2007年7月31日

そう。
確かに君は今日も生きている。
それは奇跡に近い。
交通事故に遭うこともなく、
増水した川に流されることもなく、
通り魔に襲われることもなく、
転んで頭を打つこともなく、
大きな病にかかることもなく、
自ら死を選ぶこともなく、
飢えに苦しむこともなく、
ひとりになることもなく、
家が火事になることもなく、
閉じ込められることもなく、
切れた電線に感電することもなく、
頭上から鉄骨が落ちてくることもなく、
誘拐されることもなく、
明日が見えないこともなく、
絶望することもなく。
そんな中で君は生きている。
これは奇跡に近い。

2007年7月30日

そんなに雨はひどくないと思っていたのだけれど、行きの電車に30分近く閉じ込められる。仕事に遅刻した。遅刻はよくない。そういえば、随分前に見たテレビで、島田紳助が「遅刻するなら休む。」と言っていた。それもどうかと思うけれども。分からなくもない気がする。

2007年7月29日

部屋を出る頃に大雨になった。ものの数分で足下はずぶ濡れだ。

頭(もしくは心)は身体と繋がっているので、身体を動かすことから。いい絵を描くつもりはないけれど、健全な絵を描いていたい。

2007年7月28日

今日は搬出作業で横浜に行った。とにかく暑い。色んなもののコントラストが強くなり、眩しくなる。また焼けた。横浜の方から家までの道路脇には結構おもしろい建物が多い。相当古いアパートがごろごろあったり、工場が立ち並んでいたり。工場はいい。無駄がないように思う。複雑に絡み合ったパイプも、きっとどれか1本でも欠けたら駄目なのだろう。おそらく多くのものが廃棄され、空気を汚しているのだろうけれど。なぜだか引きつけられてしまう。それは、もう長いこと変わっていない。

2007年7月27日

1年前の今日は、ライブに行ったんだ。どこの駅で降りたのか憶えていないけれど、高架線脇のビルの前の広場で、キンモクセイの歌を聴いていた。確か、今日みたいに暑かった。「正しい人」という絵は、あのあと描いたんだ。忘れたこともあるが、憶えていることもある。

2007年7月26日

自分の絵にはメッセージとか世界を変えたい野望みたいなものはないように思う。胸を張っていられるほど、しっかりしていない。ただそこにある景色が大事で、そのために絵を描いている。その、自分の景色が最近どんどん霧がかかって、境界線はますます暮夜けていくようだ。戸惑っている。でも、もしかしたら、今はそれでいいのかも知れない。おまじないのように自分に聞かせている。

2007年7月21日

用があって横浜に行った。滅多に行くことがない場所だけれど、今日の天気のせいかな、なんだか少し時間がゆっくりな気がして、久しぶりにのんびりできた気がする。公園のベンチで休憩したりしてしまった。お陰で日に焼けた。

時間が余ったのでBankArt studio NYKとBankArt 1929 Yokohamaで開催されている「ボルタンスキープレゼンツ La Chaine 日仏現代美術交流展」と、横浜美術館の「森村泰昌ー美の教室、静聴せよ」を観に行った。どちらもおもしろい。BankArtの方はでは、さわひらきさんの新作が観られてよかった。以前とはまた少し違う雰囲気ができつつあるようで、よりアニメーションに近くなっているかなあと思った。今まで全く知らなかった けれど、ガブリエラ・フリードリスクドティールという人が気になった。(不純なのかもしれないけれど、)その衣装とか、撮影している場所とか、どんな感じだったのかなあと思っていた。森村泰昌展の方は、一応分かりやすい構成になっていたのではないかと。展示自体が授業形式になっていて、最後にテストを受け るのだけれど(自分も受けた)、目の前で採点されるというのはなんだか居たたまれなくなる。

それよりも、ベラスケスの作品(マルゲリータ王女)に扮する為に森村さんが言っていた「子供にならなければならない。」という言葉がなんだか印象に残っている。

2007年7月20日

また変な夢を見てしまった。起きたあとしばらくして思い出した。

死んでもう会えなくなってしまった人がいて、その、もう会えないということを、何をするでもなく、ただただ実感している。という夢だった。その人が誰なのか知らない。そして初めて、夢の中で自分の姿を見た。いつも自分は自分で、自分の視界から夢を見ていたのだけれど。だからか、まるで映画かお 芝居を見ているようだった。なぜあんなに悲しんでいたのだろう。何なんだろう。

2007年7月19日

1日過ごしていたら何かしら思うことはある、と聞いたときから、それを答えだと本当は信じている。

2007年7月18日

日が落ちるのか昇るのか。そんな中を歩いている。

2007年7月14日

円の終わりは円の始まり。

2007年7月11日

止まらないし戻らないし。

円の終わりは円の始まりで。

迷っているのは確か。

2007年7月10日

うるさい。

2007年7月9日

自分も含めて、知った気になっている。

2007年7月5日

こっちに行ったりあっちに行ったりしている。

2007年7月4日

ただそれだけで相手を黙らせるほどの。

2007年7月2日

逓信総合博物館(ていぱーく)「efuto=絵封筒展」、フタバ画廊「桐山征士展」、ギャラリー小柳「須田悦弘」展、西村画廊「もう一つの三沢厚彦展」、東京都現代美術館「トーキョーワンダーウォール公募2007入選作品展」、森アーツセンターギャラリー「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」。

いろいろな展覧会だった。
数ではなく、内容が。 絵封筒展は見応えがあった。手紙の封筒という、自分の手元から必ず離れていくものに絵を描く行為は、それだけで歌のようだ。イラストレーターや絵描きに限らず、子供たちが描いた絵封筒も、眼を見張るものが多く、時間をかけてゆっくりと観た。会場の奥には実際に絵封筒を描いてみようというコーナーがあったのだけれど、親子たちばかりでなく、若い男女も楽しそうに描いていたりした。こういう、遊び心の郵便みたいなものは、日本ではできないと思っていたのだけれど(勝手に)、そうではないようだ。郵便配達員が読み取れるくらいの工夫は構わないらしい。あまりに凝りすぎてしまうと、機械が感知してくれず、戻って来てしまったりもするそうだが。あと、切手自体には手を加えてはならない(有価証券扱いのため)。今までやりそうで思いつきもしなかったことが展開されるこの展示を観たら、絵封筒(手紙)を描いてみたいと多くの人が思うのではないだろうか。

須田悦弘の作品は今まで美術館の常設展ぐらいでしか観たことがなかった。つまり、初めて個展を観た。大体予想はしていたのだけれど、やはり観られてよかったというか。作品の実物という圧倒的な力を感じたというか。そういう作家と、そうでない作家がいるけれど、須田さんは確実に前者だろう。2点ほど作品を見落として帰るところだった。そして、ギャラリーに入って真正面にある作品は、空調で起きるわずかな風でひらひらと震えていた。



何かを言おうとして、やっぱり言わない。
そういうことが1日に何度も起きる。
何かを言いたくて、やっぱり言えない。