2009年9月30日

「反復は、発見されるべき新たなカテゴリーなのである」(キルケゴール)




2009年9月26日





2009年9月25日

昨日の日記のつづき。


千葉に帰っている間にお墓参りをした。今年はいままで生きてきたなかでもっともお墓参りをしている回数が多い。お花を供えてお線香をあげた。天気がよく、お墓に行く前、人を待つ間に、近所の貸家の庭に首輪をした猫が居るのが見えて、なんだ可愛いなあと思い近づいていくと、首輪をしているくらいだから人間に慣れていて、何かねだるようにその猫がミャアミャア言いながら寄ってきた。白い猫が黒い布を被ったような模様で、しっぽの先だけ白かった。「何もあげるもの持ってないよ。」と言いながら離れると、猫は地面にごろんと寝転がって毛繕いをはじめて、自分はしばらく遠くから見ていた。

去年の秋くらいから、首が痛くなることがあって、ひどいときには何もできない。起きていられないくらいで、困る。首が痛いと何もやる気がおきなくなる。こういう風になってから、ある日、痛くてたまらず、片手で首の後ろを押さえながら歩いていたら、一歩踏み出すごとに首の中身が動いていることに気づいた。みんな知っていて、自分だけ知らなかったのかもしれないけれど、首というのは何kgもある頭を支えているだけではなかったのか、とすこし驚いた。それで、千葉に帰っている間に、マッサージに行った。地元の駅前にあるお店で、まだ新しい。評判がいいのを聞いて、今年の5月ころに行ったことがあった。おじさんがひとりでやっているところで、色々と話した。はじめ、肩と腰に電気を流すマッサージをうけたのだけれど、これ、自分の部屋にもあったらいいなあ、と思った。電気屋に行って見てみよう。

23日には佐倉市立美術館で「オランダデザイン展―挑発する色とかたち」を観た。この日が最終日ということもあってか、人が結構多かった。オランダデザインの家具や、雑貨、切手、本、雑誌、展覧会のポスター、会社のグッズ、それとモンドリアンの作品など、いろいろ展示されていて、見応えがあった。特に、本のデザインは絵として充分おもしろいというか、目が歓ぶ感じがする。あと強く印象に残っているのは切手。ポスターよりも目が奪われた。切手はせいぜい2~3cmくらいの小ささだけれど、手紙や葉書と一緒に送った相手に届くもので、それは郵便屋さんに送ってもらうことの代償なのだけれど、ただそれだけで終わっていないというか、届いたときの(または選ぶときの)楽しみにも一役買っていると思えるものだった。他の国のことをうらやましく思うのは、あまり好ましくないのだけれど、それでも日本の切手は、もうすこし何とかならないものか。いいものもあるけれど、もうちょっと違うタイプのものがあってもいいのではないだろうか。たとえばグラフィックデザイナーの人がデザインしたものとか。結構おもしろい人、居ると思うのだけれど。少なくとも自分はあったらいいなと思う人が居るんだけど。…でもこれ、もうすでにやっているのかな?それとも、まだやっていないとしたら、今の時代にできないのは、自分が知らないだけで何か理由があるのかな。話がずれました。

久しぶりに何日も千葉に帰っていて、行きたいところにはほとんど行った。千葉はとりたてていいとは思わないけれど、でも、なかなかいいところ。




2009年9月24日

連休は千葉に帰った。ふと、牛久大仏を見たくなったので車で向かった。5年ぶりくらいだろうか。初めて見たのは昼間で、次に見たのは深夜だった。今回はまさに晴天で、車を運転するのも気持ちがよかった。茨城の道は、千葉と違って走りやすい(茨城全体に言えることではないのだろうけれど)。この日はシルバーウィーク(これ、誰がつけた名前だろうか)ということで、フリーマーケットや出店があったりして、人がたくさん居た。それに合わせて、通常よりも入館料が高くて、そこまでしたいというほどではなかったので、結局大仏の足元までは行かなかった。それでも充分、牛久大仏は大きく、なかなかいい顔をしているなあ、なんて思った。自分の周りには牛久大仏を知っている人があまり居ないのだけれど、初めて見るときは、かなりの衝撃を受けるのではないだろうか。自分には強烈な体験だった。牛久大仏は120mくらいある立像だから(ギネス記録らしい)、長谷の大仏のように体が緑に囲まれてもいなければ、すぐ近くに行ってようやく見える、というものではないので、つまり、1km先からでもその姿が見える。見えてしまう。茨城はのっぺりしているから。あの衝撃。初めて見たときもそうだったけれど、今回も、森の向こうに牛久大仏がすっくと立っている姿が見えたとき、思わず声が出てしまった。自分にとって牛久大仏の醍醐味は、近くよりも、こういう、かなり距離のあるところから視認するというところにある気がする。罰当たりな言い方だろうか。あと、もうひとつ、牛久大仏のすごさ、というようなものを感じるのが、夜に見に行くこと。夜のよさは、昼間と反対で、近くで見上げること。というか、近くに行くまで気づかないと思う。これはすごい。何年か前に見た深夜の牛久大仏が忘れられない。夜の空よりも暗い色をした大仏が立っている姿を想像できるだろうか。なんといえばいいのか…音に例えるなら、「ぶぉぉおおおおぉぉぉぉん」というかんじ。闇の恐ろしさを体感させられるものだった。また千葉に帰ったら、今度は深夜の牛久大仏を見に行きたい。


