2007年11月30日

今日で11月が終わり。夏が終わって気温が下がり始めると、あっという間に年末になる。
今日は代官山ヒルサイドフォーラムにシェル美術大賞展を観に行った。はっとする作品はなく(まあ確かに、そうそうそのような作品があるわけではないと思うのだけれど)、予想を裏切らない内容。そして代官山という街は落ち着かない。なんなのだろう、あの居心地の悪さは。シェルの展覧会を観る意外行くことがない。つまり1年に1度しか訪れない街。どうでもいいことだけれど。




2007年11月28日

ひとりで居ることに慣れているとは思えない。しかし人と一緒に居ることはできない。ならばどうすればいいのだろう。何をどうしたら、もっと、生きやすくなるのだろう。頭が少し痛い。いまのところ時間はある。このまま朝がくる前に抜け出して、電車に乗ってしまおうか。そんなことをする勇気も力もないだろう。言葉はひとつしか話せない、身を守れるわけでもない、何ができると言うのか。少しは前に進んでいると思っていたのに、実際は円の上を何周もしているだけだったのだ。終わりもなければ始まりもない。本当のことしか言いたくないと誓っているのに、無神経になれるほど強くない。アーロン。素直すぎると誰かが言っていた。それでも嘘のつき方を知っている。何ができるというのだ。ふざけた連中は今夜ものうのうと眠っているというのに。頭が悪いのは知っている。賢くない。文字は読めるけれど、本は読めない。この意味が分かるだろうか。何かが破綻する音がした。確かに聞こえた。嘘つきは許さない。許さない。頭が痛い。父親について聞かれたアーロンは、あいつはよくない、とだけ言ってそれきりだった。アーロンはどこに行ってしまったのか。呼んでも返事がない。彼は紅茶ばかり飲む。自分はコーヒーばかり飲む。最後に話したのはいつだっただろうか。いや、話したのではなく独り言だったのかも知れない。彼のカップがきれいだった。部屋へ向かう帰り道、見上げた空に、そのまま滲んで消えてしまいそうな星がひとつだけあったのだ。世界はなんと美しいのだろう!なんと素晴らしいことか!そのとき全てが自由なんだと分かったよ!世界は終わる!このふざけた世界をつくり直そう!必要なものを持って行こう!本とベッドとキッチンと何枚かの写真と紙とペン。アーロン。もうすぐ会えるんだ。狭いアパートにも窓がある。そこで植物を育てよう。名前は知らないから、自分たちでつけよう。嘘を言ったな!許さない!機会なんてものはないんだ!嘘つきは許さない!すべてのことを憶えている。黒いシャツとベージュのズボンだ。あの街にはもう行かない。近づかない。夜が来る。朝は来るかも知れない。初めて音で景色が見えた。空が何色でできているか知っていると言った彼は、無表情だった。アーロンには何があったのか。自分には何があったのか。何が。つまり自分でなくなる必要があるということで、そうするにはどうしたらいいのか。もう1人。ロイ。ああ、底に居るということで、だからこんなにも静かなのだ。虫の声も聞こえない。そういえば昨日、虫を殺してしまった。自分からそうしたのか、偶然そうなったのか、笑い話にもならない告白だ。次から次へと問題は出てくる。なにをどう動かせば、もっと、生きやすくなるのだろうか。ロイは力を持っている。すぐ人を殴る。汚い言葉を吐く。守るために生まれてきた。それだけ。政治家は同じ顔をしている。自分がどこから来たのか。言葉をひとつしか知らない。アーロン。頭が痛い。すこし疲れた。明日は雨が降るんだ。こんなに冷えているからきっとそうだ。何をどこに持って行けばいいのか。よくもくだらない話をしてくれたな!耳を傾けた自分に反吐が出るさ!許さない!こっちを見ろ!許していない!どこに行けば会えるだろうか。それが分からない。生まれる前からずっと分からない。




