2022年1月1日







2019年7月1日





展示をします。

秋葉シスイ展-次の嵐を用意している
会期:2019年7月31日(水)〜8月13日(火)
会場:日本橋三越本店 本館6階 アートスポット 東京都中央区日本橋室町1-4-1
時間:10:00〜19:00

新作を中心に、油絵14点を展示します。
一生懸命描いのたので、観ていただきたいです。
よろしくお願いします。




2018年10月30日



最近は、映画を進んで観ていません。
こういうのは初めてかもしれない。
観る気力がない。

いろいろ変わっていって、自分の身体は追いつかない。
取り残されていく。




2018年10月29日



日記。
書いていない間もいろいろあって、
くたくたになったり、
すこし元気が出たり、
また落ち込んだり、
その繰り返し。


いまは、すこし疲れています。
いつになったら、何もないいつもの海に行けるだろうか。






2018年8月27日



「シスイ、シスイ。」

と、おもしろがって名前を呼ぶ。
いつからか、お守りのようなその声。




2018年8月8日



美しい思い出も大切だけど、
人生はこれからを夢見ることさ。


最近聴いた歌の歌詞。
言葉とメロディーが重なったときの、とてつもないパワー。
自分は何度もそれに励まされたし、支えられた。
音楽はいいな、と思う。




2018年7月18日





個展が終了しました。
1日だけ涼しい日があったけれど、ほかは朝から猛暑でした。
7月でこんなに暑いって、今まであったかな。

暑い中、展覧会を目指して来てくださった方、
ふらりと立ち寄ってくださった方、
みなさんありがとうございました。

最初は静かな展覧会になるなあ、と覚悟していたのですが、
日に日に来てくれる方が増え、
予想以上に多くの方にお越しいただきました。

胸がキュウっとなるような言葉を掛けられて、
しばらくそれを抱えながら、
ほんとにほんとにうれしかった。

自分の絵の位置というか、
危うさ、
弱さもすこし分かりました。

会場のギャラリーせいほうさんは、
自分が絵を描いている部屋の10倍以上広くて、
こんなに離れて自分の絵を観たのは初めてでした。
不思議な感じがした。

2週間まいにち会場に通って、
自分の絵を眺めていた時間は、
とても贅沢な時間でした。

絵をつづけたい、と思いました。

8年ぶりの個展。
いろいろありましたが、絵を観ていただけて、うれしかったです。




2018年7月2日



個展が始まりました。
今回、大作を中心に新作油絵12点を出しています。
人が居たり居なかったり、向こうに光があったり無かったりする絵を展示しています。

会場のギャラリーせいほうさんは、自分が絵を描いている部屋の10倍広く、離れたところからも絵を観ることができる。
不思議な感じがします。

自分の絵は、よく「暗い」とか「淋しそう」と言われます。
その理由は分かっている。
何もない風景で、色は寒々しいし、絵のなかに居る人はいつもひとりで、ただ佇んでいるから。
それでも、「暗い」や「淋しい」というものは、絶対な負のイメージではないとも思っています(というか信じている)。
淋しさを肯定したいという気持ちもどこかにあるのかもしれない。

何もないけど、そこにあるとなんだか心地よい。
海を見ていると、波の音を聞いていると落ち着くように、自分の絵もそういう存在に近づけたらいいな、と思っています。

ただ暗い気持ちだけで終わらない、そういう絵を描きたくて、今までやってきました。

いつの間にか絵を描くようになって、
振り返れば、必要不可欠な事柄以外で続けているのは、絵だけになっていました。
自然にというほど綺麗なものではなくて、辞める理由はいくらでもあって、続ける理由はほんのすこししかない。
それでも、そのほんのすこしの理由の力は大きくて、ここまでやってきました。

今回の12点、よかったら観ていただきたいです。
よろしくお願いします。
























2018年6月2日





一ヶ月後、展示をします。

秋葉シスイ展-次の嵐を用意している
会期:2018年7月2日(月)〜7月13日(金)
会場:ギャラリーせいほう 東京都中央区銀座8-10-7 東成ビル1F
時間:11:00〜18:30(最終日は17:00まで)
日曜休廊