今とても眠いので、日記はここまで。




2009年9月18日

この国に住んでいることが嫌になる。




2009年9月17日

スニーカーがぼろぼろになってきて、そろそろ買い替えないと恥ずかしいような状態だ。でもお店に行くのもしんどい。ところで、スニーカーは白と決まっているけれど、白いスニーカーと言っても、色々なメーカーが出している。自分のはコンバースのジャックパーセルで、これは2代目なのだ。つま先が空豆みたいになっているのが気に入っていて、履きやすい。ただ履きかたが悪いのか、かかとの部分がすぐぼろぼろになる(特に内側)。




2009年9月16日





2009年9月14日

ぷっちょ、というソフトキャンディが美味しい。




2009年9月12日

きのう東所沢に行った。電車で府中競馬場の近くを通ったとき、窓から、そこの大きな画面が見えて、ちょうど、騎手を乗せて走る馬の姿が映し出されていた。電車と競馬場のあいだには結構な距離があるのに、目の前でテレビを見ているような感じだった。自分が今までに見たなかで、きっと一番大きな画面だと思う。競馬はやったことがないし、興味もないけれど、馬が走るところを見られるというのは、なかなかおもしろそうだな、とすこし思った。


そして今日は、久しぶりの雨で、夜、雨が上がったあと、霧が出ていた。そういえば、ウェブの今のトップページも霧の出ている駐車場の写真。あれは那須で撮ったもの。車を運転しているときに、みるみる視界が悪くなって、すこし先を走っている車のテールランプや、対向車線を走る車のヘッドライトが、どんどん頼りないものになるときの、そわそわした感じ。




2009年9月10日





2009年9月9日

何年か前の夜、牛久大仏を見たときの衝撃。




2009年9月8日

先週、群馬県立館林美術館に行った。初めて行ったのだけれど、敷地が広くて、人工芝が広がる大きな庭があり、そののっぺりした感じが、なかなかよかった。小さなカエルが、芝生に足を取られながら、跳ねてどこかへ行った。その日、前日にも会っていた友人と、おすすめ曲を集めたCDを交換した。自分のは「秋葉シスイ・チョイス集 第7章」という題名(7枚目のCDだから)で、前日に「(お互いに)自分のiPodにはこんな曲が入っている」という話をしていたので、それらを主に入れた。人に、おすすめ曲を集めたCDを送るのは、なかなか頭を使う。とはいえ、相手の好みを考えすぎず、こんな音楽もありますぜ、という感じで選ぶ。曲順もいろいろと試して、インストのものを入れたりしながら、最終的に全体がやんわりまとまっていればいいかなあぐらいで作っている。ひと昔前は、こういうのは、カセットテープで作っていたのだろうなあ。それはそれでおもしろそうだ。テレコを使って何かしてみたいと前から思っている。これは作品にできたらいいのだけれど。




2009年9月3日

津田直の「漕」を見た(読んだ)。こんな人、見たことない。自分がやりたいことの一部をすでにやっていて、ああ、と思う。それがまたいいから、なおさらそう思う。津田さんは1976年生まれ。自分にはこのへんの年に生まれた気になる人が何人か居る。くるりの岸田繁さんや、佐藤征史さん、キンモクセイの伊藤俊吾さん、など。ほかの作家では、さわひらきさんや、関根直子さん(この2人は1977年生まれ、佐藤さんもそうだった)。ほかにも誰か居るかな。自分と年が10歳も離れていないということに、さっと体の(頭の中の?)温度が下がるような感覚になることがある。