2010年9月18日

「ハンニバル」は2001年の映画で、もう約10年前なんだけれど、色褪せないな。ストーリーは原作があるからあれだけれど、映像として、映画の中の世界が古くならない(時代を感じない)。同じ感じので、「セブン」もそうだと思う。これはもう15年前か。両方とも初めて見たときの衝撃が、薄まってない。ちょっと話変わるけれど「セブン」が公開された6年後に「ハンニバル」が公開で、当時話題になったのは、ラストの晩餐のシーンでポール・クレンドラーがわけも分からず自分の脳みそを食べさせられるという場面だった。あれはもちろんCGとロボットを使っているんだけど、たった6年でこういうことが可能になったんだな。前から似たようなのはあったけれど、ロボットと分かった時点で興ざめというオチだったのにこのシーンにはそれが無かった。今も無い。「セブン」を撮ったデビッド・フィンチャーのだと3年前の「ゾディアック」もこれらと同じ部類に入るんじゃないかな。これは、漫画家だったのに半ば執念でゾディアック事件を調べ続けた男の話で、とてもおもしろい。連続殺人事件がモチーフとなっているけれど、それではなくもっと実際の登場人物にフォーカスしたお話。時代設定が1960年代から70年代が主で、行き交う車や人々の服装、オフィスの風景に至るまでとにかくすべてを完璧にその時代のものとして作り上げているから、本当にその時代に撮られたんじゃないかと思うくらいだった。そういった意味では最初の二つとはちょっと意味合いが違うかな。もともととある時代の状態を作り上げた映画だから。いやでも、そう、映画として自分たちが見た当初のまま、話の内容も音楽も映像も古くならないんだ。自分はこれが、とてもかっこいいと思う。もしこの先、車がこの世から無くなったり、服を着なくなったり、殺人が起こらない世界にでもなったら、こういう時代もあったという意味合いで古いと感じたりするのだろうか。