大作を中心に、新作油絵12点を展示します。
一生懸命描いのたので、観ていただきたいです。
よろしくお願いします。




2018年5月12日



まいとし5月・6月くらいの記憶がなかったのですが、
昨年、経堂のcafe+gallery芝生さんでグループ展をしてから意識が変わりました。
これから先は、5月になると「あれから何年たったなあ。」と思うようになるのかもしれない。
その始まりになった、展示でした。


そんなわけで4人展
2017年5月12日(金)~5月23日(火)
会場:cafe+gallery芝生(経堂)


もう何年もわりと近くに住んでいるのに、経堂のすずらん通りは、あの展示をすることになって初めて訪れました。
行ってみたらなんともよいではないか、すずらん通り。
のんびり、ほのぼの。


思えば、昨年の前半は__なことばかり続いていたけども、あの展示の頃からすこしずつ(めちゃくちゃすこしずつ)、自分も変わっていったように思います。
人との出会いもあったり、考え方とかもすこし変わったかな。

今までの自分は、人間関係や生活などが変化することへの恐怖というか不安感が強かったのだけれど、あの頃からそういう不安感もそんなに怖くなくなってきたような気がします。
ビビりつつも、なかなかどうして心地よいというか。
自分でもこういう風に生きていけるんだな、と思ったり(大袈裟か)。

2017年の前半は__でも、大晦日に振り返った印象は、
「2017年、よい年でした。」
でした。

どこまでも暗く、落ち込んでいたはずなのに、印象をほとんど塗り替えることができた。
いろいろ手放すことで、自分を取り戻した。
そういう気がしたのです。


だから、あの展示について「ありがとうございました。」と、勝手に思っています。

ありがとうございました。
芝生さん。










2018年4月15日



今日も映画の感想です。



「ブレードランナー2049」(2017年)
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ライアン・ゴズリング、アナ・デ・アルマス、シルビア・フークス、ロビン・ライト、ジャレッド・レト、ハリソン・フォード


もともとSFはそんなに好きではなかったのですが(「ターミネーター2」は別)、この映画の面白さは衝撃でした。

1982年に制作された「ブレードランナー」(監督:リドリー・スコット、主演:ハリソン・フォード)の続編です。
自分はこの第一作を一度観たことがあるはずなのに、ほとんど記憶に残っていませんでした。
わずかに憶えていたのはレイチェルの髪形くらい。

35年後に続編って、かなり危ないというか、挑戦だな、と思いますが、
でも考えてみると、この映画にとってはそのくらい時間が経っていた方がかえってよかったのかも。
自分のようにほぼまっさらな気持ちで観る人も多いだろうし、SF映画にとってこの10数年の特殊効果の技術の進歩はかなり強味なんじゃないかな、と。
第一作を越える続編というのはなかなか無いと思うのですが(「ターミネーター2」は別格)、「ブレードランナー2049」は見事にそれを成し遂げていると思います。
しかも、前作への敬意も感じられる。
35年前と同じ登場人物たちやスタッフ、一部の音楽もアレンジして使用されています。
みんなが前作をリスペクトしつつ新しい「ブレードランナー」を作るべく向かっていったような感じがとてもよかったです。




物語は、前作の「ブレードランナー」から30年後のカリフォルニアが舞台です。
環境汚染はより深刻になり、6月でも雪が降っている。
昼間でもどんより暗く、街はスモッグに覆われている。
とにかくじめじめしてて身体に悪そうです。
登場人物の台詞からすると、この時代に植物はほとんどもう無く、食べものも実に美味しくなさそうです(食事というより餌という感じ)。

タイレル社が発明した人造人間「レプリカント」。
人間に代わる労働力として製造される彼らは、幾たびも反乱を起こした結果製造中止になりタイレル社は倒産。
やがて実業家ウォレスがタイレルの資産を買い取り、より従順なレプリカントの製造を開始。
タイレル時代に製造されたネクサス8型レプリカントの残党(旧型)は「解任」の対象となる。
彼等を追う捜査官の通称が「ブレードランナー」。