2007年11月27日

大きな代償を払って時間を手に入れた。




2007年11月26日

話し方が少し変だからと言う。そんなことは気にしないでいいと言い返す。自分は政治家の演説や歌手の歌声や小説家の文章が欲しいのではない。



2007年11月24日

この日記にもたまに出てくる自分が言う「どうでもいい」こととは、無関係の、存在しなくていいものという意味ではなくて、一旦自分の性格や能力や環境を通して改めてそれを見たときに、今の自分にはそれほど大切でない、抱えている必要がない、あるいはそうしたくないもの(実物や考え方など)、という意味だと思う。そしてそれは、必要になる可能性をおおく含んだものでもある、と。自分の中にあるこの感覚をことばにするのならば、これが1番妥当な言葉の並びだと思う。




2007年11月23日

アーロンは図書室で働いている。なるべく他人と一緒にならない作業を周りの連中が選んだのだ。しかし彼は本が好きだったのでゆっくりとしたその仕事を楽しんでいるようにも見えた。貸し借りを受け付けする間も、カウンターで本を読むことができるし、何より本が好きだった。彼はその日に読み終わった本を、机の隅に重ねていく。その手つきはとても慎重で、角をぴったりと合わせた。




2007年11月19日

「消灯時間から1時間経ったら、庭のクレーターで待ち合わせしよう。」というメモを渡されて、ベッドの中で寝たふりをしている自分は、その時を待っていた。夜は冷えるのだけれど、パジャマの上から1枚上着を羽織っただけで、あとは、返す本を持って部屋を抜け出した。まだ見回りが来ないうちに。誰にも見つからないように。庭には奇妙な形をした遊具が点在していて、クレーターはそれらの中心にある。その窪みに入ってしまえば、建物からの死角になるからいつもそこで待ち合わせをする。歩いてクレーターに着くと、アーロンは頭以外を毛布にすっぽり包んで座っていた。声を掛けると毛布を半分貸してくれた。


肌が白い、目が茶色い、髪が茶色い、いい声。自分が知っているのはそのくらいで、あとは季節の話や天気の話や、今日の食事の話をする。たまに笑ったりして、黙る。あとは寝転がって月や星や雲を見る。それについて話して、黙る。友達だから、それでいい。けれどそういう間に、ここを本当に抜け出したらどうなるのだろう、と考えたりしている。でも言わない。アーロンも、言わない。


先週の日曜日、街に行ったとき買ったものを渡した。2つ買ったうちの1つを。本を貸してくれたお返しに。それは木で作ってある小さな置物で、鳥の形をしている。何の鳥かはよく分からないのだけれど、ポケットに入れていられるし、白くてきれいだったから。アーロンはまたいい声で、小さくお礼を言った。




2007年11月18日

雪が谷大塚、小島びじゅつ室「山本まり子 むきあうこと」展。
東急池上線には初めて乗ったのではなかろうか。電車の座席が、3人あるいは4人掛けに区切られていた。初めての土地はいつも少し戸惑う。いや、何回行っても慣れない土地も多いのだけれど。そして会場に行くまでに少し迷った。同じ通りを行ったり来たり。地図を見るのは得意なのに。山本さんの作品は、それに向かう山本さんの姿勢が見て取れるようなものだった。つまり、真摯に向き合っているというか。それ故タイトルにもなんとなく納得する。会場には自分しか居なくて、小さな1人掛けのソファーがあったので、そこに座ってしばらく居た。作品を眺めたり、全然関係のない個人的なことを考えたりもした。作品の中で印象的だったのは、缶詰の中に入っている石けんくらいの大きさの小さな作品(文字では説明しづらいのだけれど)。ひっそりと、けれども存在感があった。


帰り道。いろいろと今よりもよくなればいいなあと考えながら歩いた。しかし、それは自然とどうにかなるものではなく、自分の腕次第というか。自分が楽しむ、また納得するという事柄を増やすこと。他のことは当分、どこか遠くにやってしまうだろう。でも、そのまま、になるのは本当は怖い。




2007年11月17日

清澄白河、小山登美夫ギャラリー「シュテファン・バルケンホール展」、シュウゴアーツ「池田光弘 宙を繋ぐ」展、Taka Ishii ギャラリー「トーマス・デマンド」展、hiromi yoshii「ヴィディア・ガスタルドン|Healing Boom」展「Yosuke Bandai|reunion」展、zenshi「村住知也 視力を失った夢」展、など。


