筒という、自分の手元から必ず離れていくものに絵を描く行為は、それだけで歌のようだ。イラストレーターや絵描きに限らず、子供たちが描いた絵封筒も、眼を見張るものが多く、時間をかけてゆっくりと観た。会場の奥には実際に絵封筒を描いてみようというコーナーがあったのだけれど、親子たちばかりでなく、若い男女も楽しそうに描いていたりした。こういう、遊び心の郵便みたいなものは、日本ではできないと思っていたのだけれど(勝手に)、そうではないようだ。郵便配達員が読み取れるくらいの工夫は構わないらしい。あまりに凝りすぎてしまうと、機械が感知してくれず、戻って来てしまったりもするそうだが。あと、切手自体には手を加えてはならない(有価証券扱いのため)。今までやりそうで思いつきもしなかったことが展開されるこの展示を観たら、絵封筒(手紙)を描いてみたいと多くの人が思うのではないだろうか。
須田悦弘の作品は今まで美術館の常設展ぐらいでしか観たことがなかった。つまり、初めて個展を観た。大体予想はしていたのだけれど、やはり観られてよかったというか。作品の実物という圧倒的な力を感じたというか。そういう作家と、そうでない作家がいるけれど、須田さんは確実に前者だろう。2点ほど作品を見落として帰るところだった。そして、ギャラリーに入って真正面にある作品は、空調で起きるわずかな風でひらひらと震えていた。
何かを言おうとして、やっぱり言わない。
そういうことが1日に何度も起きる。
何かを言いたくて、やっぱり言えない。