歴代レプリカントの試作品


30年前、ブレードランナーは人間が務めていました(前作の主人公はハリソン・フォード演じるデッカード捜査官)。
30年が経ち、「解任」の対象が人造人間であるとは言え、抹殺という業務による精神的負担を考慮し、今ではレプリカントがこのブレードランナーの任務を請け負っています。
それが、本作の主人公である捜査官KD6-3.7のK(ライアン・ゴズリング)です。
面倒な仕事(戦争、肉体労働、売春)はレプリカントに押し付ける、というのがこの映画のところどころに見えて、人間の都合のいいように製造され抹殺される彼らが気の毒になります。


 捜査官KD6-3.7 通称K


Kは同族であるレプリカントたちを取り締まる捜査官。
人間からは「スキン・ジョブ(人間もどき)」と馬鹿にされ、レプリカントたちからは同族を始末する「最低のレプリカント」と忌み嫌われ、板挟み状態。
なんとも気の毒。
それゆえKは口数も少なく、他人との交流も持たず、ただ仕事(捜査)に取り組む。
唯一の拠り所は、ホログラムの恋人ジョイ(今でいうアプリみたいなもの)。
と言っても肉体が無いので、触れることはできない。
精巧なプログラムによって紡がれるジョイとの会話が、Kの安息の時間になっている。
こういうところも、現代の延長線上にありえる気がします(それでも肉体を求め合うのだけど)。


ホログラムの恋人ジョイとK


とまあ、
ひとつひとつ説明すると長くなりすぎるので割愛しますが、
人間とレプリカント、それぞれの境界線を揺るがす発見がされたことから、Kは真実と半ば自分のルーツを突き止めるべく、物語は進んでいきます。

もうね、説明不要で良いのです。
物語、映像、音楽、登場人物、全てが最高。
何よりよかったのが、言葉で説明するとややこしいストーリーに感じますが、前作をほとんど憶えていない自分でも理解できるくらい分かりやすいのです。
天気も空気も悪く、じめじめしてて、さらに「希望はあまりない。」と感じさせる世界観が、ありそうな未来のイメージです。
映画の後ろで流れているのも、音楽というより音という感じで、世界観にとても合っています。

そして映像がとにかくかっこいい。
初めて観たとき、冒頭3分ですでにこの映画にハマっていました。
何度も繰り返して観るほどに、面白さが増していきます。
本作の鍵を握る人物を、35年前の主人公デッカード(ハリソン・フォード)が引き続き演じているという設定も、グッときました。
第一作のファンならなおさらそのはず。


30年間、秘密を抱え身を隠し続けていたデッカード


この映画を観ていると、レプリカントたちを「スキン・ジョブ(人間もどき)」と罵倒する人間たちより、Kやレプリカントたちの方に感情移入していきます。

人間の支配からの解放を目指すレプリカントたちの言葉が、映画を観終わったあとも耳に残ります。
「大義のための死は、何よりも人間らしい。」
自分達を奴隷にし、憎むべき相手であるはずの「人間」への強い憧れ。
なぜ生まれ(製造され)、なぜ生きているのか、その意味を欲している。
これは大昔から人々が抱える欲求と変わらない気がしました。
どんなに技術が発展して、物や選択肢が増えていっても、確かな何かを求めるのはきっと変わらないんだなあ、と思ったり。
それを見つけられる人はほんのわずかで、ほとんどの人は見つからないまま終わっていくのかも知れないと思うと、これから先の途方に暮れるような長い時間が、虚しくなるようでもあります。
と、ぼんやり考えてしまいました。