バルケンホールはやっぱり好きだ。2年前に観たオペラシティアートギャラリーでの展示ほど衝撃はなかったのだけれど(それは当然かも知れない。あのとき初めてバルケンホールの作品を観たわけで、今回は2回目なのだから。新鮮さという意味では、初めてにかなうものはないだろう)、あの普通の人たちを、愛すべきものとして変換できてしまうのは、なかなかできることではないと思う。そして自分にはそういうことをする力がないということを痛感する。
トーマス・デマンドのわざわざすべての被写体を紙で作って、展示するのは写真だけというやり方は、ちょっと地味で好きだ。以前の近美での展示でもそういう印象を持ったので、憶えていた。ただ、ギャラリーに置いてあった紹介文に「政治的訴えの…」というような内容の文章があって、そういうのはいまいち分からない。自分はただ作品を見ていいなあと思ったけれど、そういう政治的なんたらかんたらみたいな話が出てくると分からなくなる。


歩いていても寒くなってきた。夜は吐く息が白くなった。


最近観た映画(DVD)、「真実の行方」「スコア」。
「真実の行方」は、教会のミサの手伝いをしている少年が、その大司教の殺人容疑で裁判にかけられるという話。中学生くらいのときに観た映画で、ずっと忘れられない映画だった。この結末が、とても強い印象を残した。若い頃のエドワード・ノートンが出ていて、半端無くいい俳優だと改めて痛感する。それを観て自分の身動きが取れなくなるようなシーンがある。
「スコア」は賊の話。金庫を破って宝物を盗むという内容で、この映画を観て気づいたのだけれど、最近の映画は必ずと言っていい程、劇中で登場人物の誰かが死ぬ、あるいは不特定多数の役柄もない人物たちが死ぬ。でも、この話の中では誰も死なない。その上ハラハラする。誰の命も奪わないで盗むわけだから、その行為が成功するかどうかに集中するからだろうか。そして主演ではないけれど、この映画にもエドワード・ノートンが出ている。「真実の行方」同様、頭のきれる役が向いている俳優だなあと思う。




2007年11月11日

しばらく絵を描いていない。




2007年11月10日

銀座、フタバ画廊「辻由佳里展」、ギャラリー小柳「マラブ・太陽 野口里佳」展、ギャラリー山口「賢尻展TakashiP Exhibition」、など。「マラブ・太陽」は、ギャラリー小柳のWEBに載っている作品の写真を見ていて、人を写した作品の展示だと思っていたのだけれど、実は写真にうつっているのは人ではなく鳥(?)だった。でもそれがなんとなく人に見えるような、鳥離れした鳥…みたいな。夢の中の景色を見ている気分になった。少なくとも自分は、夢の中で、あの写真のように視界がそんなにはっきりしなくて、中心から遠くなるにつれて黒くなっているから。古い映画のような。


G8やガーディアンガーデンは土曜日は休みだった。これらは展覧会によって休みの日が変わるんだった。おかげでたくさん歩いた。雨が降っていたから寒かった。




2007年11月9日

眠れない。眠いのに。雨が地面に落ちる音が聞こえる。たき火の音に似ているかも知れない。
ぼんやり考える、イケムラレイコの絵を。彼女の絵が1枚あったら、この部屋は素敵になると思う。




2007年11月8日

バッカスというチョコレートがおいしい。チョコの中にお酒(ブランデー?)が入っている。自分はお酒がどうしようもなく苦手なのだけれど、これだけは唯一、自分から進んで口にしてしまう。まあ、ただのお菓子なのだけれど…。最近寒いから、夜の帰り道、これを食べると心なしか体が温まる。正確には、喉の奥のほう。



2007年11月7日

イケムラレイコの絵は、色が光っているように見える。ただの絵具なのに。
暗闇の中に浮かび上がるような線や女の子たちの姿は、悪い夢のようにも思えるし、秘密の楽園のようにも思える。




2007年11月6日

眠れず、考えていたら腹が立ってきた。
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。


そこから見下したつもりだな。言葉で責める方法を心得ているようだな。そしてそれしか知らないんだ。愚鈍だ。今すぐ消えろ。船から降りたらすぐに。莫大な数の回線の海を、この文章も流れていくのだ。ようこそ、汚物の海へ。もう顔も憶えていない。タラララルラララ。スリーツーワン・ドカン。こっちはそっちを置いていくだけだ。


うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。 すべてを知っているような口調だった。あれもこれも全部。




2007年11月5日

今読んでいるのは青木淳吾の「四十日と四十夜のメルヘン」。ずいぶん前から手元にあったのに読んでいなかった。


テレビをつけるとつまらない番組しかやっていない。ニュース番組ですら、演出などに凝りすぎてよく分からないものになっている。昔からこうだったのだろうか。キャスターの横にCGで画面が大きく出てきたり、ニュースの渦中の人物があたかもそこに居るかのように等身大のCGが施されたり、どうでもいい技術ばかり。あとは内容。どうでもいいことばかり。新聞を取っていないので、どんな番組が毎日やっているのかよく分からない。先日はバレーボールを見ていた。中学の頃バレーボールをやっていたから、スポーツの中でルールが分かるのは唯一これだけだ。6、7年前と比べたら、チーム全体の力は上がっているように見えた(以前は本当に限られた選手の力だけが目立って、チームプレーになっていなかったような気が)。にしても今一歩及ばないのはなんなんだろう、始まる前から今日の相手なら負けるなというのが分かる。日本はそういうチームだ。それはもうずっと前からそう。


上に書いた、青木淳吾の小説の中で、主人公の「わたし」が自らが住むアパートの住人についていろいろ考えたり想像したりするのだけれど、それは自分にも当てはまる。自分の隣りの部屋に住んでいる女の人は、ステレオによって目覚める方法を用いているらしく、朝方5時くらいに大音量でチャゲ&飛鳥の音楽が流れてくる。歌詞が鮮明に聞こえてくるほどだ。アパートは古いので、大きな物音とかは簡単に壁を通ってしまうのに、平日は遠慮なく行使してくる。もちろんこっちとしては、チャゲ&飛鳥などには興味がないのだけれど。でも自分はそれを何年も放っている。自分が眠っている時ならべつに構わないし、寝付けなくて起きているにしても、なんとなく放っている。朝方5時から15分間くらいだからと思って。しかしもし、自分がある日、苦情を告げたらどうなるのだろう。彼女はおとなしく目覚まし時計を用いるようになるのか、音量を少し下げるなどの抵抗策を出してくるのか。はたまた違う歌手の歌を使うのか。




2007年11月4日

バイトのあと。初台、ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)「坂本龍一+高谷史郎|LIFE-fluid,invisible,inaudible…」など。




2007年11月3日

夜、火星を見た。




2007年11月2日

もうそろそろ、いろいろなことを忘れようかと思っている。
自分は、そういうやり方でしか前に進むことを知らない。あるいは進めない。
それを頼りによろよろと歩いていたけれど、本当の、ひとりぼっちになってみようかと思っている。




2007年11月1日

バイトのあと、渋谷にライブを見に行った。
渋谷は大嫌いだ。自分の身を守ることができない。人の氾濫から、音の洪水から、悪意ある他人の行動から。でも目的があったから、そのために全てを無視して歩いた。


音楽は好きだ。自分の場合、今までに聴いたことのある音楽にかなりの偏りがあるのだけれど、自分にはそういう音楽が必要だ。毎日をただ過ごす中でも、苦しいことや耐えられないことがあったときも、自分の中には音楽が流れている。そういうものを、自分のメロディーで奏でられる人たちを、尊敬してしまう(もちろん、それの好き嫌いはあるけれど)。今回見た人たちからは、静かなものと、熱いエネルギーを同時に感じた。自分は、そういう一見相反するものがひとつのものの中に存在しているということに、常日頃、興味があったり気にしていたりするので、彼らの演奏を見て、それを感じたのは、少々衝撃だったかな。印象的だったのは、最後に挨拶をした人が、一生懸命何かを言おうとしている姿。自分はそれをじっと目を凝らして聞いていた。


それと、今日でこの秋葉シスイのサイトは1周年です。
更新がゆっくり(非常に!)ですけれど、気ままにやっていくので、今年もよろしくお願いいたします。