主人公のKは表情があまり無く、だからこそラストに向かうにつれて加速していく彼の姿勢に、胸打たれてしまいました。

ジョイが、「あなたといると幸せ。」と言うと、Kは「そんなこと言う必要ない。」と返し、
「私も本物になりたい。」とジョイが願うと、「君は本物だよ。」とKは答えます。
Kのやさしさというか、たとえ触れ合えなくてもジョイをたいせつに想っているのが伝わってきて、人間以上にいい人だなあと思ってしまいました。



ライアン・ゴズリングがよかったなあ。
目の動きひとつで物語るとか、かっこいいー。
デッカードと出会ったことで、最後の闘いに挑む決意をしたK。
傷だらけの身体を抱え、この終わりかけの命を最後何のために捧げようか、と自分で決意したことが、Kのプライドであったようにも思います。




そして、この映画を撮ったのは前回の日記で書いた「プリズナーズ」と同じ監督、ドゥニ・ヴィルヌーヴ。
すごすぎる。
ジャンルのふり幅に驚きました。




2018年4月1日



久しぶりの日記です。
書いていない間も書きたいことはいろいろあるのだけど、できませんでした。


それで、何からまた始めようかなと考えて、
映画の感想にすることにします。



「プリズナーズ」(2013年)
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ヒュー・ジャックマン、ジェイク・ギレンホール


おととしの年末、夜中にテレビでやっていたのを偶然観て、なんて面白い映画なんだと感動しました。
ジャンルとしてはサスペンスです。


小さな工務店を営みながら暮らすケラー(ヒュー・ジャックマン)の幼い娘が誘拐され、家族の幸福は一日にして崩れ去る。
間もなく容疑者として青年アレックスが逮捕されるものの、物証がなく釈放。
アレックスが犯人だと確信しているケラーは、一線を越えて自らの手で彼の口を割らせようとする。
一方で、事件の担当刑事ロキ(ジェイク・ギレンホール)は、粘り強い捜査を続けすこしずつ犯人に迫っていく。


あらすじとしてはこんな感じです。
でもこの映画のすごさは伝えきれない。




映画全体に散りばめられた謎が、最後にはすべて明らかになる。


それと並行して、それぞれの台詞やモチーフが、関係していたり。
ボサッっと観ていたら見逃すほど細かい演出にグッときます。
サスペンスでよくあるのは、事件や謎だけ大げさに盛り上げて最後がイマイチというタイプですが、この映画は違いました。
緻密で、隙がない。
それに加えこの映画の面白いと思うのは、単なる犯人捜しに終わっておらず、それぞれの人間描写(特に父親と刑事)を丁寧に描いているところ。

娘が居なくなったことで崩壊寸前の家族。
精神的に参ってしまった妻からの、
「あなたといれば安心だったのに。わたしたちを守ってくれるって。」
と言われてしまうケラーの心情を思うと、つらくなる。
おいおいそれは言ってあげんなよ、と。
結局この言葉が引き金となりケラーは法律とモラルの一線を越えてしまう。




もう一人の主人公ともいうべき刑事ロキが最高です。
一見ダルくやる気がなさそうで口も悪いけれど、実直に手を抜かず地道な捜査を続ける姿は、静かな熱意を感じます。
泣いている人を前にすると、希望はほぼゼロに近くても「見つけます。」と言い切る。
つらい人をそのまま放っておくことはできない、しない、という信念が垣間見えます。

父親が主人公に思えますが、自分的にはこの刑事ロキの映画でもあるように思います。

それで、ロキもまた辛いところをケラーにつつかれる。
誘拐から一週間して娘の靴下が発見されたとき、ケラーにロキが言われる台詞、
「(娘が死んだのは)あんたのせいだ。」
おいおいそれは言ってあげんなよ、とここでもまた思ってしまう。




ジェイク・ギレンホールがよかったです。
仕草ひとつの表現力がとてつもない。
ロキはYシャツの第一ボタンまでしめて、手やら首やらタトゥーもたくさん入っている。
こういうミスマッチなスタイルもあって、「この人、過去になんかあったんだろうな」と想像してしまいます(少年院に入ってたと言っていますし)。


誘拐犯が見つかっただけでは終わらない、この物語。
ストーリー、伏線、台詞、仕草、音楽、それぞれの演技力。
何から何まで最高でした。

そして、タイトルの「プリズナーズ」という複数形に込められた意味。
最後まで耳を澄まして観るべき映画だと思います。



2017年9月10日



絵を観てくれて、ありがとうございました。




秋葉シスイ sisui AKIBA
nocturne
oil on canvas
33.3x45.5cm
2017




2017年9月1日





春先ぐらいから、お弁当を作るようになりました。
いつも飽きるのに、今回は続いています。

その頃、うじうじじめじめと、ぐちゃぐちゃ考え事していて、気持ちが落ち込んでいる日々でした。
このままではよくないなあ、どうしたらいいのだろうと、ぐちぐちしていました。

身体も精神も、投げやりというか痛めつけているような日々だったので、せめて自分で自分のことをもっと大事にしよう。と思いました。
それである晩、なんとなく思い立って夕飯を作りました。

考えて気持ちが沈んでいくのなら、考えないようにしないと。と思い、没頭できるものは無いかと探したところ、それが「料理」だったのです。

料理をしている間は余計なことを何も考えないというか、
手順や片付けにいい意味で気を取られて、他のことを考える間が無いんだ、と気がつきました。
これがとてもよかった。

それからお弁当も作るようになったのです。
すると、「明日のお弁当のおかずは何にしよう。」とか、「今晩のご飯は何を食べたいか。何を作ろうか。」という風に、実際の料理に付随した時間も出てきて、ますます余計なことを考えないですむようになりました。

そこくらいかな、こころがすこし楽になったのは。

よく、自炊は出来合いのおかずを買って済ましてしまうのと同じくらいお金がかかると聞きます。
でも、同じお金がかかるのなら、妙な合成物や調味料が多く入ったものより、自分で料理して食べた方が、健全な気がします。

大したものは作らない(作れない)けれど。。
栄養とか健康面を思って始めたわけではないので、だから気張らず続けてられるのかも知れません。




2017年8月14日



生まれ育った町の近くに大きな空港がありました。
今でもある。
空港は夜でも煌々と明かりが灯っているから、その方角の空はオレンジのような、赤紫のような色をして、明るくなっています。
子供の頃、静かな夜、窓からそちらの方を眺めるのが好きでした。
離れているから、もちろん空港そのものは見えないのだけれど、鈍く赤く染まる空の明かりを見て、「ああ、向こうに人がいるんだな。」と思っていた。
ただそう思うだけ。
だから何がどうするというわけではなく、ただ、向こうに人が居る。という気配を感じるのが、好きでした。
それは自分だけが知っているような感覚な気がしていた。
子供の頃のいろんな記憶のなかで、それが強く残っていると、大人になってから気がつきました。

夢と現実の狭間にいるようなあの感覚は、今でも感じることがある。
それはすこし淋しく、どこか懐かしい。



秋葉シスイ sisui AKIBA
"次の嵐を用意している preparing for the next storm"
oil on canvas
97.0x145.5cm
2016


5月の芝生さんでのグループ展をきっかけに(?)、自分の絵について話す機会がそれまでより出てきました。

最初に言ってしまうと、おしゃべりは好きだけど、自分の絵について語るのは得意ではありません。
それでいいのか、という気もしますが、これはもう、ずっとそうです。

「言葉にできないから絵を描いているのに、絵を描いていると言葉を求められる。」

これは大学の先輩が言っていたことば。
ときどきそれを思い出します。

絵に限らず、なんでもそうなのかも知れない。
人間は、言葉を求める。


それで、自分の絵について相手に話しているうちに、
色々思い出したことがありました。
忘れちゃいけないことでも、時間がたつと記憶の奥の方に行ってしまっていることがある。


自分の絵は、人が居たり居なかったり、向こうの方に光があったり無かったり、はたまたそれすら何もない風景画です。
Hさん曰く、「およそ退屈な景色。」
なんでそういう風景を描こうと思ったのか。

根底にあるのは、人に興味があった。
にも拘わらず、いわゆる人物画を描くのが嫌だった。
人が中心に大きく描かれた、周りはその他背景。というような、昔でいう肖像画?

子供の頃からずっと、自分の存在も、人との人間関係も、どこか頼りないものに感じていました。
いつかは壊れて消えてしまう。
周りの人たちも自分も、絶対的な人間関係を築くことができなかった。
いくつも壊れていくのを見ていたし、そこに希望を見出せないでいた。

ただ人がいる景色とした風景を描きたかった。
「この世界のなかで、人間の存在は頼りない。それでも生きているものは生きていくしかない。」
考えるでもなく、そう感じていたんだと思います。

表情や性別が判然としないほどぼんやりと小さく描いた人は、ぽつんと佇んでいて、その景色からは、「寂しそう。」とか、「孤独」という印象をもたれやすいです。
それは分かっている。

でも、それが全て悪いことではないとも思っていて、
絶望のようには描きたくない、あまり深刻にならないように描いています。
淋しさや一人でいることも肯定するような。




2017年6月15日



いろいろ変わっていく。
まわりも、自分も。

そして、
それはいい方向へ、向かいます。







2017年6月3日



絵を買っていただいたとき、
「たいせつな友達が、遠い遠い町に転校していく。」感じがします。

転校って、永遠の別れに近いものがある。
大人であればその距離もなんともないくらいだけど、
子供時代の「距離」というのは、
この世の果てにも感じられるというか。


絵は、始めから終わりまでひとりの作業です。
楽しいことはほんのすこしで、
苦しいことの方が多いくらい。
毎晩そういう時間を過ごして描いた絵は、
ただ黙ってそばに居てくれる友達のようです。

絵が手元から去っていったとき、
もちろんこの上ない歓びがあると同時に、
すこし寂しくもあります。

またいつか会えるかもしれないけれど、
もう会えないかもしれない。
新しい場所で、どうか元気でね。

という気持ちです。




2017年5月24日



「そんなわけで4人展」が終了しました。
ありがとうございました。

都心でない経堂という街で、しかも駅からなかなかの距離がある場所。
それでも多くの方にお越しいただき、うれしかったです。
しかも皆さん、「おもしろい商店街だね。」とか、「雰囲気いい街だね。」とか言ってくれて、ホッとしました。

卒業以来に会う大学の同級生も来てくれて、みんなそれぞれの近況を聞いたりして、
「時は流れたなあ。」とぼんやり思いました。
自分は何か成長できたのかな、とか。
しかもみんな素敵になっていたぜ。

普段なかなか会えない人たちがわざわざ来てくれて、
案内を出した先生たちもほとんどが来てくれました。
とてもありがたかった。












今回、描いてはいたけど今まで人に見せることのなかった絵も出しました。
誰にも知られない絵。
このグループ展は、小さい絵を観てもらえるいい機会でもありました。

展覧会前、一番最後に描いた絵の名前は「farewell」。
新しい出会いに向かって、お別れです。


秋葉シスイ
sisui AKIBA
"farewell"
oil on canvas
27.3x27.3cm
2017


会期中、毎日通うたびに、自分もどんどん「芝生」が好きになっていきました。
あの小さな空間の居心地の良さは、オーナーのユサさんの人柄でしょう。
10日間、充実していました。
明日からどうしよう。
なんてね。
ありがとうございました。




2017年5月19日



大学で同じゼミだった人たちがゆるく集まった「そんなわけで4人展」、始まっています。
今日から後半。
5月23日(火)までです。

毎日通う会場の「芝生」。
日に日に好きになっていく。
今回この展示をすることになり会場として見つけるまで知りませんでした。
広くなくてもこんなに居心地がいい。
芝生オーナーのユサさんが淹れてくれるコーヒーやお茶も、とてもおいしいのですよ。

展示を観ていただいたら是非、奥のカフェや雑貨コーナーも楽しんでいただければと思います。


会場の「芝生」は黒い扉とオレンジのバイクが目印です

 ————————


大学で同じゼミだった人たちが集まりました、
そんなわけで4人展します。




そんなわけで4人展
会期:2017年5月12日[金]~5月23日[火]
会場:cafe+gallery 芝生
会場:〒156-0052 東京都世田谷区経堂2-31-20
会場:小田急線経堂駅から徒歩10分 地図
時間:13:00~19:00(最終日は18:00まで)
休み:水曜・木曜


作風もばらばら、性格もばらばら、
それでもなんとなく続いている接点。
程よい距離間の4人です。

会場の「芝生」は、小さな小さなギャラリーです。
小屋のような室内へ一歩踏み入れると、秘密基地のような感覚を憶えます。
奥には小さなカウンターのカフェと、これまた小さな雑貨がたくさん並んでいます。

小田急線の経堂駅からなかなか距離がありますが、「芝生」が面したすずらん通りには、たい焼き屋があったり、インドカレー屋があったり、すこし変わった雑貨屋があったり、歩いてもあまり退屈しないと思います(あと何本か隣の通りには、激うまホットケーキ屋のつるばみ舎もありますぜ)。
車もほとんど通らない、和やかな通りです。
4人全員が小田急線沿いに住んでいて、みんななんとなく経堂が好きで、ここにしようと決まりました。

自分は小さい絵を8点ほど出します。
いつもの風景画とか、そうでないものとか。

近くにお越しの際は、
また気が向いたら、
ご覧いただければさいわいです。




2017年5月10日



もうすぐグループ展が始まります。
今回はキャプションとかも手作りで、毎日こつこつ作業を進めるのは、なかなか充実した時間でした。

展覧会というのは、確かにそれが目標であるのですが、それよりも、展覧会があることでそこに向かうまでの日常に流れる時間の密度を上げる、という意味合いの方が強い気がします(伝わるかな?)。
すこし大袈裟に言うと、人生の密度を上げる。


今回はキャプションも手書きです
字も絵と同じ


物販の準備
むかしむかしの冊子が出て来たので会場に置きます


今回自分は小さい絵を8点出します。
いつもの風景画もあれば、普段あまり人に見せない絵もあります。
会場の「芝生」が小さい小さいから(失礼)、展示もパズルのようになりそう。
他の3人がどんな作品かもまだ知らない。
でもみんなそれぞれ、暖かい絵を描いたり、カッコいい絵を描いたりする人たちです。
ほんと4人ともばらばら。
なんで集まったのかよく分からないくらい。

でも、久しぶりの展示で、
すこしわくわく、どきどきしています。


 ————————


大学で同じゼミだった人たちが集まりました、
そんなわけで4人展します。




そんなわけで4人展
会期:2017年5月12日[金]~5月23日[火]
会場:cafe+gallery 芝生
会場:〒156-0052 東京都世田谷区経堂2-31-20
会場:小田急線経堂駅から徒歩10分 地図
時間:13:00~19:00(最終日は18:00まで)
休み:水曜・木曜


作風もばらばら、性格もばらばら、
それでもなんとなく続いている接点。
程よい距離間の4人です。

会場の「芝生」は、小さな小さなギャラリーです。
小屋のような室内へ一歩踏み入れると、秘密基地のような感覚を憶えます。
奥には小さなカウンターのカフェと、これまた小さな雑貨がたくさん並んでいます。

小田急線の経堂駅からなかなか距離がありますが、「芝生」が面したすずらん通りには、たい焼き屋があったり、インドカレー屋があったり、すこし変わった雑貨屋があったり、歩いてもあまり退屈しないと思います(あと何本か隣の通りには、激うまホットケーキ屋のつるばみ舎もありますぜ)。
車もほとんど通らない、和やかな通りです。
4人全員が小田急線沿いに住んでいて、みんななんとなく経堂が好きで、ここにしようと決まりました。

自分は小さい絵を8点ほど出します。
いつもの風景画とか、そうでないものとか。

近くにお越しの際は、
また気が向いたら、
ご覧いただければさいわいです。